【侃々諤々】

歴史に学び友好の道を歩もう

                        谷合 佳代子


さきごろ大阪では、ヘイトスピーチを繰り返す「凛風やまと・獅子の会」の展示が高槻市立総合市民交流センターで開催されるという事態が起きました(9月11~15日)。展示会は「~検証~いわゆる従軍慰安婦展 in高槻」というタイトルで開催されました。展示会場の貸出を中止するよう高槻市に要望する署名が集められ、市当局に提出されましたが、市は聞く耳を持ちませんでした。同会の同趣旨の展示が11月23日から兵庫県西宮市でも開催されようとしており、これまた市民の抗議の声は行政には届きません。
 
表現の自由の範疇を超えて、差別と憎悪の応酬・煽動にしか過ぎないヘイトスピーチを平気で口にする人々にはほんとうにぞっとします。と同時に、とても哀れで恥ずかしいとも感じます。リアルな場面でヘイトスピーチを聞いたことはありませんが、女子高校生が「死ね」とかがなりたてている様子をネット動画で見たときには絶句しました。この子が将来、自分が高校生時代にこのような恥ずかしい言葉を口にしたことを思い出したとき、死ぬほど恥ずかしいのではなかろうかと心配になりました。
 
わたしのつれあいは日本国籍を持つ在日コリアンです。彼は両親が帰化した時に失った本名の朝鮮名を裁判で取り戻しました。わたしたちの息子2人はその朝鮮名を名乗って生きています。幸いにして就職差別もなくすくすくと育って成人しています。二人が生まれたとき、これからの時代は民族も国籍も性別も超えてコスモポリタンとして生きてほしいという願いをこめて、性別民族不明な名前をつけました。誰も国や民族を背負って生きているわけではなかろう、と思います。むしろ、そのような肩肘を張った気負いは持たずに軽やかに生きてほしいものです。
 
在日特権を撤廃せよと叫ぶ人たちには、在日コリアンのいったい誰が特権を享受しているというのでしょう。まともに歴史を勉強したことのないのか、と暗澹たる気持ちになります。「死ね」「出て行け」と叫ぶ彼らの憎悪の矛先がわたしの息子たちにも向く日があるのかもしれないという、リアルな恐怖があります。
 
憎悪の連鎖は暗い情念を引き起こし、マイナスの感情は人々を不幸に陥れるだけです。そういう意味で、東アジア3国のナショナリズムは平和にとって危険な要素でしかありません。朴裕河氏が『和解のために』で主張したように、歴史の事実に謙虚に学び、許しと和解をさぐることこそ、今最も必要なことではないでしょうか。政権が危うくなると排外主義を煽るのは日本も中国・韓国も同じこと。政府の思惑とは別に、民間レベルでの交流を図り、互いの歴史を学んで友好のための道を歩むことが大事だと思います。そのために記録を残し次世代に伝えることがおろそかにされてはなりません。そのささやかな力となることがエル・ライブラリーの使命です。これからも粛々と使命を果たしてまいります。
(大阪・エル・ライブラリー館長)


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