翁長県政の行方~「民衆的支持」と「政治的困難」の狭間で~

長元 朝浩


 翁長雄志氏が米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を公約に掲げ、約10万票の大差で県知事選に当選してから、2月16日でちょうど3カ月になる。名護市辺野古の現場では、キャンプ・シュワブゲート前での抗議行動やカヌー隊による海上行動を封じ込め、県の作業中断要請を無視して、着々と工事が進む。

 昨年12月10日に知事に就任した翁長氏は、12月24日から26日まで就任あいさつのため上京し、年が明けてからは予算の要望、沖縄振興予算に対するお礼のあいさつ回り、基地問題の要請などで2月6日までに3回上京した。県はそのつど、安倍晋三首相や菅義偉官房長官、中谷元防衛相、岸田文雄外務相への面談を申し入れたが、一度も実現していない。閣僚が示し合わせて面会を拒否しているのである。辺野古移設を認めた仲井真弘多前知事との違いを際立たせるため、2015年度の沖縄振興予算も、5年ぶりに削減した。

 それだけではない。県は、仲井真前知事の埋め立て承認に瑕疵がなかったかどうかを検証する第三者委員会を立ち上げるとともに、検証作業が終わるまで辺野古での工事を中断するよう沖縄防衛局に要請した。だが、沖縄防衛局はその翌日、クレーン付きの大型作業船をキャンプ・シュワブ沿岸部に設置し、海上での本格的な作業に入った。

 反対派の強制排除を避け、穏健な警備に徹した2004年のボーリング調査とは打って変わって、海上保安庁の強硬姿勢が目立つ。辺野古の現場では手荒い警備によってけが人が相次いでいる。海上保安庁の方針転換は安倍政権の政治意思の表れである。

 政府と沖縄県との間で今、起きていることは、そうなるだろうと予測できたことばかりである。翁長氏周辺の保守系議員も「食うか食われるかの戦い」だと退路を断って知事選に臨んでおり、政府・自民党による選挙後のしっぺ返しや冷遇は織り込み済みだった。

 ただ、予測したことと予測が現実になったこととの間には、隔たりがある。予測に基づいて対策を立て、影響を極小化することができれば大きな問題は生じないが、予測はしていたはずなのに事前の対策が不十分だったとすれば、ずれやきしみは避けられない。

 移設容認の県政に落下傘降下したこともあって翁長知事は当初、県庁業務全般の掌握や庁内人事、あいさつ回りなどに追われ、辺野古問題にどのように対応していくか明確な方針を打ち出すことができなかった。着実に進む工事、対応の遅い県政。反対派の住民からは翁長県政の対応の遅さを指摘する声が日増しに高まり、いらだちの声すら聞こえてくるようになった。ここに見られるのは、翁長知事が抱える「民衆的支持と政治的困難」の両面性である。

 有権者の翁長氏支持は今も高い。翁長氏を支持する人々の中には穏健な保守派と辺野古問題を最重視する無党派層を中心とした市民派がいるが、県政の対応が後手に回れば市民派のいらだちが強くなり、県政の支持基盤が揺らぐ。かといって国を相手に戦う以上、念には念を入れて法律的な詰めの作業を行う必要があり、時間もかかる。「民衆的支持と政治的困難」の両面性とは、そういう意味である。

 翁長知事は9日の記者会見で、就任2カ月の実績を問われ、「2、3年分やったような思いがある」と答えた。偽らざる心境だろう。
 知事選に当選してからちょうど3カ月目にあたる2月16日、翁長知事は、これまでのモヤモヤを吹き払うような決断をした。県の許可区域外の海底に設置した大型コンクリートブロック(10〜45トン)がサンゴ礁を傷つけた可能性があるとして(1)新たなブロックの設置停止と、すでに設置したブロックの移動停止(2)海底面の現状変更停止(3)設置したブロックの位置に関する図面や設置前後の海底の写真など必要資料の提出—など3点を防衛局に指示した。

 知事就任以来初めて、権限を行使して辺野古での作業に待ったをかけたのである。翁長知事は16日の会見で、指示に従わない場合や県漁業調整規則違反が判明した場合、「岩礁破砕許可の取り消しも視野に入れている」と語った。
 仲井真弘多前知事は昨年8月、辺野古沿岸部約172ヘクタールの岩礁破砕を許可した。その際、「公益上等の事由で(知事が)指示する場合は指示に従うこと」という条件をつけている。
 沖縄防衛局は、ブロックは浮標を固定するためのアンカーで、「許可の対象にならない」と反論。中谷元防衛相は「各種作業を粛々と進める」ことをあらためて強調した。

 政府と県の溝は深まるばかりで、対話の糸口さえ見いだせない状態だ。
 国会で圧倒的な議席を持ち、高い支持率を維持し続ける安倍政権は、「辺野古が唯一の選択肢」だという決まり文句を繰り返し、県と話し合う気配すら見せていない。「唯一の選択肢」ということは「この道しかない」ということである。このフレーズはもともと英国のサッチャー元首相が新自由主義改革を進める際に使った言葉だ。安倍晋三首相は、それをアベノミクスにも辺野古移設にも多用しているのである。熟議による説得ではなく、催眠術的な説得というべきだろう。

 反知性主義の時代風潮にはなじむかもしれないが、対話や話し合いという時間のかかる民主主義的手続きを忌避し、本来、政府が果たすべき説明責任も十分に果たさないまま一方的に結論を押しつける手法は実に危うい。

 実際、政府は県民に対し、辺野古が「唯一の選択肢」だという根拠を具体的に明らかにしたことがない。

 日本国憲法は、米軍占領下の沖縄住民の選挙権が停止されたため、沖縄代表のいない衆議院で議論され、制定された。講和条約発効後も憲法は沖縄に適用されず、1972年の施政権返還によってようやく憲法が適用されたと思ったら、日米地位協定も同時に適用され、沖縄において地位協定は事実上、憲法の上位法として機能し、国民として等しく享受すべきさまざまな権利が地位協定の壁にさえぎられ、制約されてきた。日本本土でも米国本土でも許されないことが沖縄ではまかり通ってきたのである。

 このような構造的差別を今後50年、100年にわたって継続することは許されない—というのがすべての出発点だ。それを前提にして目に見える形の負担軽減を実現することが両政府に求められているのである。それは実際、十分に可能だ。問題は政治的意思があるかどうか、である。

 沖縄の最大公約数的な民意は、抑止力として機能している嘉手納基地を全面撤去せよ、と求めているのではない。生物多様性豊かな海域を守り、絶滅危惧種のジュゴン保護に力を入れ、日本本土の多くの地域がそうであるように自分の住む地域に誇りをもち、穏やかに暮らしたい、と考えているだけだ。 

 大田昌秀元知事の時代は、村山—橋本政権の下で、社民党を介して政権中枢にもパイプを持ち、本土の有力経済人の協力を得ることもできた。それに比べると、翁長知事の置かれている条件ははるかに厳しい。安倍政権の基盤が盤石で、政権のゴリ押しを許容する空気が国会にも国民の間にも見られる。

 「沖縄に海兵隊がいるから枕を高くして安心して眠れる」ということなのだろうが、なんの検証もなしにそれを信じてしまうのは、監視も監査もチェックも何もなく、政策のすべてを政府に白紙委任するようなものである。安全保障政策に民主的統制は欠かせない。

 海兵隊の主要部隊は、グアム、オーストラリアなど各地に拡散する動きにある。新しく生じたこの動きに合わせ、かつ沖縄の声にも配慮して、移設計画を見直すのは、民主国家として当然の姿勢ではないか。

 「民衆的支持」と「政治的困難」の両面性は、翁長知事にこれからもついて回るだろう。それに押しつぶされずに問題を前に前に進めていくためには、国内外の専門家を応援団として組織し、たえず知恵を借りること。沖縄の主張の正当性をさまざまなメディアを使って国内外に発信し続けること、単なる基地反対運動ではなく沖縄の未来を切り開く運動であることを理論化し県民にアピールしていくこと、辺野古に新基地を建設しなくてもそれが安全保障の危機にはつながらないこと、などなどを愚直に主張していく以外にない。

 (筆者は沖縄タイムス専任論説委員)


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