◇「老農夫のつぶやき」(3)             栃木  富田 昌宏

竹林の生命力に励まされて

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 「オルタ」には硬派の主張、解説が多い。ときには肩のコリをほぐすために、
自然と共生する老農夫のつぶやきを聞いて欲しいとの思いから、3月号の発刊時
期に合わせて、筍談義を一くさり。
題して「竹林の生命力に励まされて」。
 
 わが家の裏口を一歩外に出ると竹林があり、雑木山や杉木立づたいに登ると頂
上の太平山神社に辿り着く。神社の南側の広場を謙信平らと呼び、そこに“白栄
(しろばえ)や雲と見をれば赤麻沼”と六朝風の個性的な深彫りの文学の句碑が
建っている。昭和11年、私の所属する俳句結社、栃木渋柿会の大先輩たちが力
を合わせて建立した松根東洋城(渋柿の創始者)先生の文学碑である。ここから
の眺望を『日本風景論』の著者志賀重昴が“陸の松島”と呼んで激賞したと伝え
られている。
 
 そして、築120年のわが陋屋の正面に関東平野が広がり、その片隅を耕しな
がらコメづくりや野菜づくりで生計を立て、かてて加えて裏の竹林で獲れた筍を、
近くの野菜直売所に出荷し、そのささやかな収入を小遣いの足しにするーーこれ
が私の生活(くらし)の全貌である。
 そこで日本の最重要課題であるコメ問題を脇においておき、今回は筍の季節に
合わせて、竹林のスーパー生命力と筍づくりの醍醐味について触れてみたい。
 
(1) 竹落葉刻(とき)が斜めに流れゆく

 孟宗竹や真竹は生命力が強く、1日30cmほど伸びる。最盛時は1M以上と
もいわれ、原爆や枯葉剤の熱にも耐えたほど芯が強い。放っておけば厄介ものだ
が、利用すれば“宝”である。竹の葉は四季を通じて緑が鮮やかでことに雪が積
もった日など、孟宗竹の一本
 一本の生命力が凛と輝いている。竹の秋、竹の春には独特の風情があるが、私
は落ち葉の季節が大好きである。ちなみに、“竹の秋”は春4月、“竹の春”は秋
9月、そして “竹落葉”は夏6月である。竹落葉の季節、私は竹林に腰を下ろし、
サラサラとした落ち葉の音を聴きながら一刻を過ごす。
    
 “竹落葉刻が斜めに流れゆく”     昌宏

(2) 筍のとどめの鍬を逸しけり

 孟宗竹が一番生き生きしているのは、いうまでもなく筍の季節である。私のと
ころでは桜の開花に合わせて首を出す。それから約50日間は早起きして朝飯前
に筍堀に精を出す。
 中学生の頃から父の手伝いをしており、筍とはかれこれ50年以上のお付き合
いである。
 筍が地上に首を出す直前が収穫の適期で、落ち葉にもぐっていtも地下足袋を
通した足裏の感触で探り当てることが出来る。その年初めて掘り出した筍の感触
は格別で、抱きしめて頬ずりしたい思いにかられる。長い間の経験で、首の部分
4~5cmを見ただけで、地下にもぐっている本体の大きさや根の方向などは、
ほぼ間違いなく分かる。
 
 “筍のとどめの鍬を逸しけり”   昌宏

ということは余りない。まかり間違って胴切りにした時は、手を合わせてお詫び
をする。 収穫した筍は、これまでは大きさを選り分けて市場に出荷してきたが、
十年ほど前から地域の人びとと力を合わせて開設した『下皆川農産物直売所』に
運ぶ。
新鮮さが勝負であり、朝掘りのものは飛ぶように売れる。同時に日ごろお世話に
なっている方々に差し上げて味見をしていただく。
 
近年、お客さんの好みが変わった。これまでの市場出荷は2L(エル)(1本2.5
kg以上)かL(1.5kg以上)級がもてはやされて高価がついたが、最近は核家
族化の影響でM(800g以上)級が主流になりつつある。
 
 野菜などはお客さんの好みに応じて品種を選び、栽培技術をつくしてニーズに
応えることが出来るが、筍はそうはいかない。筍は、親竹の太さに見合って育つ
のである。太い親竹からは太い筍が生まれ、細い親竹からは総じて細い筍が育つ。
親に似る点は人間さまと同じであり、M級の筍を生産するにはM級クラスの親
竹を仕立てなければならず、竹林全体を改造するには最低5年かかるのである。
 
 美味しい筍を生産するコツは、太陽の光と肥料、そして水分の三要素を適切に
施すことである。太陽光線をふんだんに吸収するためには、坪一本立てが標準で、
間伐作業を欠かせない。施肥は筍を掘り終わった直後の“お礼肥”を含めて年4
回程度。そして水分は筍の生命。前年の12月からその年のお正月にかけてたっ
ぷり潅水することが肝要である。

 さて、ここで私は読者の皆さんに2点ほど質問したい。
一点は、筍が一人前の大人(背丈と太さ)になるにはどの位の期間が必要ですか。
二点は、筍が着ている着物――竹の皮は右前ですか、左前ですか。
 正解は各人で調べて見てください。簡単に分かりますから。.―――

(3) 胡麻干して関八州の隅に老ゆ

 かって日本は竹のくにであった。正月に作られる門松に代表されるように松竹
梅の組み合わせは吉祥を象(カタドル)るものとされてきた。そのなかでも日本人
の暮らしに浸透し、生活文化の中心になったものは竹であろうと思う。
 四季折々の草木花が変化するなかで、常に青々とした清々しさが広がる竹林。
風雪に耐え、吹く風に従順になびくしなやかさが、人びとを魅了し、生きる力を
与えてきた。
 
 竹は古来、その特徴を生かし、竹笛、尺八、笙など日本の伝統的な管楽器とし
て使用されてきたが、忘れてならないものに茶道の普及がある。茶室の窓、床柱、
天井、濡れ縁などに用いられ、軽みと侘びを見事に演出してきたのである。
 籠、熊手、竹箒など庶民の生活にも深く溶け込んできた。
 
 しかし、近年その様相が一変した。過疎化、高齢化により、手入れのために竹
林に入ることが少なくなった。安易なプラスチックの普及で竹材の必要性も激減
した。かくして旺盛な繁殖力をもって竹林はまわりの森林を圧倒しはじめたので
ある。竹箒も中国からの輸入が大半である。『竹取物語』は別世界のおとぎ話に
なりつつある。
 
 そんな状況に立ち向かった集団が各地で活躍を始めた。彼らは筍栽培と同時に、間伐で出来る大量の竹で竹炭を焼き、煙を集めて竹酢液をつくる。竹を余すこと
なく活用し、それを地域の特産品に育て上げた竹の子生産組合もある。しかし、
全国的に見れば限られた動きでしかない。竹に明日はあるのだろうか。
 宇都宮市の若山農園では孟宗竹を改良し、細くて丈の短いものに仕立て上げ、
それを庭園などの植栽に売り込んでいる。首相官邸に植えられたのも若山農園産
である。
 
 私は二十数年間栃木から東京に通い続け、日本青年館で仕事をしてきたが、そ
の間、田んぼを拡大しながらコメつくりに精を出し、かつ竹林のスーパー生命力
に励まされて七十余年を生きてきた。しかし、コメの作れぬ減反田が4割にも及
び、竹林が邪魔者扱いされ始めた昨今、いささか気が重い。

  胡麻干して関八州の隅に老ゆ

 これは一昨年の『路傍の石全国俳句大会』で知事賞を受賞した拙句であるが、
胡麻や老いを句材にするのは本意ではない。真正面から農村の苦悩と農民の挑戦
を五・七・五に託して詠み続けたいと思う。

    春愁や米のつくれぬ田に座して
    ふるさとを捨てぬ気構え青き踏む
    硝煙の消えぬ地球や草青む
    不用意に蛇穴を出て阿修羅の世
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