【コラム】
大原雄の『流儀』

私論:『オルタ広場』オンライン・ジャーナリズム論

大原 雄


 落語家の桂歌丸さんが、7月2日に亡くなった。81歳。あと一月もすると、82歳だった。歌丸師匠には、高座以外で2回接触があった。1回目は、テレビ番組「笑点」での「喧嘩相手(ライバル)」という演出で、競い合っていた三遊亭小圓遊(前名・金遊)が、1980年10月に亡くなった時(享年43)。NHK社会部の遊軍記者だった私は、小圓遊逝去の報を電話で歌丸さんに知らせ、小圓遊さんへの思いを聞いて、そのコメントを原稿に書き、訃報本記とともに、直近のNHKのニュースの中で伝えたのだった。実力派の小圓遊さんへの惜別の思いを語ってくれたのを覚えている。
 2回目は、直接会う機会に恵まれた。28年後。08年3月、ある賞の授賞式のパーティ会場で同席し、祝意を述べて話をした。その時、私は、「28年前に小圓遊さんが亡くなった時にNHKの社会部から電話取材を受けたでしょう。覚えていますか」と聞いたところ、覚えておられたので、「その時、電話したのは、私です。コメントを戴き、原稿を書き、NHKのニュースで放送しました」と打ち明けました。それをきっかけに、パーティ会場で話が弾んだのを思い出した。

 その歌丸さんの逝去を各メディアが伝えていたが、新聞で言えば、ニュースバリューを判断の上、訃報本記・関連1(略歴、人となりなど)・関連2(知人、識者、ファンなどのリアクション)という構成で紙面を埋めるだろう。オンライン・メディアの『ハフポスト(後述)』が、署名入りで記事を掲載している。既成メディアと違う視点がある。その中で、1936年生まれの歌丸さんは、戦争体験(戦後70年の2015年のNHKインタビューが元)について、次のように語っている、という。

 「人にそんなこと(戦争について)伝えられません。それは個々に感じることです。自分自身で経験して自分自身で判断しているんです。(略)口では言えますけれども、ご存知ないからそれは身をもって体験することはできません。けれども伝えていくべきだと思います。(略)日本は二度と再びああいう戦争は起こしてもらいたくないと思いますね」。

 歌丸さんの落語を語る姿勢の根底には、9歳までの戦争体験への、こういう思いが秘められていたのだろう。反戦平和の意志。次世代への伝え方の難しさ。この「ハフポスト」の記事には、新聞の速報と違う味わいがあるように思う。
 以下、今月は、『オルタ広場』を絡めて「オンライン・ジャーナリズム」論を展開してみたい。

(目次)
 1)オンライン・メディアとしての期待
 2)オンライン・メディアとは
 3)オンライン・メディアの現況
 4)『オルタ広場』の位置づけ
 5)メールマガジンからオンライン・ジャーナリズムへ

◆ 1)オンライン・メディアとしての期待

 メールマガジン『オルタ』が、卒寿を超えても編集長として現役で活躍し続けてきた加藤宣幸さんの逝去を乗り越えて、新しいインターネット・メディア『オルタ広場』として生まれ変わろうとしている。18年5月20日に刊行されたメールマガジン『オルタ』(通算第173号)は、『オルタ広場』第1号として名乗りを上げた。私も意気に感じたので、今回の「大原雄の『流儀』」は、私の「流儀」らしい形で『オルタ広場』への応援歌を書いておきたいと思う。

 テーマは、新しい『オルタ広場』は、オンライン・メディアとして期待したいという願いを込めて、私の半可通の理解という状況を充分に自覚しながらだけれども、インターネット・メディアの世界について敢えて筆をとってみたいと思う。IT用語は、用語と現実の変化のいたちごっこで、技術の進歩が用語を追い越し、どんどん用語の意味合いが変わって行くように思える。

◆ 2)オンライン・メディアとは

 オンライン・メディアとは、何か。大手マスコミ、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど既設の情報発信メディアとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などのインターネットを使った、個人的な、あるいは、限られたグループ内での情報発信メディアの中間あたりの機能を狙うのがインターネットのオンライン・メディアではないか、と思っている。

 インターネットに馴染みがない、あるいは、私のような初心者の読者のために、SNSについては、少し補足的な説明をしておこう。SNSとは、インターネットを利用して従来のメディアを超えるメディアである。電話、パソコン(ブログ、掲示板)などで新たな人間関係(ヒューマン・コミュニケーション)を構築することを目指す活動の延長線上に位置するスマートフォンなどの携帯パソコンのためのWebサービスのことを言うといえば、判りやすいだろうか。

 インターネットの世界に情報を発信するにしても、個人的な、あるいは、限られたグループ内での情報発信メディアであったブログや掲示板では、一方的な「情報の発信」が主であった、と言えるだろう。しかし、SNSでは、一方的な「情報の発信」にとどまらず、双方向的な「情報の共有化」や「情報の拡散」までも機能できるようになる。つまり、未知の他者への情報の発信、未知の他者との第一次的な情報の共有化、さらに第二次的な情報の共有化=未知の他者への情報の拡散(繋がり)を目指す、と言えるのではないか。

 今、巷で流行っているSNSでは、利用者が多いもので、例えば「フェイスブック」がある。基本的に実名登録で、文章、あるいは、文章に添付する形で、静止画(写真)、動画を「投稿」することができる。いわば、インターネット上の「投書」欄とでも言えば判りやすいかもしれない。実名なので、知人、友人、知人の知人、友人の友人という形で、コミュニケーションを楽しむことができる。

 次に、「ツイッター」。こちらは、文章、あるいは、に添付する形で、静止画(写真)、動画を「投稿」することができる、という点では、フェイスブックと一緒だが、こちらの投稿は、文字数は140字までと制限されている。短文で書く(ツイート)ので、文章力や記述の論理性などが苦手な人も投稿しやすいという面を持つ。また、フェイスブックと違って、実名にこだわらずに、匿名での発言も許されるので、自由に気兼ねなく投稿できる。

 「リツイート」といって、読者が良いと思った他人の投稿を、自分の感想を添付して自分のフォロワー(愛読者)に推奨できるので、他人への繋がり(拡散)が促進されることになる。しかし、その弊害として、時には、匿名の裏に隠れて、他人の誹謗中傷、ヘイトスピーチなどの「脱線発言」をする人も出やすい、という欠点があると思われる。ひとたび、インターネットの世界に発信されると、その情報は取り消すことができないので、慎重な責任のある投稿が大事になる。さらに、投稿のキーワードを示す用語に「ハッシュタグ」(#〇〇)という記号を入れて投稿すると、記号付きの投稿が、検索画面上で一覧できるので、検索しやすい(されやすくなる)という機能も付いている。

 オンライン・ジャーナリズムが、こういう投書メディアとしてのSNSとどういうところが違うかというと、SNSも投稿者によってはジャーナリズム精神を持っている人もいるだろうが、通常のSNS参加者たちは、自分の意見表明である「投稿」を主としていることで判るように、自分の意見を発信することを最優先していることだろう。これから、論を展開しようとしているオンライン・ジャーナリズムでは、自分の意見を発信するというだけでなく、ジャーナリストとしての経歴を持ち、あるいは、現在も現役で活動している人たちが、自分たちの職域でもあった紙媒体や電波媒体の代わりにインターネットの世界に、無償ボランティアで身を投じ、「投稿」の域を超えて、「評論」を発信する、という新しい言論世界を構築する試みとでも言えば良いのかもしれない。

◆ 3)オンライン・メディアの現況

 電子版からオンライン・ジャーナリズムへ。インターネットの世界に乗り出したジャーナリズムは、私の認識では、既存の紙媒体や電波媒体の、いわば「副業」という形で、最初は姿を見せたように思う。まず、大手新聞社は、何百万部という発行部数を誇らしげに掲げながら、若い人たちの新聞離れに危機感を感じ、若い人たちが率先して馴染んでいるデジタル、インターネットの世界に、新聞社の軒先の一部を貸し始めた。新聞記事のデジタル化サービスである。
 いずれは、紙媒体からデジタル媒体に新聞の発行形態が変わって行くだろうし、その時になっても慌てないようにと、新聞社の若手あるいは、窓際族にインターネットへの細道を作っておいてほしい、というような形で始めたのではないのか。それは、紙媒体だけでなく、テレビ、ラジオなどの電波メディアも、ほぼ同様な心理状況で、デジタルの世界に乗り出したように思う。
 今も、既成メディアの姿勢は、紙媒体(新聞・雑誌・通信)、電波媒体(テレビ・ラジオ)の副産物としての「電子版」という形から、離れてはいないのではないか。あるいは、果敢な既成メディアが、インターネットの世界での独立への志向を強めだしただろうか。こういう既成メディアは、それぞれの本来のメディアで商品化した記事や番組を、そのままデジタル化して、インターネットの世界に飛び込んできた。ラジオの音声でさえ、デジタル化された文章として記録され、インターネットの世界に入ってきている。従って、私の目から見れば、オールドメディアの衣を身にまとったまま、デジタル化しただけの「商品」は、まだ、独立したオンライン・ジャーナリズムとは、呼び難いだろう、と思う。

 次は、「プラットフォーム」について語ろう。「プラットフォーム」と言えば、誰にも判りやすいのは、電車が出入りし、乗客が降り乗りする、あるいは、荷物を降ろしたり、積み込んだりする、あの「プラットフォーム」のことだろう。駅という機能を持つ場にとって、いわば「土台」(基幹)となるような装置のことだ。インターネットの世界でも使われる「プラットフォーム」もIT用語としては、いろいろな意味合いがあるようだが、機能的には、駅機能のこれと少しも変わらない。電車の代わりに、インターネットを使い、乗客の代わりに情報を降り乗りさせる場。そういう装置のことだ。

 既存メディアが、電子版の情報を店先に並べ出したが、インターネットの世界の先住民である若い人たちは、そういう頭の高い老舗の、殿様商法のようなショーウインドウを覗き込んで、店先にある商品に目を向けたりはしないだろう。
 ならば、代わりに商品を並べてやるよ、とでも言うように、インターネットの世界にも、「プラットフォーム」として、デジタル情報の土台のひとつとなる機能、情報配信プラットフォームの機能が存在感を示し始めたのだ。

 私が、インターネットの世界での情報配信プラットフォームとして、思い浮かべるのは、例えば、「YAHOO! JAPAN(ヤフー)ニュース」、「グーグルニュース」、「スマートニュース」など。

 新聞社などが、既にある紙媒体の情報をデジタル化の商品として売り出したように、情報配信のプラットフォーム各社は、既にある情報を活用して、読者に読みやすいようにショーウインドウに並べて、自社のプラットフォームを飾りだしたのである。

 そして、日本でも登場したのが、オンライン・メディアであろう。とりあえず、その具体的な例として、「バズフィード」と「ハフポスト」について説明しておきたい。この二つは、もともとはアメリカのインターネット・メディアであり、最近、日本に進出してきた。

 「バズフィード」は、2006年にアメリカで設立され、幅広いニュースを網羅することを目指し、2011年には、ライバルメディアからスタッフをヘッドハンティングして編集長に据えて、もともと提供していたエンターテインメントに加えて、ハードなルポルタージュや評論などへと守備範囲の幅を広げてきたオンライン・ジャーナリズムのグローバルなメディアである。「バズ」とは、「蜂がぶんぶんと飛ぶ音」を意味している。「口コミ」という意味を象徴する。また、「フィード」とは、本来は、餌を与える、食ものを供給するなどという意味である。「拡散」を象徴する。「バズフィード」は、インターネットの、いわば「口コミ」によって、ニュースサイトの記事や画像(静止画、動画)が拡散されてゆくことを表している。

 日本では、「バズフィードジャパン」として、2015年に設立された。アメリカのバズフィードと日本のヤフーのジョイントベンチャーで、バズフィードの拠点としては、オーストラリア、ドイツなどに次ぎ、日本は12番目になる。2016年4月から元クリテオ代表取締役兼アジア太平洋地域最高責任者が社長になり、2015年からは元朝日新聞デジタル編集部の古田大輔を引き抜き、創刊編集長として据えている。日本でもオンライン・ジャーナリズムの確立を目指しているのだろう。

 「ハフポスト」は、2005年に創設されたアメリカのオンライン・メディア。もともとは、「ハフィントンポスト」と名乗っていたが、設立者であり編集長であるコラムニストのアリアナ・ハフィントンに因む。つまり、「ハフィントン新聞」という命名であった。

 2013年「ハフポストジャパン」が設立され、運営は、朝日新聞との合弁事業である。編集長は、歴代、朝日新聞のOBが務め、記事の執筆は朝日新聞が担当している、という。日本版のターゲットは、団塊ジュニア世代だ、という。多才なコラムニストが執筆する論説のほか、オンライン・メディアからのニュースを紹介するプラットフォームの機能も担い、政治、経済(ビジネス)、エンターテイメント、メディア、生活など幅広い分野を扱うオンライン・ジャーナリズムである。2017年4月に「ハフィントンポスト」から「ハフポスト」に改称された。「バズフィード」も「ハフポスト」もこうして、概要を簡単にスケッチしてみると、アメリカ生まれ、日本版設立、編集陣は大手新聞社OBという構図が透けて見えてくる。

 オンライン・メディアの現況としては、デジタル化された記事が、さまざまな形で読めるようになってきた。評論、コラムなどの署名記事、匿名記事、無署名記事もデジタル化された記事の群れに飛び込んできている。さらに静止画、動画という映像、音声なども、パソコンやデバイス、スマートフォンなどのさまざまな端末を経由して、受け手に情報として伝えられている。こういうインターネットのデジタル化された情報の海の中で、メールマガジン『オルタ』は、新たな『オルタ広場』として、どう変貌してゆけばよいのだろうか。

◆ 4)『オルタ広場』の位置づけ

 ここで、簡単な年表を作ってみよう。

「ハフポスト」:2005年アメリカ生まれ、2013年日本版設立。
「バズフィード」:2006年アメリカ生まれ、2015年日本版設立。
『オルタ』:2004年創刊。現在通算175号。2018年『オルタ広場』に改称。7月現在、改題第3号。

 『オルタ』は、加藤宣幸・前編集長が2012年4月に執筆した「オルタ100号を歩んで」によれば、紙媒体の同人誌「余白」の編集長・久保田忠夫さんが急逝した後、「『余白』が掲げた『戦争・国家・人間』というテーマを引き継ぎつつも、全く新しく平和のためのオルタナテーブな発想を目指すwebメディアとして、メールマガジン『オルタ』が創られた」という。創刊時、数人で始まった執筆陣は、100号の時点で180人を超え、現在の号までのオルタでは、ざっと数えても400人を超えているようである。

 さらに、通算173号では、『オルタ』から「より開かれた形で」という願いを込めて、『オルタ広場』に改称し、2018年5月の改題1号(通算173号)となった。「無差別な層を対象とする商業用のwebメディアと比べれば大した数ではないが」と加藤宣幸・前編集長は書いていたが、世界的なオンライン・ジャーナリズムの潮流の中に位置づけてみれば、メールマガジン『オルタ』は、その小史からして、日本版の「ハフポスト」や「バズフィード」と肩を並べるような存在感を持っても、おかしくはないような気がする。商業用のwebメディアと数を競い合う必要はさらさらないが、『オルタ広場』も、改称を機会に、メールマガジンからオンライン・ジャーナリズムの一翼へと、脱皮するような気概を持って、毎月、情報発信し、一方的な配信にとどまらず、読者の手による拡散も促進するような流れになるようにしていっても良いのではないか、と思う。

 『オルタ』は、アメリカのオンライン・ジャーナリズムの創設とほぼ時期を同じくしながら誕生し、加藤宣幸・前編集長の果敢な試行錯誤をも克服する弛まぬ地道な努力を積み重ねながら、大きく変貌してきたように思う。資本力や組織的には、大手新聞社をバックにした者たちと競う気はないが、ジャーナリストの精神は、アメリカのオンライン・ジャーナリズムが歩んできた道とそれほど振幅がない形で積み重ねてきたのではないか、と思う。加藤宣幸さんの穏やかな人柄を思い出しながら、加藤さんにそういう私の思いを語りかけたら、耳を傾けてくださるような気がする。そこで、以下のような提言をしてみたい。

◆ 5)メールマガジンからオンライン・ジャーナリズムへ

 『オルタ』のバックナンバーは、データの宝の山ではないのか。創刊14年で初期のオルタに掲載された論文やコラムは、データ的に古くなったものもあるかもしれないが、古いものは古いもので、視点を変えれば、歴史的な意味を持つものだろう。ならば、『オルタ』掲載の過去の論文やコラムを一般読者にも読みやすくするような工夫をする必要がある。例えば、データの根幹となるキーワードからバックナンバーの当該論文・コラムを探し出せるような、検索システム、つまり、キーワード検索を導入できないか、という提案がある。

 『オルタ』の最新号の配信に加えて、各プラットフォームを利用して、拡散するようなこともできないだろうか。そのためには、『オルタ広場』を『オルタ』時代のメールマガジンの段階から、オンライン・ジャーナリズムの次元のメディアとして飛躍させるために、明確な認識を持つ必要があるのではないか。

 『オルタ』には、「編集委員」という制度があったし、今もある。私も編集委員制度開始の時点から委員になっていたが、一度、編集委員委嘱の会食会が開かれただけで、その後、ほとんど機能しなかったような印象が私にはある。編集委員制度を活性化させる必要がある。編集委員の実働化、定期的な編集委員会議開催、毎号の編集方針の決定、『オルタ広場』の基幹方針の検討など、編集委員制度については、幾つかの課題が頭に浮かぶ。オンライン・ジャーナリズムのメディアとして、明確な認識を持つのは、まず、この編集委員たちではないのか。

 『オルタ広場』刊行を安定化させるためには、財政基盤の強化も必要だろう。言論表現の自由、執筆者の独自性の担保などを保証しながら、寄付金を集めたり、有料広告を増やしたり、できないものか。編集委員と編集部で知恵を絞るべき課題の一つだろう、と思う。

 そして、何よりも大事なのは、人材などの確保と具体的な実践だろうけれど、それは、今の段階では、私には手にあまる。皆さんとの議論の上に筋道を練り上げて行きたい。とりあえず、今回は、誤謬をものともせず、アイディアをスケッチしてみた。ご寛容いただきたい。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)

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