【横丁茶話】

死刑の果実               西村 徹

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 1995年4月19日に発生し168人が死んだオクラホマ連邦政府ビル爆破事件の犯人
ティモシー・マクベイが2001年6月11日に薬物による死刑を執行されたとき、監
視カメラを通して、そのありさまが遺族に公開された。それが日本でもテレビで
放映された。盛装した遺族の前のテレビ画面にティモシー・マクベイの肖像が映
し出され、遺書の中に書き込まれていた詩の一節も同じ画面に映された。

 Invictusという詩の最後の二行である。この題名を聞けば2009年クリント・イ
ーストウッド監督の映画『インビクタス・負けざる者たち』を思い出す人もある
かもしれない。事実この映画で、この詩は大きな役割を果たしている。映画の主
人公ネルソン・マンデラは獄中でこの詩を愛唱してやまなかった。ひとまず四行
四連の全文を掲げ、蛇足ながら私訳を添える。

 Out of the night that covers me,   Black as the pit from pole to
pole,   I thank whatever gods may be   For my unconquerable soul. 
  In the fell clutch of circumstance   I have not winced nor cried
aloud.   Under the bludgeonings of chance   My head is bloody, but
unbowed. 
  Beyond this place of wrath and tears   Looms but the Horror of the
shade,   And yet the menace of the years   Finds and shall find me
unafraid. 
  It matters not how strait the gate,   How charged with punishments
the scroll,   I am the master of my fate:   I am the captain of my
soul. 
   われを覆う夜の闇は
   地の底の涯なる深淵のように暗いが、
   ありとあらゆる神々に感謝しよう
   不退転の魂を授けられたことを。

  薄遇の羽交い絞めに遭おうと                     
   われは怯まず声高に叫びもしない。       
   不運の打撃のかずかずをこうむって                  
    
   わがこうべは血にまみれても寸毫も項を垂れず。

  この憤怒と涙のその彼方に                      
   たちふさがるのはただ冥界のおぞましさ、     
   長きにわたる脅迫もなんのその
   われはわれを失わず微塵も恐れるところはない。      
 
   門の狭きはものならず、                       
   下された刧罰もなんのその、
   われこそはわが運命の頭領なるぞ、
   われこそはわが魂の統御者なるぞぞ                  
   
                   
  (2行目のthe pit from pole to pole は読んで多少厄介なところがあるので
注記しておく。Yahoo ブログの中で「鉄格子にひそむ奈落」と訳しているのがあ
ったが、pole は「極」、from pole to poleは「北極から南極に至るまで」の意
で、Planet Earth-From Pole to Poleなる番組が2006年BBCで放映され、同年5月
から翌年にかけてNHKスペシャル11回のシリーズとしても放映された。普通この
ように水平的に、うるさく言うと球面的にとらえて地球表面の全体を指すのだろ
うが、この詩では垂直的に地軸相当の距離をイメージして、それほど深い奈落と
いうこと。)
 
19世紀末エディンバラにウィリアム・アーネスト・ヘンリーという詩人がいた。
12歳で発症した脊髄カリエスのために25歳で片足の膝から下切断を余儀なくさ
れた。そのとき病床で作られたInvictus(不屈)という詩がこれである。死刑台
上のティモシー・マクベイが書きとめていたのはこの詩の最後の二行だった。

 I am the master of my fate:
  I am the captain of my soul.

 確信犯だから当然ではあるが、これでは、マクベイが自分を殉教者に、あるい
は千万人といえども我行かん、決然と胸を張る挑戦者に擬していることは明らか
だろう。テレビの画面上でマクベイの肖像は右上部に静止し続けていて、それに
被せてこの二行が現れるのだから、殉教者の印象はますます濃くなる。

 ただいま脚の静脈に薬物が注射されましたとか、いま意識は薄れて眠りに入っ
たところですとか、ただいま心音が止まったようですとか、刻々アナウンサーが
実況放送して、ついにこと切れて盛装した遺族が沈痛な面持ちのまま伏し目で立
ち去るところがクローズアップされる。おごそかに執り行われる葬儀の模様を中
継しているかのような格好になる。

 まるでマクベイは桂冠を戴いて天に昇り、下界の遺族たちは敗れてすごすごと
引き下がるかのような印象になってしまう。これで遺族の無念は晴らされたであ
ろうか。報復は果たされたであろうか。テレビ局の意図がどこにあったのかは分
からないが、このように皮肉な効果を生むにいたったのは、やはりこの詩に具わ
る迫力が大きく働いたからでもあろうか。それも大きいが、それだけではないよ
うに思う。
 
(注:最後の一行はちょうど逆の姿勢で敗残のOscar WildeがDe Profundisの
中で
  I ceased to be lord over myself.  I was no longer the captain of my soul
という使い方をしている。Wildeは得意の絶頂から真っ逆さまに転落して、獄
中で自責の念に駆られ、手放しで悔恨の歎き声をあげている。Invictusの詩人と
はまったく正反対である。W.E.Henleyを知る人は日本では、きわめて少ないだろ
うがOscar Wildeを知らない人はほとんどいないだろうし、その『獄中記』を読
んだ人も相当数いるだろうから、書き加えておく。)

 処刑においては、つねに被刑者はヒーローとなり処刑者はヒールとなる。この
構図はキリスト受難劇が祖形となって動かないところであろう。世界の宗教人口
の最大多数が処刑されて十字架上に息絶えた人物像を何らかの形で祭壇に掲げて
いるのだから当然である。しかし洋の東西を問わず、舞台で人の涙を絞るのは決
して処刑者ではなく被刑者である。

 大審問官トルケマーダではなくオルレアンの少女ジャンヌ・ダルクである。数
々の殉教者は言うにおよばず、極悪とされる罪人といえども、さして事情は変わ
らないだろう。八百屋お七はもちろんのこと、石川五右衛門といえども、その死
は辞世とともに美化される。

 なぜそうなるのか。ある知人から聞いたことがある。その人の父親は判事だっ
たが、死刑の判決を出した日は、おそろしく機嫌が悪く、怖くて家中がピリピリ
していたと。さもあろうと思う。裁判官は、判決を出すにあたって法理に従うほ
かない。法理上死刑しか選択の余地がない場合は当然ある。しかし、たとえ被告
がどんな凶悪犯であったとしても、法廷で死刑を宣告するということは、囚われ
てまったく無防備の状態にある人間を絞殺するという行為に加担することになる。

 囚われて無害になった人間をなぜわざわざ殺す必要が果たしてあるのかという
割り切れなさが心のわだかまりとなり、それが無力感とも、うしろめたさとも
なって、彼の機嫌を悪くするからであろう。

 この判事の心理は多かれ少なかれ誰しもの心理である。直接の当事者とそうで
ない者とでは切実の度合いが異なるのはいうまでもないが、目を伏せて通り過ぎ
たい気持ちは誰しもにある。裁判員になるのを避けたいと思う人は少なくない。
死刑の報道に接したとき、うしろめたいとまではいかずとも、なにかやりきれな
い気持ち、ある種のむなしさを感じる人もまた少なくはなかろう。

 事後に犯罪を止められないことを思い知らされるからではなかろうか。その判
事は定年退職して、弁護士になった途端におだやかになった。もうひとり知り合
いの判事は退職して弁護士にはなったが刑事事件しか扱わなかった。民事だとど
ちらかが泣くが、刑事は減刑にだけ専念すればよいからだと言っていた。裁く者
の心の荷がいかに重いかを物語っている。イエスも「人を裁くな」と言った。神
ですら、死んでからの人しか裁かない。なんと自分は、神すら為さぬ大それたこ
とをしたものだと元判事たちはひそかに思うのだろうか。
 
  そうした心の重荷は裁く者の肩に懸かるだけでなく、局外の者の心にもじつは
重くのしかかる。大逆事件の際の永井荷風がその実例である。あまりに有名で引
用するまでもないほどだが、事件から十年の後に『花火』(大正八年「改造」初
出)という小品のなかで彼は書いている。

 「明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も
引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世
上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかった。わた
しは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラは
ドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわた
しは世の文学者と共に何も言はなかった。

 私は何となく良心の苦痛に堪へられぬような気がした。私は自ら文学者たる事
について甚だしき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者の
なした程度まで引き下げるに如くはないと思案した。その頃からわたしは煙草入
をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。」

 だれもが荷風のように敏感なわけではない。むしろ鈍感で善良な、すこしも自
分を疑わない人のほうが多いだろう。鈍感でなければ生きづらい世の中ではあ
る。しかし、それでも、時とともに微量ながらも罪の意識は人の心の奥底に沈澱
に沈澱を重ねて、いつしか分厚い層をなし、いわば集団の無意識のようなものを
形づくってゆくのだと思う。
 
  だから人は芝居や小説のなかで、一種の代償行為として、いわば懺悔の代用と
して、処刑者ではなく刑死する人の身の上に涙を注ぐのだろう。広島、長崎に原
爆を落として正義の処刑者のように振舞ってきた、あの尊大なアメリカでさえ、
プラハでオバマがあのような演説をするだけはするようになった。一寸刻み、あ
るいはミクロン刻みではあるにせよ、処刑者の良心が疼くのであろうことは疑い
ない。

 もちろん人は十人十色、死刑の判決を出して上機嫌になる判事もいないとはい
えなかろう。判検交流というのがあって、求刑しかできなかった検事から判決を
言い渡せる判事になった人の中にはいるかもしれない。猟奇ということばもあ
る。嗜虐ということばもある。

 昔、公開処刑を見物するのは大衆の娯楽であった。ローマ皇帝は人心収攬のた
めに闘技場を必要とした。拷問を見ることを無上の快楽とする権力者もいたし、
舌なめずりして拷問を実行する下僚もいた。いや、今も警察や検察のなかにはい
るらしい。古代からの人の劣情は根強く生き続けている。子供は無邪気で、しか
も残酷だ。原始の人もまた子供のようであったろう。今もそれは大衆心理のなか
に留まっているだけでなく、それはつねに再燃の時を待っている。

 埋み火に油を注ぐかのように大衆の劣情を煽りたてることで視聴率をあげよう
とするのはマスメディアにとっての大きな誘惑である。山口県光市の母子殺害事
件で、被告人の弁護団に対する懲戒請求をテレビのヴァラエティー番組のなかで
声高に呼びかけた弁護士がいた。
 
  残念ながら人間は性善説とか性悪説とか、どちらか一方によって括ってはしま
えないようにできている。人々の多くは偶然の諸条件によって悪から逃れていら
れるにすぎない。いつどこでどう転んで、おかれている状況しだいで、犯罪者に
なるともかぎらない。犯罪者になるもならないも個人の精神病理だけでなく社会
病理によるところが大きいだろう。

 自分はまったく犯罪と縁がないなどと思っているのは、自分はまったく独力で
大学入試に合格したと思っているのとおなじくおめでたい錯覚にすぎない。それ
ゆえ犯罪は疾病とおなじく予防を考えるのが先決であって、事後的には腹癒せや
報復としてではなく治療として考えるしかないことのようである。
 
  「死刑」といって匙を投げてしまわないで一生かけても治療すべきものであろ
うと思う。死刑にして犠牲者が生き返ってくるなら話は別だが。

                (筆者は大阪女子大学名誉教授)

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