【「労働映画」のリアル】

第38回 労働映画のスターたち・邦画編(38)田中絹代

清水 浩之

 《女房・おかあさん・おふくろ様・・・「映画と結婚した」女優が演じた 女の一生》

 女優・田中絹代さんは1909年生まれ、今年で生誕110年。14歳で映画デビューし、1977年に67歳で亡くなるまで、およそ250本の映画・テレビに出演した。活動期間は大正13年から昭和51年まで。日本では戦争を挟んで女性をめぐる社会環境が大きく変化した時代にあたる。半世紀にわたる作品歴を辿ると、娘から妻、母、そしておばあさんと、年齢と共に呼び名は変わりつつ、その時代ごとの「一般的な」女性像を引き受けてきたことが見えてくる。彼女自身は生涯独身だったが、

 「いわば私は、映画を夫として選び、映画と結婚したのです。そして、その夫に捨てられないですんだばかりでなく、めでたく金婚式までも迎えることができました」

 と語っているように、見た目は草花のようにか弱いが、いざとなると鋼のように強い・・・もはや遠くになりにけり昭和の、どこにでもいた「女の一生」がフィルムに焼き付けられたのだ。

 山口県下関市の生まれ。呉服商だった父が亡くなったことから一家に不幸が重なり、伯父を頼って大阪へ。幼い頃から習っていた琵琶の師匠が、宝塚に対抗して「琵琶少女歌劇」を結成したのをきっかけに、女優を志すようになる。

 1924年、関東大震災以後に移設されていた京都・松竹下加茂撮影所に入社。翌年には上京し蒲田撮影所へ。ここには清水宏、五所平之助、小津安二郎、成瀬巳喜男、そして木下惠介と、後に日本映画の黄金期を支える作家たちが、まだ20代の若者としてゴロゴロしていた。彼らは昭和初期に出現したサラリーマン階級を描く「小市民映画」を生み出し、主人公の青年と恋仲になるヒロインに、小柄で可愛らしい「庶民の娘」然とした絹代さんが起用されていく。

 小津監督の初期作『大学は出たけれど』(1929)は、不況で大卒の就職率30%という世相を反映させた青春喜劇。彼女は田舎から上京した婚約者の娘。夫となる大学生の就職先が見つからないことを知って、内緒でカフェーの女給になるが、店で接客している姿を彼に目撃されてしまい・・・という、90年経った今でも成立しそうな胸キュンのラブコメだ。

 1931年には日本初のトーキー映画『マダムと女房』(監督・五所平之助)で、丸髷に和服姿の「女房」として登場。当時のニュータウン・田園調布(!)に越してきた4人家族。夫は隣家のモダンな「マダム」のことが気になるようで、女房はヤキモチを焼く(イライラしてミシンを踏み続けるのが可愛い)。「ネー、あなたぁ。私にも洋服買ってちょうだい」という甘い声がトーキーの威力を発揮し、寺田寅彦の随筆にも記されるほどの反響を呼んだ。

 以後、『恋の花咲く 伊豆の踊子』(1933、五所)、『春琴抄 お琴と佐助』(1935、監督・島津保次郎)などで松竹の看板スターとして活躍。当時最先端の女子医学生に扮した『女医絹代先生』(1937、監督・野村浩将)のように、20代の終わりまでアイドルとしての地位を維持する。1938年の『愛染かつら』(野村)ではシングルマザーの看護婦となり、青年医師・上原謙と繰り広げる「すれ違いメロドラマ」が爆発的な大ヒットとなった。

 人気・実力ともに日本を代表する女優となった30代だが、ここに戦争が大きな影を落とす。溝口健二と初めて組んだ芸道もの『浪花女』(1940)、清水宏の紀行ドラマ『簪(かんざし)』(1941)といった企画は次第に姿を消し、『征戦愛馬譜 暁に祈る』(1940、監督・佐々木康)、『敵機空襲』(1943、監督・野村ほか)など、出演作にも当時の戦況が色濃く反映されていく。

 1944年の『陸軍』(監督・木下惠介)では、出征する息子を見送る母親の役。福岡市街での大行進、笑顔で日の丸の小旗を振る群衆の中を、ただ独り懸命に我が子の姿を追う母。その迫真の演技には戦時下の庶民が口にできなかった「本音」が滲んでいたようで、製作を依頼したはずの陸軍省から「女々しい」と非難されるほどのインパクトがあった。

 敗戦後は逸早く裁判官に扮した『女性の勝利』(1946、溝口)をはじめ、民主主義の時代の「新しい女性像」を模索。夫が戦地から戻らず、子どもを抱えた妻が困窮して・・・という、当時の多くの女性たちが直面した悲劇を描いた『夜の女たち』(1948、溝口)、『風の中の牝雞』(1948、小津)では、文字通りの体当たり演技で焼け跡を這い回ってみせた。

 40代になると、溝口の『西鶴一代女』(1952)、木下の『楢山節考』(1958)など、長年共に仕事をしてきた監督たちが傑作を連発。特に成瀬巳喜男と組んだ『おかあさん』(1952)、『流れる』(1956)などで、戦後の混乱の中でささやかな幸せを見つけようとする庶民を見事に演じた。『恋文』(1953)を皮切りに、6本の女性映画を監督したことも特筆に値する。

 晩年には倉本聰・脚本のテレビドラマ『りんりんと』(1974、北海道放送)、『前略おふくろ様』(1975、日テレ)で、老いた母と息子との関係を飄々と演じていて、こちらも忘れ難い。

参考文献:『私の履歴書 田中絹代』(1975年 日本経済新聞連載) ほか

(しみず ひろゆき、映像ディレクター・映画祭コーディネーター)
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●労働映画短信

◎働く文化ネット 「労働映画鑑賞会」
 働く文化ネットでは、毎月第2木曜日に労働映画鑑賞会を開催しています。お気軽にご参加ください。

◇次回のご案内
第57回 労働映画鑑賞会
・2019年4月11日(木)18:00~(参加費無料・事前申込不要)
・会場:連合会館 201会議室(地下鉄 新御茶ノ水駅 B3出口すぐ)
・上映作品は近日決定。
 詳しくは、働く文化ネット公式ブログをご確認ください。 http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/

◎【上映情報】労働映画列島! 3月~4月
※《労働映画列島》で検索! http://shimizu4310.hateblo.jp/

◇新作ロードショー
『こどもしょくどう』《3月23日(土)から 東京 神保町 岩波ホールほかで公開》
 子どもの目線から現代社会の貧困問題を描いたドラマ。食堂を営む一家が、満足に食事をとることができない子どもたちと出会って…。(2018年 日本 監督:日向寺太郎) https://kodomoshokudo.pal-ep.com/
『セメントの記憶』《3月23日(土)から 東京 渋谷 ユーロスペースほかで公開》
 長い内戦を乗り越え、バブル真っ只中のベイルート。超高層ビル建設現場で働くシリア人労働者たちのドキュメンタリー。(2017年 レバノンほか 監督:ジアード・クルスーム) https://www.sunny-film.com/cementkioku
『希望の灯り』《4月5日(金)から 東京 渋谷 Bunkamuraル・シネマほかで公開》
 旧東ドイツの都市・ライプツィヒ。スーパーマーケットで働く在庫管理係の青年を主人公に、社会の片隅で生きる人々を描く。(2018年 ドイツ 監督:トーマス・ステューバー) http://kibou-akari.ayapro.ne.jp/

◇名画座・特集上映
<全国>
【東京 渋谷 ユーロスペース/名古屋シネマテーク/神戸 元町映画館】 3/16~5/3「イスラーム映画祭」…気乗りのしない革命家(イエメン)/その手を離さないで(トルコ)/西ベイルート(レバノン)/二番目の妻(クルディスタン)/他

<北海道・東北>
【札幌プラザ2.5】 3/23「札幌映画サークル上映会」…サーミの血/八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨 杵臼コタンへ
【陸前高田 気仙大工左官伝承館】 3/23「箱根山映画祭」…聖者たちの食卓/カンパイ!世界が恋する日本酒

<関東・甲信越>
【東京 神保町シアター】 3/23~4/26「恋する女優 芦川いづみ デビュー65周年スペシャル」…祈るひと/あした晴れるか/真白き富士の嶺/硝子のジョニー 獣のように見えて/他
【東京 シネマヴェーラ渋谷】 3/30~4/19「ソヴィエト映画の世界」…ストライキ/十月/カメラを持った男/石の花/私はモスクワを歩く/怒りのキューバ/猟人日記“狼”/他
【新百合ヶ丘 川崎市アートセンター】 4/20~26「カンヌ国際映画祭 パルムドール特集」…ビリディアナ/男と女/アンダーグラウンド/木靴の樹/楢山節考(1983年版)/他
【鎌倉市川喜多映画記念館】 4/2~6/30「映画大使 川喜多長政・かしこ夫妻の軌跡」…未完成交響楽/天井桟敷の人々/禁じられた遊び/恐怖の報酬/居酒屋/他

<東海・北陸>
【福井 メトロ劇場】 3/16~5/31「特撰 英国王室物語」…ヴィクトリア女王 最期の秘密/女王陛下のお気に入り/ふたりの女王 メアリーとエリザベス
【静岡 シネ・ギャラリー】 3/30~4/12「サーチライトを灯せ!」…シェイプ・オブ・ウォーター/犬ヶ島/スリー・ビルボード/ギフテッド

<関西>
【京都 出町座/大阪 九条 シネ・ヌーヴォ/他】 4/6~17「フランス映画の現在をめぐって in 関西 vol.1」…パリ、18区、夜。/ソフィア・アンティポリス/勤務につけ!/シェエラザード/他
【大阪 新世界日劇東映】 3/22~28 緋牡丹博徒/トラック野郎 男一匹桃次郎(2本立)
【大阪 九条 シネ・ヌーヴォ】 3/23~5/3「京マチ子映画祭」…雨月物語/赤線地帯/いとはん物語/悲しみは女だけに/女の一生/浮草/有楽町で逢いましょう/他

<中国・四国>
【広島市映像文化ライブラリー】 4/3~20「特集・生誕100年の映画人」…王将/プーサン/伊豆の踊子(1954年版)/忍びの者/事件/麻雀放浪記/他
【高知 安田町 大心劇場】 3/22~29 泥だらけの純情(1963年版) 4/23~5/3 万引き家族

<九州・沖縄>
【小倉昭和館】 3/29~4/5「草刈正雄特集」…体操しようよ/汚れた英雄(2本立)
【福岡市総合図書館 シネラ】 4/3~21「レスター・ジェームス・ピーリス監督とスリランカ映画」…運命線/マザー・アローン/告白/太陽のジャングル/流れに逆らって/他
【大分 シネマ5】 4/6~12「鋤田正義写真展 in 大分 2019 関連上映」…書を捨てよ、町へ出よう/SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬

◎日本の労働映画百選
 働く文化ネット労働映画百選選考委員会は、2014年10月以来、1年半をかけて、映画は日本の仕事と暮らし、働く人たちの悩みと希望、働くことの意義と喜びをどのように描いてきたのかについて検討を重ねてきました。その成果をふまえて、このたび働くことの今とこれからについて考えるために、一世紀余の映画史の中から百本の作品を選びました。

『日本の労働映画百選』記念シンポジウムと映画上映会
  http://hatarakubunka.net/symposium.html

・「日本の労働映画百選」公開記念のイベントを開催(働く文化ネット公式ブログ)
  http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20160614/1465888612

・「日本の労働映画の一世紀」パネルディスカッション(働く文化ネット公式ブログ)
  http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20160615/1465954077

・『日本の労働映画百選』報告書 (表紙・目次)PDF
  http://hatarakubunka.net/100sen_index.pdf

・日本の労働映画百選 (一覧・年代別作品概要)PDF
  http://hatarakubunka.net/100sen.pdf

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