【編集後記】 

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◎ 私たちの「オルタ」はかねてから『環境問題』に積極的に取り組みた
  いと考えながら果たせなかった。しかし、来る5月10日に、オルタ執筆者の
  荒木重雄さんが準備委員長で『社会環境フオーラム21』が立ち上るとの知
  らせに急遽巻頭で創設についての趣意を掲載して頂いた。『社会環境フオー
  ラム21』は自然・人文・社会科学の枠を越えた気鋭の学者・研究者の集り
  のため、私たち一般市民は参加できないものと思っていたが、「オルタ」読
  者の参加も歓迎するとのご意向を聞き、「オルタ」との積極的な交流を図っ
  て頂くことにした。まずは『社会環境フオーラム21』の結成を心からお祝
  いするとともに、その活発な活動の一端でも「オルタ」に反映していただけ
  れば幸いである。

◎  さきに行われた台湾総統選挙について、在日中国人向け週刊紙の最
  大手「中文導報」の副編集長張石さんに現地取材の感想を寄稿して頂いた。
  取材地が台北という国民党の地盤であったためか民進党支持者の声は聞けて
  いない。両者の言い分を記事にするという日本流の手法に慣れている者には
  やや物足りないが、私たちにとっては在日中国人記者がどのような視点で台
  湾総統選挙を視ていたのかが窺えたように思う。いずれにしても日本の将来
  が東アジア地域連帯の中にあるとすれば、中国・韓国・台湾・香港など隣 
  接地域の動きから目を離すわけにはいかない。折からチベットにも激しい 
  動きがある。「オルタ」としても長期のスパンで歴史的な視野から、これ 
  らの動きを観察し続けたい。

◎  さる3月25日、『出版評論訪中代表団懇親会』と物々しい名のついた
  会合があった。名前の由来はこのグループが1884年から2001年までの間に
  10回くらい中国各地を訪問したからである。私も4回ほど夫婦で参加した
  が、メンバーには文芸春秋・講談社・平凡社・毎日新聞出版局などの大手出
  版社から教科書会社や中小出版社の編集部OBなどに大学の情報系元教授な
  ど主に出版ジャーナリズムに関わる人々が加わっている。
  ついでながら皆さん「オルタ」の読者でもある。このなかに雑誌エコノミス
  ト編集部から後に毎日新聞印刷局長などを歴任された黒岩義之さんがいるの
  だが、当日はたまたま席が私の向かいになった。 先年インドに行かれたの
  で、そのことでも聞ければとご挨拶すると、なんと「『すい臓ガン』手術を
  して、今も治療している」と言われて手もとのビールを美味しそうに空けら
  れた。

   これには、私も大仰に驚いた。いままで『すい臓ガン』で亡くなる話は何回
  も聞いたが、元気になられた話を聞くことはなかったからである。私の大き
  な声に、この会を主宰し、自分も大腸がん切除をした鶴崎友亀君が突如、黒
  岩さんの「闘病記」を絶賛し始め、即座に「オルタ」執筆者の細島泉さんな
  どが「オルタ」への掲載を薦められたので『すい臓癌の告知から抗癌剤ま 
  で』の分載が実現することになった。

◎  4月15日、故貴島正道さんの通夜があった。私たちは1960年安保闘争
  の前後、社会党書記長江田三郎を先頭に『構造改革』の政治路線を提起して
  社会党改革をともに闘った仲間である。当時、教条的マルクス主義者たちの
  攻撃は激しく、私たちは党内闘争に敗れ江田三郎はついに社会党を離れた。
  貴島氏と初めて会ったのは敗戦の翌年(1946年)5月だった。当時の私は後
  に江田三郎の秘書になった矢野凱也君とともに社会党本部青年部書記だった
  が、そこにチモール島守備隊長から復員したばかりの貴島さんが山口房雄さ
  んの紹介で機関紙「社会新聞」社の記者として入社してきた。そのころ党 
  本部は新橋駅脇の焼けビルにあり、「社会新聞社」は新橋駅と有楽町駅の 
  中間のガード下にあった。責任者は党の中央執行委員だが機関紙経営は独 
  立していた。しかし私たちは、頻繁に情報を交換しつつ同志として結束 
  し、激動する 戦後の政治情勢に立ち向かっていた。

  晩年の貴島さんは病に倒れるまで菅直人議員の後援会長だった。通夜の席で
  河上民雄先生や初岡昌一郎さん、船橋成幸さんなどと故人の思い出に花を咲
  かせていた時、菅氏が貴島さんと初めて会ったのはいつでしたかと聞いてき
  たので終戦の翌年だと言うと、菅氏は「まだ自分は生まれていなかった」と
  ポツリと言われたのは印象的だった。そこに戦後60年の時の流れと自民党支
  配が続く日本政治の不条理を憤りつつ逝った貴島さんの無念さを思ったから
  である。
                             (加藤 宣幸 記)

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