■ 【エッセイ】

ゆれる移民の国アメリカ (第六章)「移民はアメリカにとってプラスだろうか」  武田 尚子 

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 広大な土地に人影も疎らだった開拓時代以 来,アメリカが移民を必要として
きたことはいうを待たない。此の稿では。大きく変化した近年のアメリカの移民
事情について考えて みたい。

 はじめ に農業労働者のことから考えてみよう。
  農業労 働者は歴史的に、アメリカの農繁期には欠かせない労働力だった。第
二次大戦中、メキシコ人の労働者は「ブラセロ」というゲストワー カープログ
ラムに従い、アメリカに来て農繁期を手伝い、シーズンが終わると帰国した。彼
らは、猫の手も借りたい時にきて安い賃金で働 き、収穫が終わると立ち去って
くれる、農園主にとっては願ってもない労働力だった。
 
  このプ ログラムが一九六四年に廃止されてから、大半の農園主は合法非合法
移民に頼ってきたらしいが、それも今ではままならないとの声が高 い。地面に
山と積まれ、甘酸っぱいにおいを放ち始めた梨の収穫を、ミツバチやハエの群が
るにまかせて農場主は嘆く。「シーズンになる と必ず戸をたたいたメキシコの
労働者が、相当の金を払っても現れなくなった。これが続けば、農場をあきらめ
るほかない。」憮然とした 表情のクローズアップが報道されたのは筆者の記憶
にも新しい。

 しかも それは例外的なケースではない。移民は増えても、アメリカの都市部
で、肉のパッキング、レストランの給仕やオフィスの清掃、ガソリン 給油など
の仕事につくものが増え、低賃金、長時間重労働の農業を離れる者が多くなった。
コヨーテ(高額の契約金を払わせて,アメリカ へ非合法移民を入国させる仕事
に携わる主としてメキシコをはじめとするラテンアメリカ人たち)の値段も高騰
した。今では、主としてメキシコからの労働者を確保するために、農場主が
「預金」と称して賃金の一部を留保し、彼らが 翌年もどって きたときそれを
支払うことも行なわれている。

 非合法移民であることが発覚して、メキシコに送還された労働者を一刻も早く
自分の農園に 戻らせようと、メキシコの都市や町村の広場で、アメリカの農場
主の呼びかけも放送される。「預金」を返してもらう望みを抱いて、「貸 し」
のある労働者の多くは同じ農園に帰ろうとするという。収穫期にはとりわけ、そ
れほど貴重な働き手なのである。
 
  道路工 事や建築現場で働く多数の移民労働者は、低賃金の重労働でアメリカ
を助けていないだろうか。たとえばニューオーリンズの災害後の再建 に働く労
働者の五0%はラテン系移民である。彼 らの雇用主は、アメリカ人は決してこん
な仕事をしたがらないと口をそろえる。
 
  各種の 製造工場で働く移民労働者は、アメリカ製品の値段をかなり下げるこ
とで、アメリカの消費者を助けている。スエットショップと呼ばれる 縫製工場
に働く移民女性はその好例である。彼らの低賃金労働がなければ、縫製産業など
は現在以上に海外の製造業に頼る‘アウトソーシ ング’一点張りになり、アメ
リカの工場はほとんど姿を消すだろう。玩具や靴やキチン用品ほかの日常雑貨や
ツールのメーカーなども、現 在のアメリカで生きながらえるためには、低賃金
の移民は欠かせないと思われる。 
 
  アメリ カのレストランやファーストフッド.ストアなどは、ウエイター、ウ
エイトレス、バスボーイ、皿洗いなどのしごとを、多数の移民に頼っ ている。
 
  洗車や 芝刈りほかの庭仕事をするのも多くは移民労働者だ。家の中で掃除、
洗濯から子どもの世話までをしてくれる移民女性がいなければ、外で 働けなく
なるアメリカの女性は少なくない。かつてクリントンが法務長官に任命しようと
した女性が,自発的に指名を降りたこと があった。不法入国のお手伝いさんを雇
ったことがあるというのがその理由だった。
 
  移民たちが生活のために消費する金はアメリカの経済を助けていないだろう
か。住宅費、家具、衣服費、食費、交通費、車、自転車、三輪車、玩 具、薬
品、日常雑貨、化粧品、 美容院、文房具、家具、電気製品、ヴィデオテープや
DVD,コンピューター、カメラ、めがね、時計、 そのほか多くの消費物資。
それに母国の家族への送金手数料だけで、たとえばアリゾナには年間八〇億ドル
という金が落ちている。
 
  この稿 では、主として肉体労働者である非合法移民を扱っているのでふれな
かったが、メキシコからは高等教育を受けた移民のいることも付け加 えておき
たい。数は少なく、いうまでもなく非合法移民ではない。彼らはアメリカの望む
技術を携えて入国し、それぞれの分野でアメリカ に貢献している。
 
  メキシ コ移民は、かつての白人移民同様、異文化の魅力や異なった価値観を
通して、アメリカに新しい何かを教えてはいないのだろうか。現在の メキシコ
移民の提供する主たるものが労働力だとしても、彼らの家族愛や、くよくよしな
いで人生をたのしむ態度、彼らの内部に流れてい るにちがいない音楽や美術や
工芸の伝統は、いつの日かアメリカの血肉の一部となり、国を豊かにするのでは
ないだろうか。
 
  最後 に、秘密ではないが、広くは知られていない事実がある。好むと好まざ
るとに関わらず、アメリカは軍隊に非アメリカ市民である移民を導 入してい
て、イラク戦争のさなか三〇万人の兵士が活動的な軍務についている。彼らは市
民にとって最重要な権利である、戦場に彼ら自身 を送る政治家を選ぶ権利を持
たないまま、アメリカを守るために働いているのだ。軍隊勤務によって移民が市
民権を得る為の待ち時間は、 イラク戦争のために五年から三年に減らされた。
 
  二〇〇四年にブッシュ大統領は、アメリカの外国との紛争中に少なくとも一年
間戦闘に参 加した兵士にはさらに市民権への待ち時間を短縮し、ふつう要求さ
れる種々の資格条件も軽減した。また彼らは市民権の申請前には、本国 に帰還
する必要はない。ここで言う移民は、いうまでもなく合法移民である。
 
  CIAの World Fact Bookは、目下人口減少中の三〇カ国をあげているが、
そのうち一三カ国がアメリカの同盟国である。アメリカの人口はほぼ 一定して
いるので軍隊はおそらく現在のレベルで保たれるだろう。しかしアメリカは人口
をもっと増やし、同盟国の人口低下を補う努力を する必要がある、という声も
ある。
 
  ボラン テイア兵を募集するためにさまざまなボーナスで呼びかけているアメ
リカは今、たとえば教育費として兵士一人につき七九〇〇〇㌦までを オファー
している。現在アメリカにいる非合法移民にこの機会があたえられ、市民権への
道が軍隊応募でかなえられること になれば、アメリカ政府と移民の両方が歓迎
するに違いないという意見を、筆者は一再ならず耳にしている。
 
  また応募兵が増えれば、ナショナルガード(州兵軍、国家の緊急時には 大統領
の命令で軍隊に編入されるが、それ以外は州内で勤務をする。イラク戦争にはナ
ショナルガードも派遣されている。)は故郷に留まり、州内の緊 急事態に備える
ことができるだろうともいわれている。


◇移民はアメリカにとってマイナスか?


ところ が一方で非合法移民は、アメリカ政府の提供する公共福祉サービスを、
アメリカ市民以上に多用するといわれている。非合法移民の増加に つれて、学
校、病院、刑務所は混雑し、公共サービスの質は落ちてきた。彼らのアメリカ生
まれの子供たちは、自動的にアメリカ市民とな るので、福祉金、医療、公共教
育を受ける資格がある。

 医療保 険を持たないラテン系移民は、白人の十一%、黒人の二〇%に対して
三三%もいる。これらの人々は公共資金で病院の治療をうける。し たがって子
沢山のラテンアメリカ系の移民家庭は、アメリカ生来の家庭の約三倍の生活保護
を受けるという。
 
  多くの 病院の緊急室が、金を払えない貧窮者や移民の増加のために閉じられ
た。また国境州では、パトロールが瀕死の密入国者を病院に連れてく れば、病
院はベストを尽くして治療をする。警官やパトロールがこの病人を逮捕すれば、
費用は政府の負担になる。逮捕しなければ全額病 院の負担になる。したがって
病院の経営は傾く。いずれにしても、間接に市民の負担が増えるのは明らかだ。
一方、治癒した非合法移民 は、なんらの義務を負うことなしに、堂々と病院の
外へ歩いてゆき、そのほとんどがアメリカにとどまることになるという。
 
  ロスア ンジェルスでは、刑期にみたない囚人を釈放せざるを得ないほど、刑
務所が満員になった。それというのも、ラテン系移民は白人の二.三 倍の囚人
を出していて、数の上では、白人の六.三倍を占める黒人の囚人に次いでいるか
らだ。このため、国境沿いのアリゾナ、カリフォ ルニア、ニューメキシコ、テ
キサスの諸州では、非合法移民の犯罪者を逮捕し、告訴し、刑務所に入れる費用
が莫大なものになったとい う。

 これらはみな、アメリカ市民の税金から払われるのだから、間接とはいえ、そ
の負担は大きい。またロスアンジェルス郡では貧窮移民 の到来のために、一九
八〇年から一九九七年のあいだに、貧困者人口がほとんど倍増した。
 
  また移 民は一般に、資産といえるほどのものを持たない。したがって資産税
もごくわずかしか払わない。収入税を偽物のIDで支払う非合法移民 は多い
が、賃金を現金で支払われる場合は、まったく税金を払わない。一般にラテンア
メリカ系市民の所帯は、連邦税も州税もアメリカ家 庭の半分しか払わないと報
告されている。
 
  それに 移民の稼ぎ出す金のうちかなりの部分は本国に送金されるのだから、
アメリカの経済をさほど潤してはいないという意見もある。
 
  こうし た公共の財政負担は、カリフォルニア州を筆頭に、ニューヨーク、テ
キサス、フロリダ、ペンシルバニア、アリゾナ、ニュージャージーを 初め、今
ではさらに広がった移民人口の多い州では、ことさら厳しい重圧になる。
 
  では非 合法移民のために、直接の損害をもっとも大きくこうむるアメリカ人
は誰だろう。それは高校をドロップアウトしたアメリカ白人と黒人お よび、高
度の技能を持たないが、すでにアメリカ市民になったラテン系の合法移民であ
る。彼らの賃金は、ペンキぬり、機械工、建設労働 などで働くラテンアメリカ
系非合法移民の流入でかなり引き下げられたといわれている。雇い主によって
は、従来の従業員を解雇し、組合 もつぶして、非合法移民を半額でやとうもの
もある。

 技能を持たないアメリカ人労働者は新しい職を得にくくなり、ほぼ半分が失職
してい るという。そのうえメキシコ人を主とするラテン系移民は、白人の一
五%、黒人の二六%にたいして、四三%という高校のドロップアウト を出し
て、失業者予備軍を生みだしているのである。ラテン系移民のアメリカ生まれの
子どもの六三%が高校未卒であることも、ハイテ ク.グローバル時代のアメリ
カの必要にかならずしも合致せず、彼らのアメリカへの適応を難しくしていると
いう。
 
  それだ けではない。かなり最近までは非合法移民に向けて、もっぱら架空の
人間の偽造ID(身元証明)が売られたものだが、取締りのきびしく なった現
在では、実在のアメリカ人から盗まれた社会保障番号も売られるようになった。

就職のため、.生活保護を受けるため、あ るいは車の免許を取るために非合法移
民が高額で買い取るので、一つの社会保障番号で複数の人間が生活保護を受ける
という事態が報告さ れる。先日は八〇〇ドルを支払って番号を買い取り、ミー
トパッキングの職を得はしたが、社会保障番号から複数の人間が生活保護を受け
ていたことがわかり、投獄された女性のことが報道されていた。
 
  非合法 移民のために、かつてのコミュニテイライフが姿を消したと嘆く小さ
な市町村もある。誰もが顔見知りだった隣人意識が、多数の新移民の 到来でう
すれてゆく。かつてはアメリカの四-五州に集中していた非合法移民が全米に分
布するようになった今、移民との接触に不慣れな 地元のアメリカ人は、英語を
話せない外国人に疑心暗鬼の目を向ける。

 陸路で 最多数の密入国者が通過してアメリカ内部に向うアリゾナのコンチー
ズ郡は、めっきり増えた非合法移民のために大きな悩みを抱えること になっ
た。彼らはこの地域の住宅のプライベートな庭や畑を、群れを成して通ってゆ
く。しかもそれが、いつしか麻薬業者と麻薬の通路に もされてしまった。住民
の居住環境は、移民の残す汚物やごみで汚染されるだけでなく、犯罪が激増した。

 国境パトロールセンターには、 麻薬業者から押収した銃器類が山と積まれて
いる。銃撃や暴行や盗難なども起るようになったので、住民も安閑としていられ
ない。ある婦 人は、今まで見たこともふれたこともないピストルを買い、使い
方も習った。いつかは使うことになるのでしょうかと不安げである。
 
  すでに アメリカ市民となって久しいラテン系移民の二世、三世は、彼らの居
住地区が、新参の極貧の不法移民によって格下げされたことに大きな 不満を持
つ。新参者は小さな家に多数が押し合って住まい、芝生や樹木の手入れなどはま
ったく手をつけない。

 先住民が何年もかけて丹精 した界隈の美観がそこなわれるだけでなく、地区
全体の不動産価格をも下げるというのである。もう何年も前のことになるが、黒
人が中産 階級の郊外居住地に不動産を買おうとするとき、表向きは同じような
理由で抵抗したコミュニテイが多数あったことを思い出す。そして今 でも、暗
黙の抵抗はおとろえていないという。
 
こんな 空気の中で、メキシコとの国境州であるアリゾナとニューメキシコは、
たえまなくやってくる非合法移民による暴力、所有地や家畜の受け る損害、麻
薬密輸への対策が、州の秩序や財政を破綻させると、非常事態を宣言した。
 
  メキシ コ移民を始めラテンアメリカ系の移民は、母国ヘの愛着が非常に強い
ため、アメリカ人になろうとしてできるだけの努力をしたかつての白 人の移民
とはまったくちがうという意見も多い。ピュー.イスパニック.センターの世論
調査によれば、自分はまず第一にアメリカ人だと 考えるラテン系のアメリカ市
民は三三%に過ぎず、四四%は帰化した後も、かつての母国を自分の国とみなす
という。メキシコ出身の合法 と非合法移民をあわせると、五五%が自分をメキ
シコ人とみなし、アメリカ人と考えるものは一八%に過ぎなかった。
 
  そして それはメキシコ政府の懸命な努力の結果でもあるという。たとえば海
外メキシコ人協会のフアン.ヘルナンデス氏は、ABCテレビの夜間 番組で、
「私は三代目のメキシコ人も五代目のメキシコ人も、いやすべてのメキシコ出身
者が、何よりまず自分はメキシコ人だと思い続け てくれることを望んでいま
す」と述べた。

 家族をはなれたメキシコ移民の抱く母国への愛着は理解できるとしても、彼ら
の送金するドルの 重要さが、少なくともフアンデス氏の発言の背景にあるにち
がいない。だがこういったメデイア報道は、自身や先祖が移民だった経験を持
ち、非合法移民に対しても共感や同情を持っていたアメリカ人が、大量のメキシ
コ移民の到来に疑問を持つ土壌を作る。
 
  こんな わけで、移民のアメリカにかける負担は決して無視できない。移民反
対派にいわせると、密入国移民が来なくなれば、アメリカの農産物や 工業製品
の競争力は下がり、ある程度の自然淘汰が起こるにしても、全体として諸産業は
新しい工夫を重ねて生き延びるだろう。また、子 どもの世話のためには、今以
上に質のよい託児所や保育所が数多くでき、老人介護のためには、やはり改善し
たホームのシステムや介護ロ ボットさえ登場するだろうという。

 アメリカ人は移民なしでも、現在以上の生活費と税金を払い、重労働をもいと
わず、不便をしのぐ覚悟 があればやっていくだろう。つまり移民は、おとなし
く働いてくれるかぎり、アメリカ生活の潤滑油として望ましくはあるが、絶対
に必要なわけではないという議論である。けれどアメリカ人は実際にそんな現実
に直面したら,生活費の高騰や労働上の不 便に耐えるのだろうか。なにが、そし
て誰がその牽引力になるのだろう、国を挙げての戦争でもない限り?
 
  移民の アメリカへの功罪を評価してきたが、少なくとも現在の非合法移民
は、アメリカの利益よりも負担になっているとの声がかしましくなっ た。
 
  移民の与える恩恵と負担を統計数字で表そうと、各種のシンクタンクや大学や
研究機関が研究の 成果を報告する。しかし多くの場合、その機関が保守的であ
るかリベラルであるかによって、諸種の統計数字を通しての結論さえも、移民
反対に傾いたり、移民支持になったりするので、明確な決め手にはならないとい
う。さまざまな資料にあたった筆者自身もこの意見に同感 せざるを得ない。さ
らに、政治家が移民支持になるか移民バッシングにくみするかは、最終的には選
挙区の投票者の思惑に支配されるもの が大半を占めるのである。