【コラム】大原雄の『流儀』

選挙という『劇場』(3)

大原 雄


☆クロニクル「首相動静」。6月2日。午後6時41分。東京・京橋の日本料理店「京都つゆしゃぶ CHIRIRI」。田崎史郎・時事通信特別解説委員、島田敏男・NHK解説副委員長、山田孝男・毎日新聞特別編集委員、曽我豪・朝日新聞編集委員ら報道関係者と食事。午後9時36分、東京・富ヶ谷の自宅。

◆◆ サミットと代表的日本人

 5月26、27日に開かれた、通称「伊勢志摩サミット」は、アメリカ、日本など、いわゆる「西側」の「主要」7カ国(G7)の首脳会議。アジアからは、日本だけが参加している。安倍政権に歪んだ選良意識はないのか。ロシアや中国、韓国などは参加していない。テーマは、経済、政治、外交。安倍首相が「世界経済はリーマン・ショック前の状況に似ている」との景気認識をもとに財政政策などの強化を呼びかけたことに対し、各国の首脳が異を唱えたほか、報道に拠ると、会議の模様を伝える海外のメディアも、批判的な論調が相次いだ。

 例えば、イギリスのフィナンシャル・タイムズ(FT)は「世界経済が着実に成長する中、安倍氏が説得力のない(リーマン・ショックが起きた)2008年との比較を持ち出したのは、安倍氏の増税延期計画を意味している」と指摘した。

 フランスのルモンド紙は「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、「自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した」との専門家の分析を紹介した。首相が提唱した財政出動での協調については、「メンバー国全ての同意は得られなかった」と総括した。

 アメリカの経済メディアCNBCは「増税延期計画の一環」「あまりに芝居がかっている」などとする市場関係者らのコメントを伝えた。

 安倍首相は、翌日の5月28日、自民党の幹部らに17年4月に予定(選挙公約)されていた消費税増税を19年10月まで2年半延期する提案を示した(2度目の延期なので、当初計画の15年10月から見れば、4年延期。この結果、増税を見込んで政策の原資としてきた社会保障対策なども遅れ、国民間の格差是正も滞ることになる)。これに対して、提案を受けた自民党幹部のうち、麻生副総理・財務大臣は、一度延期した増税を「また延ばすなら(衆院選挙で)信を問わないと筋が通らない」と反対した。

 自民党の谷垣幹事長は、反対論を滲ませた慎重論を述べた。高村副総裁も延期反対を述べたが、最後は引っ込めた。稲田政調会長も異論を述べ、麻生の衆院解散論に同調したが、固執はしなかった。二階総務会長は、安倍方針を全面的に支持した。与党の公明党は、増税反対なので、延期論を容認した。役者とは役割分担をして猿芝居をする人たちではなかろうに、猿も顔負けの猿芝居は、幕が開いたと思ったら、あっという間に浅黄幕の振り被せで舞台は閉じられ、場面展開。一方、民進、共産、社民、生活の野党4党は、延期はアベノミクス政策の失敗だから、内閣総辞職すべきと主張し、内閣不信任決議案を提出したが、与党多数で否決となったが、これは予定通り。

 「リーマン・ショック」云々への内外の反応の厳しさを知ると、安倍首相は、自分がそういう発言をしたという報道は、「全くの誤りである」と主張し、報道陣にブリーフィングした政府関係者の説明不足と言い出した。御大将が苦境に追い込まれた時、泥を被る者は、信頼される。官僚らは、有能であればある程、作文をするのが巧いが、「リーマン・ショック」というキーワードを散りばめて安倍首相に読み上げさせた作文は短命で終わってしまった。巧い作文も書けて、機を見て進んで泥を被るのは、権力者が重用してくれる。

 海外メディアが、安倍の役者ぶりを「あまりに芝居がかっている」と伝えたように、選挙を巡って、日本の政界は、一時、一気に劇場化したようだ。サミット翌日の安倍を含む自民党幹部らの対応も、かなり芝居がかっていたのが、印象に残る。

 「正月から考えていた」という、同日選挙実施に意欲を燃やしながらも、本音を隠す安倍首相の増税延期の提案に対して、増税の延期に対する反対論を述べ、延期するなら、国民の信を問えと同日選挙実施の大義を与えようとしているのが、実は麻生副総理、稲田政調会長。「ここは、私が悪者になって、怒ってみせましょう」とでも言ったかどうか。報道に拠れば、安倍首相は、5月30日、麻生副総理と都内のホテルで会食している。「酒を酌み交わし、議論を続けた」(朝日新聞、6月3日付朝刊)、という。会食は3時間に及ぶ。「(前回の増税先送りで)国民の信を問うたんだから、今回は信を問わないのは筋が通らんでしょう」と5月29日に言いながら、翌日の30日。「3時間の飲み食いの果て、『総理がそう言うなら分かりました』。麻生氏は首相の意向を受け入れ、衆院選と参院選を同時に行なう衆参同日選の見送りも確認した」という。新聞の見出しは、「麻生氏説得会食3時間」だが、記事を読むと見出しのトーンが強すぎるのが判るだろう。「説得3時間」と「酒を酌み交わし3時間」。見出しのマジック。

 慎重論を述べてバランスをとり、世論を計る役を演じる谷垣幹事長。安倍方針全面支持の二階総務会長。その後、増税延期反対論と同日選挙論、同日選挙慎重論、増税延期問題と選挙とは分離しろという同日選挙反対論など、続々と舞台に登場し始めたが、どれも後続の賛同する人の輪が広がらず、30日には、与党は、安倍首相の提唱する増税延期と参院選挙単独論に、一気に大勢が固まった。海外首脳向けのリーマン・ショック発言、国民向けの消費税延期(重要な政策変更、国会軽視ではないのか)発言、同日選挙説の消滅、すべては、「新しい判断」として押し通した。「新しい判断」というキーワードは、今後、暫く「乱用」されるのではないか。

 31日に都内で自民党の「総裁」経験者が語った、というその筋の情報を紹介する記事が載っていた。「リーマン・ショックまで持ち出すのはいかにも無理がある。ダブル(引用者注:同日選挙)に引っかけて話をするというのは、権力者が自分の権力の使い方をもてあそんでいるかのようだ」という内容だった。私がこの日、参加していた会合でも、自民党の「総裁」経験者(総理は経験しなかった)が、首相の解散権の「乱用」説を唱え、中曽根時代の「寝たふり」(彼は、「死んだふり」という表現は使わずに、「寝たふり」という表現を使った)解散を例示しながら、同じような趣旨の発言をしているのを聴いたことを書き留めておこうか。同じような経歴の人が同じようなことを言うものだ。

 同日選挙、半年間の夢は、安倍首相も中曽根と同様だった。自民党史上、二度目の「寝たふり(あるいは、死んだふり)」解散はなかった。前号のコラムで、私は次のように書いた。

 「当時の中曽根首相は、同日選挙を『正月からやろうと考えていた。定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした』と述べ、早期解散はできないと思わせたことを『死んだふり』と表現したことから、『死んだふり解散』という解散名が定着した」。

 中曽根首相の時代は、中選挙区制度だった。中選挙区では、定数が複数なので、選挙区のトップを取らなくても、2、3位でも当選が可能であった。中選挙区から小選挙区へと変わり、選挙区でトップを取った者のみが当選する(小選挙区の次点から比例区に廻って、復活当選するケースもあるが、ここは、理屈上、中選挙区と小選挙区を対比的に、シンプルにして考えてみる)という選挙区事情の変更が、同日選挙で、どういう影響を及ぼすかは、シミュレーションは出来ても、誰も実際には体験していない怖さがある。加えて、報道に拠ると、自民党の世論調査では、同日選挙は衆院選には不利という予測結果が示されたらしい。

 同日選挙が実施されると、与野党で3分の2を確保している衆院選挙では議席増どころか、逆に2、30議席減、とか。本当か嘘か、知らないが、3回目の同日選挙では、過去の2回の同日選挙のようには行かないかもしれないことに気がつき始めたのか。その結果、安倍政権を構成する人たちは、これは「できない」ということを悟ったのではないか。これでは、「寝たふり」ではなく、「寝たっきり」になりかねない。これが、もし本当なら、これの覚醒は、大きいのではないか。同日選挙は、毎回必ず大量議席をもたらす魔法の杖、というこれまでのイメージではなく、その都度、どのようにも振幅しかねない不安定な杖だと覚らねばならなくなったとしたら、その意味は大きいと思うが、いかがなものであろうか。

 政界には、与野党とも猿芝居の尻尾を付けた役者がまだまだ力を持っているのではないか。猿芝居の一座を追い出すわけにはいかないかもしれないが、せめて隅に追いやり、本来の主役である有権者が舞台に上がるような芝居を求めて行かなければならないだろう。

 ところで、サミットで各国の首脳と対話した安倍晋三という人物は、日本国を代表して言動をしているが、この人物は、果たして日本を代表するに相応わしい人物なのだろうか。確かに、日本の政治制度では、システムに乗っかって総理大臣になった人物だから、政治システム上の日本代表ではあるけれど、代表的な日本人なのであろうか。

 そこで、一冊の本を思い出した。『代表的日本人』という本だ。著者は、内村鑑三(1861年〜1930年)で、内村は、1894年に英文でこの本を書いた。岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』と共に、日本人が英語で書いた、日本の文化・思想を西欧社会に紹介する著作である。内村は、「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の5人の名をあげた。内村は、5人の生涯を描くことで、日本人の精神のありようを海外に紹介した。人類が試行錯誤しながらもひとつひとつ積み重ねてきた普遍的な価値に繋がるような人物こそ「代表的日本人」に相応わしい、と思う。

 サミットで安倍晋三という人物と会談した各国の首脳たちは、彼の言動に接し、この人を代表的日本人と認識し、日本人を見直したであろうか。とても、そうは思えない。

◆◆ 高揚感:安倍晋三と東条英機

 「代表的日本人」どころか、私は別の日本人を連想してしまった。安倍政権の中心にいる人物には、このところ奇妙な高揚感を持ち続けているようだ。少しだけ、過去に逆戻りしておこう。

 3月2日、安倍首相は、憲法改定(彼自身は、「改定」ではなく「改正」という言葉を使っているが…)を自分の「在任中」に成し遂げたい、参院選挙は「自公対民共」の対決だ、と強調した。在任中に、衆参院の議席を与党が3分の2を占めて、憲法改定案を提案し、更に国民投票で過半数の賛成を得る。戦後の憲政史上、誰もやったことがないことをやれる、と思い込むだけの高揚感があるのだろう。その源泉は、どこから流れてくるのか。世論調査の内閣支持率が40%程度を維持しているということだろうか。でも、その程度では、彼の高揚感は分析できないだろう。

 「自公対民共」とは、「民共」をいわば「極左」としてでっち上げて、「極左」との戦いに臨んでいる自公が保守リベラルとのイメージを有権者に植え付けようと狙ったものではないだろうか。「民共」が「極左」とは私には思えないが、安倍政権の狙いは、選挙共闘で実質的に効果を上げ始めている「シールズ(「野党は共闘、とりま UNITE」がスローガン)」を含めて「市民」が結ぶ「野党共闘」のイメージを撹乱させようという作戦なのではないのか。市民色を覆い隠し、極左色を振りまこう、ということだろう。安倍晋三という人物には、コモンセンスでは計り知れない奇妙な「高揚感」がある。

 3月13日、自民党の党大会での安倍発言。安保法制関連法案について、「北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射した際、日米連携で対応できた要因になった」とし、日米軍事同盟強化を評価した。夏の参院選挙は、「民共の勢力との戦いになる」と強調し、「選挙のためだったら何でもする、誰とでも組む。無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と野党を批判して訴えているが(あれから3ヶ月以上経ったのに、今でも、同じことを言い続けている)、「選挙のためだったら何でもする」と決意しているのは、安倍首相その人ではないのか。

 3月29日午前0時から、戦争法案、いわゆる「安保法制化」諸法案が施行となった。私も、28日と29日には、国会前へ行ってきた。施行に伴い、日米軍事同盟がいちだんと強化された。安倍政権は内心は、してやったりと思っているのだろうが、安保法制化に伴う次の動きは、夏の選挙後まで一時的に凍結するという。新聞などによれば、一時的な凍結、つまり、期間限定の「先送り」となるのは、「平時の米艦防護」、「PKOに派遣する自衛隊の、いわゆる『駆けつけ警護』」、「米軍への兵站を拡大する日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定案の国会提出」などだ、という。消費税増税延期という先送りも加わった。選挙中は争点隠しでおとなしくしていて、選挙後は、隠していたものを取り出し、強行的に実行に移す、というやり方。安倍政権の、こうしたお馴染みの姑息な「猫騙し」のような国民目くらまし作戦に有権者は、毎回毎回、騙され続けるのだろうか。

 しかし、この人の隠しながらも隠せないのが、高揚感。気持ちの高ぶり。それが、私に別の人物を連想させた。安倍首相の高揚感ぶりを観ていて思い出したのは、戦時中の東條英機の高揚感と安倍の高揚感の相似性であった。保阪康正『東條英機と天皇の時代』という大著に記述されている。権力を握り、なんでも自分の思う通りに政治を動かせるようになった権力者の高揚感である。例えば、真珠湾攻撃の日。「東條には、この日は生涯最良の日であった。輝かしい戦果、そして国民の熱狂的な歓呼。しかも枢密顧問官の懸念を押し切って、正々堂々と宣戦布告をしての戦争と、なにからなにまで彼の思うとおりに進んでいるのだ」。宣戦布告は、手違いもあり、アメリカに届かないままの「奇襲」となってしまったのは、その後明らかになる。「なにからなにまで彼の思うとおりに進んでいるのだ」という辺りは、今の安倍首相も同じような心理状態にあり、ああいう高揚感丸出しの発言になっているのではないか。東條の言動は、この後、抽象的で精神主義的になって行く。

 「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです」。2016年5月27日。アメリカのオバマ大統領は、原爆投下後、71年にして、広島の地に立った。隣で、このスピーチを聴いていた彼の人は何を考えながら聴いていたのだろうか。相変わらず、高揚感を持ち続けていたのだろうか。

 それにしても安倍首相も「在任中憲法改定」宣言とは、性急な狂信者の言のようではないか。国民を馬鹿にしている。この異常な高揚感は、つまるところ、ナチスのイデオローグとなった政治学者のカール・シュミットの「政治的なものの概念」で言うところの「友敵理論(敵と味方の対立関係)」に基づく政治家の敵対者への「ファイト(闘志)」の表明であろう、と思う。自民党の中でも安倍政権の暴走を誰も止められなくなっている、という。与野党と自民党内の二重に張られた「一強他弱」の結果、政治のプロセスの中に無責任の委譲がはびこっている。

◆◆ それぞれの「安倍政権の信」を問おう

 安倍首相は、増税問題や同日選挙については、判断を変えて、「新しい判断」だと言い始め、相変わらずの唯我独尊で、独走する姿勢を変えていない。その大きな一つは、「在任中」の憲法改定を目指すという強い意欲だろう。猪突猛進するこの指導者の独走(「アベノミクスを最大限にふかす」)を止めさせて、皆と歩調を合わせながら、歩幅を「最大限」にせずに、せいぜい半歩先を行くような、リベラルな政治家が出て来ないものか。

 参院選挙の争点は、有権者の側で決めたい。リーマン・ショックを持ち出して、公約の増税の延期を突然突きつけてきた消費税問題が争点ではない。選挙の前と後で、確実に顔を変えてきた権力者。「◯◯、実は、●●」というのは、歌舞伎の登場人物のお得意の手法だが、それは芝居だけにして欲しい。いや、政治は、芝居だ。「◯◯、実は、●●」という演出は、政治こそ、本家だとでも言うつもりか。舌を真っ赤に塗って、大口を開けてみせる、というようなことのないように。

 憲法改定をするために政治家になり、総理総裁を目指してきた安倍晋三という人物が政治の主役なのではない。戦後日本の分岐点となる憲法問題は有権者の生活を変える。憲法学者の違憲の指摘をよそに衆院、参院と二度に亘って強行された、いわゆる戦争法案・安保法制と集団的自衛権。アメリカの戦争に巻き込まれる法案。去年の夏以降、国会内で繰り広げられたルール無視の醜い政治劇。そういう安倍政権の手法を問うことこそ、今回の参院選挙の争点だろう。
 自分の生活実況と安倍政権の関係を考え、そこから自分なりの争点を見つけて投票に結びつける。いちばん判り易い一点から突破口を見つけ出したい。国会周辺で繰り広げられた、シールズなど若い人たちも新たに参加した、暑い夏。あの国民大衆の叫び声を忘れずに、若者よ、投票行動を考えようではないか。

 選挙という「劇場」。今回は、参院選挙のみの開幕となる。演目は、戦争と人間。源平盛衰記の世界だ。平家の赤旗、源氏の白旗。公示は、6月22日。投開票は、7月10日。有権者は、どういう政治地図を書くことになるのか。

 (筆者は、ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事。元NHK社会部記者。オルタ編集委員)


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