≪連載≫海外論調短評(80)

活況を呈する世界のミュージアム事情 — 来館者増を継続できるカギ

初岡 昌一郎

 この連載が80回を迎えた機会に、少し角度を変えて文化問題を取り上げてみる。昨年末の『エコノミスト』(12月21日号)が、「テンプルズ・オブ・デライト」と題する長文の「ミュージアム・スペシャル・レポート」を掲載した。これは同誌編集部による無署名記事であるが、かなり多くの協力者を得て作成されたとみられる。総論的な部分を中心に要約して紹介する。

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埃臭い博物館から見せるミュージアムに
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 博物館は古く、埃臭く、退屈で、ほとんど実生活と関係ないと以前には思われがちであった。この種のものも依然として存在しているが、ずっと少なくなった。最も成功しているミュージアムは過去の認識を一変させている。対象範囲は目覚ましく広がり、伝統的な美術工芸、科学、歴史の領域を遥かに越えている。もっとも人気を呼んでいるのは現代美術。

 博物館が学術収集品の保管場所であることに変わりないが、人気のある討論の場や子供が泊まりがけで出かける所にもなっている(注:大英博物館に泊りこむ子供たちの写真を本文巻頭に)。もはや人々が畏怖の念を持って展示を眺める場所ではなく、大学や美術学校のように学び、議論する場となった。

 博物館のニュールックが順調に行っていることが統計からわかる。グローバルに見て、ミュージアム(博物館・美術館)数は過去20年間に、約23,000から55,000に急増した。2012年、アメリカのミュージアムには延べ8億5000万人の来館者があった。これは、大リーグの全スポーツ競技とテーマパーク総入場者を加算した数よりも多い。

 イギリスでも、昨年(2012年)には成人人口の半数以上が博物館や美術館を訪問した。これは政府が統計を取り始めた2005年以降最高である。スウェーデンでは、成人4人のうち3人が一年に少なくとも一回はミュージアムに行っている。世界で最も人気のあるミュージアムのルーブル博物館には、2012年に1000万人の入場者があった。前年比、100万人増だ。中国のミュージアム数はまもなく4,000に達する。それでもまだアメリカの半分にすぎないが、中国は急追している。

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選択の世界 — 表面的には驚くほどの成功を収めているが
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 レジャーを過ごす選択肢が多様化した。多くの人が世界を観るために旅行しているだけでなく、テレビやインターネットを通じ世界は身近になっている。それなのになぜミュージアムが人々を魅了するのだろうか。理由の一端は、需要の変化によって説明される。

 先進国と開発途上国の一部では、高等教育を受ける人の比率がここ数十年間に飛躍的に増大した。教育程度の高い人ほどミュージアムによくゆくことを統計が示している。

 先進国では様々な機関・グループが博物館を後援している。自治体は観光客誘致策として、都市プランナーは都市再生策の一環として、メディアは企画展示の場として、ミュージアムを考えている。また、富裕層はそのコレクションの寄託先にミュージアムを選んでいる。

 経済的に豊かになりつつある開発途上国でもミュージアム建設が盛んだ。政府は国のイメージを高め、公教育を向上させ、文化活動を支援することにミュージアムを生かそうとしている。中産階層が増えるにつれて、入館者数も増加している。

 カタールやドバイは野心的な新ミュージアムが建設中だ。これらはヨーロッパ、ロシア、南アジア向け観光客誘致策の一環である。中国のミュージアムは2012年には5億人の来館者があり、2009年よりも1億人も増加した。

 現行5ヶ年年計画によれば、2015年までに中国は3,500のミュージアムを保有することになっているが、2年も繰り上げてこの目標が達成され、2012年末には総計3,866館となった。1944年に共産党政権が成立した当時、僅に25のミュージアムが存在していただけだった。新規の開館だけではなく、既設ミュージアムのアップグレードも大規模に行われている。

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崇敬の世界から市民の世界に
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 かつての美術館はその収集品を美的価値のみから考えており、展示方法や解説には重きを置かなかった。キュレイター(学芸研究員)たちは博物館を“聖なる場所”とみなしており、ミュージアムはあたかも“神殿”であった。

 神殿の解体は、1977年、パリに開館したポンピドー・センターによって始まった。これまでの常識を覆して、エスカレーターや柱を建物の外に出し、それを覆うのではなく、ド派手なカラーで目立たせた。来館者が一方通行的に展示を巡回するのではなく、特別展、常設展、図書室を自由に往来するように設計されている。この美術館は芸術の展示だけではなく、入場者が楽しめることに焦点を置いている。それ以来、ミュージアムはますます冒険的な建物になり、文化センター化が進行している。

 大英博物館が1759年に開館した時、「内外の研究心と好奇心を持つすべての人」にとっての「世界最初の独立した国立博物館」であると宣言した。その目的は今日も変わっていない。かつて学芸研究者の支配する世界であった博物館は、今は公共に奉仕する施設と世界的に考えられるようになった。今日では講義するよりも、来館者を魅了しなければならない。デジタル化によって見せ、聞かせるだけでなく、参加させるようになった。若者と未経験者を招き入れるために、独創的なプログラムが求められる。

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ミュージアムも自主財源を求めて営業努力
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 これらの費用は様々な資金源から賄われている。一部のミュージアムは民間によって設立され、引き続き民間に資金を依存している。他方、国に全面的に頼っているミュージアムもある。近年、先進国では公共財政が逼迫し、ミュージアムも採算性を求められるようになり、民間と公立の間の差が次第に不分明になってきた。ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアのほとんどの施設は、公的機関、企業、個人の重層的な支援に頼っている。

 文化が国家の責任と伝統的には見られてきたドイツでさえ環境が厳しくなっている。ベルリンの主要ミュージアムは、年間経常経費の少なくとも8.5%は入館料と支持会費からまかなうことを期待されている。手っ取り早い収入源は所蔵美術品の海外貸し出しである。

 ベルリンの美術館は日本にフェルメールを貸し出すことで、130万米ドルの収入を得た。パリのピカソ美術館は作品を海外の美術館に貸し出し、最近の改装費5000万ユーロのうち、3000万ユーロを稼いだ。アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館には、海外から貸出希望が殺到している。

 大英博物館のような巨大施設では年間の運営費が1億6000万ドルもかかり、その40%が人件費である。博物館が自ら工面する収入を上回る補助金が国庫から出ている。イギリスの公共ミュージアム入館料は、2001年に労働党政府によって廃止された。しかし、ほとんどのミュージアムは入館者に自発的な寄付を求めている。

 大英博物館も営業活動と基金募集を強化し、専門知識を売り込むのに多大な努力を払ってきた。その一例が国外の新設ミュージアムにたいするコンサルタント・サービスの提供だ。2016年に開館予定のアブダビ国立ミュージアムとの契約は、大英博物館に年間1000万ポンドの収入をもたらす。

 アメリカのミュージアムは伝統的には大資産家による寄付金に支えられてきたが、それでも寄付金に対する免税制度や非営利団体非課税制度に助けられてきた。ニューヨークとシカゴ以外のところでは、入館料は収入源として重要性を失っている。ダラス美術館は入館料が収入の2%に低下した時に、友の会制度を発足させた。会に加入して、姓名、郵便番号、Eメールアドレスを記入すると、入館料が無料となる。

 すべてのミュージアムが上手くいっているわけではない。ニューヨークのメトロポリタン美術館、大英博物館、パリのルーブル美術館、アムステルダムの新装なった国立美術館はその能力を全面的に開花させている。小規模の地方ミュージアムも地元コミュニティから強力な支援を受けている。しかし、歴史的な建築や歴史博物館は昔よりも人気を失っており、年少者向けの博物館も他の多様なアトラクションと競争しなければならなくなっている。

 公民を問わず、すべてのミュージアムが経済変動の影響を受ける。例えば、スペインにおいては公的な補助金が減ったので過去20年間に設立された新ミュージアムは運営費工面に苦闘している。デトロイトは180億ドルの債務で破産状態にあり、100億ドルの価値を持つ、ブリューゲル、ヴァン・ゴッホ、マチスなどの名作を売却して資金を調達することが検討されている。それにもかかわらず、新しいミュージアムが続々として開館している。

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“文化を食い物にする人たち”からの脱却 — 将来戦略の考察
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 ミュージアムはもともと収集された収蔵物を保存し、それらを守るためにあるので、当然保守的になる。しかし、公共資金が見通せる将来は緊縮傾向にあり、民間の金は勝ち組に向けてのみ振り向けられる。そこで、不可避的な変化に対処するために、向こう20年くらいを見越す革新的な思考が必要となる。

 明白な勝ち組は富裕な観客を集め得る大都市の大型施設であるが、その中でも格差が生まれている。例えば、ルーブルは混雑しすぎ、照明は悪く、案内表示も乏しい。毎日、3万人が「モナリザ」を目指すので、彼女の微笑は押しつぶされてしまうし、スリも横行する。ピラミッド型の入口は悪名が高く、昨年4月にはスタッフのストライキも起きた。

 対照的に、アムステルダムの国立美術館の大改修は10年にわたったが、それを待つ甲斐が十分にあった。オランダ黄金時代の絵画は武器、船の模型、フェルト帽子などと並んで展示されている。照明はこの種の場所として最高で、フェルメールがその豊かな陰影をどのようにして描写したかがよくわかる。

 独創的なイニシアティブを発揮する、小型のニッチなミュージアムも固い支持を得ている。専門家の意見で高い評価を得ているのが、安藤忠雄設計による直島の地下ミュージアムで、建物自体が美術品である。島内には慎重に選ばれた少数の施設があり、船で到着する訪問者は夜を過ごすように勧められ、ジェームス・タレルの「オープン・スカイ」を夕暮れの中で見る。

 限定された資金しかなく、古典的百科事典派風な展示を持つ二線級のミュージアムが困難な時代を迎えている。ヨーロッパとアメリカの多くの地方ミュージアムにとっては受難の時代である。ミュージアムは非営利団体として免税措置を受け、公共の資金で補助されてきた。しかし今やこれらの措置は、貧しいひとの税金で金持ちの文化的趣味を補助するものとの批判にさらされている。文化を食い物にしてきた人たちの玩具から抜け出し、時代と大衆が求めるものに応えるミュージアムだけが将来をリードしてゆくだろう。淘汰と選別を伴いながら、ミュージアムの繁栄は先進国だけではなく開発途上国でも進行している。

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■ コメント ■
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 海外や国内の旅行における楽しみの一つは、ミュージアム訪問である。だが、ルーブルのような海外の有名美術館は、個人でふらりと入館することが近年ますます難しくなり、事前にチケットを購入し、指定された時間に入らねばならなくなってきた。また、当日に切符を買って入館できる所でも、長蛇の列に並ばねばならなくなったところが少なくない。

 しかし、それほど名が知られていなくとも魅力的なミュージアムに遭遇した時は感激する。欧米の地方都市の小美術館で予期しない名画に巡り合い、静かに観賞できる幸運に恵まれたこともある。

 20世紀後半から日本国内で乱立気味の小美術館には収蔵品よりも、建物自体が立派なものがすくなない。他方、地方の新しい博物館に優れたものがある。例えば、佐賀県立博物館(旧名護屋城跡地)や大分県立博物館(宇佐)などは、小規模でも歴史的背景をうまく生かしている。そこでの展示テーマは明確であり、アジア的な視点で捉えた最新の歴史研究成果の一端を知ることができる。

 東京国立博物館など少数を除き、まだ国内では国際的なレベルのミュージアムがあまりないように思われる。日本の芸術家が国際的に活躍している度合に比較しても、ミュージアムの国際性は大きく立ち遅れている。その大きな要因として、人材の配置と養成、処遇とキャリアの展望に問題があると思われる。

 館長など上層部の役職がミュージアムとはこれまで無縁だった官僚の天下り先や、著名度からのみ選任された人によるお飾り的名誉職と見做されて来た。このような慣行が内部から人材が育つのを妨げ、新しい魅力的なイニシアティブの展開を欠如させている。

 欧米の開発途上国援助では、教育と文化の分野がますます比重を高めているし、国連の諸報告でも内発的発展に資する分野の重要性が最近強調されてきた。しかし、日本の援助は依然として開発融資と技術援助に集中しており、それ以外は刺身のツマにすぎない。

 1980年代以降、多数のミュージアムが日本国内でも創立されたが、その財政基盤は弱く、創意を欠く展示のために閑古鳥が鳴いているところが稀ではない。多くの地方ミュージアムは活性化が図られなければ、立ち枯れが進むと懸念される。地方公共団体の財政難が、これらを既に直撃しており、職員の削減と非正規雇用化が顕著である。この消極的な姿勢では、せっかくの文化的資産を放棄するに等しく、地方の衰退化に拍車をかけるだけだ。多くの地方においては、効果の疑わしい補助金が各種経済団体向けに垂れ流し続けられているのに。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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