【コラム】酔生夢死

記号化が始まる

岡田 充


 名前を読み間違えられれば気分は悪い。大学の授業で出席をとっている時のこと。「○○睦」を「むつみサン」と読んだら「違います。『りく』です」と、ほおを膨らませた本人から抗議された。てっきり女子かと思い込んでいたが、図太い男の声だった。読み間違えられて不愉快になるのは名前が「固有の属性」と信じているからだ。そう思うのは自由だが、他者から見れば名前は「記号」に過ぎない。

 「君はだれだ?」と問われば、誰も一瞬たじろぐ。たいていは出身地、学歴、家族構成、趣味などを答える。しかし「略歴」をいくら並べても、「だれだ?」という問いに込められた「善人か悪人か」「頭が良いか」「性格は」など、個性の“品定め”の答にはならない。人間存在の曖昧さと不思議を表現できるのは、文学の世界しかない。

 「それなら、いっそ全部記号化してしまえば」というかなり乱暴な議論が、現実になろうとしている。来年1月に導入される「マイナンバー制」である。住民票を持っているすべての人を対象に番号が与えられ、氏名」「住所」「生年月日」「性別」が記載される。導入の理由は「公平・公正な社会の実現」「利便性の向上」「行政の効率化」。具体的には給与の源泉徴収、雇用保険、健康保険、厚生年金の届け出に番号が必要となる。まあ事実上の「国民総背番号」だね。

 サラリーマンの場合、企業に番号を届けなければならない。すると無届けでアルバイトをしていることが直ぐ発覚。兼職を禁止している企業は、そんなワル社員はクビ。将来は銀行口座を開くにも、身分証代わりに番号の提示が求められるだろう。その結果、資産の全容が国に把握されることになる。「あなたNHK受信料を払っていませんね。払わなければ提訴します」となるかもしれない。受信料徴収のオジサンが失職する「効率化」。

 ナンバー制を導入している国は、主要国ではアメリカだけで、日本はまた追従することになる。英国、ドイツは個人情報が洩れることを懸念する住民の反対で未導入か撤回されている。米情報機関は、「同盟国」首脳の携帯電話を盗聴し、メール内容を平気でハッキングしている。中国に「不正侵入」を要求する資格などない。日本人の個人情報を盗取するなんて簡単。大臣の個人資産やプライベート情報も漏れ、日米交渉の時の際どいカードになるだろう。

 番号制が定着すれば、大学で名前を呼んで出席をとる必要もなくなる。教室の入り口に番号読み取り機を置き、これに学生が自分のカードをタッチすればそれでおしまい。そうか、これで名前を読み間違えることもなくなるんだ、メデタシ、メデタシ。

 (筆者はオルタ編集委員・共同通信客員論説委員)


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