【北から南から】フランス便り(13)

欧州議会選挙の余波~右翼政党の台頭とUMP(保守・中道)の混乱~

鈴木 宏昌

 3月に行われた地方選挙で、与党の社会党が惨敗し、野党の保守・中道のUMP(統一国民運動)が多くの市町村で首長を獲得したことは、前号(2014年4月)で触れた。ただし、この地方選挙でもっとも注目されたのは極右政党と見られていたFN(国民戦線)が、10を超える小都市で勝利し、相当数の地方議員を獲得したことだった。続いて5月末に行われた欧州議会の選挙では、FNが投票総数の25%を獲得し、第1野党のUMPを飛び越え、トップの票を集め、24の議席を獲得した(フランス全体で74議席)。与党である社会党は、現大統領のオランド氏の不人気もあり、15%に達しない悲惨な結果に終わった(獲得議席13)。

 EU議会というあまり存在感のない機関の選挙なので、選挙戦は盛り上がらず、棄権率は57%と高かった(最も、事前の予想よりは投票率は少し高くでた)。事前の世論調査などで、FNが優勢という情報はあったが、多くの人は、これほどの差がつくとは思っていなかったので、フランスの主要政治家やメディアは、ショックを隠せなかった。

 Le Monde 紙は、{FNの大勝利はフランスの政治情勢を荒廃させる}という見出しを採用、その上、「オランド(大統領)のカオス」という厳しい論説を一面に載せた。外国のメディアも、FNがフランスで第一党を獲得したことをトップの見出しにしたものが多かった。ユーロや人の自由移動を保障するシェンゲン協定そしてEU建設そのものに反対を明確にしている「極右政党」が、与党、野党第1党のUMPを抑えて、トップに立ったことは驚きだったのだろう。イギリスにおいても、EUに反旗をひるがえすUKIPが勝利し、そのほかの国でも、左右のEU懐疑派が伸びたので、フランスの選挙結果は、EU批判の大きさを物語る象徴とメディアはとらえたのだろう。

 なぜ、これまで「極右政党」として、政治の舞台の端役でしかなかったFNがこれほどの票を集めたのだろうか? 景気が回復せず、失業率が高い状態の続くフランスで、庶民の不満の受け皿としてFNが伸びたことは間違いない。ただ、不満の受け皿だけでは、4人に1人がFNに投票したことの説明にならない。これまで、フランスでは、社会党を中心とした左翼と保守・中道と見事に2陣営に分かれていたが、もしかすると、第3、第4の極ができる可能性が出てきた。これまで、保守・中道陣営は、社会党の政策を批判することでその方向性を明確にして来た(増税、同姓間の結婚)。しかし今度のFNの進出により、保守政治家は、より右寄りのFNを意識せざるを得なくなる。

 おりしも、第1野党のUMPは、その主導権を巡り、サルコジ派とそのほかの有力者が対立し、内部分裂の状況を呈している。多分、この混乱の一部は、第3の勢力となりつつあるFNとの距離をどう保つかとも絡んでいるのだろう。今回は、少し趣向を変えて、フランスの右翼、保守・中道の流れに着目し、最近のフランスの政治情勢を紹介してみたい。なお、FNは、メディアにより従来から「極右」というレッテルが貼られているが、4人にひとりが投票した以上、「極右」の表現は適当ではないように思われる(FNの指導者は極右という表現を受け入れていない)。今回の選挙で多くの票を集めたFNはいったいどんな党なのか、そして保守政党との違いは? これまで、私は労使関係を中心として勉強してきたので、保守系の政治には疎いが、この機会に、保守と右翼政党とのあり方を考えてみたい。

●フランスの政治情勢

 1959年に第5共和国が成立し、直接選挙による大統領制が敷かれるまで、フランスは、長い間、政党政治が中心で、安定政権ができず、内閣が短命であることで有名だった。アルジェリア戦争が泥沼化した危機的な状況の下で、第2次大戦の英雄であるドゴールが登場し、憲法改正が行われ、国民の直接選挙で選ばれる大統領制へ移行した。(第4共和制の下では、国民議会と上院が形式的な権限しか持たない大統領を選出した)。もっとも、大統領制といわれながら、実際に立法権を持つ議会(国民議会と上院の2院制、ただし国民議会が優越した権限を持つ)を担当するのは首相なので、准大統領制が正しい表現かもしれない。

 大統領は、首相の任免、国民議会の解散権を持っているが、アメリカのように法律を拒否する権利はない。もし大統領の政党が国民議会で少数派になると、大統領の実質的な権限は大幅に縮小する(慣例上、外交は大統領の専権事項)。近年では、シラク大統領のときに、議会の勢力が変わり、社会党のジョスパン氏が首相として政権を担当した(1997-2002)。もっとも、この権限の二重構造― 一般的にコアビタシオンと呼ばれる―の状態は、当時、大統領の任期が7年と長く、国民議会の任期が最高5年であったことから起こった。現在は、大統領の任期が5年に短縮されたので、大統領が国民議会で少数派になる可能性は少なくなった。

 さて、全体像をみるために、現在の国民議会の構成(総議席577)を見てみよう。オランド大統領がサルコジ前大統領に勝った勢いで行われた2012年の総選挙では、与党の社会党およびエコロジー党は、地すべり的な大勝利を収め、社会党のみで過半数を超える290議席を獲得した。そのとき、社会党が選挙協力したエコロジー党は18議席を持つ。共産党を中心とした左翼連合は16議席を持っている。以上が、一般的にフランスの左翼を構成する。

 その昔、西ヨーロッパで、イタリア共産党と並んで強い勢力を誇っていたフランス共産党には昔日の力はなくなった。ただ、大都市の周辺部の工業地帯でいくつかの強い地盤を維持しているので、かろうじて16議席を保っている。エコロジー党は、2000年代初めには、一定の支持層があったが、内部対立が続き、支持率は落ちている。18議席を獲得できたのは、前社会党書記長オブリ氏が環境問題に熱心で、彼女のお陰で選挙協力がなされたと言われている。絶対多数を占める社会党の内情は複雑である。社会党の最左翼には、昔風の階級闘争の流れがあり、富裕層・企業への課税強化、社会福祉の充実などを求めるグループがある。社会民主主義の路線を走る現大統領の政策に不満を持ち、新首相ヴァルス氏の新任投票で、幹部の強い締め付けにもかかわらず、40人を超える棄権票を出したのがこのグループである。社会党の主流はおおよそ社会民主路線と見られるが、対EUやグローバリゼーションに対する立場は実に多様である。一般的に、社会党の多数は、現在のEUの自由主義路線(市場競争の自由を強調)に批判的である。ヴァルス新首相は、社会党の中では異端で、ブレア流の新左翼に近いといわれ、競争力の強化のためには企業に対する一定の優遇措置が必要と考えている。また、内務大臣として、治安強化で点数を上げ、国民的人気を高めた。そのため、社会党の左派からは煙たがれている。

 野党は、主にUMP (199議席)と中道のUDI(38議席)である。UMPは、その昔、シラク大統領が中心となり旧ドゴール派や中道派一部をまとめ、政権与党とした。その遺産をサルコジ前大統領が引き継ぎ、党を完全に支配した。サルコジ氏が政治舞台から一時的に退く(政治復帰の噂が絶えない)と、様々な思惑や路線がリーダシップ争いを始める。中道に近く、親ヨーロッパ的なジュぺ前首相、それに近い立場のフィヨン前首相、そしてサルコジ氏の復帰を待つコペ前党首など複雑な陣取り合戦が展開されている。政治路線にしても、フランスの主権回復を主張し、EUに批判的な人(旧ドゴール派)から、EU建設に熱心な人まで幅広く、今回のEU議会選挙の際にも、対EUの路線では、意見統一はできなかった。中道のUDIは、多くの場合、UMPと協調しているので、その存在感は強くない。

 FNは2議席しか現在持っていない。これは、国民議会の選挙が小選挙区制のためである。既成政党とは組まない方針のFNは、したがって国民議会選挙では不利な立場になる。しかし、事実は、2012年の大統領選挙の際、第一回の投票で、FNのマリーン・ルペン候補が18%を獲得し、すでに第3の勢力へとのし上がっていた。

●FNの変貌とその支持者

 フランスの極右政党は、昔から様々な形で存在していたが、現FNは、主にジャン・マリ・ルペンにより1972年に創立された。ルペン氏は、したたかなデマゴーグでマスメディアを利用し、移民排斥、EU官僚批判あるいは多国籍企業批判の激しい言動により知名度を獲得、農村部や定年退職者など、現状に不満を持つ人を支持者とするのに成功した。

 2002年の大統領選挙の際には、社会党のジョスパン候補を抑え、シラク候補との決選投票に進出して、多くの人を驚かした。ただ、FNは、国民議会、地方議会での存在感はまったくなく、限られた地域で、現状に不満を持つ人の受け皿くらいに見られていた。2011年に、ルペン氏の娘のマリーヌ・ルペン(弁護士出身)が党首に選ばれると、次第にFNのあり方が変わってくる。ナチに近い極右政党というレッテルをはずすために、移民排斥といった極論を避け、批判の標的をエリートが占める既成政党、多国籍企業、そしてEUに集中する。

 海賊のような強面の父ルペン氏とは対照的に、にこやかで知的な女性のイメージ(実際は、相当の戦術家の模様)をテレビなどで演出、FNの一般的なイメージを変えるのに成功した。オランド大統領と社会党が多くの国民の不満に答えられないのを利用し、不満票を次第に獲得してゆく。しかも、主な野党のUMPは党首選挙を巡り、コペ氏とフィヨン元首相が、長い間、泥沼の争いを行った。このような情勢の中で行われた今年の欧州議会選挙は、FNに絶好の踏み台となった。ある出口調査(Ispos-Stera)によれば、35歳以下の若者の30%がFNに投票したのに対し、60歳以上では20%でしかなかった(5月26日付け le Figaro)。失業者が数多くFNに投票した(37%)のには驚かないが、工場労働者の47%、事務職の38%がFNに投票したのは意外である。全体に、低所得者層や学歴の低い人がFNの支持層となった。投票の動機については、多くの人が移民問題で答えた。これまで社会党や共産党の地盤であった労働者層が、大挙して政治的に対極に位置するFN投票したことは、社会党や共産党幹部に相当な打撃を与えたものと思われる。

 さて、FNへの支持が一過性で終わるのか、それとも第3の極になり得るかは現在の時点では判断し難い。そもそも、FN自体組織が固まっていないので、内部分裂が起こる可能性は強い。政治通のある友人が、FNの内情は「スペインの宿屋」だよと評していた。宿屋は屋根しかなく、家の中には何もないという比ゆである。とはいえ、FNへの投票で示されたように、これだけの既成政党への批判や不満が蔓延しているのは尋常なことでない。

 いくつもの調査は、若年層を中心として、政治不信がフランスで広がっていることを示している(K. Van der Straeten: Crise de représentation politique en France, dans P. Ashkenazy et D. Cohen, 16 nouvelles questions d’économie contemporaine, 2010)。長年、経済は低迷し、若年の雇用情勢には少しも改善がの見られない。そのため、若い層を中心として、保守政権にも社会党政権にも背を向ける人が多くなっている。バッカロレアの取得率は最近では8割に近くなっているが、若者は労働市場へ出ても、なかなか安定した仕事は見つからず、不安定就業と失業を繰り返す人、あるいは長期失業者になるひとが多くなっている。恵まれた一部のエリート層を除けば、多くの若年層は将来に不安を抱え、内向きになっている。

 思い返せば、1968年の学生運動を発端とする「5月革命」は、既成の制度、慣習に対する反発だったが、将来に対する不安は少なかった。それに対し、現在の若者は将来に対し非常に悲観的である。このような若年層の状況に対し、既成の政治家は、まったく断絶している。政治家は、一般的に高い学歴を持ち、官僚、弁護士、医師出身の恵まれたエリート集団なので、学歴が低く、将来に希望が持てない若者は、既成の政党に背を向けることになる。この層こそ、FNがすくい上げた支持層なのだろう。

●UMPの混乱

 最後に、このFN の伸びが 保守系のUMPに与える影響を考えて見たい。これまで、2大政党制のもとで、UMPは社会党の政策を批判すれば、ある意味十分だった。世論で、現与党の人気が失墜すれば、自然に次の総選挙で逆転し、政権が転がり込む図式である。しかし、FNがもし第3の極ということになれば、その影響は計り知れない。同床異夢の集まりであるUMPは、今度は自分の地盤である保守票を守る必要が出てくる。これまで、社会党の政策批判は、主に増税、移民問題、治安問題などに絞ればよかった。ところが、移民問題、イスラム問題、増税批判、EU批判では、FNのラディカルな立場の方が有権者の心に響く。そもそも、何が保守・中道の基本戦略なのか、これまでUMP党内部で本格的に検討されてこなかった。EUとの関係、経済のグローバリゼーションに対する対応、税負担や社会保護のあり方、移民問題、宗教問題など主要な基本問題をまともに内部で議論した形跡がない。これらの問題は、党内で意見の対立があり、あいまいなまま現在に至っている。シラク、サルコジと続く保守・中道政権(2002-2012)には、フランス国益を守る以外、何がその基本姿勢なのか見えなかった。UMP が保守の主流の地位を確保するためには、現在の与えられたフランスの状況下で、何が保守政党が守るべき基本戦略なのかを明確にする必要がある。

 保守が守るべき価値とは何だろうか? ナショナリズムをあおる右翼陣営がある以上、フランスの国益とか移民縮小では訴える力は弱い。家族や地域コミュニティの保守だろうか、あるいは個人の所有権の保護だろうか? フランスはカトリックの国といわれるが、アメリカと違い、教会の影響力は低下し、地域コミュニティの中心にはなりえない。家族の絆は重要だが、多くの若い世代がほとんど結婚しない時代なので、家族も基本価値にはなりにくいし、またFNや社会党との差別化も容易でない。ともかく、今後、UMPはなんらかの基本的価値を選択し、それを共有する必要がある。その上で、対EUとの関係、経済のグローバル化への対処、教育問題などの難問をに検討すべきだろう。

 ところが、昨今のUMPは、内部抗争に明け暮れている(最近、コペ党首は2012年のサルコジ候補の不正選挙資金調達の責任をとり、辞職に追い込まれた)。次期の大統領候補の名前が決まるまで、どうもこの混乱は続く模様である。ただ、このような混乱が続けば続くほど、若年層を中心として既成政党への不振と政治離れが加速するのは間違いない。

 ここまで、フランスの右翼政党、保守政党のを流れを紹介してきたが、どうも多くの点で状況が日本と重なる気がしてならない。あいまいな自民党の価値意識、判りにくい民主党との差別化、若者の将来に対する漠然とした不安、そして将来像が描けない若者が、政治に背を向けるなど、どうもフランスも日本に似てきているように思われる。
    2014年6月14日 パリ郊外にて、

 (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)


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