■ 進化するアメリカ、退化した日本

~オバマ登場の時代背景~          北岡 和義

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  米国史にない黒人大統領のオバマ政権がスタートして2か月が経った。多くの人々の関心は、果たしてオバマはアメリカを変えることができるかどうか、という一点に集中している。
  狭義の意味では世界経済を襲った同時不況から脱することができるか。イラクから完全撤退は可能なのか。アフガンに平和をもたらすことができるか。
「オバマでアメリカは変わると思うか」「オバマで何がどう変わるのか」
  ずいぶん多くの人から同じ質問を受けた。答えられる人はこの世にいない。オバマ政権の成否はまさに神のみぞ知る。
  その度にぼくは「いや、すでにアメリカはオバマの登場で変わったのだ」と答えてきた。1年半前、無名のオバマが知名度抜群のヒラリー・クリントンを猛追し、予備選がスタートした2008年1月、白人州の田舎、保守色濃厚のアイオワ州党員集会に勝利したとき、アメリカは決定的に変わった。黒人大統領を選ぶ準備が整ったのである。
  アメリカ人なら肌が白くなくても大統領になれる可能性が見えてきた。この変化は欧米優位の文明への異議申し立てであった。
  ぼくはその時点で「白人優位時代の終わりの始まり」だと考えた。原稿を書き、講義でも話した。2008年大統領選挙はアメリカという国家が新しい文明のステージに上がった年として記録されるであろう。オバマが勝っても負けてもこの選挙でアメリカは進化したのだ、と。
  だから現在、オバマ大統領が抱えている数々の難問を解決できるかどうか、というメディア的関心事には興味が無い。少なくともブッシュ政権8年間のツケであることは誰しもが知っている。
  オバマはイラクからの撤退、アフガン増派、イランとの対話など選挙公約を実施するための大統領指令を発している。今のところ大きな問題は見られない。

 2008年8月の民主党全国大会で正式にオバマが大統領候補に指名されたとき、オバマ圧勝を予測できる人は決して多くはいなかった。もちろんぼく自身も当選さえ、どうか分からなかった。
  アメリカが21世紀に入って最初に迎えたのが"911同時多発テロ"だった。ニューヨークのワールド・・トレード・センターの超高層ビルやペンタゴン(国防総省)という中枢がテロリストに攻撃された。その報復としてのアフガン攻撃、イラク戦争だったが、アメリカは勝てないでいる。泥沼化したベトナム戦争の敗北を思い出させる事態に厭戦気分が広がっていた。
  そのアンビバレントな雰囲気の2008年、アメリカはバラク・フセイン・オバマというまったく新しいタイプのリーダーを発見した。『タイム』誌がオバマをカバーストーリーとして取り上げたのはオバマが未だ出馬表明していない2006年10月23日号だった。
  オバマの発見は、インターネットに載って全米に浸透していった。テレビ討論がJFK(ジョン・F・ケネディ)を歴史に登場させたように最先端通信情報技術であるインターネットがオバマという人格をアメリカ人に届けた。米国大統領史上初のウエブ選挙の偉大な成果であった。
  だからぼくは「文明史的進化」と捉えている。
  ダメ押しとなったのが周知のサブプライム問題である。リーマン・ブラザーズの経営破綻が伝えられたのが2008年9月15日。国際金融の潮流に仕掛けられた金融商品の綻びから露呈したアメリカ金融資本主義の欺瞞性に人々は怒りを禁じえない。
  USドル不信が国際金融市場の信用収縮を招き、欺瞞に対する怒りは、これまたインターネットに乗って世界中にばら撒かれた。モノが売れない。20世紀アメリカ資本主義のシンボルがごとき自動車産業の不振、GM(ゼネラル・モーターズ)の巨額の赤字。"100年に一度"という言葉がまことしやかに語られているが、1929年の世界恐慌以来の経済危機であることは異論ない。
  日本列島はモロにその津波に呑み込まれた。被害は計り知れない。この3月期の決算は目を覆うべき惨状を呈するだろう。生活給付金2兆円のばら撒き、というバカを地で行ったような愚策しか思いつかない日本の政治家の退化現象は絶望的である。
  リチャード・ニクソン、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ父子ら共和党が築き上げてきた現代米国資本主義へのアンチテーゼとしてバラク・オバマが世界史に登場した。もう一度2008年11月4日深夜の興奮と感動を思い出してみたい。
アメリカはオバマを選んだことで普遍的な民主主義の原理を現実とした。その進化のプロセスを検証してみると逆に「退化した日本」が苦々しくも無残に見えてくる。
  安倍晋三・福田康夫・麻生太郎の"世襲宰相トリオ"の右往左往を眺めていると日本の退化現象の悲惨を心痛く感じ、絶望の闇は深い。

 さて、バラク・オバマである。
  彼はいつ大統領出馬を決め、選挙運動は何人で始めたか。カリー・シェルという『タイム』誌の女性写真家がオバマに密着取材し始めたのが2006年10月。この月の同誌のカバーストーリーはオバマだった。表紙にオバマをクローズアップした顔写真。キャプションは「次期大統領」である。
  この先見性、凄いと思いませんか。ジャーナリズムはかくあるべし、の教科書のようなオバマ特集だった。
  オバマがデスクに足を乗せ、電話でメディアのインタビューを受けているシェルの写真が面白い。靴底にピントを合わせたので、写っているオバマ本人は少しぼけている。ウエブに載ったその写真の英語のキャプションを読むとオバマが「俺の靴底を撮らないか」と誘ったそうだ。靴底は磨り減って右も左も大きな穴が開いている。しかもこの靴底は一回張り替えたそうだ。
  アメリカで生活した者ならその意味するものを実感することができるだろう。選挙運動といっても移動は自動車と飛行機である。実際に候補が地上を歩く距離は短い。それなのに靴底に穴があくほどオバマは歩いた。
  選挙戦の最中、ミッシェルと肩を寄せ合って眠る映像や登壇を待つステージ裏のオバマのつかの間の急速など胸打つ感動の光景を切り取っている。シェルのオバマの写真集は日本でも翻訳出版されている。
オバマが選挙運動を始めたとき、中古の小さな乗用車にはオバマと友人の運転手とシェルの3人だった。彼女のキャプションが説明する。
  「キャンペーンのはじめのころはシークレット・サービスも報道陣もいなかった」
たった3人で世界一の権力・米国大統領の座に挑戦した。その光景を想像するだけでもぼくは鳥肌が立つ思いである。
  それが1年後、メディアが注目する本命候補に成長し、ヒラリーを下し、共和党の大物、マケイン上院議員に圧勝した。オバマの選対でボランティアした人の話だが、オバマは実に人の話を聞くフェアーな人という印象だったそうだ。オバマが歩き、オバマが話せばオバマファンの数は急速に拡大した。
  "オバマニア"という言葉もできた。オバマ・グッズは売れに売れ、選挙資金となった。ロサンゼルスの南郊・オレンジカウンティにオバマとマケインがそろってやってきた時、撮影にいった。舗道に並べたオバマのTシャツを買ってきた。
票は日を追って増えていった。当選の夜、シカゴのグランド・パークには20万人を超えるサポーターがオバマの勝利演説を聞いた。ことし1月20日の就任式の日、厳寒の首都・ワシントンDCには200万人が集まった。
しかもオバマに集まった選挙資金は7億5000万ドルにのぼったという。圧倒的に大衆カンパである。オバマ選挙こそ「究極の民主主義」であった。
  一体、オバマ現象とは何を意味するのか。
  オバマは1961年8月4日、アメリカの辺境、ハワイで生まれた。父が黒人(ケニア人)、母が白人の混血である。しかも初等教育はジャカルタで受けた。クラスメートはインドネシア人や日系人が多い。オバマが育った環境は歴代大統領候補とはまったく異質であり、そこがアメリカという国家の多様性を表現していて面白い。
  「丸太小屋から大統領まで」と言われる。エイブラハム・リンカーンはケンタッキー州の貧しい家庭で生まれた。彼が生まれた丸太小屋は"国宝"級の遺産としてケンタッキーに大切に保存され、展示している。リンカーンが暗殺され、副大統領から大統領となったアンドリュー・ジョンソンも極貧層の出身だった。
貧しい家庭で育ち大統領となったケースは米国史に何人か登場するが、ハワイ生まれ、黒人と白人の混血児は異例の出自である。
黒人を選ぶことに躊躇は無かったのか。いや、戸惑いはあったに違いない。『ニューヨーカー』の2008年7月21日号の表紙にイスラム教徒の白い服を着たオバマと小銃を肩にアフロヘヤーのミッシェル夫人、暖炉では星条旗が燃やされ、壁にオサマ・ビン・ラーディンの肖像画という風刺漫画だった。
  これは最早、風刺を超え、オバマ夫妻はテロリストのアルカイダと言わんばかりの酷い中傷だった。オバマ旋風が勢いを加速した昨夏のアメリカ人の複雑な心理状況を象徴しているように思えた。
しかしアメリカ人は、そのハワイ生まれの混血児を大統領に選んだ。全米津々浦々、オバマ支援の人々の輪が広がり、インターネットを通じて巨額のカンパが集まった。
  オバマ選対は早くからウエブ戦略に重点を置いた。オバマ本人が発信するメールをサポーター個人に送る、という戦術をとった。若者がウエブに集まり、ボランティアとなった。
オバマが選挙戦中に送ったメールは述べ400通にのぼったという。メール登録した人は1300万人。オバマはそのeメールアドレスを持ってホワイトハウスに乗り込んだのである。オバマ大統領の個人宛てメールは今も発信し続けている。
  3月20日の朝もロサンゼルスの友人から「こんなメールがオバマから届きました」というメールが入っていた。メールにあるURLをクリックするとオバマのスピーチが動画で配信されてくる。4分14秒のウエブ・メッセージだった。
  これこそアメリカ民主主義の進化と言わずしてなんと表現したらいいだろうか。
オバマの演説は全世界の人々がテレビで、インターネットで見る、聴くことができた時代となった。あたかもオバマは"世界連邦の大統領"となったかの如くだった。オバマの実父の国、アフリカ・ケニヤではまるで自国の大統領に選ばれたかのように狂喜しお祭り騒ぎだったし、パレスチナ・ガザ西岸でもオバマを応援する勝手連ができたと報じられた。
  周知のとおりアメリカの建国は独立宣言が発せられた1776年7月4日である。実際にイギリスから独立し、国家として憲法を制定し、初代大統領にジョージ・ワシントンを選んだのは宣言から13年後の1789年だった。
  イギリスの植民地だった東部13州が本国に反乱、戦争となった。独立は武力で勝ち取った。アメリカの建国を「アメリカ革命」と呼ぶ歴史家がいる。
  だが、問題は残った。独立宣言で高らかに謳った「全ての人間はみな平等」という民主主義の理念はどこまで真実だったのか。奴隷だった黒人は「ヒト」とみなされなかった。アフリカで捕獲され、アメリカに強制連行され、労働力となった黒人は独立後も奴隷として残った。
  第16代大統領、リンカーンの当選直後に始まった南北戦争(アメリカでは「市民戦争」という)で、奴隷解放宣言(1863年)が発せられた。しかし差別はどっぷり残った。取り分け南部で白人優位は変わらず、黒人は差別と偏見に苦しめられた。人種平等の理想は実現しない。
  奴隷解放宣言から100年目の1963年、マーチン・ルーサー・キング牧師はワシントン大行進を指導し、公民権運動を推進した。
  「アイ・ハブ・ア・ドリーム」という感動の名演説は議会を動かした。ケネディ大統領がサポートした。ケネディが暗殺された翌1964年、ジョンソン政権下で、あらゆる差別を違法とする包括的な公民権法が制定された。「アファーマティブ・アクション」(差別を無くすための積極的対応)という、ある種の"強制"的黒人優遇施策もとられた。
  それでも人種差別は厳としてアメリカ社会に根強く残っていた。
  それだけにオバマの当選は「歴史的」というより、もっと大きな「文明史的」意味を帯びるのである。白人もまたオバマに投票したから"圧勝"となったのである。
  あの、シカゴの勝利集会に涙したアメリカ人の感動は、実は白人の、「ついに選んだ。選ぶことができた」という達成感ではなかったか、とぼくは考えている。
  オバマは若いころからリンカーンを尊敬し、強く意識していた。ハワイ生まれの彼がコロンビア大学を卒業して何故シカゴの黒人貧民街へ行ったのか。シカゴで黒人の貧困救済運動や選挙登録運動など住民運動に身を投じた。その体験から痛切に学んだ現実は「政治」を変えないと何事も良くならない、ということだった。
オバマはハーバード大学大学院へ行き、法律を学び、弁護士となった。ミッシェル夫人は研修生だったオバマを指導した先輩だった。
  政治家への道を決意したとき、迷わずイリノイ州スプリングフィールドを拠点とした。リンカーンの選挙区だった歴史的な街である。
  1月20日の就任式に列車でワシントンへ向かったのもリンカーンを真似たパフォーマンスだった。就任式で使った聖書はリンカーンが就任式に使ったものだという。
  またリンカーンは南北戦争でアメリカ分裂の危機に直面した大統領だった。だから挙国一致内閣を考え、政敵だった人物を入閣させた。これを「チーム・オブ・ザ・ライバルズ」と言い、同名の本が出版されているが、オバマは組閣にあたって、最大のライバルだったヒラリー・クリントンを最重要閣僚である国務長官に、ブッシュ政権の国防長官、ロバート・ゲーツを留任させるという離れ業を使った。リンカーン・モデルに学んだはずである。
  アメリカの歴史家が選ぶ「偉大な大統領」ランキングにいつでも上位3人は変わらない。もっとも偉大な大統領第一位はリンカーン、二番目が建国の父、ワシントン、そして3番目が恐慌を乗り切り第二次世界大戦を勝利に導いたフランクリン・ルーズベルトである。
  リンカーンの偉大性を日本人は「奴隷解放」と信じているが、アメリカでの評価は違う。リンカーンは南北戦争に勝ってアメリカの分裂を阻止、統一国家としてのアメリカを守った、ことが評価されているのである。
  オバマはリンカーンのような偉大な大統領になれるだろうか。誰もわからないけどオバマが2008年大統領選を戦ったこと自体が歴史を変えたのだとぼくは考えている。
  オバマの演説は分かりやすく聴衆の胸に響く。言葉の持つ力が民衆を動かす。そこに民主主義の真髄を見る。
  それに比べ日本の…いや、止そう。その国の政治家のレベルはそれを選んだ民衆のレベルだというではないか。「美しい国」といいながら政権を投げ出した安倍晋三、「あなたとは違うんです」と気色ばんだ福田康夫、ブレまくる漢字の読めない麻生太郎。この連中の言葉の軽さ、胆力の無さ。戦後の歴代宰相を一人ひとり思い出しながら現在の世襲政治家と比較してみると日本が間違いなく退化している事実に愕然とする。

           (日本大学国際関係学部・特任教授)

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