【コラム】槿と桜(38)

韓国のことわざ―動物を例に

延 恩株


 韓国語で「ことわざ」は「속담」(ソクダム 俗談)と言います。このことわざですが、そもそもどういうものかについて、
 「その国の民衆の生活から生まれた、教訓的な言葉。〔短くて、口調のいいものが多い〕(『新明解国語辞典』三省堂)
 「古くから人々に言いならわされたことば教訓、諷刺などの意を寓した短句や秀句」(『広辞苑』岩波書店)
と2つの辞書では説明しています。

 確かにことわざが「ことわざ」として定着するには長い時間が必要のようです。しかも一つの集団として人びとの間に共通した生活様式、行動様式に基づいた共通した認識も必要のようです。

 でも「良薬は口に苦(にが)し」ということわざを例に取りますと、韓国にも「좋은 약은 입에 쓰다」(チョウン ヤグン イベスダ 良い薬は苦くて飲みにくいが、病気には良い)という言い方があります。日本でもおなじみのもので、平安時代(794年~1185年)にはすでに人びとの間で言われていたようです。
 ところがこのことわざは中国の『韓非子』や三国時代の王粛(おうしゅく)が編んだ『孔子家語』(こうしけご)、さらには『三国志』の「呉志」(ごし)孫奮伝(そんふんでん)などに記されていて、中国というまったく異なる民族、土壌で生まれたものが、のちに韓国や日本へ伝えられ、定着した言い方のようです。

 こう見ると、ことわざは一つの国、一つの民族から生まれ、定着したものとばかりは言えないようです。ことわざには人間が集団で生活するなかで得た知恵が詰まっていますし、普遍性もあるため、人種、民族を超えた共感が得られるものもあるからなのでしょう。

 ところで、ことわざの数はどのくらいあるのかと誰もが抱く疑問ですが、韓国も日本と同様に正確な数を把握するのは難しいと言えます(ちなみに日本の『故事俗信ことわざ大辞典』(小学館2012年)には43,000項目収録されています)。ただ日常生活でよく使われることわざの数はせいぜい100~200程度ではないでしょうか。しかもことわざという性格上、聞き手や読み手からそのことわざを用いることによって強い共感や深い納得が得られなければ意味がないため、相手との共通の生活感覚や意識を持っている必要がありそうです。

 そこで韓国と日本のことわざをほんの僅かですが、比較しながら紹介することにします。
 両国のことわざには、まったく同じ表現で同じ意味を持つものもあれば、異なる表現で同じ意味を持つものもあります。もちろん表現も意味も両国独自のことわざもあります。また上述しましたように中国を発祥地として韓日両国で使われているものもあります。さらに欧米から流入したことわざもありますが、ここでは触れる余裕がありません。

 たとえば「雨降って地固まる」は、雨を嫌がる人は多いけれど、雨がやむと地面がしっかり固まり、よい状態になるということから、揉め事や争い事の結果、良い状況になることを言う場合に使われます。
 これを韓国では「비온 뒤에 땅이 굳어진다 ピオンディエ タンイ クドジンダ」と言い、「雨が降った後は地面が固くなる」という意味で、日本とまったく同じです。
 もう一つ、同表現、同意味の例を挙げますと、「무소식이 희소식 ムソシギ ヒソシク」です。「無消息は喜消息」という意味で、何も連絡がないのは、知らせることが何もないので心配ないという意味で使われ、日本の「便りのないのは良い知らせ」と同じです。
 さらにもう一つ。「일석이조」(イルソク イジョ)「一石二鳥」です。これも日本とまったく同じです。ただ今は証明する資料がありませんが、このことわざは日本から移入されたのではないかと思っています。韓国にはほかの言い方もあります(後述)。

 それでは次に動物を使ったことわざを少し紹介しましょう。興味深いのは、使われる動物の違いで韓国と日本の風土や生活の違いがことわざにも反映していることです。
 「쇠뿔은 단김에 빼라 スェプルン タンギメ ペラ」は日本語にすると「牛の角は一気に抜き取れ」となります。
 日本でもかつて牛は農作業に欠かせない動物であり、人びとにとって身近な生き物でした。「牛の角を抜く」は、実際には子牛の角でしたら焼きごてを当てて焼いて除去しますが、その時期を逃すと「抜く」のではなく「切る」ことになります。これは日本でも同様のようです。

 いずれにしても韓国人にとって牛は身近な動物で、勤勉で、忍耐力があり、しかもその家の大切な財産としても見られていました。おそらく日本でも似たようなイメージがあるようです。でも日本の方には「牛の角を抜く」がぴんとこないのではないでしょうか。良いと思ったことはすぐに実行に移せ。チャンスを逃すなといった意味の「善は急げ」と同じように使います。

 牛が大切で、身近な動物として韓国では見られていた一例をあげれば、「소 잃고 외양간 고친다」(ソ イルコ ウェヤンカン コチンダ 牛を失ってから牛小屋を直す)があります。こちらは「牛の角を抜く」よりは推測がつきやすいと思います。日本のことわざでは「あとの祭り」です。ところが牛が登場することわざには、このような言い方もあります。
 「밥 먹고 바로 누우면 소가 된다」(パプ モッコ パロ ヌウミョン ソガトェンダ 食べてすぐ横になると牛になる)。
 日本にもまったく同じ表現があることを知ったときには、あまりの共通性に大変驚かされたものです。母親から行儀が悪いとして、こう言われて注意されたものです。牛が韓日両国の人びとに大変身近な動物で、牛がものを食べたあとは横になる習性を熟知していたからこそ生まれたことわざなのでしょう。そして、このことわざには「牛になる」ことをあまり歓迎していないニュアンスが含まれているようです。

 さらに次の言い方になりますと、牛をマイナス評価の対象として見る場合もあることがわかります。
 「쇠귀에 경 읽기 ソェ ギィエ キョン イルキ」(牛の耳に経読み)
 日本の方は「おやっ」と思われるのではないでしょうか。「牛」を「馬」に替えれば、馬にお経を聞かせても無駄なことから、価値のわからない者に教え諭したりしても無駄なことを表す「馬の耳に念仏」になります。

 私の単なる推測でしかありませんが、韓国人にとって日常生活では馬より牛の方が人びとに密着していて親しみがあり、日本ではその逆だったことから一方は「牛」に、一方は「馬」になったのではないでしょうか。さらに推測すれば、もとは中国の「馬耳東風」(ばじとうふう)と「対牛弾琴」(たいぎゅうだんきん)が韓国と日本にそれぞれ伝えられ、いつしか言い換えられたのではないかと思っています。現在でも韓国、日本とも「馬耳東風」は使われています。また「馬の耳に念仏」ほど使われないようですが、日本にも「牛に経文」という言い方があるようです。

 そう言えば日本に「馬の耳に念仏」と似たような意味のことわざに「豚に真珠」「猫に小判」といった動物を使ったことわざがありますが、韓国にも「개발에 편자」(ケパレ ピョンザ 犬の足にひずめ)が同様の意味のことわざとしてあります。

 紙幅の関係から以下では他の動物を使ったことわざを少しだけ紹介しておきます。
○쥐구멍에도 볕들 날 있다(チィクモンエド ピョットゥル ナル イッタ)
  「ネズミの穴にも日が差し込む日がある」
 日本「待てば海路の日和あり」(じっと待っていればいずれチャンスは巡ってくる。辛抱強く待つことが大切)
○쥐꼬리만 하다(チィッコリマン ハダ)
  「ネズミの尻尾ほど」 새발의 피(セバレ ピ)
  「鳥の足の血」 日本「すずめの涙」(ほんの少しの分量)
○멧돼지 잡으려다 집돼지 놓친다(メッテジ ジャブリョダ ジップテジ ノッチンダ)
  「猪をつかまえようとして、飼い豚を逃がす」
 산토끼 잡으려다 집토끼 놓친다(サントキ ジャブリョダ ジップトキ ノッチンダ)
  「野兎を捕まえようとして飼い兎を逃す」
 日本「二兎を追うものは一兎をも得ず」(二つとも手に入れようとして、結局どちらも手に入らない)
○참새가 죽어도 짹 한다(チャムセガ チュゴド チェッカンダ)
  「スズメも死ねばチッと言う」
 지렁이도 밟으면 꿈틀한다(チロンイド パルブミョン クムトゥランダ)
  「ミミズも踏めばぴくりとする」
 日本「一寸の虫にも五分の魂」(どんなに小さく弱い者でもそれなりの感情や考えもあり、ばかにしてはいけない)
○낮말은 새가 듣고 밤말은 쥐가 듣는다(ナンマルン セガ トゥッコ パムマルン チィガ トゥンヌンダ)
  「昼の言葉は鳥が聞き、夜の言葉はねずみが聞く」
 日本「壁に耳あり障子に目あり」(どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないことから、言葉や話は漏れないように慎重にすべき)
○범에게 날개」(ポメゲ ナルゲ)
  「虎に翼」
 日本「鬼に金棒」(強い者に更に強さが加わって敵なしとなる)
○범 없는 골에는 토끼가 스승」(ポム オムヌン ゴレヌン トキガ ススン)
  「虎がいない谷はウサギが師匠」
 日本「鬼のいぬ間に洗濯」(怖い人や遠慮しなければいけない人がいない間にのんびりする)
○호랑이도 제 말하면 온다」(ホランイド チェマラミョン オンダ)
  「虎も自分のことを言うとやってくる」
 日本「うわさをすれば影がさす」(ある人の噂をしていると、その当人が現れる)
○꿩 먹고 알 먹는다」(クォンモッコ アルモンヌンダ)
  「キジを食べ、たまごを食べる」
 日本「一石二鳥」(一つの行為で二つの利益を得る)
○개천에서 용 난다」(ケチョネソ ヨンナンダ)
  「溝(みぞ)から龍がでる」
 日本「鳶(とび)が鷹を生む」あるいは「とんびが鷹を生む」(ごく普通の親から大変、優れた子どもが生まれる)

 動物を使ったことわざは韓日両国とも比較的多く、世界的にこうした傾向があります。それはことわざが、教訓や諷刺をたとえ話のようにして相手に伝えようとする役割があるからでしょう。そのためには誰もが理解できる、いつも身近に見たり感じたりできる対象の方がわかりやすいわけですから、動物が取り上げられるのはむしろ当然かもしれません。

 今回、韓国のことわざに登場する動物がどのような意味で使われているのか、ほんの一部だけ紹介しましたが、なかなか興味深いものがあります。特に日本のことわざと比較してみますと、韓国と日本の風土、習慣などが異なることを教えてくれる一方、まったく同じ思考、同じ感性も多々共有していることもわかります。

 韓日両国のことわざについては、まだ入り口から覗いた程度ですが、両国の民族性を考える一つの有効な方法だと思いますので、今後も機会がありましたら、その他のことわざについても見ていきたいと考えています。

 (大妻女子大学准教授)

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