【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

雲南最南、西双版納の少数民族文化には東南アジアの風が吹く

荒木 重雄


 日本文化の故郷のひとつともいわれる中国・雲南の少数民族文化の誌上探訪〈その二〉である。前回は雲南中央部の大理・麗江地方を見たが、今回は、最南端、西双版納(シーサンパンナ)地域を訪れよう。ラオス・ミャンマーと国境を接し、メコン河に沿うこの地域は、前回がチベット文化圏とすれば、気候風土を含めて東南アジア文化圏である。

◆◆ 宗教儀礼はタイとほぼ同じ

 国境の山岳地帯の麓に広がる平野部を占めるのは、雲南全体では人口102万を数えるタイ族(傣族)である。ラオスからタイにかけて住むタイ人と同じ民族で、ミャンマーではシャン族とよばれる。タイ語を話しタイ文字を用いる。

 雲南でも地域によって習俗に差異はあるが、上座部仏教を信仰し、稲作に携わることや、主な年中行事は共通する。なかでも「潑水節(ボシュイジエ)」が有名である。タイではソンクラーンとよばれる「水かけ祭り」である。

 4月半ばの三日間に亙って行われるこの祭りは、人々が瀾滄江(メコン河)の川原に集い、雨乞い儀礼に由来する竹製ロケット花火の打ち上げや龍船の競漕に興じることから始まる。そして、三日目、タイ暦の新年がはじまるこの日、人々は新しい年の幸せと豊作を祈って水をかけ合うのだが、やがてエスカレートして、通りでも広場でも誰かれかまわず大量の水をかけ合って大はしゃぎになる。

 収穫が終わって農作業が一段落した11月には、布施を意味する「ダン」とよばれる、寺に供え物をする行事が行われる。太鼓や銅鑼を打ち鳴らし、踊りを交えながら、供え物をもった村人が寺に集まってくる。供え物は、米や野菜など食べ物はもちろん、歯ブラシ、ノート、靴下などさまざまな日用品である。僧や死者やあらゆる他者に布施をして功徳を積む行為だが、この行事も、同じ季節、タイで在家者が僧に黄衣をはじめさまざまな品物を奉納する「カティナ奉献祭」と同じ趣旨である。

◆◆ 各々の民族に個性的な文化が

 平野から山岳地帯に入ると、モン・クメール語系の言葉を話す、人口約8万2千のプーラン族(布朗族)が住む。かつては狩猟生活だったが、タイ族との接触で農耕に携わるようになったとされる。隣のミャンマー東部にも数万人の同胞が住んでいて、お互い国境などおかまいなしで自由に行き来しているという。

 若い男女のグループが対面して歌で求愛する「歌垣」の伝統も残るが、毎年タイ暦2月前半の、月がある晩には、「プリンアパルン」とよばれる魔除けの踊りが行われる。村人たちが寺の前に集まり、顔にさまざまな色を塗って悪霊や妊婦に扮し、太鼓や銅鑼の音にのって激しく踊るのである。

 プーラン族と隣接して住むハニ族(哈尼族)は、人口約125万のチベット系。祖先崇拝の風習が盛んでシャーマンも多い。その一つに「スニャン」とよばれる女性シャーマンの交霊儀礼がある。
 その儀礼は、数人の女性で行われる。トランス状態に入った女性たちは、腕を震わせ、鳥が鳴くように叫びながら、ジャンプを繰り返す。このとき彼女たちの魂は、身体を離れ、鳥になって空を飛び、はるか数千キロの彼方を往復したり、深く地中に潜ったりするのだという。スニャンたちはさまざまな鳥の踊りを演じながら、神界と交流し、村の平安と村人の幸せと健康を祈るのである。

 その北隣に住む人口約35万のワ族は、モン・クメール系民族で、ミャンマーやラオスにも同胞がいる。男たちは胸や背に入れ墨を彫り、女たちはビンロウの葉を噛んで歯を黒く染める。

 かつては、丸太を刳り抜いた「木鼓」が、祭りの宴や、戦いに臨む舞踏や、集会の招集など、村の重要な行事に用いられ、また、木鼓の製作じたいも儀礼化して、民族文化の中心を占めていた。

◆◆ 懐かしさよぶ村の正月行事

 さらにその北隣に住むラフ族(拉祜族)は、人口約41万人で、チベット・ビルマ語族に属し、同胞はミャンマー、タイなどに広く分布する。この民族の文化の特徴は新年行事に認められる。

 大晦日には各家で餅を搗く。丸餅で油で揚げて砂糖をまぶす。元日は一番鶏が鳴く時刻に湧き水を汲む。我が国の「若水取り」に似た行事だが、湧き水のほとりに線香を供えて祈る姿はより厳粛だ。

 正月に欠かせぬ行事は「神話語り」である。長老の家に村のおもだった者が寄り合って、酒を酌み交わし食事をしたあと、ラフ族の由来・歴史や暮らしの変遷などを節をつけて歌う「ボカサカ」が始まる。この行事を通じて村人は民族の神話や歴史を共有し、記憶し続け、互いの絆を確かめ合い、併せて新年の豊作や村人の健康と幸福を祈るのである。

 正月三日目にはメインイベントの「芦笙舞い」が行われる。「芦笙(ノム)」とは、瓢箪の共鳴体に長さの違う数本の芦を差し込んだ笙の一種で、複雑な音が出る。だがこれはただの楽器ではない。ラフ族の神話では、人類は瓢箪から生まれたとされ、ゆえに瓢箪で作られた芦笙の音は、天に届き、人々の祈りや願いを神に伝えると信じられている。

 村には芦笙の演奏にたけた「芦笙匠」がいて、正月には村の広場に芦笙匠と村人たちが集い、吹き踊る芦笙匠たちを囲んで、皆で輪をつくって踊るのである。

 しかも、じつはその所作は、耕作の過程を模したものである。肥えた土地を探し、草を刈り、土を耕し、種を蒔き・・収穫の歓びに至るまでが延々と再現される。これは、かつては日本の村々でも正月に行われていた「豊作予祝行事」と同じ願い、同じ思いを込めたものにほかなるまい。

 今号と前号の当稿は市川捷護・市橋雄二著『中国55の少数民族を訪ねて』(白水社刊)に多くを負っている。記して深謝する。

 (元桜美林大学教授)

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