■海外論潮短評(29)         初岡 昌一郎

-生まれ変わったロシア ― モスクワの外交政策を再点検する

───────────────────────────────────
 アメリカの代表的国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』11/12月
号に、表記のタイトルの論文が掲載されている。ソ連体制崩壊後はロシアの前途
について華々しく論じられた時期があったが、プーチン政権の安定以後、ロシア
は国際論壇から忘れ去られた感がある。この論文は、ロシアの国際的な位置とそ
の国際的な政策を全般的に取り上げた、近年数少ない本格的論文として評者の関
心を惹いたので、その骨子を先ず要約して紹介する。論文の筆者は、カーネギー
財団モスクワ・センター所長ディミトリ・トレーニンである。名前から推測する
と、ロシア系アメリカ人である。日本の保守系学者と政治家が作っている安保研
による日露シンポジュウムに、ロシア側の一員として参加した経験を持っている


■ソ連崩壊後のロシアの新しい国際的位置


  アフガニスタンからの撤兵とベルリンの壁撤去、それに続くソ連崩壊から約2
0年がたった。その間にロシアは共産主義を放棄し、帝国を失った。その代わり
、ヨーロッパとアジアの周辺部に心地よく座しており、ムスレム世界とほどほど
の距離で付き合っている。

 1990年代には、モスクワは西欧との統合を目指していた。西欧はロシアを
身内として受け入れる気持ちがなく、ロシアのエリートは国内外で翼賛的な保守
主義を政策路線として選択したので、こうした努力は失敗に帰した。二期目のプ
ーチン大統領は入欧という目標を放棄し、独立した大国として振舞うという、必
ずしも本意ではないオプションに回帰した。再設定された目標は、近隣諸国をソ
フトに支配し、アメリカ・EU・中国の世界的パワーセンターと肩を並べ、グロ
ーバルな多極的秩序の一端を担うことである。

 しかしその後、この政策路線は失敗と欠陥を露呈している。その大きな原因は
、エネルギー依存の経済を改革する意思と能力を政府が持っていないこと、ロシ
アの政治が競争を排除する性格を持っていること、ナショナリズムと孤立主義の
傾向が強いことにある。外交政策から診ると、ロシアの指導者は失われえたソ連
帝国の清算を怠っている。あたかも、21世紀のグローバル化した市場につなが
るドアと、19世紀のパワーゲームに入るドアという、まったく異なった門戸を
同時に通って、20世紀から抜け出そうとしているようだ。
 
  ロシアの現在の指導者が選んだモデルは、発展抜きの成長、民主主義抜きの資
本主義、国際的魅力無しの大国主義政策であり、長続きしないものである。ロシ
アはその外交政策の主要な目的を達成できないだけではなく、即時のコミュニケ
ーションと国境の開放をますます特徴とする世界に更に立ち遅れることになる。


■冬眠の終わり ― 国際活動の再活発化


 ロシアが入欧を断念したとき、始めたのがCIS強化である。これは、バルト
三国を除き、旧ソ連邦諸国を結集したパワーセンターを作ることである。これは
ソ連の復活ではなく、これらの新生諸国の政治的忠誠心を確保し、ロシアのビジ
ネス権益とロシア文化を拡大する意図によるものである。メドベージェフ大統領
は、この地域をロシア連邦の特殊権益圏と呼んでいる。

 昨年の対グルジア戦争の勝利がこの主張を強めた。対照的に、アメリカは立場
を失った。先ずブッシュ政権は、南オセチアにたいするグルジアの無謀な行動を
抑えるのを怠り、ロシアにワシントンの意図に疑念を抱かせる挑発をおこなった
。そして、戦争が始まるとグルジアを助けることを怠り、ロシアと国境を接する
諸国にアメリカに対する安全保障上の信頼性を失わせた。

 ロシアが圧倒的な武力でグルジアから南オセチアとアブハジアを分離独立させ
たものの、CISの集団安全保障条約機構(CSTO)加盟6カ国以外に、1年
後の今日に至るも承認している国は他にない。分離派の独立を容認することはい
ずれの国にとっても微妙な問題であり、ロシアの同盟国でさえその衛星国と視ら
れことを嫌がる。

 中央アジアの弱小国でさえ、モスクワに楯突く勇気を出すことがある。ロシア
はこれまでキルギスタンにアメリカ空軍基地の閉鎖を再三公然と要望してきたが
、2009年初頭にキルギス政府はそれに応えた。同国はロシアに多額の包括的
援助を求めていたので、アメリカの軍事基地追放でモスクワを喜ばそうとした。
しかし、キャッシュのもっと欲しいキルギス政府は数ヵ月後に二股膏薬の行動を
とった。ロシアから20億ドル相当の援助を引き出すと、今度はアメリカにたい
し、借用料引き上げという条件よって軍事基地使用延長を認めた。モスクワはこ
の豹変に驚愕したが、キルギスタンにロシアの基地も置くことで妥協せざるを得
なかった。


■モスクワの夢


 2008年のグローバル経済危機以前は、ロシアが経済的地政学的大国として
興隆することにクレムリンは自信を持っていた。2008年6月には、メドベー
ジェフはルーブルがユーラシア地域の将来的準備通貨となると公言していた。そ
の後ロシアの外貨準備が減り、ルーブルの価値と国際通貨としての潜在的魅力が
急落した。今年1月、ロシアが合意されていた5億ドルの借款をベラルーシにル
ーブルで提供すると、同国民は騙され、侮辱されたと感じた。

 世界金融経済危機は、他の主要国以上にロシアに打撃を与えた。1998年の
金融危機以降、ロシア経済は石油とガスに依存を深めた。グローバルな商品価格
が下落するに連れて、ロシアのGDPが落ち込んだ。ロシアのGDPは2008
年中頃から2009年動機までに10パーセント以上低下した。他のCIS諸国はより
深刻な影響を受け、ウクライナは約20%下がった。ロシアは危機をチャンスと捉
えて、近隣諸国に援助の手を差し伸べ、政治的影響力を高めようと期待している

 同時に、ロシアはWTOに加盟しようとする16年間に亘る努力を中断した。長
期に亘る交渉に不満を抱いたこともあるが、これは何よりも外交政策上の優先順
位を組み替える野心を示している。ロシアとベラルーシの連合国家は1990年代か
ら存在しているが、それにカザフスタンを加えた新関税同盟を唱導している。

 アメリカがイラクを侵略した2003年以後、ロシア政府はユーコス石油会社を接
収し、エネルギー大国として新たな立場を唱えている。冷戦中に核兵器保有がソ
連に超大国の地位を与えたように、今日のロシアは石油とガスの力を用いようと
している。しかし、国営巨大企業「ガスプロム」による2006年と2009年のウクラ
イナにたいする拙劣な供給中断策が、エネルギーを武器として利用する戦術の失
敗を立証した。過去数年間、ガスプロムは他のCIS諸国の産出したガスを買い
集め、その輸出ルートをコントロールしようとしてきた。2003年、同社はトゥル
クメニスタンのガス生産全量を向こう25年間取得する権利を入手した。2007
年にロシアは、カスピ海経由で新パイプラインを建設する合意をカザクスタン、
トゥルクメニスタン、ウズベキスタンから獲得した。

 しかし、物事はロシアの意図通りには進んでいない。ウクライナのガス危機以
降、ロシアの安定的供給者としての信頼度が下がり、ヨーロッパ諸国は代替的な
供給源を探し始め、独自のパイプラインを計画している。ロシアは近隣諸国にい
くつかの権益拠点を確保しているが、勢力圏といえるほどのものではない。その
外交は領土的指向に囚われており、いくつかの帝国主義的中軸国が他の弱小国に
影響を行使するというその世界観は、現代のグローバル政治の新しい性格を無視
している。


■欧米諸国との関係


  2007年のミュンヘン安全保障会議では、ソ連崩壊後のロシアが弱体であった当
時に策定されたルールをもはや受け入れないとプーチンが明言した。クレムリン
はヨーロッパとアメリカからの戦略的独立を実証したが、両者との全面的対等を
誇示してはいない。中東や他の地域向けのアメリカや西欧の政策をロシアが支持
する代わりに、アメリカがモスクワの旧ソ連諸国支配を容認するとの見方は、ま
ったく非現実的である。

 21世紀では魅力が強制力に勝る。世界が勢力圏の拡大を目指す覇権国の争いで
動いているという、ロシア指導部内の多数派の見解はこれと異なっている。ツア
ー時代とソ連時代におけるロシアの弱さと後進性は、マンパワー上の優位、政治
的中央集権、軍事偏重の産業によってカバーされていた。だが今日では、今世紀
半ばまでに人口が15%減るという危機に脅かされている。軍事力も低下している
。軍事産業も通常兵器システム全てを生産する能力をもはや持たず、イスラエル
やフランスなどから兵器の一部を調達している。ロシアの核兵器部門でさえ多く
の欠陥を露呈している。

 ヨーロッパにおけるロシアの軍事的優位性は今や失われている。ロシアはEU
の最大かつ最重要な隣国であるが、力関係の強調はロシアの得意技ではなくなっ
た。


■新興勢力結集の壁


 今夏中の同時期に、ロシア政府はCSTO,上海協力会議、BRICの3つの
国際会議のホストをエカテリンブルグで務めた。ブラジル、ロシア、インド、中
国からなるBRICサミットは史上最初のものであったが、格好の写真撮映チャ
ンス以上のものではなかった。BRICを発言権強化の舞台としようとするロシ
アの意図は上手くゆかないだろう。中国とインドはわが道を行っているし、ロシ
アを見下している。

 上海協力機構内でのロシアと中国の協力は拡大しているが、両国間関係を引っ
張っているのは、ロシアよりも経済的に勝っている中国である。最近、中国は中
央アジア諸国に100億ドルの借款を提供し、ベラルーシに通貨スワップを供与し
た。遠方のモルドバにも100億ドルの援助を与えたが、これはモスクワが約束し
ている額の倍に当たる。中国はまた、アブハジアと南オセチアの独立承認を拒否
しており、これが中央アジアのCIS諸国に模範を示している。


■迫られるモスクワの態度修正


  モスクワの第一の優先順位は、自国の経済的知的社会的潜在力を高めることで
ある。ロシアの人口危機は、政府が国民の信頼を回復し、領土の拡大よりも市民
の統合に注力すべき必要を示している。

 ソフトパワーがロシアの外交政策の中核となるべきだ。貴重なこの種未利用資
源を旧ソ連圏において有している。ロシア語は、リガからアルマータまでの広域
で使用されているし、プーシュキンからポップ音楽にいたるロシア文化は依然と
して広く支持されている。ロシアがインフラを再建すれば、その高等教育機関に
近隣諸国が魅力を感じるであろう。ロシアがその政治体制と経済運営に抜本的な
改革を断行すれば、効果はドラマティックなものなろう。ロシアのビジネスマン
はクレムリンのエージェントと見られなくなり、ロシアのテレビはロシア語圏の
アルジャジーラとなるだろう。ロシア正教会も国外での影響力を増すだろう。

 ロシアもハードパワーを必要とするが、過去ではなく現在の挑戦に対応するも
のでなければならない。ロアシアは単独で行動するのではなく、CSTO諸国、
NATO諸国、中国・インド・日本などのアジアの隣国と安全保障上の協力メカ
ニズムを探る必要がある。


■ロシア現代化の課題


  ロシアの目標はEUに参加することではなく、それとの共通の経済的スペース
を創出することである。したがって、欧州・太平洋安全保障秩序を目指す信頼感
を醸成し、ヴァンクーバーからウラディオストックに至る非武装地帯の実現を目
指すべきである。

 中国はロシアの主要貿易相手の一つとして急速に重要性をたかめており、ロシ
アに対する重要な投資国となりつつある。加えて、中央および北東アジアから中
東全域にわたるロシア近隣圏で安全保障と安定のための基幹的パートナーである。

 ロシア領土は太平洋に至るまで広がっており、ユーラシアというよりも、ユー
ロ・パシフィック・パワーである。アメリカはベーリング海を隔てた隣国である。
モスクワとワシントンは、大西洋やカスピ海と違い、太平洋における対立点が
ほとんど無い。21世紀におけるロシアのフロンティアは東にあり、太平洋側の直
接的隣国である中国、日本、韓国に追いつく必要とチャンスがある。

 もしもピョトール大帝が今日生きていれば、首都をモスクワからバルト海沿岸
にではなく、日本海沿岸に移していたであろう。ロシアがウラディオストックを
21世紀の首都と想定しても不思議ではない。ウラディオは港湾都市であり、開放
感が息吹いている。その位置は、北京、香港、ソウル、上海、東京という、東ア
ジアの主要都市にアクセスが至便であり、ロシアは世界で最もダイナミックな諸
国民と密接な接触が図れる。

 太平洋沿岸部に新たな力点を置くことは、ロシア極東部だけではなく、セント
ペテルスブルグに至る全域を発展させるのに役立つ。このような路線は、特にシ
ベリア全域の開発を促す。それはまた、資源豊富で、潜在的生産可能地域として
登場している北極圏における経済的戦略的な機会をロシアが追求する追い風とな
る。北極海はその厳しさゆえに、ヨーロッパ、ロシアおよび北米の協力を必要と
している。


■ノスタルジアではなく、ニーズによって


  力の均衡や閉鎖的勢力圏に意を用いるのではなく、世界的に最も関係が深い有
力なアクターとの絆を強めることによって、ロシアはその利益をよりよく図れる
。国連安全保障理事会での拒否権を振りかざすよりも、コーカサスやモルドバな
どの自国周辺での紛争解決に集中すべきである。アジアや中東では、宗派的偏狭
を減らし、政治的安定をもたらすことに努力すべきである。ロシアの回教人口は
1989年以降40%増加しているので、キリスト教徒と回教との対話に向けてロシア
が果たすべき役割がある。 ロシアは、EUと共に新国際環境基準を策定するこ
とにより、また自国の非常に非効率的なエネルギー利用を改善し、シベリアのき
れいな水と森林資源を保護することにより、世界の環境保護に重要な貢献が出来
る。

 帝国としての500年、イデオロギー戦士としての70年、そして冷戦中の軍事超
大国としての40年の後、新しい役割を受容するのは容易でない。ソ連以後のロシ
アのカムバックは、ロシアが取るに足らない国になるという予測を覆した。ロシ
アが現在の経済危機を生き残るのも確実である。しかし、ノスタルジアではなく、
ニーズにしたがって外交政策を追求する能力を持つ現代国家となるには、まだ
時間がかかるだろう。ロシアが、旧衛星国や東方の隣国のように、正式に西側に
参加することは無い。しかし、国内的変革の結果、より現代的な国家となり、そ
れにしたがって外交政策を進めるにつれて、真面目で、望ましい、そして不可欠
なパートナーに、また重要なグローバル・アクターになるであろう。


◇◆コメント◇◆


  社会主義青年同盟結成準備期間中に、当時25歳だった評者が初めて行った外国
がロシア(当時のソ連)であった。1960年から64年までの5年間、ロシアは私に
とって最も身近な外国であった。毎年連続的に青年学生関連の諸会議のために出
国していたが、外国旅行は今のように自由なものではなく、交通手段も限られ、
旅費も乏しかったのでソ連やユーゴの貨物船を利用していた。一旦出国するとそ
の機会を利用して西欧にも行くことがあったが、往復の途上にはモスクワに立ち
寄り、シベリア経由で帰国することが常であった。

 そのころのソ連はフルシチョフ政権下にあり、スターリン主義と決別、西側と
の平和共存路線を推進していたので、その開放政策が内外で大きな期待を集めて
いた。 しかし、1964年10月、ユーゴスラビアとイタリアで一年あまりになった
滞在を切り上げ、モスクワを経て東京オリンピックで沸く東京に向けナホトカか
らソ連貨物船に乗り込んだその瞬間、フルシチョフ失脚のニュースが飛び込んで
きた。たったその数日前に、世界の青年学生代表がクレムリンでフルシチョフに
会ったばかりで、私もその中にいた。当時私が親しくしていたロシアの友人たち
との交流と音信は、その政変以後途絶えてしまった。

 ゴルバチョフによるペレストロイカが始まり、そして20年前にソ連解が解体し
た以後、再び関心を持ってロシアの動向をフォローするようになった。ところが、
近年はロシアについての断片的な報道や論評は時々見かけても、冷戦期以後の
ロシアに関する本格的な研究は激減した。その一つの大きな理由は、ロシア研究
に対する政治的ニーズが減ってしまったことにある。もはやロシアは軍事上の脅
威とみなされなくなり、アメリカなどで重点的研究助成の対象から外されている。
国際関係ための公的研究助成が軍事外交政策の焦点と密接な関係があることは
歴史的にみて明らかであり、これまでの国際関係・地域研究が軍事的安全保障に
極度に偏向していることは歴然としている。

 本題に立ち返ると、ここに取り上げた論文は、国際的なロシアの立位置と将来
展望を論じたものとして注目すべき数少ないものの一つである。この所論はどち
らかというと対露協調を図ろうとする欧米の人々の考え方を代表したもので、ク
レムリンの現在の政策路線とはかなり距離がある。しかし、筆者の指摘するロシ
アの東アジアとの将来の関係や、ソフトパワーとしての可能性などは、日本にお
ける対露関係論議でほとんど考慮に入れられていない側面であり、重要な指摘と
して注意を喚起したい。

 日本における対露関係論議では領土問題がほとんど唯一の焦点として取り上げ
られてきた。対露交渉と議論の入り口は"島"によって塞がれており、それによっ
て身動きが出来ないものになっている。同様なアプローチは北朝鮮問題にも取ら
れている。

 より多角的重層的な思考と懐の深い議論が国際関係の難問解決には必要である。
入り口を塞いでいる障害を出口で取り除くアプローチを指向するうえで、本論
は貴重な示唆を与えている。東アジア共同体など、今後の東アジアの国際関係を
考える上で、ロシアの存在を今のように無視してよいはずはない。

         (筆者はソーシアルアジア研究会代表)

                                                    目次へ