■ 橋下大阪府政の話題性と真姿をどう見るか     森田 桂司

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  はじめに


  小泉元首相による劇場型政治以降、テレビを中心にしたマスメディアは何でも
バラエティ番組に矮小化し、面白可笑しくする一極集中の報道が氾濫し、情緒的動
向の強い大阪ではタレントとしてマスコミ仲間と関係の深い若い弁護士・橋下徹
氏が知事になるに及んでお祭り騒ぎでも起こしているような雰囲気が醸し出され
るとともに「ふざけ」の風潮も同時進行しているように思える。そこで表面的な
話題性と本来あるべき政治としての真実の姿に接近して見たいと思う。 


1・関西特に大阪の自冶体における過去から今日までの問題点


  大阪には土地に愛着心を持ったリーダーが少なくなったとつくづく思う。特に
関西経済人は大阪を商いの場として仕事をするが、自冶市民としての政治や行政
には関心が薄い。口出ししないことが美徳とも言うような感覚があり,大阪の町
つくりなどには適当に付き合い,熱を入れてこなかった。その結果、仕事場とそ
の背景にある住宅,職住の接近の広域的考えもなく、港湾を中心とする海辺を利
用することにのみ目が行き愛着心のある構想力が都市計画に出てこなかった。政
治に対しても知事や大阪市長の位置を軽視してきたし、加えて中央に対する反骨

自主自立の精神も衰えてきていたので、将来を見据えた長期計画とそれを実行

していこうとする志が弱く、一貫性が無かったと云える。
 
  そのような中、大阪市役所は最初持っていた国の支配を受け付けないと言うい
い意味での独立独歩の精神が徐々に薄れ、逆に何事においても外の空気を無視し
、周りの内輪だけで処理する固まりとなり続け、庁内からの天上がり市長を頭に
民の声を聞かない独善的政治・行政へと進み、一方府の方はその時々の流れに沿
って情緒的に知事を選んできた結果、若干外からの風が入りはしたが、こちらも
国の実体と同じで中味において役人任せの体制から脱皮しきれていなかった。


2・橋下知事の登場のバックグランド・背景


  こうした中、行政と民意に乖離が進み、識者の間では何故大阪は変わらないの
かと言う疑問と諦めの悪循環が続き、不満がうっ積していた。しかし大阪は関東
などに比して理でモノを考えるより、情に流される傾向が強く、その鬱憤も情緒
的になり、その時々の目先判断から適当に何とかなるがという軽い気持ちで処理
してきた。そういうことから情報公開も遅れ、一方では住民の憤懣やるせないエ
ネルギーが自己矛盾の中で充満していて、いつでも発火する状態にあった。
 
こういう閉塞状況が続くと、何でもよいから変えてほしいと言う雰囲気が起り
、世論がポピュリズムに走る危険な傾向になる。日本国民が小泉氏に熱狂したの
と同じように、このような場合理屈で解かっても理で動かない。不安定な社会が
続くと誰かを悪者に仕立て上げ、衝動に駆り立てこの衝動に悪乗りする者が出て
きたりして、改革が思うように進まない場合、大言壮語で肝心の焦点を逸らし、
他に転嫁しようとする者まで現れる。そうなると大衆はその中味を吟味すること
なく強い力を待望するという悪循環に陥るようになる。このような政治家は本来
民主主義政治のリーダーとしては不適挌なのだが、どうしても政策や理論が軽視
されと、大衆は情緒的に動く危険性が存続する。この情緒的反応に訴え、政治が
動くとフラストレーションに火をつけ一時的にでも成功を収めることにもなる。
大阪でもこのような空気が存在していて危険状態にあったと云える。
 
  小泉氏が自分の考えに反対する者を抵抗勢力とレッテルを貼り、面白可笑しく
する流れで焦点をぼかし、肝心の政策是非蔑ろにしたように、大阪市で起ってい
た不祥事が表に出たのを切っ掛けにそれを公務員攻撃に摩り替え悪の張本人を隠
し、組合を悪玉に仕立て上げる状況に導かれていった。
  そのような空気の中、悪玉攻撃と唯、改革、改革と中味に入らない前での表面
的な話題で住民を煽るマスコミ報道が加わり、選挙の結果、役人リーダーに飽き
飽きしていた府民は推薦政党や政策に関係なく市長は元毎日放送の平松氏、知事
はタレント弁護士の橋下氏と二人ともマスコミに関係する者を選ぶことになった


3・橋下知事の取り組みー行政財政改革


  橋下氏は東国原宮崎県知事のように最初から地方の政治家になろうと志してい
たのではなく、少年時代に苦労したこととラクビー活動で負けん気の強い人間に
成長し、それに社会人になって対決を身上とする仕事などを経験して下高さを備
えるようになる。彼は弁護士・タレントということを通じ自分が大成していく道
程に政治家を入れていたに過ぎないと思われる。
  そういうことから云うと、最初選挙に出る時、堺屋太一氏などの人脈を利用し
て若干教えて貰ったことしか眼中に無く、政策・マニフェストは不十分。出る寸
前に財政状況悪化を知り、当選後直ぐ財政再建に取組まねばならない羽目になっ
た。
  しかし、それを逆手に取って斬り込むやり方はしたたかで、自分のバックグラ
ンドであるマスコミ仲間を上手く使い、宣伝。「最初から大きい事を云い、落ち
は皆の意見を聞いて判断する」とのストーリーを描いていたかどうかは解からな
いが、状況はそのような方向に発展していった。
 
  行財政改革には「最初蛇口を閉めるのが鉄則で、徐々に調整していく」と言う
筋書きがあったかどうか解からないが、最初からぶっちゃけての情報公開をして
議論のやり取りを全部見せるドラマティックなやり方を使い、マスコミがバック
にいてこそ出来る橋下氏ならの特色を生かし、今までのところ一応上手に廻って
いるように思える。
  内容は国の官僚が厳しい原案を作り、それを政府案として発表。それに行き過
ぎと議論させ、基本を変えずに政治家に許容範囲で一定修正させる落しどころを
考えての進め方と同じであるが。
 
どこが違うところを言うと、一応全体をぶっちゃけ、マスコミの前で「情報公
開してますよ。議論していますよ。皆さんの言うことも聞きましたよ。その結果
不満があるかも知れませんがこれでご辛抱を」という筋書きで解かりやすくして
いること。確かに情報公開、議論はある程度前進したが、通り一片でマスコミ世
論の範囲だ。ここまでなら小泉改革と聞いて大袈裟に歓迎した国民が今騙された
事と同じ手法で、それが少しは進歩したかと思うが、そう変わらないのではない
か。小泉手法を乗り越えられるかが課題であるが、結論は今のところ国や議会が
関与し、改革の対象とされるべき大きな無駄には手が付けられず、弱いものイジ
メの感じになっている。
 
  地方分権に対する考えも見えてこない。この大阪をどうしようとしているのか
シナリオが基本にあっての行財政改革でなく、役人がよく使う財政主導の単なる
数字を帳尻合わせに終わるかも知れない。これなら、府民は耐えられないと反発
するだろうし、障害者福祉や文化行政など大切なものをも少数派として排除し、
切り捨てるようとする言動はファッショ的であり、財政当局が考え、押し付けて
くる行革と変わらない。少し手続きの過程が民主主義的にやっているかのように
見せているだけである。
 
  何事を成すにも一方によくても他方に悪いという裏表の関係があり、難しいが
強弱の柔軟性とニ分割断定思考の排除、バランス感覚の常識を上手く組み合わせ
てやる以外にない。
  識者から国との関係について問われると「今は出血を止めるだけ」と言っていた
が、地方分権、道州制を言い出し、「国に財源移譲をしてもらわねば何も出来な
い」と若干軌道修正するあたりそれは弱音か、模索の段階か。それとも少し解か
ってきての軌道修正か、それもよく解かっての系統的な考えとは思えないが、今
は抽象的な表現であっちこっちに敵をつくり、そちらに焦点を当てたりして話題
のかもし出しを続けて一部議会に下駄を預け、逃げ場にしている感じである。
 
  本来、財政改革は今までの款・項・目によって組み立てられている予算を一度
バラバラに分解し、いろいろな意見を聴視した上、下方の目からマニフェストに
照らして組替え、積み替えるという方法を取るのが筋である。
  「自分で努力せず、最初から国に頼る」と云われるのが心もとないから、自ら
行財政改革を成功させ、こうやれば出来るのだと言う成果を収めた後、国にモノ
申すと言う姿勢を取りたいというので直ぐに云えないというのなら、考えだけで
も明らかにしておかないと府民には出口・展望が見えない。もし足元の改革と地
方分権・道州制までリンクさせ、成果を引っさげてその余力で全国に波及させる
と言う道筋まで描いているのなら、それはそれで大したもので大いに賛美を送り
たいがまだそうは見えない。

今、その試金石が琵琶湖・淀川水系における四つのダム計画についてどう対
抗出来るかである。地域住民の生命・財産を守るべき責任を負っている知事が
国の出先機関との勝負でどう出るか、道路財源の時、問題になった裏負担と同
じく、押し付けに勝てるのか、地方の声を聞かずに、国庫負担金を簡単に請求
してくる制度、確かに資金の大半を国が特会から出すのだが、地方の分は強制
的に徴収する地方支配の構図。道州制と言っても地方から積み上げて確立して
いかねば大きな無駄を無くせない。そのためには府県連合で国の地方局を吸収
し飲み込んでいく力量が必要。京都の山田知事や滋賀の嘉田知事のような発言
・行動を取れるのか見所である。
 
  改革、改革と云うが、時代の進展についていけない政治・行政に今必要なのは
何百年かに一度と言われる革命的改革だ。新しい国つくりに向けてのシステム全
般的変更である。
  その場合、それこそ自らの利権保持を中心に考える抵抗勢力のどの部分と最初
に戦い、それをどう拡大していくか、そしてどう実りあるものにしていくかの戦
術・戦略である。官僚主導の今までの与党では限界にきているが、さりとて与党
を利用しない手はない。小泉氏より踏み込んで進められるのか橋下改革の見せ所
でもある。余談になるが、与党のトップになって武力革命や選挙を経ずして国家
権力奪取に成功したゴルバチョフの例に習って出来るのなら又別の話だが、そん
なことは不可能に近いし、極端な例である。しからば、国の不合理に対し足元の
地域固めから連帯して、包囲網つくる中で地方主権を勝ち取っていく以外にない


4・過去からの私の主張と将来展望


  過去に述べてきた地方分権・道州制に対する私の考えは著書「地域から民主主
義の再生を!」を読んで頂いたと思うので、その中で詳しく述べていることを要
約すると、関西には関経連の会長であった宇野収さんのようにいち早く道州制を
提唱し、地方分権の推進力となられた人もおられたのであるが、それもなかなか
進まない状況を見ていると東京が一極集中で動きが取れない中で、関西の中にお
ける大阪の役割・重要性を自覚することから始めるべきで、大阪の行政で一番問
題なのは大阪府でなく、地位、人・財政力で優れていて中心をなすべき大阪市の
動向がこの地域の発展を左右するとの考えである。

その大阪市が内輪で固まっていて、広く開かれた市政になっていないのがガ
ン。橋下氏ばかり報道するマスコミの姿勢に違和感を感じる人も多いが、対照
的に大阪市の方は伝統的大組織に飲み込まれて動かしていくのが困難な様子で
遅々として進んでいないが平松氏の地味さも手伝って何もしていないように映
り、より歪な感じもする。これも関西における情緒主義の延長がマスコミにま
で浸透していっている証拠かも知れない。
 
  一番問われるのが大阪市長の見識、リーダーシップ。今までも指摘してきたが
、過去大阪市は、国の介入を排して自尊心に燃えてきたところで、優秀な職員の
集団であった。しかし一方、大阪市のトップ層が頭の良い分、自分達本位の考えに
走りやすく、一番民意が反映しない指定都市制度の権限・財源の強化に固守し、
それをより拡大しようとする自己本位の考えで、物事を複眼的に見る能力を発揮
出来ず、自分達の利害だけで走る傾向が強く、府知事をも束ねて、府市の二重行
政を排し、防災上のことも考えこの国の二眼レフとして府下の市も入れた大阪都
政を確立するのだと云う現実的で大胆な展望が見えず、経済の変化とともに沈滞
と腐敗の方向に行ってしまっている。

大阪市は城壁を築いた中之島内に篭り、視野を広げることを怠ってきた。こ
の責任は長だけ問題でなく議会にも責任があるのだが責任のなすりつけ合いで
組合に転嫁するなど議会も最低で、民度が北高南低と言われる府下の北風が入
る余地がある府議会の方がまだ新しい息吹が入り易いだけ姿勢が良いのではと
思われる。
 
  大阪都はこの国を二眼レフ・複眼的に見て、東京の政治に対し「経済首都」を
目指し、行政を柔軟なものにしていく。そのため各区に分権化を推進し、住民参
加がしやすく、住民の本当の声が届きやすい分権型民主主義議会を置き、例えば
サラリーマンの参加しやすい夜間議会など議会の仕組み、活動の中味で各区競っ
て貰う。それを全国に発信していく。この国を良くするには「良い見本」を大阪
から提示していく以外にないとの判断である。
  そういう意味ではダム建設における関西圏知事の地域住民の代表としての国交
省に対する対応など「大阪が変われば日本が変わる」「大阪から日本を変える」
という意気込みを発揮するには遣り甲斐いい位置にあると云える。
 
  こういう問題が明らかになって、いかに地方の首長や議会が住民の意見を聞か
ない非民主主義的な手続きの下に無駄なお金が使われているか知っていながら、
道路財源問題の時、尼崎など一部少数の首長を除き国交省の回し者のような態度
に出て諂う首長、議員の真価が問われる場面が多くなってくるであろう。
  一方、知事は国に分権の推進・財源の拡充を要求していくことは元より それ
だけでなく府下市長と分権問題で真剣に論議し、基礎自冶体の人口30万規模の
適正論やそれを実証する中での自冶体の資質向上、権限委譲する方途と市長から
市民分権に至る民意の反映し易い今後の自冶体の将来構想を引っさげて自民党と
官僚の古い統治構造を変えていく準備をしなくてはならない。
 
  こういう場面での各首長の主張と行動の取り方は日本の地方分権が本物になる
のかどうかの分技点で、日本の将来が繋っているといっても過言でない。
  橋下知事には若くてエネルギーがあり、新しい視点から物事を見たり、判断材
料を提供出来たりの利点に加え、弁護士経験から対決型姿勢を示せる利点を持っ
てアピール出来るが、橋下流のそういうやり方は常に新しい話題探しに追いまく
られ一つづつ確実に処理していくことを困難にし、話題があっちこっちに飛んで
掴み所が散乱したりして中途半端に終わることも想像され、又先に述べたように
二分割思考に陥ったり、バランス感覚を働かす手法を間違えば石原流の独断、傲
慢さ、極端主義に落ちる危険もある。

 若い利点を生かして謙虚な姿勢で人の意見を十分聞き、仕事を通じて解かっ
てくる矛盾点を上手く府民に説明し、府民の立場に立った決断が出来るかそれ
こそ得意の情報利用と行動力で何もしなくても良い東京を除き、他の地方を纏
め上げ、国の体制変革する代表として先頭に立って奮起すべきリーダーは大阪
でしかないのだという気概をもって分権国家創造に古い自民党と官僚に対峙で
きるところまで進んでくれることを期待する。

(本稿は7月13日開催の関大天六社友会総会で話したものに加筆修正を加えた)
                    (筆者は元八尾市助役)

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