【コラム】海外論潮短評(125)

難民・移民を拒否する原因は恐怖と偏見
―この土地は彼らの土地でもある―

初岡 昌一郎


 評者が現役時代に愛読していた国際問題専門誌に隔月刊『フォーリン・ポリシー』があった。当時この雑誌は『フォーリン・アフェアーズ』よりも鋭い問題意識で、特に対第三世界政策に切り込む批判的な論文を掲載していた。同誌の立ち位置はアメリカ民主党リベラル派に近いと見られていたのだが、(多分経営難から)今世紀に入ってから性格が顕著に変わり、提灯持ち的な記事や広告が溢れ、専門誌としての水準が低いものになっていた。日本政府の委託や補助による報告や紹介的記事を見かけたこともあった。しかし、同誌2017年9/10月号に久方ぶりに紹介に値する論文を発見したので、今回取り上げてみることにした。

 「この土地は、彼らの土地」と題するこの論文の筆者は、インド系アメリカ人のスケツ・メータ。彼はカルカッタ生まれ、ボンベイ育ちの論客で、今はニューヨークに住む都市問題専門研究者である。インドやアメリカのスラム、都市貧困層と都市スプロール化を取り上げた多数の論文・報告を発表している。現在は、ニューヨーク大学准教授。

◆◆ 移民の労働によって築かれた国が移民を追い出そうとする時代

 1977年10月1日、両親、二人の妹、それに私は、アメリカに移住するためにボンベイから出国した。最安値の切符はドイツ経由のものだった。フランクフルトの出入国管理官は母のパスポートを見て、蔑視の態度もあらわに「ドイツに入国不可能」と断言した。そのパスポートは、ケニヤが独立する前にそこで生まれた市民に英国政府が発行したものであった。ワシントンに直行することになったが、そこでは歓迎の風船によって迎えられた。このような移民に対する態度はその後アメリカでは急変し、今や移民を追い出そうとするに至っている。

 21世紀の先進富裕国に対する象徴的な挑戦は、非常に多彩な難民・移民の流入にいかに対処するかである。気候変動と政治的衝突が世界の村落や紛争地帯からますます多くの人々を追い出している。行き場を失った人たちは、見つけ次第のサンクチャリー(避難場所)を求めざるを得ない。いま500万人のシリア難民が問題となっているが、バングラデシュが大洪水に見舞われ、1,800万人が乾燥した土地を求めて移動することになれば、どのような事態が生まれるだろうか。

 現在の世界にはドラマティックな所得格差が存在している。今日、世界最冨豪7人が世界人口の半分に当たる36億人以上の所得を合算したよりも大きな資産を持っている。財産の集中は権力の集中の基礎となる。ところが、人々の不満と怒りはこの不平等と格差是正にではなく、弱い移民のバッシングに向けられている。

 移民と難民の違いはどこにあるのだろうか。これは運命を分ける用語法であり、国境における用語の戦略的選択の問題である。「経済的移民」と見なされると強制送還され、「難民」とされても敬遠、忌避されかねない。いずれにせよ、逃げまどい、さらに追われ続けることになる。

 秩序を重んずる国において移民が拒否されるのは、それが最悪の恐怖を呼び起こす要因となるからだ。移民が貧民であるから嫌われるのでは必ずしもない。彼らほとんどが出身国では貧困層ではなく、その多くは技術者や知識階層出身である。だが、彼らの姿は自分たちの不安な未来を連想させる恐怖を生み出す。これが拒否感の正体だ。

◆◆ 移民を原因としてではなく、移民の恐怖によって自壊する欧米諸国

 世界で最も豊かな先進国が移民に対する態度を決めかねており、選別的制限的な受け入れ策に走っている。ゲイ・カップルの街頭キスシーンや、トップレス女性が日光浴をする写真を入れた紹介映画を作成することにより、オランダは回教徒やアフリカ人に敬遠を促す策を採っている。この映画は入国審査時に強制的に見せられるのだが、54,000ドル以上の保持者や、アメリカ人など富裕先進国民にはこの義務が免除されている。このフィルムでは、移民の住む荒廃した地域、交通混雑、失業者の大群や就職難、低地オランダの洪水危険性なども提示されている。

 ドイツでは贖罪意識による「移民歓迎文化」が2015年までは受入れを肯定していた。だが、同年末のケルン事件以後「強姦移民野郎は出てゆけ」へと急速に変化した。大衆向けタブロイド紙や右翼政治家は、20世紀初頭にアメリカで黒人に対して用いられていたと同じ言葉をアフリカ人やモロッコ人に対して投げつけている。

 2017年までスウェーデンは比率的に最も多くの男性若年移民を受け入れてきたので、欧州議会で「スウェーデンでは性犯罪が激増しており、マルメ(同国第二の都市)は強姦者の都と呼ばれる」と演説したイギリス人議員がいた。2015にスウェーデンは記録的な数の難民を受け入れたが、同年の性犯罪数は前年比で11%減っている。欧州における移民による性犯罪はセンセーショナルに報道されることが少なくないが、白人による性犯罪よりも割合が高いわけではない。

 こうして膨らまされた恐怖によって、各国における選挙民は次々と扇動型政治家を政治の前面に押し出し、長期的に見て計り知れないダメージを自国に与えている。アメリカのトランプ、ハンガリアのオルバン、ポーランドのデユーダなどがその代表的な権力者である。移民の恐怖はイギリスをEU脱退に追いやった。いまや移民恐怖が民主主義にとって最大の脅威となっている。

◆◆ 移民入国を拒否する根本的前提の欺瞞的論理

 前提となる考え方は「文明の衝突」的な二元論で、一方が他方に優越すると見るものだ。2017年7月、トランプ大統領はポーランド訪問中の演説において西欧文明は他と異なるものと強調、次のように述べた。「今日の西洋は、その意思を試し、われわれの自信を低下させ、われわれの利益に挑戦する諸勢力と対決している。われわれの同盟国がこのような事態に立ち至ったことは、世界史において前代未聞だ」

 西洋の歴史は彼が云うような光輝に満ちたものだったのか。西欧文明が世界にもたらしたことの中には、アメリカ大陸原住民の大規模虐殺、異端審問と分派に対する不寛容な迫害、ホロコースト、ヒロシマ、グローバルな気候変動があるではないか。

 富裕国は貧困国からの移民にたいし声高に異議を申し立てている。この論理はいかに作為的かつ歪められたものか。彼らはまず我々を植民地化し、富を奪い、産業が興隆するのを妨害した。数世紀にわたる収奪後に、被支配民族間の持続的紛争の種になるような形で人為的国境線を残して去っていった。今日彼らは「ゲスト・ワーカー」を受け入れているが、その「ゲスト」とは我々の国における言葉の意味とは全く違い、ゲストは家族と一緒に住むことさえも妨害されている。

 「自分を世界市民だと名乗る人は、どこの国民でもない」とメイ英国首相は2016年10月に発言した。だが、パスポートとビザという、近代的かつ理解に苦しむ制度が創設されたのは20世紀初めのことにすぎない。地上における国境は長い歴史上において自由往来を阻害するものではなかった。移民は気象と同じで圧力の高いところから低いところに移動している。好まれると、好まれないとにかかわらず、彼らは債務を取り立てる債権者であり、ボートや自転車などあらゆる手段で引き続きやってくるだろう。

 なぜメキシコ人、グアテマラ人、ホンジュラス人が必死で北に向かい、皿洗いや清掃人になるためにアメリカの都市を目指すのか。それはアメリカ人が銃を売り、ドラッグを買うからだ。そこでの殺人被害者数は内戦並みである。彼らに来てもらいたくなければ、ヤクを買うべきではない。アラブ移民が来るのは、ブロードウエイのネオンに惹かれたのでも、ウンターリンデン大通りの春に魅せられたからでもない。西側諸国、特にアメリカとイギリスがイラクを侵略したからだ。西洋はその蒔いた種を自ら刈り取っているにすぎない。

◆◆ 地球上を巡り回ってきた私の家族 ― 移民船は先進国救助船という現実 ―

 私の家族はインドからケニヤに、そこからイギリスとアメリカに、そしてまだ今も移動を続けている。祖父の一人は20世紀の初めにグジャラートの田舎からカルカッタに出てきた。牛車で半日ほどの距離に住んでいたもう一人の祖父はそれから間もなくナイロビに移住した。カルカッタに出た祖父は兄の営む宝石業に加わった。16歳でナイロビに移住した祖父は伯父の会計事務所の掃除夫として働きだした。このようにわが家族は田舎から都市へと旅立った。それは100年程前のことだった。

 東アフリカ出身移民コミュニティ(キリスト教徒、ヒンズー教徒、回教徒、ゾロアスター教徒、シーク教徒)は、イギリス有色人種社会の中で最も富裕である。その教育水準は地元の白人社会をも上回っている。『ニューヨーク・タイムス』によれば、過去10年間の人口増加は移民によるところが大きく、アメリカの経済成長の約半分の要因であった。これに比較し、移民の経済貢献度がヨーロッパでは6分の1、日本ではゼロであった。

 カナダのように移民を受け入れている国は、日本のように受け入れていない国よりも成長実績が上回っている。トランプ、メイ、オルバン(ハンガリア大統領)のような人たちが好むと好まざるとにかかわらず、子孫のためにより良い生活を求めて移民は続いてゆく。移民に脅えることは全くない。彼らの多くは若く、高齢者の年金を支え、現世代よりも長生きして働く。違法的あるいは合法的な入国を問わず、彼らは苦難を乗り越えてきたエネルギーを持っている。機会さえ与えられれば、受け入れ国の若者たちよりも行儀よく行動する。ほとんどの場合、彼らの出身国は受け入れ国よりも犯罪発生率が低い。

 移民は雇用を創出するにとどまらず、料理を豊かにし、新しいエキサイティングな著作を発表する。彼らは、あらゆる意味において受け入れ国を豊かにする。貴国の沿岸に押し寄せる移民船は、実際はその国にとっての救助船なのだ。

◆ コメント ◆

 これは論文というよりも、筆者とその背後にある人達からのアッピールという性格のものであろう。このように診ると、論証の不足や論理の飛躍をあげつらうよりも、筆者のライトモチーフを理解することが大事だ。

 本論は、先進世界に移民・難民の受け入れは、過去の植民地支配と途上国収奪のツケ、つまり債務の返済のような道義的義務であるという前提から出発している。さらに、経済成長が人口増加と相関関係にあるという最近の経済的常識から、移民による人口増加がアメリカやカナダの好調な経済に貢献していると指摘する。

 以上の点を容認することにやぶさかでない人でも、社会的な不安と政治的緊張を移民増加の結果と捉えられていることが多く、この面から移民に否定的な反応を見せる人が少なくない。これに対して、社会的不安の原因となる犯罪の増加は移民自体によるものではなく、若者に対する機会不足と社会的な差別に起因するものと反論している。文化的な面からみると、移民は摩擦よりも豊富化となる要因が大きい。料理や文学などが好例である。ただ、主要な摩擦要因とみられることの多い、宗教に本論は触れていない。多分、これが複雑な側面を持っているので、このような簡明直截なアピールに馴染まないからだろう。

 移民がこのように受け入れ国自身にとっての積極的な意味を持つという議論は、欧米でも決してメインストリームの論潮に受け入れられているとは言えない。だが、この見解は国連とその専門機関においては諸報告の基本的な一側面になっている。評者がやや不満なのは、国連開発理事会年次報告の主要な基調でありながら、筆者とその家族の出発点である開発途上国の視点が本論に欠けていることである。

 もし、先進国側の都合だけによって移民が促進されるのであれば、ニーズが大きい専門職や技術・技能労働者が高収入に吸引されて開発途上国から流出し、それらの人材が不足している国の発展を阻害することになる。また、若年労働者を引き抜かれる途上国は、それまでの養育と教育の費用を負担したままになる。さらにもし高齢労働者が送還ないし帰国することになれば、老後の社会的経済的負担を途上国に負わせることになる。これでは、先進国に対し途上国が経済援助を事実上行うことにならざるを得ない。

 日本においては、経済的なメリット面からの積極的移民受け入れ積極論が、それに対する社会的マイナス論による政治的反対に大きく圧倒されてきた。ところが、最近の人手不足と、将来的にますます緊迫すると予測される少子高齢化社会に備えるという理由から、外国人労働者の積極的導入促進の動きが、特に介護、流通、3K労働職場、農業などの業界などから浮上している。エコノミストや政策策定者の中でも限定的移民肯定論が高まっている。

 現在の論議では、移民問題として正面から見据えることを回避しながら、若い外国人労働者の受け入れを一定部門や産業において限定的に進めるという方向が容認されそうだ。彼らには一定の資格取得や期間限定の雇用の枠を付すことが検討ないし部分的に実施されている。無期限の移住可能性を前提とした議論は全くない。しかし、ドイツなどの移民労働者受け入れ先進国の例を振り返ってみると、出発点で考案されていたこのような限定条件が間もなくなし崩しに非現実化かつ適用不可能となった結果として、移民労働者の長期滞在、家族呼び寄せ、究極的には定住・市民権容認へと変化していった歴史がある。

 外国人労働者受け入れが、長期展望に立つ社会的設計なしに便宜的な経済的措置として開始されると、当然の帰結として社会的な不調和、混乱、対立が生じ、反移民を旗印とする外国人排撃に便乗した右翼的ポピュリズムに道を開くことになる。

 外国人労働者問題は、政府、使用者団体、労働組合三者の徹底した検討と協議の対象にすべきであるが、それに止まらず、研究者や専門家による知見を採り入れながら、広く論壇やジャーナリズム・社会全体によって論議されるべきである。それは、本論が提起しているように、我が国の社会的な未来にとって、そしてグローバルに見て国際社会にとっても、主要な課題とならざるを得ないからだ。

 (姫路独協大学名誉教授・オルタ編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧