【沖縄の地鳴り】

辺野古で見えてきたこと—この運動は勝てる

80歳の座り込み報告

宮崎 省吾


 この前、辺野古に来たのは今年の2月でした。やはりゲート前での座り込みが中心でしたが、このときは海上での立ち入り禁止のブイの設置が真っ盛りで、陸上からカヌー隊などの阻止行動を声援することなどさまざまな行動がありました。ブイの錨として、45トンもあるコンクリートブロックが無数に投げ込まれ、大浦湾の珊瑚が無残に破壊される様子が連日報道されている時期でした。那覇をはじめ沖縄本島の各地からのバスが毎日運行されており、大体昼頃になるバスの到着時刻に合わせて、抗議活動が組まれていました。陸上の沖縄県警は比較的おとなしかったようですが、海上保安庁のやりたい放題、暴力そのものの過剰警備が大きな怒りを買っていました。

 それから10ヶ月、今回は、目標が資材や建設機械、作業用大型運搬車の搬入を具体的に阻止することに重点が置かれているように思えました。搬入はおおむね朝7時前に行われるため、6時には早朝行動が開始され、6時50分頃に機動隊がスクラムを組んで座り込んだ市民たちをごぼう抜きして最低限の通路を確保した上で20数台の車両を入れてその日の搬入を終えるというのがパターンのようでした。
 この主舞台に、いわばゲリラ的に搬入車両の集合場所を封鎖するとか、途中の信号で車の前に立ちふさがるとかの行動が組み合わされ、かなりの成果を上げてるように見えました。少なくとも大型工事現場で必ず見られるような、ダンプトラックが砂塵を上げて、絶え間なく行き来する状態はありません。
 搬入を1日1回に限定するだけでも大きな成果ですが、ここ数週間の毎水曜日は搬入をフルストップする快挙が続いています。水曜日を大動員の日と定めてのプランでしたが、初回には1200人が結集し、相手は手も足も出せず、完勝となりました。私が参加したのは12月9日の水曜日でしたが、この日は300人の結集でも、完勝でした。

 こうした状況が作り出せているのは、言うまでもなく動員力の増加です。数だけでなく、男も女も、老いも若きも、さまざまな立場や階層の人たちが全国各地、津々浦々から辺野古に集まり、長時間抗議活動を行っています。この集団の幅と奥行きと厚みと多彩さがかもし出す雰囲気はまさに圧倒的と言うしかありません。しかも現場での適切な(無理をしない)指図とあいまって、過度の緊張感や恐怖感が和らぎ、安心感と自信が生まれ、それがさらなる動員力の増加に結びつく好循環を生んでいます。

 沖縄を除く全国のマスコミがほとんど報道しないなか、辺野古の全国性はどうして達成できたのでしょうか。おそらくは辺野古経験者の、この運動に対する共感、単なる必勝の信念だけでない、勝てるという実感が無数の一本釣りを可能にしているのではないでしょうか。

(注)宮崎省吾氏は1970年代の「横浜新貨物線反対連合協議会」の事務局長として、当時の飛鳥田革新市政と鋭く対立した。著書に『いま、「公共性」を撃つ』新泉社/刊がある。


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