【北から南から】
中国・吉林便り(16)

清明節は衣替え

今村 隆一


 清明節が過ぎてもなかなか気温が上がらなかった吉林でしたが、4月13日に最高気温がいきなり18度となり、14日は21度となった途端、北華大学東校区キャンパスの杏子が一気に開花しました。杏子の樹は、吉林市南部に当たる江南(ジャンナン)のメインストリートである吉林大街(ジーリン・ダァジェ)の街路樹となっていて、梅より濃く、桜より淡い淡紅色の開花は春の到来を告げる象徴でもあります。

 また4月6日から「吉林市国際マラソン大会」の参加者募集が始まりました。競技日は6月25日、8時スタートでフルマラソンが3千人、ハーフが4千人、10kmが4千人、5km未満親子・コスプレイ・団体参加7千人、総規模2万5千人が北山公園の下、人民広場から松花江(ソンファージャン)に沿って走り人民広場に戻るコースです。今年は第2回、昨年はアフリカ勢(ケニア・エチオピア)が1位から3位までをフルマラソンで独占しました。日本人参加もあったとニュースにありました。河に沿った景色が良い走行コースで、天気さえ良ければ、気持ちよく参加できると思われます。その日は日曜日ですので特に用がなければ今年は見に行っても良いかなぁ、と今のところ思っていますが、もともと私は自分が走るなら楽しいが他人が走るのを見るのが楽しいと思えないので、わかりません。

 3月2週目にそれまで最高気温さえ零下だった日がやっと零度を越え、風が強くなければ寒いという感じはなくなり、清明節を迎え、4月2日から3連休に入ると最低気温さえも零度越え、いきなり最高気温が20度近くになりましたが三寒四温を繰り返しました。政府通達により4月1日土曜日は休み返上、清明節連休は4月2日から4日まで日・月・火曜日の3連休となりました。聞いたところによると吉林の暖気配給は4月5日に打ち切られた(市政府の決定)と。一昨年と去年は清明節休暇を利用して万里の長城歩きの戸外活動に行きました。

 未だ行ったことのない万里の長城もあり、今年も戸外活動グループからの参加者募集もありましたが、今年は迷った末、そちらには行かないことにしました。理由は体調(左膝)がすぐれないためです。1月から2月までの日本滞在50日間は整形医院とトレーニングセンター通いで足の治療と筋肉強化に時間を費やし、日本を経つ頃にはもう殆んど治ったと感じておりましたが、気温が日本の千葉より10度以上低い吉林に戻って来ると完治してないことがわかりました。左膝関節と筋肉が気温に敏感に反応し、円滑に働かないことを実感したのでした。従って今現在、本格的な登山にかかるには自信が持てません。しかし、多少雪が残っていようと歩行距離10km以下の活動には既に参加しています。

 清明節休暇以前のTVの国際ニュースは、それまでの韓国朴槿恵大統領の弾劾と高高度防衛ミサイル(THAAD)設置及び日本の大阪豊中市の「安倍小学校国有地払い下げ事件」を長時間報道していました。マレーシアでの金正男氏殺害については多くありませんでした。しかしこの件については中国では固有名詞を伏せて「朝鮮籍男性」の殺害との報道に終始して現在に至っています。ネット上では市民が固有名詞を使っています。政府が本名を伏せようと世界の情報はインターネットを通して配信されているのですから、名を特定しないのは、北朝鮮政府との関連でしょうか、私には不思議な感じがします。

 TVの「安倍小学校国有地払い下げ事件」については教育勅語や安倍晋三激励感謝を幼児が斉唱する様子と安倍晋三明恵夫妻の言動を日本のマスコミ報道を使ってそのまま紹介しています。人民日報ではこのスキャンダルについて、森友学園の籠池理事長の証言は問題をくすぶらせ続けるが、新たな事実を示す資料が出てこなければ、問題の影響を長続きさせることはなく、今後問題が予想以上に悪化したとしても、安倍首相は夫人と問題を切り離すことによって、自身はこの件に関して何も知らないという態度を押し通し、自身への影響を振り払うことができるのではないか、と見ています。重要なこととして、日本国民の60%が安倍夫妻は森友学園問題から抜けられないとみているにも関わらず、安倍政権の支持率は今も50%を超え、また自民党の支持率も45%を維持し、あまり下がっていない。

 その一方で、最大の野党・民進党の支持率は8%に低下している。この見解については客観的であるとともに、ある意味今の日本の市民が国を動かすほどの力量が無く、この事件を重要視していないと見ていることに他なりません。清明節後は本件の報道は今のところありません。4月11日のTVニュースでは李克強首相と河野洋平元国会議長の会談の模様を報じていました、私には会談の長机と椅子に陣取った中国側の男性の髪が皆黒黒としていて豊富なのに、日本側の男性は河野氏を筆頭に揃って見事に白髪だったのが印象的でした。

 これは外見を重視する中国と重視しない日本の差に他ならないと思います。今年は日中国交回復45周年に当たり、両国の外交模索の会談の一つなのですが、私には両国が今より関係が険悪にならないことを祈るだけです。歌手の谷村新司さんは6月に歌手生活45年と合わせ上海で記念コンサートを予定したそうです。私は以前からニュースを通して谷村さんの中国に掛ける眼差しの温かさを感じていましたし、行動力も感じていました。中国蔑視のマスコミニュースが溢れる日本ですが、たぶん私と同年齢だと思われる谷村さんの存在と行動は嬉しいことです。

 いま中国では、反腐敗をテーマとしたTVドラマ「人民的名義(The name of the people)」がその放送開始から大ヒットし、注目を集めています。最初の3本を4月7日、大学の漢語授業の時見ましたが、札束の多さや検察官の必死さに迫力があり、時間があったら続編を見たいと思います。この作品は国策を反映したドラマで、中国共産党第19回全国代表大会(3月5~15日)開催前の時期を選んで放送を開始したように反腐敗政策の徹底に対する支持を政府が大衆に求めていることに他なりません。誇大表現があるにしても、ここまで汚職が進んでいるのか?と思って見ていました。
 振り返って日本ならば豊中市の森本学園事件のように政官界中心の構造汚職に尽きると思うのです。中国では限られた者達の犯罪である一方、多発しているのかもしれませんが、私が吉林という地方都市に、それも大学という限られた空間でいつも教室にいるため、汚職については実感することはありません。しかし、これまで様々な人と会い接したなかで、失礼ながらとんでもない人と遭遇したり信じられないことが起きたこともありました。具体的な指摘はしませんが、今いる大学や吉林を含め広い中国には外国人を含め多くの人がいて、どこかで贈収賄と汚職はあっても不思議ではないなぁ、と感じてはいます。

 汚職問題に関係するかもしれませんが、漢語の授業で外国の留学生が「中国の方が我が国より良い」と評価した理由に、「中国は大学の先生ですら給料が安い」ということでした。つまり職業による収入格差が少なく、それは良いと評価したのです。彼の国では大学教師の給与は高く、教職に着くことが難しい、ということでした。中国では高校教師の収入が最も高いそうです。そのわけは学歴社会で子供を有名大学に入れるための教育関連費用負担が大きく、好成績を得るうえでの贈収賄が存在するとのことです。しかし中国では給料が低いにもかかわらず大学教師の道は易しくありません。また教職だけでなく公務員の就職にも古くから伝統の後門(ホウメン:裏口)も顕在しているようです。このような公職及び教職への就職状況は東アジア3国(中国・韓国・日本)は常勤職の減少に相まって非常勤職の増加傾向に見るように似てきていると言えるようです。

 さて私は3日の清明節休暇は、中日を除いて1日目は残雪の残る吉林市の南部に横たわる哈達岭(ハーダーリン)山系の吉林第二の高峰である摩天岭(モーティエンリン1,325m)の登山口の一つ東南溝(ドンナンゴウ)での休閑活動に参加しました。参加者は18人(男女共に9名)、バスを南溝屯(ナンゴウトン)の村で下車、1時間ほどで目的地に到着し、ゆっくり昼食をしたり、あたりを散策するというものです。溝(ゴウ)は日本でいうと谷または沢です。到着地は広い河原の風情ですがしっかり残雪があり、雪解け水は残雪の下から流音を奏でます。地表には氷涼花(ビンリンファ:福寿草)が黄色く華凛に咲き誇り、林間から小鳥が声音を奏でます。天気も良く、気温も陽を受けると暖かく、汗も出るほどで風がないと気持ちの良い昼のひと時を過ごせました。

 リーダーは46歳だという頭猪(トウジュ:ネット名)で、今回彼はガスコンロと豚肉と羊肉を担いで来ていて、焼き肉パーティをはじめました。たまたま近くにいたので私を誘ったと思います。仲間に入れてくれました。彼とは彼がリーダーになる前から一緒に行動しており、彼の奥さん共々もう古い山友達で、昨年の清明節では最も危険な万里の長城と言われる箭扣長城でも一緒でしたし、既に10回以上一緒に山歩きのリードをしてもらっています。ただ昼食を一緒にすることは稀です。何故なら、私は誘われない限り一人でいることの方が多いからです。この時は肉も多く、8人(男女4人)では食べきれなかったほどでした。肉を食べる機会の少ない私は、この時とばかりに遠慮せずいただきましたので、食べ過ぎて、家に帰ってからの夕食が必要ないほどでした。この日のサブリーダーを務めた男性は何度か一緒になったことがある程度でしたが、昼食中「我々は皆、貴方が好きなんだ」と言ってくれましたが、久しぶりに野外で肉にありつけたこともあって食べることに夢中で、「謝謝(シェシェ:ありがとう)」という以外話はしませんでした。

 戸外活動では吉林市の郊外と周辺都市が多いため山村の変化を肌で感じたいと思う気持ちが強く、高速道路や主要道路は確実に整備が進んでいることがわかる一方、農村は表面的には一向に変わっていないと感じています。吉林からバスで1時間ほどの近距離の村の様子も変化を感じません。清明節休暇3日目に満州民族発祥の地と言われている「鳥拉(ウーラ)古城」を探索するとの山歩きではない活動に参加しました。中国最後の王朝(1616年~1912年)である清朝は満州族が支配した政権であることは中国人なら誰もが、知っていることです。その満州族発祥の地が吉林市龍潭区鳥拉街満族鎮と言われています。私は吉林に来た2008年6月に初めて私を吉林に誘って下さった方に鳥拉街に連れて行ってもらい、その後戸外の徒歩活動として2回訪れたことがあります。

 「鳥拉(ウーラ)古城」は通称「鳥拉街(ウーラジェ)」と呼ばれている吉林中心部の北部約30kmに位置しています。先ずの感想は08年と街の様子は全く変わった所が見られませんでした。4月は雪もなくなって道の損傷とそのための砂埃が目立ったくらいでした。
 57人もの戸外活動団を組んでバスで行くのですから古く歴史のあるものが見られるのではと期待したのでしたが何も見せてもらえませんでした。清の時代には前府、東府、西府、後府の4つの府があったとのことで、西府は魁府とも呼ばれ現在街の中心部にあるのですが、まるで放置された物置のあり様で08年から全く変わっていません。他の府には行きませんのでその有無さえ分かりません。

 また「白花公主点将台」と呼ばれる明の時代に作られたという一画は東西長約50m、南北約25m中央部が小高い8mの丘になっていて、そこには私にはどこにでもある珍しくもない高さ5~7mの「革命烈士記念碑」が建っていただけでした。その周りは囲ってあって、昔建ってたであろう寺や廟などが書かれた絵が並んでいました。参加者からは「文化大革命の時壊したんだろう」という声が聞こえました。しかし、古い旅行案内書ではそこには中華民国時代は学校を建てたと書いてありました。研究したわけではないので確かなことは不明です。ともあれ、満州族発祥の地でありながら、その歴史を残こす文物は全く乏しいと言わざるを得ません。ただ、以前満州族文化の研究者と会ったこともあり、吉林市の北山公園の近くには満州族博物館もあるので機会があれば見に行きたいと思っています。只これまでは、いつ行っても閉館していました。吉林は満州族発祥の地なので、満州族の市民はいますが、満州語を話せる人は大学の先生の説明では1,000人もいないようだとのことです。

 アメリカのシリア爆撃に続いて朝鮮半島が緊張している報道がこちらのTVでも報じられていますが、一方6・7日は女子サッカーの韓国と朝鮮の試合が平壌で行われ1対1、その後13日は第2試合目4対0で韓国の勝利だったとのことで、スタジアムの満席が映っていました。
 誰かが戦争をしたがっている、またはさせてがっているように感じられてなりません。

 (吉林市・北華大学学生・日本語教師)


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