【北から南から】フランス便り(17)

灯が消えた社会的EU

鈴木 宏昌


 6月は、日本では梅雨だが、フランスやスイスでは、もっとも気候が安定し、一日が長く、夜の帳が訪れるのは、10時過ぎである。緑も濃厚で、季節の果物や野菜が豊富である。市場には、さくらんぼ、イチゴ、アスパラガスなどが豊富に並び、安価の上に、実に美味しい。その昔、まだ私がジュネーブのILO本部に勤務していた頃、6月は、日本人村のイワシ・パーティがあったことを思い出す。ILO総会に政労使の日本代表団が集まるので、その真ん中の日曜日にジュネーブ郊外の山に行き、イワシを焼き、懇親を楽しむものだった。ジュネーブの街の中では、イワシを焼くと匂いが残り、周囲の人から嫌われるので、郊外でバーベキューをする。
 先輩の安藤奠之さん、故樋口富男さん、井上圭一さんの奥さま方が、パーティの前日、市場のイワシを大量に仕入れ、翌日用に準備していた。山の中で、少し軽めで泡を含んだようなスイスの白ワインとイワシ、そしてさくらんぼを楽しんだものだった。とくに、イワシ・パーティが復活した頃、早くして亡くなった大野雄二郎事務局長補が、謹厳な顔をしながら、イワシ焼き加減に目を配りつつ、豚汁の番をしていたことが記憶に残っている。このイワシ・パーティは、私が日本に帰る頃(1986年)に消滅したと聞いている。

 ところで、ILO総会が話題に上ることがなくなってから随分の時間が経つ。21世紀に入ると、労働組合側の発言力が低下するとともに使用者側の力が強くなり、新しい労働基準はほとんど採択されなくなった。最近では、ILOの原点の一つである結社の委員会がまったく機能しなくなっているらしい。ILOのOBとしては、実にさびしいことである。これと同じように、EUレベルでも、社会的EUの影は薄くなっている。今回は、少し社会的EUに関して書いてみたい。なお、社会的EUは使いなれた表現ではないが、社会的側面よりは格好がよいので、この稿で使わせてもらう。

●EU基準

 フランスに住んでいると、いやでもEU基準あるいはEU規制と遭遇する。EU規制は、安全・衛生を中心として、実に広範囲に日常生活を包み込んでいる。住宅の安全規制、自動車の規格や環境汚染の基準、食料品に関する衛生基準など広範囲に及ぶ。私が住んでいる小型の集合住宅でも、古くなったエレベーターは、EUの安全基準仕様に直すために、改修工事が行われ、1ヶ月ほどエレベーターが止まった。買い物かごを担いで、日本流の6階まで登るのに苦労した。
 性格は異なるが、EUの財政基準の影響は、実に深刻である。たとえば、フランスの財政赤字は4%近いので、財務省は治安、教育、防衛以外の予算の一律的な削減を数年前から行っている。その結果、医療、教育、研究、家族手当などの支出が小幅に削減され続けている。それ以外にも、人の移動の自由を保障するシェンゲン協定が、不法移民の劇的増加もあり、政治的な問題となっている。ともかく、EU基準やEU政策の影響がフランス人の生活の隅々まで及び、EU抜きには、フランスの政策を論じることは難しくなった。とくに、経済政策、通貨政策の面で、この傾向が顕著である。

 ところが、社会的EUの基準や政策は、その範囲や規制の内容も非常に限られ、一般のフランス人は、その存在すら知らないことが多い。社会的EU基準の核は、EU指令である。EUは安全・衛生などの分野では、直接加盟国を縛るEU規制あるいは基準を用いることが多いが、労働分野では、指令が使われる。指令は、加盟国を縛り、その内容を各国に合った制度で適用することを定める。ある意味、間接的な適用である。企業レベルの労使協議、職場の健康・安全、男女平等、労働契約および労働時間の分野で、EU指令が採択されているが、その実質的な影響という面では、少なくともフランスの労働法制・労使関係に大きな影響を見ることは難しい。
 もともと、EU発足時から、EUの権限は経済分野に特定され、労働・社会保障の分野は大きく欠落していた。わずかに域内の社会的ダンピングを阻むと言う名目で、安全、男女平等などにが関して、EUに一定の権限が与えられたにとどまる。とくにEU委員会の権限に関しては、大きな歯止めが課せられ、雇用、労働条件や社会保障などに関して加盟国間の協力を奨励する役割に限定されている。

 このような不利な状況にもかかわらず、労働に関する数多くのEU指令が採択され、ある意味で社会的EUは形成されていると見ることもできる。歴史的に社会的EUの発展過程を眺めると、次のような三つの時代区分が可能である:1957−1974年までの初期段階、1975−2000年の高揚期、2001年以降の低迷期。

●1957−1974年、1975−2000年

 1957−1974年の期間は、EU制度の確立期であり、統一経済市場の建設が主要な目標で、社会的な側面に関して目立った活動は展開されなかった。しかし、この期に、関税障壁の撤廃などにより、モノ、カネの域内移動の自由が加速されるとともに、1973年に英国、アイルランド、デンマークがEUに加盟し、ヨーロッパにおけるEUの比重が圧倒的になる。

 1975−2000年の期間は、いろいろな労働分野でEU指令が活発に採択され、社会的EU建設として多くの人の注目を集めた。とくに、1985−1995年の間、ドロール氏がEU委員長として、その強い指導力を発揮した。
 ドロール氏は、もともと組合に近い金融経済の専門家で、ミテラン大統領のもと、1981年から1984年まで、財務大臣などを歴任した。1982年に社会党内閣は、それまでの財政支出による景気回復から緊縮政策に転換するが、それを指導したのがドロール氏であった。穏健な社会民主系の思想を持ちながらも、経済関係者の信頼を得ていたので、やはり個人的なカリスマがあったのだろう。
 また、この時代、主要加盟国の政権が中道左派であったことも、社会的EU建設を可能にした背景にあった。なお、この時期に、EUは、9カ国から15カ国へと拡大している。この期の主な成果を分野別に眺めて見よう。

◆労使協議
 EU内の競争が激化する中、企業が、その活動のリストラを企画し、大幅な人員削減をする際、従業員代表への情報提供と協議を行うことを定めた一連の指令が1975年から1980年にかけて採択された。事業の再編に関する情報を労働者に提供し、協議を義務化することにより、解雇を最小限にし、労働者を保護しようとしたものだった。これらの指令は、ドイツの従業員代表制やフランスの企業委員会の活動をEUレベルに拡げるものだった。フランスでは、使用者の義務は、企業委員会への情報提供に限られていたが、この指令後、協議が義務化され、情報の内容にも厳しい条件が付けられることになった。
 1994年には、EU企業に関して、EUレベルの企業委員会を設置することをうたった指令が採択されている。その後、その延長として、2001年にEU企業に関する規制や労働者への情報提供および協議の指令ができている。全体的に、1970年代の指令が、人員削減の際に、労働者を保護する目的だったものから、最近の指令は、むしろ企業の存続を保障するための労使の対話を強調している。

◆職場健康と安全
 この分野に関しては、数多くの指令が出されているが、重要なものは、1989年の健康および安全問題の枠組み指令である。この指令により、一般的に、使用者は労働者の健康および安全を確保するために必要な措置を取ることが義務化された。この包括的な指令以降、その線で、多くの指令が改定・採択された。

◆機会の均等
 EU創立当時に唯一条約において、EUの権限として男女平等が明記されたこともあり、EUのが活動がもっとも活発な分野である。多くの場合、EU委員会がイニシアティブをとり、1975年以降、活発な立法活動を行ってきている。1975年の男女の平等賃金に関する指令を皮切りに、雇用へのアクセス、出産休暇、育児休暇など10以上の指令が採択されている。さらに、EU裁判所がこの分野で数多くの判例を示し、立法活動をバックアプしてきた。EU裁判所は、国際司法裁判者やILOと異なり、個人の訴えも審査できるので、多くの判例が、個人が国を相手取って訴訟を起こしたケースとなっている。

◆労働契約と労働時間
 この分野の指令は、比較的新しく、主に1990年代から展開された。非典型雇用の指令としては、パートタイム労働(1997)、有期雇用(1998)、派遣労働(2008)がある。労働時間については、1993年に最低の休息時間を土台とした1日の労働時間、休暇などに関する指令が採択されている。その後、産業別にいくつかの指令が採択された。
 ところで、これらの立法は、実に斬新な手法で採択にこぎつけている。1990年代に、EUレベルでの労使の対話が制度化されたのを利用し、EU委員会は、まず、立法案の骨子を労使に提案する。労使の妥協が成立しない場合には、委員会主導で、ヨーロッパ議会あるいはEU閣僚会議にかけるという脅しが付けられる。EUレベルの労使は、各国レベルの意見をまとめながら、労使協議に向かうことになる。

 以上が、社会的EUの高揚期の主な成果である。4つの分野に集中するとはいえ、一定の労働基準が設定されたことは多いに評価できる。また、この立法化の過程で、EUレベルでの労使対話の枠組みが形成されたことも興味ぶかい。

●2000年以降

 さて、2000年以降に目を向けると、高揚期とは対照的に、立法活動は停滞する。過去に採択された指令の改訂は、細々と続いているが、EU委員会から新しい交渉テーマの提示はなく、労使対話のメカニズムは、まったく休眠中である。近年のEUの最大課題である雇用問題では、雇用の指標を設定し、EUレベルでの専門家委員会を立ち上げ、毎年各国に報告を求める方式が採用されたが、その主用目標は雇用率の増加というあいまいなもので、その効果は限られている。
 2000年以降、EU委員会は、保守系が主要ポストを占めていることもあり、一般的なEU基準設定を放棄し、単なる調整役割に徹しているように思われる。このようなEU委員会の変化は、EUの地域的拡大と結びついているのかもしれない。
 それまでEUは、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスなど先進国が中心を占め、また文化的にも政治的にも共通の価値を持っていたが、2003年以降になると、東欧圏などの発展途上国が大量にEU加盟を実現し、EUのガバナンスが変化したと考えられる。つまり、加盟国が30近くになり、発展途上で、政治や制度が未発達の加盟国が多くなると、発展レベルと密接に関連する社会・労働の分野で有効な共通基準を設定することは非常に難しくなっている。
 また、2008年以降の経済危機が長引く中、フランス、イタリアを除くと、ほとんどの国で保守あるいは中道右派が政権に握っている。しかもEUという超国家機構に対する一般市民の反発は各国で根強くあり、国家主権と微妙に絡む社会・労働問題をEUレベルで推し進めるのは困難なのだろう。

 とはいえ、EU内で、労働条件や労使関係について、格差が拡大することは、EU自体にとって危険な兆候である。ソーシャル・ダンピングが拡がって行けば、高賃金国の労働者は反発し、ますます反EUの立場に立つ可能性がある。東欧圏から来る派遣労働者あるいは下請け労働は、すでに各国で問題となっている。
 EUは、市場統合や通貨統合という大きな目標を持ち、それに向かって動いて行くときは、世界の政治・経済を動かすような力を発揮してきたが、共通の目標がなくなった今日、どう各国のエゴを統制して行けるのだろうか? EUがすぐに崩壊したりする可能性はないだろうが、EUの中身自体が、単なる経済圏建設で終わる可能性はある。そうなると、一定の前進を積み上げてきた社会的EUの将来は危ないものにならざるを得ない。  2015年6月16日 パリ郊外にて

 (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)


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