【コラム】ザ・障害者(2)

絶対否定から絶対肯定へ

堀 利和


 障害者とは一体いかなる存在なのかということを当事者の側から主体的かつ根源的に問いかけたのが、60年代後半から70年代の、特に神奈川県青い芝の会の重度脳性マヒ者の人たちだった。そのリーダーは横塚晃一と横田弘の両氏である。その思想と運動は、全国の障害者や共に闘う健常者にも大きな影響を与えた。
 それを一言で表現すれば、「障害者はあってはならない存在」、社会から絶対的に否定された存在、その負の存在を高次元で「否定の否定」の弁証法によって実存の中に引き寄せ、その上で、それを絶対肯定へと転換するものであった。それは精神的冒険とも言ってよく、だから運動スタイルも告発糾弾闘争となる。「われらは問題解決の路を選ばない」ということになるのである。

 障害児の我が子を殺した母親の減刑嘆願の住民運動に対して、なぜ障害児は殺されてもやむをえないのか、「母よ! 殺すな」と言ってその運動に反対した。車イス乗車を拒否した川崎市営バスに対して、駅前で28時間32台のバスを占拠し、いわゆるバスジャックの抗議行動を行った。そして、障害者である自らの存在を否定し蔑むことにつながる「健全者幻想」の解体を訴え、障害者であることのどうにもしがたい絶望的な存在を直視し、それを実存主義的に絶対肯定へと転換した。

 ここに、私にとってバイブルともいえる1975年の全国青い芝の会総連合会の「行動綱領」を紹介する。ちなみに「健全者」という文言をそれぞれ、「健全者の愛」、「健全者の問題」と接頭語を付けて読みかえてみると、そのことの意想がより鮮明に理解できる。さらにそれを、私なりに今日的に再規定したものが「21世紀の行動綱領」である。

●行動綱領
 一、 われらは、自ら脳性マヒ者であることを自覚する。
 一、 われらは強烈な自己主張を行う。
 一、 われらは愛と正義を否定する。
 一、 われらは健全者文明を否定する。
 一、 われらは問題解決の路を選ばない。

●21世紀の行動綱領
 一、 われらは、共生・共働の世界を実現する。
 一、 われらは、縦型の格差を否定し、横型の個性的・選択的生き方を肯定する。
 一、 われらは、シンプルな生活とシンプルな人間関係を求める。
 一、 われらは、自然人がそうであったように、抑圧社会の差別文明を解消する。
 一、 われらは、すべての人が希求するものを、われらが希求するものに一致させるべく努力
    する。
 一、 われらは、われらの自立主義を確立するためには安易な国主義・依存主義はとらない。
 一、 われらは、われらよりもっと困難な状態におかれている者が現に存在することを直視し、
    同胞として彼らと連帯する。
 一、 われらは、われらを信じ得るわれら自身になることを宣言する。
 一、 われらは、とどまることなくわれらの問題解決を求め続ける。

 (元参議院議員・NPO共同連代表・立教大学兼任講師)


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