【オルタの視点】

自民党憲法改正草案の問題点

横山 泰治


◆◆〈1〉

 自民党憲法改正草案(以下、改正草案)は、まず現行憲法前文の「(日本国民は)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という先の戦争の反省と決意の言葉をすべて削除し、代わりにその前文で「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、」と述べて、戦争も自然災害も一緒くたに一言触れただけで、先の戦争責任について何一つ反省の言葉がない。1930〜40年代にかけての不幸な歴史的事実からあえて目を逸らしている。

◆◆〈2〉

 この後に「平和主義のもと、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。」と続けているが、白々しく響くだけだ。1910(明治43)年の日韓併合に始まり35年にわたった朝鮮の植民地支配と、1931(昭和6)年の中国東北部侵略に始まり満州国建設を含め14年に及んだ中国侵略の歴史について、国家としての率直な反省と謝罪がなければ、近隣諸国との真に友好な関係を築くことはできない。過去の歴史的事実に目をつぶった、歴史修正主義の改正草案と断じざるをえない。

 改正草案はまた、国家が上から国民を管理統制する目線が明らかであり、それは条文の随所に出ている。これは、国民が権力の乱用を監視し制約する立憲主義とは真逆の立場であり、戦前の全体主義国家志向を感じさせる。神聖不可侵の天皇を中心にした戦前体制の復活を目指す日本会議が、自民党・安部政権で大きな影響力を及ぼしている現実(日本会議懇談会参加の閣僚は13人、衆参国会議員は自民党中心に約280人)を考えれば、改正草案が平和主義、民主主義の普遍的価値観を国際社会と共有しょうとしてきた戦後70年の歴史を覆し、かっての国粋主義的全体主義への逆コースの布石となるのではないか、その方向性が危惧される。(数字出所は青木理「日本会議の正体」平凡社新書)

◆◆〈3〉

 以上の観点に立って、改正草案の問題点を10点、指摘しておきたい。

<その1>
 「第一章 天皇 第一条(天皇)」には「天皇は日本国の元首であり」という文言が冒頭に出てくる。他は現行憲法と同じく象徴天皇や国民主権もそのままだが、あえて天皇を元首と規定したのは、戦前の天皇主権への復活を意図した布石ではないか、と考えられる。

<その2>
 「第二章 安全保障 第九条の二(国防軍)」の規定。現行の自衛隊は、第九条を拡大解釈して設置された経緯があり、長沼ナイキ裁判一審判決で違憲とされたこともある。憲法学者の意見はおおむね違憲である。しかし、北朝鮮や中国の「力による外交」への現実的対応のためにも、国連憲章第51条には各国「固有の権利」としての「個別的自衛権」の条項もあり、また国民世論の大勢が専守防衛の自衛隊を容認している現実を考えれば、現在の自衛隊を変える必要はない。
 もし国防軍を創設するのであれば、戦前の軍部暴走による侵略戦争と屈辱的敗戦の苦い経験に鑑み、軍の規律保持と暴走を防ぐ文民統制(シビリアン・コントロール)の一助として、せめてドイツ基本法(憲法)にあるような、自衛隊を常時調査監視する独自権限をもつオンブズマン制度を導入すべきだ。改正草案にあるような国会の関与だけでは文民統制の実をあげることはできないことは、与党が圧倒的多数を恃んで憲法解釈すら勝手に強行する現実を考えれば明らかだ。

<その3>
 「第三章 国民の権利及び義務 第十二条(国民の責務)」では、現行憲法の「国民は、これ(自由及び権利)を乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」の規定を削除し、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」という文言に代えている。自由及び権利について国民が責任を負うで十分だと思うが、あえて義務を付け加え、かつ公益及び公の秩序に反してはならないとするのは、国家による国民の統制管理の発想によるものだ。

<その4>
 「第三章 第十三条(人としての尊重等) 全て国民は、人として尊重される。」として、現憲法の「個人」の概念を無内容な「人」という言葉に変えている。個人主義の行き過ぎを是正するとの発想らしいが、お粗末ではないのか。国家とは個人の集合体である。憲法学者の樋口陽一氏も直近の朝日新聞寄稿の記事の中で「大勢の個人が公共の約束事を交わして、国家が成り立つ。(共同体的絆というが)互いの自分らしさ、個性を認め合う個人同士が結びあう絆こそが本物」と述べている。個人という言葉の意味を噛みしめたい。

<その5>
 「第三章 第二十条(信教の自由)」の3項は、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。」としながらも「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。」として、例外規定を設けている。この但し書き条項が、これまで自民党が4回も国会に提案して廃案となった靖国神社国家護持法案を、何とか国会で成立させるための根拠条項であることは容易に推察できる。

<その6>
 「第三章 国民の権利及び義務 第二十四条(婚姻等に関する基本原則) 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」として現行憲法にはない条項を冒頭に付け加えている。伝統的家族観の復活は、講和条約発効後、守旧勢力が一貫して主張してきたことであり、1950年代後半の逆コース路線の中で当時の岸信介首相が先頭に立って推進した。女性の権利も認められなかった戦前の家父長制の家族観に固執するのなら時代錯誤だ。血縁で結ばれた家族が互いに助け合うのは当たり前のことであり、わざわざ憲法条文に書きこむ必要はない。報道によれば、政府の教育再生実行会議が「家庭の役割」などをテーマに今月(10月)中にも議論を再開するという。家庭教育を正面から打ちだすのは今回が初めての由である。今後を注視したい。

<その7>
 「第九章 緊急事態」という章を設け、「第九十八条(緊急事態の宣言) 内閣総理大臣は、わが国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。」としている。
 そして第九十九条(緊急事態の宣言の効果)は、その3として「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」としている。その後に「この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は最大限に尊重されなければならない。」とタテマエ上の基本的人権尊重が付け加えられているが、これを担保するものは何もない。
 安部首相や自民党は、一時期、憲法改正の当面のテーマとしてこの緊急事態条項を持ち出したが、これはナチスの全権委任法のマネであり必要ない、として世論や専門家の批判を招いたため、現在はこれを引っ込めているが、いずれ状況をみて提起してくることは必至だ。

<その8>
 現行憲法は第九十七条で「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定し、専制権力との長い民主主義・人権闘争の成果としての基本的人権の歴史的意義を強調している。この条項は一見、第十一条(基本的人権の享有)とダブっているように見えるが、どの教科書にもある長い人権闘争の成果としての意義を確認した条項である。戦前日本の人権を無視した全体主義統制の時代を思えば、有意義な条項と考えられる。改正草案はこの条文を全文削除している。戦前日本の全体主義的国家統制の歴史の反省の意味でも、現行第九十七条の条項は、そのまま残すべきだ。

<その9>
 「第百二条 憲法尊重擁護義務」として「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」としている。主権者たる国民が権力者の権力乱用を監視し制約するために憲法をつくる、という立憲主義の基本に反した、上から目線の倒錯した規定であり、こんな条項は不要である。

<その10>
 「第十章 改正 第百条」は、憲法改正の発議要件を、現憲法の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」から「両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成」に変え、改正しやすくしようとしている。憲法は国の基本のかたちを定めるものであり、多くの主要国は国会の発議要件を総議員数の三分の二以上としている。「過半数の賛成」は、立憲主義の立場からみて安易な案であり、賛成できない。

◆◆〈4〉

 自民党第一次憲法改正草案づくりに事務局次長として参画した升添要一氏は、公金乱用問題で都知事の地位を失ったが、それはそれとして、彼が関与した第一次憲法改正草案からみると、現憲法改正草案は著しく後退したとして強く批判し、次のように表明している。
 「第二次草案(註=現改正草案のこと)の出来栄えは芳しくない。政権を担っている党が、人類が長年の努力を重ねて国家権力から勝ち取った基本的人権を「西欧の天賦人権説」として否定するような愚は許されることではない。私は主権者である国民の一人として、立憲主義の原則に反するような憲法を書くつもりはない。自民党が第二次草案をそのままの形で提案するのならば、私は国民投票で反対票を投じる。」(升添要一『憲法改正のオモテとウラ』講談社現代新書、2014年)

 (元別府大学教授・大分憲法擁護代表委員)


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