■ 民主主義の危機-ワイマール共和国の教訓      前島 巖

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1.なぜ今またワイマール共和国の教訓か


 第一次世界大戦後、ドイツに誕生した民主的共和国、いわゆるワイマール共和
国がわずか14年間で崩壊し、ヒトラーのナチス政権が出現したのはなぜか。
この問題はすでに多くの人々によって研究され、夥しい数の著書や資料がある。

 日本でも林健太郎教授の『ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの』(中
公新書)や、有澤廣巳教授が亡くなる少し前に、若き日に留学生として経験した
ワイマール共和国への哀惜の念をこめて書かれた『ワイマール共和国物語』上・
下巻(東大出版会)、加藤栄一教授の『ワイマル体制の経済構造』(東大社会科
学研究叢書)をはじめ、他に多くの翻訳書も出版されている。A.ローゼンベルク
『ヴァイマル共和国史』(東邦出版)、D.ポイカート『ワイマル共和国―古典的
近代の危機』(名古屋大学出版会)、W.フィッシャー『ヴァイマルからナチズム
へ』(みすず書房)、K.ゾントハイマー『ワイマール共和国の政治思想』(ミネ
ルヴァ書房)、G.マン『近代ドイツ史』1・2・(みすず書房)など、枚挙でき
ないほどある。もちろんA.Eyck『A History of the Waimar Republic』(Harvar
dUniv.Press)も入手可能な基本文献として挙げる事が出来る。

 これだけ多くの文献が出ているのに、今なぜまたワイマール共和国の教訓につ
いてとり上げるのかと問われれば、その理由は最近の日本の政治状況に一抹の不
安を覚えるからである。この不安が単なる杞憂に終われば幸いである。

 不安の一つは、小選挙区比例代表並立制という現在の日本の選挙制度では、政
治状況が流動的になるとキャスティング・ボードを握ろうとする少数グループや
、その他社会のさまざまな不満グループや、宗教的またはイデオロギー的少数グ
ループが次々に国会に進出してくる可能性があり、それらの少数グループの政党
が多数になったときには、その離合集散や予測不能な動によって、議会制民主主
義が非常に不安定となり、挙句の果ては議会制民主主義そのものが機能不全に陥
るのではないかという危惧である。

 もう一つの不安は、来るべき総選挙で政権交替が実現しなければ、国会のねじ
れ現象は続くことになり、また衆議院における自民党の圧倒的多数の状況もおそ
らくは無くなるであろうから、国会は実質上ほとんど何も決められない状態とな
り、まさに機能不全に陥るおそれがある。そうなれば、おそらくは政界再編が行
われるだろが、その後に国会の機能が再び回復するとは必ずしも楽観視出来ない

そして三つ目の不安は、議会制民主主義が機能不全に陥ったときに、社会に確固
とした民主的土壌が存在しないならば、ヒトラーのような人物や、独裁政治、全
体主義へ期待を寄せる空気が社会に生じるのではないかと言う危惧である。
こうした不安が今再びワイマール共和国の教訓について考える理由である。


2.ワイマール共和国崩壊の原因


  ワイマール共和国はそれではなぜわずか14年間で崩壊し、ヒトラーのナチス
政権が誕生したのかということであるが、まず、ヴェルサイユ条約がドイツに重
い経済的負担を科したことが原因であるとか、1929・30年の世界恐慌がそ
れに加えてドイツの経済と社会に壊滅的打撃を与えたことが原因であるとか、外
的要因がすぐ考えられるが、そうした外的要因はもちろん重要な背景としてあっ
たが、ワイマール共和国崩壊の根本的原因はむしろドイツの内的な要因、特にワ
イマール体制内の政治的要因にあったと今日では多くの論者によって指摘されて
いる。

 ドイツに対する賠償問題は最終的にはヤング案やフーヴァー・モラトリアムな
どによって大分軽減されたばかりでなく、賠償に相応する額の借款がドイツに流
入して、ドイツの産業を相対的に強化したし、また世界恐慌はドイツばかりでな
く、イギリス・フランス・アメリカにも打撃を与えたのであり、これをワイマー
ル共和国崩壊の主要原因にすることは出来ないということである。(K.D.Erdman
n ?Die Weimarer Republik“ (Gebhardt・Deutsche Geschichte 19,S.310-313)

 ワイマール共和国ではわずか14年間に21もの内閣が出来ては崩壊したが、
初期ワイマール体制を支えていた、いわゆるワイマール連合(社会民主党・民主
党・中央党の協力体制)が崩壊した後は国会が機能不全に陥り、自ら政府を選出
する能力を失って、最終的にはヒンデンブルク大統領により大統領内閣制が行わ
れ、ついにはこの大統領によってヒトラーが首相に任命されたという、国会の機
能喪失と憲法上の欠陥とが共和国崩壊の重要原因と指摘されている。

 フリードリッヒ・エーベルト初代大統領の死後、国会の調査委員会で「匕首論
」(ドイツの敗戦は軍隊が敗れたからではなく、背後から匕首(革命)で刺され
たからだとする主張)を述べた軍人のヒンデンブルクが二代目大統領に選ばれて
、憲法上可能であった大統領内閣制を行って、1930年のブリューニング内閣
からパーペン内閣、シュライヒャ-内閣、そして最終的にはヒトラーを首相に任
命したという過程が示すように、最も民主的な憲法といわれたワイマール共和国
憲法は一方で議院内閣制をとりながらも、同時に大統領内閣制にも道を開いてい
たのであって、そういう憲法上の欠陥を持っていた。

 次に、ワイマール共和国の政党が国民全体の利益を基盤におくという民主政治
の基本的前提をいずれも欠いていた点が指摘されている。各政党はそれぞれ自分
たちの個別利益しか考えない人々の集団であった。

 そしてもう一つ、ドイツ国民もまた上からの支配に慣らされており、自ら国家
を形成するという民主主義への意思と訓練に欠けていたことが指摘されている。
(林健太郎、上掲書199頁以下、K.D.Erdmann, ebd)

 有澤廣巳教授によれば、ドイツの知識人の中には「ドイツにおいては国民的な
ものの肯定は政治とデモクラシーの否定を内包している」とした、ドイツの文化
イデーの根本に発する問題があるとして、トーマス・マンの発言を紹介している
。トーマス・マンはすでに1918年10月刊行の『非政治的人間の考察』のな
かで、「・・・ドイツ民族は政治的デモクラシーを決して好きになれないだろう
、それはドイツ民族が政治そのものを愛することができないからという単純な理
由からだ、そして悪名高い『官憲国家』がドイツ民族に相応した、ふさわしい、
そして根本においてドイツ民族から欲せられた国家形態であり、今後もそうであ
る。・・・」と書いていると紹介している。(有澤廣巳、上掲書156頁)

 このように、ワイマール共和国崩壊の原因は、主としてドイツの内的要因にあ
ったとする見方が今日では一般的である。

 議院内閣制と大統領内閣制の両方を認めていた憲法上の欠陥、そして十数にも
及ぶ、議席を有する政党の大部分が自分の利益しか考えないグループであったこ
と、その結果議会が機能不全に陥ったこと、ドイツ国民もまた民主主義への意思
と訓練に欠けていた点などが共和国崩壊をもたらした主要原因であった。


3.5パーセント条項(阻止条項)


  第2次大戦後、ドイツ連邦共和国の選挙法は、国会が機能不全に陥ってしまっ
たワイマール共和国の苦い経験をもとに、いわゆる5パーセント条項(Sperrkla
usel-阻止条項ともいう)を設けている。これによって、あまりにも多くの小政
党が議会に議席を持つことによって、国会の審議に不必要な負担がかかり、真に
必要な審議や決定が出来なくなることを防止しようとしている。

 現在のドイツの選挙制度は小選挙区比例代表“併用“制である。有権者は一人
2票を持ち、1票は小選挙区の候補者に、もう1票は政党が作った候補者リスト
に投票する。各党への議席配分は、この政党による候補者リストへの得票率から
算出されるが、その際にまず小選挙区での当選者に議席が優先配分され、残りを
政党リストの上位者から配分する。(日本の衆議院は小選挙区比例代表”並立”
制で、小選挙区に割り当てられた議席は比例配分の対象にならない点が“併用制
”と異なる。)

 いわゆる5パーセント条項とは、政党の候補者リストへの得票で5パーセント
を獲得できなかった小政党へは議席が配分されないという、阻止条項である。そ
うした小政党への票はしたがって無効となるわけであるが、ただし、3つ以上の
小選挙区で議席を獲得した場合は、その議席は有効となり、この場合は候補者リ
ストへの得票率が5パーセントに達していない小政党でも議会へ進出できる。

 (世界には、5パーセントのハードルは高すぎるとして、例えばイスラエルの
ように3パーセントの阻止条項を設けている国もある。ドイツでは5パーセント
は合憲とされている。)

 日本にはこうした阻止条項がないので、ワイマール共和国が経験したような多
数の小政党の国会進出が可能であり、その結果、国会審議が非常に困難となり、
または国会が機能不全に陥る危険性もある。最近の政治の動きを注意深く観察す
る必要がある。国会内の会派形成によってこの危険性が多少でも緩和されるなら
ば望ましいことであろう。


4.日本国民は民主主義への確固とした意思を持っているか


  第2次大戦後すでに64年が経ち、日本国民は民主主義の経験を十分してきた
し、大部分の国民は民主主義の良さも有難さも認識している。

 しかし民主主義は国民が確固とした意思と賢明さを持って護って行かなければ
脆くも崩れ去る弱さを持っていることはワイマール共和国の経験が物語っている

 民主主義を護るためには政治の賢明な制度設計も重要である。特に国会が意思
決定できないような、機能不全に陥ることは絶対に避けなくてはならない。国会
のそのような機能不全が生ずるならば、今日でも全体主義や「神がかり」への危
険が生じかねないといえる。

 現在、朝日新聞夕刊が「検証・昭和報道」という連載を行っているが、6月1
2日からは「神がかりへの道」と題して美濃部達吉の憲法学説(いわゆる天皇機
関説)をめぐる当時の状況の詳細を連載している。当時のような状況に再び戻し
てはならないが、日本には今でも「神がかり」へ戻りかねない危険が全く無くな
ったとは言い切れない部分もある。

 日本は現在大きな曲がり角に来ている。政治状況は流動化しており、官僚制度
や安全保障政策も抜本的な検討または改革を迫られている。

 間もなく行われる総選挙はその意味で非常に重要である。ワイマール共和国の
教訓から学び、民主主義を強化する道への選択を明確に踏み出さなくてはならな
い。

                  (筆者は東海大学名誉教授)      
  

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