≪小特集;教育基本法≫

■教育基本法改正を先取りした石原都政で何が起きたか   大河原 雅子

    ~基本法改正に思う~
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 とうとう教育基本法が改正された。「教育は国家百年の計」といわれるが、余
りにもあっけなく改正された。「改悪されてしまった」と、書いたほうが状況的
にも内容的にもぴったりするのだが、何でもできる巨大与党を前に有効な抵抗の
すべもなく、国会内の限られた議論に食い込んでいけなかったものとしては、
少々冷めた・自虐的な物言いになってしまうことをまず先に弁解しておきたい。
しかし、改正教育基本法を先取りしたかのようなこの間の石原都政を点検し、今
となっては失われた教育基本法とその精神を忘れず活かして、今後の対応に備え、
展望と戦略を切り拓きたいと思う。

●私の立ち位置

 安倍政権の最重要法案とされる教育基本法改正案が、衆議院では11月16日与
党の単独採決で、また、参議院では12月14日の特別委員会の採決を経て15日
に成立した。私は、
 生活者ネットワークの一員として、また、それ以前に個人としても戦後民主主
義悪玉論から教育基本法の改正をねらい、さらに憲法改正で日本を戦争のできる
国へと再び誘導しようとする動きに対して、警戒と抗議の声をあげてきた。当然
のことながら、国民的な議論のないままの教育基本法の改正・改悪には反対して
きた。しかし、悲しいかな、教育基本法は名前こそ知られているものの、成立の
経緯や意義など内容は余りにも知られていないのではないだろうか。憲法は学ん
でも教育基本法を学ぶ機会は、学校を通じてもなかったように思う。だから、今
回の教育基本法の改正論議にも、決定的に欠けているのが一般国民や、特に当事
者としての子どもや親の議論だ。

 なるほど、憲法に則って制定された教育基本法は、教育の目的、機会均等、義
務教育、男女共学、学校教育など11条の簡素な条文はわかりやすく、美しいと
思うほどだ。だが、看板は美しくとも、その下で学校が「教育の場」としての機
能を失い、子どもにとっても教師にとっても、保護者にとっても信頼の置ける場
所でなくなっているのが現実だ。学校教育の抱える問題は大きく誰の目にも明ら
かだった。学校は、その地域を形成する多様な市民の子どもたちが、それぞれに
異なる暮らし方や一人ひとりの個性の違いを受け止めながら、学び・遊び・時に
はぶつかり合って、子どもたちが育つ場所であったはずだ。しかし、そこでは画
一的な指導の下で、ともすれば同質性の追求や詰め込み主義が幅を利かせ、その
息苦しさからいじめや不登校、校内暴力、学習からの逃避を引き起こしたと考え
られる。
 実際、こうした学校教育が抱える課題に対しては、一部の専門家だけが解決策
を議論しても解決には至らないことを実感している。そのため、教育の分権と市
民参加で学校を子ども・親・先生や地域の人々が共に学びあいの場とすることを
提案し、同時に、文部科学省→教育委員会→学校という中央集権的な指導系統の
廃止と、それに代わる学校評議員制度の再構築で地域の独自性を活かした民主的
な体制作りを主張してきた。
 学校の主役であるべき子どもの人権は、時として教師による指導という名の強
制やいじめ・体罰・虐待といったかたちで踏みにじられてもきた。事件発覚の際
にも、学校が子どもよりも教師の擁護に熱心であることは学校という“役所”の
一つ傾向であることは広く知られている。児童・生徒はあくまでも、保護と指導の
対象である、成長途上の半人前の存在として扱われてきたのだ。

●石原知事以前の東京の教育

 東京は良くも悪くも日本の首都として、その教育環境も特殊であるといわなく
てはならいない。人口の多さはいわずもがなであるが、都立高校は人口の最大時
に合わせて学校を配置し、それでも足りない部分を私立学校に依存してきた。少
子化が始まると適性配置と称して学校の統廃合が始まり、多様な学びの要求に応
えるため特色ある学校づくりが計画された。入試制度の改革とともに学区が廃止
され、受験戦争の緩和を意図した制度改革やゆとり教育の推進よりも、私学の隆
盛に対抗すべく「強者の論理に教育再編」につながる傾向も散見された。都立高
校の凋落傾向に歯止めがかからず、もはや「都立なら浪人はあたりまえ、現役合
格なら私立高校へ」という風潮がおこり、後に知事が提唱するナンバースクール
復活・進学重点校の指定を望む潜在的なニーズが醸成されていったと考えられる。

 国でも教育改革が叫ばれ、それを先取りする位置にいた東京都ではあったが、
実際の都立学校は高校と養護学校であり、権力の源泉はなんといっても教職員の
人事権をもっていることにある。 義務教育の小・中学校は市区町村の役割であり、
自治体の教育委員が比較的多様な、実質的な委員の選任が行われていたのに対し
て、東京都教育委員会の委員は国の教育審議会委員の経験者も多く、年齢の高い
男性に偏り、個々の人物の経歴や教育観についての情報提供もしないままに議会
に同意が求められ、実態としては名誉職的な人選が主だったといわざるを得ない。
教育行政への都民意見の反映は石原知事以前から、十分とはいえない状況であっ
たことは明らかである。

●東京都に子どもの権利条例の制定を!

 一方、管理教育が拡大するなかで、80年代から90年代にかけて市民の活動が
活発化したことは重要である。いじめや不登校の深刻化に対して、冒険遊び場の
活動やフリースクール、虐待防止センターの活動やチャイルドライン(子ども電話
相談)が、やむに止まれぬ市民の手によって各地で始まったことは見逃せない。子
ども自身を権利行使の主体と位置づけ、旧来の「子ども観」を画期的に転換した
のが、79年の国際児童年に提起され、94年には日本も批准した国連・子どもの
権利条約だ。これらの活動は、子ども観を大きく転換した子どもの権利条約の精
神に則ったものでもあった。
 通常、子どもの権利を保障する義務の担い手は、政府や行政、保護者、養育・
教育関係者であり、これを周知・広報する対象も大人だ。だが、子どもの権利条
約の画期的な点は、その第42条に「締約国は、この条約の原則および規定を、
適当かつ積極的な手段により、、、、、、子どもに対しても同様に知らせること
を約束する」と定めている点にあった。
 深刻化するいじめや虐待など子どもの権利侵害に対して、都は児童福祉審議会
の意見具申を元に、第三者機関的な役割を担う「子どもの権利擁護委員会」を立
ち上げ、根拠となる条例の制定で、本格実施を目指す方向性を持っていた。

 生活者都市東京を標榜し、青島都政で約束されていた条例制定は、石原都政の
誕生であっけなくお蔵入りとなり、代わって石原知事が発表した「心の東京革命」
が都政を席巻し始めた。「権利主体」として新たな子ども観が都政に着床するまも
なく、石原知事の登場で子どもは保護される存在として、また、しつけの対象と
して強化され、子どもには「叱られる権利がある」とまでの曲解が確信犯的に行
われた。
 これに対して、子どもの権利条例を都に作るための請願活動が取り組まれ、1
3万筆に及ぶ請願署名が議会に届けられたが、残念ながら継続審議の末、請願は
議会の任期満了・改選とともに廃案となり、その後、権利擁護委員会は児童福祉
審議会のもとに専門委員会として位置づけられ、相談電話「東京子どもネット」
は、市民と専門家が見守る中で、かろうじて維持されており、全国的にいじめ苦
自殺が多発するなか子どもの心に寄り添う子ども電話として有効に活用されてい
ることは、将来への希望の光でもある。

●石原知事の登場

 1999年、石原知事は10本の公約を持って、最後の候補者として名乗りをあげ、
圧倒的な人気で知事の座を射止めるが、その10番目の公約が「新しい道徳教育
にYES、人が生きていく上で当然の心得を伝える教育、失敗を責めるのではなく
セカンドチャンスを与える教育を実践します」というものだった。そして、この
公約は翌2000年に、「心の東京革命」として発表された。子どもは大人を映し出
す鏡であり、「心の東京革命」は戦後民主主義をはき違えた大人に向けて発信する
というものの、勢い「子どもに挨拶をさせよう」などという、しつけ重視の徳目
教育が、古い家族観のまま発信された。知事がイメージする父親の復権と祖父母
の同居する3世代家族は、東京の世帯のわずか3%しか存在しない希少な家族モ
デルであり、国家主義的な徳目重視と新たな教育統制の先取りといえる。知事の
肝いりで立ち上げられた「心の東京革命」は全都で展開され、区市町村はこれに
追随して、従来の事業にまで「心の東京革命」と冠して補助金を獲得するような
状況まであったという。他方、条例制定が目指されていた「子どもの権利擁護」
関連する活動は、行く手を阻まれ、事実上の凍結・お蔵入りとなっている。知事
は2期目にあたっては、これまでの日本にない大学をつくることを公約し、都立
の4大学を強引に統合・再編するなど腕力を発揮し、行動学者や哲学者の言葉も
確信犯的な曲解や都合のいいところだけつまみ食いして乱用する無責任は目に余
るが、こうした知事のキャラクターを都庁の官僚が積極的に使っていると見える
節もある。

●都政に何が起こったか?

 トップダウンの決断と側近重用の密室政治は、“お友だち人事”と呼ばれるブレ
ーンや審議会委員の登用となり、取り巻きの議員や都庁官僚がさらに知事の意向
を増幅する。
 しかし、実際には、都庁や国は、石原知事という“余人に代え難い“人材を得
て、念願の事業や改革の推進に利用しているとも見える。国旗・国歌の押し付け
やジェンダーフリーバッシング、性教育批判や新しい歴史教科書の採択問題など、
知事の元来の興味の外にあるようなものまでもが動員されている。ジェンダーフ
リー問題では、正確には「誤ったジェンダーフリーの考え方に基づく男女勘合名
簿の使用には十分配慮すること」とする通知を都立高校に配布した事態に象徴さ
れるように、都立高校への通知を基礎自治体の教育委員会にまで「通知の写し」
を送りつけるなど、教育委員会の独立性を東京都自らが形骸化させ、統制させる
ものとなった。同様に、養護学校の再編ありきで進んでいる特別支援教育は、イ
ンクルーシヴな教育の実現には程遠く、「能力に応ずる教育を受ける機会」という
新たな差別化の問題にもつながりかねない。

 銀行税やディーゼル規制など都民の喝采を受ける一方で、女性財団の廃止や外
国人留学生への規制強化など、人権政策と子どもや女性政策は、石原都政の下で、
確実に大きく後退した。国旗・国歌の押し付けは、教育委員会の変質を如実に示し
ている。教職員の大量処分は、違憲判決がでたが、そのこと自体の意味も多くの
都民には届いていないことは、教育基本法の改正が国民不在のまま進められてし
まったこととも相通じるものと思う。
               
●改正教育基本法の施行に何をすべきか?

 「教育に対する不当な支配」の解釈でも、いろいろな議論があったが、石原知
事の意向を汲んだ「東京都教育委員会」の学校、区市町村への“不当な介入“は、
現場を混乱させ、議論を萎縮させ、本来子どもを中心に地域がどうあるべきか、
という地域コミュニティのあるべき姿までも強引な価値観で捻じ曲げようとして
いる姿が見えてくる。これらの問題を振り返れば、教育基本法の改正から派生し
てくる問題も明らかである。
 改正法には、「生涯学習」「家庭教育」「幼児期の教育」など新たな条文が7つ
も新設されている点を注視し、特に、教育の分権と自治に反する「教育新興基本計
画」の問題点を広く議論していかなくてはならないと思う。教育推進計画への関
与とともに、たゆまず自治体への分権を求める活動を行う必要がある。今後、学
校教育法や、学習指導要領がどう改正されるのか、非常に懸念される。東京で、
基本の改正以前にすでに石原都政で起こったことを広く市民に知らせ、さらに、
子どもの権利条約の子どもの意見表明権、参加権を確保し、情報公開と参加で自
ら解決し、教育権を獲得しようとする運動に盛り上げていきたい。
(筆者は前都議会議員・前東京生活者ネットワーク代表・現民主党東京都参議院
選挙区第4総支部長 )

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