【戦後70年を考える(4)私にとってのアジア】

私にとってのアジア

早川 勝


 アジアは広く、しかも深い。中国の広さと歴史の長さと人口の多さに圧倒されたアジアとの関わりも、ヨルダン、イスラエルを訪れ、インドの真夏と人の汗を知る機会を得、フイリッピン人の生活環境の悪さを見て、アジアの多様性を知るとともにあらためて、アジアはどこまでがアジアかと考えた。
 東アジアから東南アジア、南アジア、西アジア、さらには中央アジアから北アジアへと範囲は広がってきている。地球人口の圧倒的比率は中国、インドの二大国をはじめにアジアが占めているし、エネルギーの石油資源は中東、西アジアにある。海洋国家に大陸国家、工業国家、農業国家、石油輸出国家、金融国家等、様々。歴史も紀元数千年の国から新興の国まで、宗教面でもヒンドゥー教、仏教、キリスト教、イスラム教等々、生活文化の異なりはいうまでもない。
 アジアは人も国も社会も多様、多相、複雑、混迷、混在の地域であり、いまその地域が動きを強め、エネルギーが発散されている。文明を生活面から総じてみると決して高い地域とはいえないだろうが、反面、ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教の発祥はアジアであり、倫理的にみた儒教もアジアからうまれてきた。それは、アジアの深さのあらわれでもある。

 いま、世界は大きな混沌の中にあり、西欧文明からの転換期にあってもいまだ、その方向も曙光も見い出せない状況に直面しているという。アメリカはイスラム世界で羅針盤を失った船のように漂流し続け、EUは通貨統合でつまづいて政治統合の目標ははるかな先に遠ざかったし、ロシアとの摩擦も冷めない。ヨーロッパ的思考、すなわち一元的思考=二者択一論で中間的存在を認めない思考と行動の限界が露呈したのではないかと思う。多様性と多面性、非統一性の思想と生活態様の国と社会がモザイク様に存在する地域であるアジアから、旧来の西洋合理性を越えた社会発展思想がうまれることを期待したいし、可能性は大きいと展望をもっている。経済の発展から“アジアの時代”といわれたことがかつてあったけれども、新世紀を拓く、アジアの時代の“今”を見ていきたい。

 そこで、日本の果たすべき役割といえば、特定の国とのパートナーづくりよりも多数の国とのネットワークづくりに努めることである。アジアの中で信頼されて、しかも世界的にも評価されるためには、多重、多層のネットワークを築き、積極的な活動をすることであり、戦後70年間の基本指針である国際=多国間協調と相互信頼の平和環境の醸成である(アメリカとの同盟強化は時代逆行の錯誤)。

 具体的には、「非核三原則=持たず、つくらず、持ち込ませず」を核の非保有国の国是にひろげ、保有国には持ち込ませず、使わせないを国是にさせて、当面のアジアの核ルールを確立すること。
 つぎに日本の特徴であるモノづくりの技術開発と発展に創造的役割をはたすこと。環境、省エネ開発、医療、福祉分野でのハード・ソフト両面で、研究・応用の先導的地位をめざすこと。アジアの技術と人材育成の拠点となる一方で、たとえば、アジア各国の伝統医学の集合拠点としての「アジア伝統医学研究センター」を設立して、西洋と東洋の結合から「中庸医学」の創造をめざすこと。
 さらに、日本をアジアの学術、文化の研究機関の一大集積地域にすること。日本は極東に位置し、西アジア以東の学術・文化の終結地であり、しかも西洋の文化に日本的な特質を含む多文化共生・寛容の文化国であり続けた。その延長線上に21世紀に生きる日本をめざすこと。

 (筆者は元豊橋市長・衆議院議員) 


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