【エッセー】

身辺雑常(2)                   高沢 英子

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 体の深部で、ひそかに起こっていることに、人間はなかなか気がつかないもの
らしい。娘の場合も、また最近のわたしの発病のケースでも、リュウマチによる
異変は突然現れた。しかし、そこに到る経緯については、今思うと、思い当たる
節がいろいろあった。だから、要するに、わたしたちが頑固で迂闊だっただけで、
そうした微かなサインに、なかなか応えようという気を起こさなかっただけかも
しれない。

 今から40年も前、まず、母親のわたしは、重度の緑内障をわずらっていた。そ
の2、3年前から兆候はあったのだが、慎重な対応を怠ったのがたたり、ある日突
然友人宅で、強度の痛みで昏倒し、口も利けなくなり、救急車で、大阪のその方
面では最も進んでいるといわれていた病院に運ばれた。眼圧が70を越している!
と微かに聞こえていたのを憶えている。手術可能なところまで、眼圧を下げるの
に2週間かかり、手術を受けた。40年前のはなしである。

 当時は眼圧を測るとき、検査師が測定器をじかに眼球に乗せ、手動操作で測っ
ていたというやり方で、万事今とは隔世の感があった。
 あとさき40日ほど入院し、さいわい執刀して下さった眼科医が、非常に優秀な
腕を持っておられた方で、失明は免れた。娘が中学生になったばかりの時である。

 そして執刀された先生が引退されてのちも、この病気にかかった限り、医者と
は親類づきあいをしていただかなくちゃ、などといわれ、定期的に病院通いを続
けた。点眼や服薬で胃腸の具合もあまりよくなく、やがてもう片方も手術したが、
今度は予後が悪く、何もせずに、目を瞑って寝てらっしゃい、などと言われたと
きは、この先、生涯、本も読めず、ものも書けないのではないかと落ち込んだ。
娘が発病したのはそんな時期と重なっている。
 
 もともと頑健な子供で、偏食もなく、よく食べ、よく歩き、それまでほとんど
病気らしいものをせず、元気そのものだっただけに、育ち盛りのあの大切な時期
に、身内のごたごた、老親の病や養護その他もろもろのことが重なって、わたし
自身疲れ果てていたこともあり、ろくに気にかけてやらず、身にのしかかったス
トレスは相当なものがあったのだろう。

 ずっと後の話だが、人のすすめで「心療内科」というところに二人で受診した
ことがある。病気のことを話すと、その先生は突然吃驚したように立ち上がり、
「リュウマチと緑内障ですって! 家庭問題の代表のような病気だ! それに親
子でかかるなんて。お家のなかになにがあったんですか」と叫んだのが、印象に
残っている。心療などという言葉が、日本の医療現場に持ち込まれ始めて、日も
浅かった時期である。

 実際、そう云われると、おおいに心当たりはあり、やっぱりそうか、と思った
が、事情そのものは、どうにもならないし、発症してしまった限り、病気が精神
力でどうかなるとは考えられず、いっぽう、心療といっても、その治療に際して
のアプローチの仕方は、たまたま、その先生がそうだったのかも知れないが、ま
だまだ素人の域を出ない感じで、的外れな指摘や療法の提示に戸惑うことが多か
った。

 たとえば、「どこかの農家の小母さんが、姑の似顔絵を、叩きまくったら、け
ろりと治った」などという症例を、力を込めて聞かされても、娘も私も違和感を
覚えるばかりで、何回かは、聞き取りというものも受けたものの、治療の効果は
感じられず、そのうちやめてしまった。

 ともあれ、この年月、リュウマチという病気の一筋縄でいかないことを、実に
数知れず体験し、さまざまな治療を試み、多くの人たちに助けられたり、心配を
かけたりしてきたのである。

 この病気は、もともと免疫力が過剰防衛に走り、自身を攻撃してしまうのが原
因とされるだけに、薬物治療では、まずこの免疫力を叩くことから始める。その
ため、思いがけない余病をも次々惹き起こしてしまう。

 気がかりなことは山ほどあるが、一番怖いのは肺炎かもしれない。娘は発症後、
風邪を引いたのがもとで、副鼻腔炎を起こし、治療の遅れで、重症化させてしま
ってから、風邪を引きやすくなり、引くと、すぐ肺炎になるという状態が続いて
いる。

 幼児というのはウイルスの宝庫のようなもので、娘も子供が生まれてからは、
かれが保育園や幼稚園から持ち帰るあれこれのウイルスを貰ったり、彼女自身何
かのイベントで幼稚園や保育園の集まりに出る度に、風邪を引き、あっという間
に肺炎に移行した。

 東京に来てからも毎年のように入院、その回数も10回を超える。49度を超える
高熱で、がたがた震えながら、車を運転して、リュウマチのかかりつけの病院へ
行かねばならないこともあった。夫は運転しないので、どこへいくのも自分で運
転して行く。電車やバスには乗れない体で、救急車では、状態をよく把握してい
るかかりつけの病院は遠すぎて行って貰いにくく、タクシーも思うように呼べな
い時が何度もあったからである。

 ほかに、常時悩まされているのは、シェーグレン症候群で、目に埃が入りやす
く、ほかに、口内炎、唇の荒れに悩まされ、副鼻腔炎はその後2度ほど手術も受
けたが、はかばかしく回復していない。冬になると、皮膚が極度に敏感になり、
湯や洗剤に信じられないほど過敏に反応する。

 必ず手袋をし、洗い物などもほとんど私が担当することにしているが、それで
も娘の手からはよく血が噴出し、指もかさかさで、私も軽度ではあるが、以前に
較べ、ちょっと気を抜くとあかぎれができる。骨が脆くなってずれて来ているの
で、娘は医者に、首の骨によほど気をつけないと、突然死もありうる、などと注
意されているし、車の運転などや長時間出かけるときは、あとでひどい頭痛も起
こるので、首に必ずカラーを装着している。

 多年の強いステロイド剤の服用で、昨年秋の人間ドックでは腸がびっしりポリ
ープの壁だと、担当医を驚かせたらしい。歩くのは数分くらいはできるが、立っ
たままじっとしているのは苦痛で、一緒に出かけたとき、他の用でうっかり待た
せすぎて怒らせることもよくある。

 人工股関節のため、階段の昇降は無理なので、家を探す時も、まず子供の小学
校にエレベーターを設置している地区を優先した。重い荷物は持てないので、以
前から、それはもっぱら私が担当していたが、年不相応の頑張りがたたって、わ
たしの発症も招いたのかも知れない。

 見た目は、元気そうで変りがないので、若いときはよく白い目で見られた。空
席があっても年寄りの親が立って、荷物を抱えているのでは、わがまま娘と過保
護の親の見本みたいなもの、と思われても仕方ない。

 しかし、こんなことを言い出したらキリがない。人間にとって、病というもの
は、どの病気でも、全身に微妙に連動しあっていて、人知れず、厄介なことが多
いことはよく分かった。

 わたしは、実は12年前、脳梗塞も起こしている。幸い手当てが早かったのと、
比較的軽症だったのとで、見た目には正常に戻って、日常生活は出来ているが、
下肢の強い緊迫感や麻痺と、特に足の裏の感覚は失われたまま戻らず、歩くのは
骨と筋肉の力でできるけれども、履物の着脱には苦労している。

 ともあれ、今回のリュウマチ発症も、気をつけていれば防げたかも知れないが、
いくら踏ん張ってもどうにもならないことはあり、精神力などという言葉は何の
役にもたたない。ドアの開閉はもちろん、冷蔵庫を開けしめするにも、手首や肘
に力が入らず、無理にすると、そのあたりの骨がぎしぎしずれ動くのが分かった
りする。

 しかし全く動かさないというのも、これまた、関節が固まってしまうので、そ
の辺の兼ね合いをどうするか、うまく工夫してゆく必要もある。脳梗塞の再発防
止も視野に入れなくてはならないし、足の骨などは今のところ大丈夫なので、ま
ず筋肉も鍛えておかなくては、と、武田尚子さんが、以前心配してくださり、ア
メリカから送ってくださった、負担が軽くて効果的なストレッチのコピーを机の
前の壁に貼りつけ、なるべく足を動かしておくようにしている。

 この種の運動は負荷の少ない水中でやるのがいいらしい。入浴中に試みると気
持ちがいい。なんとなく心身に充実感を覚えて、浴後さっぱりとよく眠れる。で
きるだけ続けてみようと思っている。

 それはさておき、緑内障の話に戻ると、この病を患ってかれこれ40年たち、当
座視力が、がたんと下がり、瞳孔も開きっぱなしになったので、めがねは欠かせ
なくなったものの、以来視力そのものは、そのときのレベルを保っていて、活字
が大きめになった最近の文庫本や新聞を読むにはまったく不自由しないで助かっ
ている。

 実は、この病気になって、人体の、特に脳の機能の働きについて、不思議な体
験をしている。病気になって暫くは、確かに本を読むことも書くことも難しかっ
た。特に書くことはまるで駄目で、ハガキ1枚、ひどい時は1、2行書いただけで
炎症を起こし、涙が溢れ、痛みで2、3日は何も手に付かなかったのである。ひと
から頂く手書きの手紙も同様で、読むのが一苦労だった。

 ところが、あるとき不思議なことに気が付いた。つまり、手書きの字は、書く
のも読むのも駄目だが、活字は何ページでも何時間でも平気で読み書きできるこ
とが段々分かってきた。それがいちだんとはっきりしたのは、ワープロが出来て
からのことである。

 それについて、わたしなりに考えたのは、これは、とりもなおさず、私の場合、
読み書きは眼でしているというよりは、脳がやっているらしい(もちろんそれが
可能なのは活字に限ってのことではあるにしても) ということであった。

 その後、ますますこの方面の研究も進み、脳の驚くべき機能をはじめ、さまざ
まな分野で、人体の奇跡的な、とも言うべき事例が次々報告されている。しかし、
考えて見れば、人間の体ばかりではない、動植物にしても、自然界での生き延び
るためのスキル、というか、生物界を支配している目に見えぬちからは、人智の
想像を超えている、とあらためて驚くことも多い。生きているかぎり、日々さま
ざまな発見があるものである。

             (筆者はエッセイスト・東京都在住)

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