■安東自由大学での「仁」の風景          山中 正和

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(1)安東市


  韓国1000ウォン札には、古今韓国で最も尊敬を集めている儒学者「李退渓」の肖
像が刷り込まれている。近年新札に切り替えられたが、李退渓だけは変わらない
。その李退渓が開いた書院(科挙試験のための塾)を陶山書院という。安東市に
ある。彼が住んでいた書堂(書院の一棟)はきわめて質素で彼の人柄をしのばせ
る。李退渓から16代目李根必氏、宗家の子孫が今われわれの前にいる。聴く者を
見回すと、年齢の別なく、誰言うこともなく、背筋がしゃんと伸びている。500
年前からの空気が、儒学の故郷ではじっとして動こうとしない。宗家から記念に
いただいた色紙には、「孝泉福」とあった。 

 広大な山々の緑に開かれた先には、儒学の歴史を伝える歴史的木造建造物が、
今も残っている。安東には国内最大級の安東ダムがある。水源確保のため、安東
市では産業誘致ができない。安東市長が、残された手付かずの自然と文化遺産を
基に、安東を観光文化都市としてつくり変えようと考えたのは当然の成り行きで
あった。9月には全世界70カ国から人々が集まる仮面フェスティバルがある。そ
して、夏には安東自由大学が開催された。


(2)安東自由大学


 安東自由大学の名誉総長、権重東氏は韓国労働者で初めての労働長官(労働大
臣)である。彼は、独裁政権下の1960年代から日本の労働組合と関係を持ってき
た人で、そのために反共法違反に問われ、投獄された経験も持っている。その当
時、全逓書記局で国際を担当していた初岡昌一郎氏は権氏と知り合い、その後も
親交がつづいていた。こうした人的なネットワークが安東自由大学を誕生させた
契機になった。権重東氏はソウル大学卒業後、首都を中心に活躍してきたが、愛
郷心の強い人で、母校安東高校同窓会長を20年以上も務めていた。したがって
、彼の地元でのネットワークは広く、それに自由大学は大きく支えられている。

 昨年第一期の国際シンポジウムに引き続いて、荒木重雄氏(社会環境フォーラ
ム21会長)は儒学と日本との関係ついて、庶民の側に立った「革命家」のほとん
どが儒学者であったことを紹介された。例えば、大塩平八郎や熊沢蕃山、横井小
楠、樽井藤吉そして田中正造・・・。彼らは、「腐れ儒者」とは程遠く、人々の
生活に心を寄せ、社会に正義を全うした人たちばかりだ。参加者の中から、今ま
で知っていた修身などの手垢にまみれた「儒教」ではなく、儒学の何たるかをを
もっと知りたいという声が高まったのは、必然だった。

 本年8月19日から3日間開催された第二期安東自由大学開講式で、安東の文化を
保存し、発展させるため安東文化院を創設された金俊植院長からは、「学ぶ場所
があればそこが大学になる」と安東自由大学に励ましの言葉をいただいた。日韓
の他、ロシア、台湾からの参加者も得られた。文春琴姫路獨協大学教授、コーシ
キンモスクワ東洋大学教授、呉慎誼台湾文化大学講師などである。第一日の講座
については、今回オルタの井上定彦氏のレポートにまとめられている。第一講座
は韓国儒学の最高峰成均館大学校の李基東教授から、「現代社会と韓国儒学」と
題した儒学入門であった。話の中心は、「仁」。
  重複を恐れず、私の理解したところによれば、李基東教授の主張する「仁」と
いう考え方は、韓国には5千年前からあったという。儒教の始祖言われる孔子に
よってこの考えが戻ってきたという。今でも韓国儒学として残っているものは「
いいたいこと」「やりたいこと」を受け入れる『よい心』『温かい心』『人情』
であるという。一人ひとりは一つの根っこで繋がっており、これを一心、ひとご
ころという。


(3)勿論安東自由大学は儒学だけではない。


  参加者の半数近くを占める教職員グループは、二日目の夜、安東の教職員と膝
を交えて教育論を語り合った。教育現場での共通点をたくさん発見できたばかり
でなく、現場の中心を担う教師たちが、自ら進んで韓国儒学を学んでいるという
安東ならではの報告に目を見開らかれる思いをした。これにはボランティアとし
て参加してくれた、梨花女子大学大学院の同時通訳専攻学生、イ・ヤンミンさん
、ユン・ソヨンさんらの優れた通訳に負うところが大きい。彼女たちの在日経験
が、交流の中身を濃いものにしたことは間違いない。

 参加型プログラムはネットワーキングを広げるのに役立った。韓国儒教礼節学
校の体験入学。ここでは、伝統服の着付けと礼儀作法、お茶、それとチャンゴ(
長鼓)の手ほどき。楽器の練習では、2002年の日韓ワールドカップを思い出させ
るような、テーハミング(大韓民国)の応援を練習し、韓国人の応援の気持ちの
一端に触れた。また、人間国宝をを招いての文化財、仮面舞の実演と体験、歴史
的建造物での音楽演奏。どれもが、歓迎の心にあふれ、私たちを楽しませ、交流
を実のあるものにした。こうした有形無形の文化遺産の保存と伝承は、安東の人
々の努力に依っている。

 安東の文化を最新の設備で再構成したコンテンツ博物館、店頭に狗(イヌ)を
並べた旧市場などを参観して、最終日、安東文化院の中庭でお別れパーティが開
かれた。安東高校の同窓会からは、大きな豚一頭が贈られ、いい匂いを漂わせて
いる。権一族の農協からは手の指を広げたほどの傘をかぶった松茸。これに甘味
噌をつけて生でいただく。
  安東文化院には古い建物を保存しようと若い音楽家集団「芸音文化芸術企画」
の若者が、古民家で演奏活動を続けている。耳馴染みのある曲から、伝統的なメ
ロディーまで、晴れた夜空に伽耶琴とバイオリン、ギター、声楽が心地よい協奏
を奏でている。


(4)人と人とのネットワーキングを目指して。


  第一期と第二期の違い一つだけに絞るとすれば、韓国、安東人たちの歓迎の広
がり、心づくしの倍加を挙げることができる。「島」問題で、一部交流が中止に
なった状況を聞く中で、安東の方々は驚くほどの歓迎をしてくれた。安東市長を
始め、職員、権一族挙げての歓迎。我々は、地元安東バスの提供から始まり、食
事の歓待、農協、同窓会から豚一頭の寄贈に至るまで安東地域組織挙げての歓迎
に包まれた。

 両班(ヤンバン)は現代の韓国にも存在する。しかしその意味はかつての貴族
階級ではなく、行いの高潔で人々から尊敬されている人を称して両班と言うのだ
そうだ。権重東氏や梁世勲氏が現代韓国の両班だ。梁世勲氏は、講師の紹介・依
頼から、滞在中、添乗員でさえ足元にも及ばない心配りをいただいた。梁氏は元
ノルウェー大使で、韓国オリンピック国際委員長を勤めた政府の高官だが、どん
なことでも分け隔てなく対応してくれる稀有の国際人だ。

 今回受講者の最高年齢は、84歳のオルタ編集者の加藤宣幸氏である。元気で全
行程を修了され、参加者とともに権名誉総長手づくりの修了証を受け取った。安
東自由大学の参加者の半数以上は60歳以上だ。だからこそ、安東自由大学の「課
外活動」やバスの中では、多くの体験を吸収できるメリットがある。参加された
長谷川真一ILO日本事務所代表も、政府のミッションではなかなかこういう体
験はできませんと感想を漏らしておられた。30代の参加者が「何事にも変えがた
い体験」と感想を寄せているのは、この東アジアの人々のネットワーキングが生
み出す賜物に他ならないと思われる。

 修了証は次の参加への招請状として、東アジア人の友人に伝えて欲しい、と初
岡運営委員長は述べた。第三期安東自由大学はますます発展に兆しが見えてきた

        (筆者は安東自由大学運営委員会 事務局長)

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