書棚で寝息をたてて休んでいる

岡田 充

 「加藤さん、加藤さん、起きて」と肩を揺すれば、今にも目を覚まして起き上がりそうだった。亡くなった二日後の2月19日夕、九段のご自宅で浴衣姿で布団に横たわる加藤さんは、いつものように温厚で少し微笑んでいるように見えた。

 最初にお会いしたのは、2012年夏。尖閣諸島(中国名 釣魚島)問題をめぐり日中関係が日に日に悪化しているころ。都内の国際シンポジウム会場で、作家の篠原玲さん(故人)から紹介された。「オルタ」の名前は、私が世話役をしていた勉強会「不安定研究会」の顧問格だった河上民雄・元衆院議員(故人)から聞いていた。河上さんが暮れの研究会に「これ皆さんで」と、オルタのラベルを貼った純米酒の四合瓶2本を差し入れてくださったのだ。名称の由来を聞くと「オルタナティブのオルタですよ」。それ以上説明の必要はない、方向性が明確ないい名前だ。

 それから定期的に「オルタ」に寄稿させていただいたほか、講演会やシンポジウムに誘っていただくなど、かなり濃密なお付き合いがはじまった。24歳も年長だからほとんど親と子。まるで子供の様にかわいがっていただき、こちらも父親の様に甘えた。押しつけがましさは全くなく、自説にしがみついたり説教じみたりが一切ないのは、育ちの良さだと思う。

 両親がともに社会党議員というよく似た境遇。亡父(岡田春夫)が戦後間もなく議員になったころ、社会党青年部で一緒に活動した話を聞くと、亡父の青年時代の行動に想像力を駆り立てられた。亡父は70年前、社会党を除名され労農派の政党、労働者農民党に移ったのに対し、加藤さんは右社で構造改革派。立場や党派には一切こだわらず、幅の広い交友関係があった。ただ、反戦平和のための市民運動という目標がぶれることはなかった。
 そんなご縁から「不安定研究会」にもよく顔を出された。研究会のメンバーで参院議員の有田芳生さんから「岡田さんのお父さんはひょっとして共産党の秘密党員だったのでは」と尋ねられたことがあった。彼も共産党員だったし鋭い嗅覚の持ち主だ。すぐにそれを否定する材料はない。

 そこで、加藤さんにその質問をぶつけたら、ご自宅に招いていただき、仲井富さんとともに「そんなはずはないですよ」と、具体的なデータや資料を挙げながら否定された。加藤さんが大好きな日本酒も回ったころ、背表紙が茶色く変色した一冊の本を出してくださった。松本健二著の『戦後日本革命の内幕』 (亜紀書房、1973)。松本氏は共産党統一戦線部に属する秘密党員で、社会党や保守層の共産党シンパの養成・拡大工作を担っていた。本には亡父も頻繁に登場するが、秘密党員ではなくシンパ獲得の対象だったことがわかる。
 手に取ると、ほぼ全頁にわたってアンダーラインがびっしり引かれ、要所には付箋が付いて加藤さんの几帳面な性格が滲む。本はいま、私の書棚の上段で気持ちよさそうに眠っている。軽い寝息をたてながら。

 (共同通信客員論説委員、「オルタ」編集委員)

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