【編集後記】 

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◎ 大江健三郎氏は新年のTVで「今年の新年はこの10年ほどの中で一番沈鬱だっ
た」と発言されていたが、私たちを取り巻くこの気分は何故なのであろうか。
すでに国民的支持を失った麻生首相がしきりに「100年に一度の不況」と叫ぶ
がどうも選挙延期の口実のように軽く響くのが一因かもしれない。
私たちが直面している世界金融危機、世界同時不況が単なる循環的なものでは
なく歴史的な構造転換期にあるという深い認識が一向に伝わってこないのであ
る。
  新年に61号を迎えた「オルタ」は内橋克人氏がかねてから主唱してこられた
ように『分断・対立・競争から連帯・参加・共生』の社会を目指して現在の危機
の本質を探りつづけて行きたい。
 
◎ この観点から『小国日本への勧め』黒岩義之(元毎日新聞印刷局長)・『<
おかしくないか>昨今の社会状況』羽原清雅(元朝日新聞政治部長)・『「日
本沈没」を防ぐ年』久保孝雄(元神奈川県副知事)の3氏にそれぞれ『国のか
たち』について論じていただいた。
 
久保・羽原氏は「オルタ」に何回も執筆されているが、黒岩氏は52号53号に
『がん告知から抗がん剤まで』というガン闘病記を寄稿して頂いただけであ
る。そのプロフィールを少しご紹介すると広島陸軍幼年学校から陸軍士官学校
に進みここで敗戦を迎えたという旧陸軍の職業軍人幹部コースを歩み、戦後は
東大から教職をへて毎日新聞社に入社したという異色の方だ。まさにその戦時
体験から若い世代に歴史の真実を伝えようと毎日新聞社を定年退職後「日本近
現代史便り」を10年余にわたって発信しつづけておられる。今回はすい臓がん
と抗がん剤治療で闘いながら寄稿していただいた。

◎ 今月の書評では野中尚人著『自民党時代の終わり』を岡田一郎氏に取り上
げていただいた。今の自民党が誰から見てもまさに「賞味期限切れ」であるこ
とは明らかで、麻生首相が解散総選挙を逃げ回ったとしても9月までには国民
の手で「廃棄処分」にされることは間違いない。加藤紘一氏に言わせれば「高
度成長と冷戦が終わって自民党の役割は終わった」のだと言う。それにしては少
し長持ちしたと思うがこれは小泉マジックにマスコミや国民がひっかかって衆
議院の絶対多数を与えたからにすぎない。著者と評者とは、多くの点で見解が
違っているが、この点だけは両者が一致していたように思う。いずれにせよ構
想力も人材もなくなった自民党政権を1日も早く退陣させなくては日本の明日
が拓けない。

◎ 環境・農業・教育など「オルタ」が取り組みを深めたい分野はいくつもあ
る。しかし、いまのオルタ編集部の力量では的確な執筆者を見つけるのが難し
い。今号の海外論調短評では初岡昌一郎氏が海外の環境情報を紹介して下さった
。この分野の記事が少ない「オルタ」にとっては干天に慈雨である。これからも
このような形で補っていただければと思う。「番外」では日米民主党の外交政
策に危惧を指摘された。まさに国民の多くが心配していることである。

◎訃報 
  オルタ編集部の工藤邦彦君は、昨秋、肝臓がんが見つかり直ちに手術して、一
応成功したあと、抗がん剤治療をつづけておられましたが1月5日、突然心肺
停止に襲われ急死されました。謹んで哀悼の意を表します。

  私と工藤君とは年齢は一回りも違うが、'60年安保闘争の直後、私が社会党
機関紙経営局長をしていた時、彼が「社会新報」の記者に応募してからの長い
関係である。この5年間はオルタの編集の関係で月1回は会っていた。具体的な
編集の打ち合わせというよりも政治経済情勢についてもっぱら工藤君の意見を
聞く場であったように思う。哲学・政治思想史から風土論・芸術論に及ぶ彼の
深い学識は、浅学の私を常に導いてくれた。
私たちの関係は友人・相棒という以前に彼が知的先達の立場にあった。

  彼は「知」の人であるとともに正義感に燃える行動的人間で、しかも仕事で
は一切の妥協を許さない職人気質であった。
本人は殆ど語ることがなかったが早稲田大学在学中はロシア語の堪能な学生で
幾つかの研究会を主導し、卒業式では学部を代表して答辞を読んだという。学
生運動では共産党系や新左翼系などいずれのセクトにも加わらなかったが、ラ
ヂカルな立場から、あらゆるスターリン主義的な運動体質に対しては徹底的に
反対し、この姿勢は社会人になってからも崩さなかった。
  また勉強家の彼は亡くなる直前まで、仲間と共に20世紀ロシアの思想家で宗
教的な弁証法理論に集合論や記号論理学などを取り入れ、当時の宗教哲学に一
つの転機をもたらしたという哲学者フローレンスキーについてロシア語による
研究会を何年も続けていた。

  それにしても残念なのは彼がライフワークとして取り組んでいた『日本の風
土論にもとづく社会民主主義論の構築』を私たちが手にすることが出来なかっ
たことである。君が日頃言っていたように、せめて完成脱稿まで生き抜いて私
たちにその成果を遺して欲しかった。
                          (加藤 宣幸 記)

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