■【横丁茶話】

暮れの話、そして少し新年の話             西村 徹

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  • 暮れの話:難解な法廷の方言
     2008年5月、舞鶴市で15歳の女子高生が殺害されるという事件が起きた。その
    犯人として起訴された中勝美被告(64歳)は、裁判員裁判で死刑を求刑され一審
    で無期懲役の判決が下された。被告は控訴、3年有余を経て2012年12月12日、大
    阪高裁は一審判決を破棄して、逆転無罪を言い渡した。適正な判決といえる。さ
    て判決の文言やいかに。その日の朝日新聞夕刊(大阪)1面の記事を引用する。

 《川井裁判長は、犯行現場近くで目撃された男が被告とは断定できないと指
摘。間接証拠に「被告が犯人でないのなら、合理的な説明がつかない事実が含ま
れているとは言えない」と判断した。》

 カギカッコの中の文章は何を言っているのか、煙幕に包まれたようで、よくわ
からなかった。被告の中勝美氏は、逮捕直後から一貫して否認していたし、直接
証拠がないことも明らかにされていた。だから、またしても警察が証拠をでっち
あげたらしいとはあらかじめ想像がついていたから、この文章の趣旨はおよその
見当がついた。それはそれとして、この文章は「ないのなら」「つかない」「言
えない」と、ないないづくしで、何があって何がないのか目がまわった。

 この文章を所与の独立のテキストとして素直にたどってみる。「合理的な説明
がつかない事実」というのは「証明できないこと」「理屈に合わないこと」「不
自然なこと」「疑わしいこと」「ウソくさいこと」「あやしいこと」「信用でき
ないこと」。もっぱら事実に対するネガティブの評価である。つまり「事実でな
い事実」と言っているにひとしい。普通のアタマなら、そう受け取るだろう。間
接証拠には「あやしいところ、すなわち事実でない事実は含まれていない」、
「ウソは含まれていない」、つまり間接証拠は「信用できる」ということになる。

 しかし、「犯行現場近くで目撃された男が被告とは断定できない」と言う。
「間接証拠は信用できない」からだろう。文章を素直にたどった結果とは反対に
なってしまう。素直に読むと文章の意図と逆になるわけである。カラスとしか見
えなくてもじつはサギなのだそうだ。私のアタマが相当にボケていることを差し
引いたとしても、こういう誤解を生むについては、この文章にも大いに責任があ
るといわざるをえない。

 翌日某テレビ局のニュースで法学の専門家がコメンテーターとして「犯人でな
ければ、ありえない事実」と述べるのを耳にして、これなら解らぬではないと思
った。ひと昔前なら「ウッソォ!」と言ったろうところを最近のコドモは「アリ
エナーイ」と言うから、語感からも序でがあって解りやすい。「ありえない事
実」といえばすむところ「合理的な説明がつかない事実」だなど回りくどい言い
方をしなければならない理由はあるのだろうか。法理上それがやはり必要なのだ
ろうか。

 「ありえない事実」と「合理的な説明がつかない事実」とは矛盾してはいな
い。矛盾していないが明晰度において格段の差がある。前者ははっきりしてい
る。後者は「説明がまるでつかないわけではないが合理的な説明がつかない」と
いう、模糊とした表現になっている。自民党の対原発政策のように「やめない」
とは言わないが「やめる」とも言わないような、そんな感じに読めるから読者は
混乱する。

 デジタル版では詳報が引き続くが、紙版の1面はそこでぷっつり切れて詳報は
11面に飛ぶ。11面を読む前に1面をにらんでいただけではそこで立ち往生になる。
立ち往生はしていられないから2面から10面を読む間アタマは靄がかかったまま
になる。訓練されたジャーナリストがこんな不分明な日本語を書くはずはなく、
カギカッコがついているから川井裁判長の判決文をそのまま引いたのはあきらか
だ。

 裁判長は揚げ足を取られないように気を配ってこのような奥歯に物の挟まった
ような文章を書いたのであろうか。外交問題ではよくあることらしい。領土問題
などでは「解決せざるをもって解決とする」などと言うらしい。紛争を避ける智
慧としてその種の表現はあるらしい。裁判も検事と被告と、なおその上に裁判員
と、三者の間の悶着に折り合いをつける行為だから一種の外交のようなものだと
いうことも出来る。つまり裁判官は突っ込みでなくてボケにまわらなければなら
ないのかもしれない。

 法律に通じた専門家はこの種の曖昧語法に慣れているからいっこうに困らない
らしい。つまりこれは一種の方言と考えればよいことなのらしい。これはこれで
一件落着として方言はその方言を知らない人が安易に使うと間違うことがある。
アホという関西の方言とバカという関東の方言が微妙にちがうことはよく知られ
ている。知られているから間違うことはなさそうでも、やはり間違うことがある。

 『翻訳夜話』という本の中で村上春樹と柴田元幸がおなじテキストをそれぞれ
訳して並べてみせるが、テキスト中の trashy paperbacks を村上春樹は「クズ
みたいなペーパーバック」。柴田元幸は「アホなペーパーバック」としている。

「クズみたいな」と「アホな」は関東人にはおなじかもしれないが、関西人に
は、まったくといっていいほど違う。画家の故・元永定正は自ら「日本アホ派」
を名乗った。「日本クズ(trash)派」と言われたら元永はどう反応するだろう
か。たぶん高らかに哄笑するであろう。そして言う。「おまえアホか!」。方言
は遠慮して使おう。

  • 元日の話:その1

 元日には三つの長時間にわたる座談会を聴いた。NHKスペシャル「2013年・
世界とどう向き合うか」では尖閣をめぐって孫崎享氏と岡本行夫氏が真っ向対立
する意見で面白かった。意見は正反対でも互いに筋道を通しながらも喧嘩
(bickering)でないのがよかった。岡本氏は、尖閣は日本固有の領土であっ
て、したがって領土問題はないとし、孫崎氏は、中国もおなじく尖閣は中国固有
の領土だというのだから領土問題はあるとする。

 大晦日といってもじつは元日深夜の「朝まで生テレビ」で宋文州氏も「日本人
が言っているのとおなじことを中国人も言ってる。どちらも自国の領土だといっ
てる」と言った。孫崎氏とおなじ意見だ。領土問題はそうしたものだろうと思う。
これに対して古森義久という人は、そのブログで「孫崎氏は尖閣については日本
の固有の領土であることを否定します。中国の主張に理があるというのです。」
と言う。

 こういうことをいう人が「産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員」
だそうで、「国際的にみれば、中道、普通、穏健な産経新聞の報道姿勢に沿っ
て、日夜アメリカの首都からの均衡のとれた情報発信に努めています」というの
には先ず唖然とした。産経新聞が中道、普通、穏健であるかどうかは問わない。
しかしこの古森氏の孫崎批判は中道、普通、穏健ではない。

 孫崎氏は、尖閣について、たしかに「日本の固有の領土であることを否定し」
ている。しかし「日本人にとって受け入れがたい事実だが」と前置きしていて、
日本の領土であるという主張を心情にまでおよんで否定しているわけではない。
なお「中国の主張に理がある」とは言わない。「中国の主張に」も「理があると
いう」のみである。「も」があるとないでは大違いである。

「日本も中国も自国の領土だと主張しています。どちらもそれなりの根拠がある
ため、同盟国の米国も中立の立場を取っている」、「係争地であるという出発点
に立たなければならない」と言っているにすぎない。中道、普通、穏健なのは古
森氏ではなくて孫崎氏のほうである。

  • 元日の話:その2

 BS朝日では「世界大激変」というのがあった。鳥越俊太郎は出てきただけで
討論にコミットしなかった。一体なぜ姿を見せたのか意味がわからなかった。ほ
とんど冒頭で白川浩道(クレディ・スイス証券チーフエコノミスト)という人が
供給が足りないから需要が起こらないというような、まさかと思えることを言っ
た(のだったと思う)。それに対して藤井聡(京都大学大学院教授)という、む
しろ京大の春団治の異名で人気の先生が真正面から反対した。

 おもしろくなると思った途端に白川氏は逆上したらしく、さながら機関銃の撃
ち合いみたいになった。こうなると銃声ばかりが響き渡って誰が何を言っている
のか両者の言い分そのものはまったくわからなくなる。リスナーとしてはもっと
ゆったりと孫崎 vs. 岡本のようであってほしい。白川氏同様のあられもない狂
騒状態は、前に孫崎氏に対立した富坂聰氏にも発現するのを見た。はなじろむだ
けなので皆さん、もっと「聞く力」をやしなってほしい。

 ところがコマーシャルが終わって本編に戻ってみると白川・藤井の御両所はす
っかり和んで拍子抜けした。コマーシャル時間中に相当の対話があって折り合い
がついたらしい。こういうときはコマーシャル中のこともフォローしてほしい気
がする。

もう一つ、この座談会の終わりごろ熊崎勝彦(弁護士・元東京地検特捜部長)な
る御仁が未来展望として「日本人ならやれる」を強調したのが気になった。なん
の気休めにもならない空念仏の御題目はやめて欲しいと思った。ただこの人は学
生のころ新幹線工事の土方などしたが近ごろの若者はひ弱だというようなことを
言ったと思う。その点は同感だ。

  • 元日の話:その3

 Eテレでは年末や新年によく若い人々のやたら長時間の座談会をやる。お客
(オーディエンスとカタカナでいう)を招んでやる。若者を知りたいのでいつも
見る。今年の演題は「格差を越えて僕らの新たな働き方」だった。とにかく若い
人はやさしい。たいへん気配りがよい。互いをきずつけないように気を使う。決
してことを荒立てない。田原総一郎みたいに声を荒げたりしない。日本人全体が
育ちのよいお坊ちゃんお嬢ちゃんになった証拠だ。顔はモンゴルだが心は西洋人
みたいになった。

 話していることはとにかく新鮮だが、もう老人にはわからない。哲学者・萱野
稔人氏のいうことは大体わかる。批評家・宇野常寛氏もいくらかわかる。起業
家・猪子寿之という人は話し終える語尾がポカン口で涎くりの締まらない喋りを
する人で、それなのに才能ある人らしい。ホリエモンの果たせなかった夢を果た
そうとしている人らしい。何をいっているのかほとんどわからないが若いオー
ディエンスには人気らしい。ホリエモンのとき同様サクセスストーリーを聞きた
くて集まっているようにも見える。

 フリーランス・安藤美冬という人は、目も鼻もメガネも特大で、鼻の穴も大き
ければ勝間和代になるところだが、しかし美人で、一流大学を出て一流企業に勤
めたが、今は「ソーシャルメディアでの発信とセルフブランディングを駆使し、
企業経営や、コミュニケーションデザイナー、コンテンツディレクター等、様々
な肩書きで仕事をするノマドワーカー」だそうだ。何をしているのかさっぱりわ
からない。老人にわかるような仕事はもう古いということなのだろうか。

 作家の石井光太氏の話は路上生活者に寄り添う話でしんみりさせるし、労働経
済学者の安藤至大氏がロールプレイとして高齢者の立場に立つのは問題の視野を
広げる意味が大きいが、どちらもサクセスストーリーを聞きたいオーディエンス
には、あまりお呼びではないらしい。他にもいい話の人はいたが、なかでも社会
起業家の白木夏子という人は注目すべきと思った。

 白木夏子氏のことは電子版(紙版には見かけなかったが)の朝日新聞グローブ
Breakthrough(http://globe.asahi.com/breakthrough/110307/01_01.html)に
詳しく書かれている。女性の身を飾るジュエリーは発掘や精製の過程で搾取、不
当労働、環境汚染、健康被害その他さまざまの「負の現実」が付きまとう。その
「負の現実」をまぬがれたエシカルジュエリーを手がけて絶対的貧困を少しでも
減らそうとする企業を立ち上げたという。

 元日の座談会でアフリカ・インドの絶対的貧困に触れたのは白木夏子氏ひとり
であった。少子化を政治家が言うのはいい。政治家は国益を優先させるのは当然
の責務だ。しかし総ての論壇人も同調しているだけでよかろうか。「世界」「世
界」といいながら論壇人の口から地球人口との兼ね合いでの論議が出ないのは寂
しいではないか。彼らの志も低くなったものだと思う。

 世界の人口(http://www.arkot.com/jinkou/)というページがある。一人当た
り年GDPの順位が出ている。左が貧困の、右が富裕の順位である。

 貧困順位              富裕順位
1位 コンゴ民主共和国 328ドル   1位 カタール  88,559ドル
2位 リベリア     392ドル   2位 ルクセンブルグ 81,383ドル
3位 ブルンジ     411ドル   3位 シンガポール  56,522ドル
4位 ジンバブエ 434ドル   4位 ノルウェー  52,013ドル
5位 エリトリア 681ドル   5位 ブルネイ  48,892ドル
    ※ 日本  33,805ドル

 左(貧困)はアフリカに集中している。そのアフリカの争奪戦を先進国はやっ
ている。
 現在の世界人口は70億。50億を伺いはじめた1970年代後半には人口爆発が世界
の憂慮の的であった。そして一人当たりがインド人の90倍の食糧を消費する、つ
まりインド人の90倍も地球を汚染するアメリカが主導で地球人口の抑制が急務だ
と叫んでいた。少子化は地球的には大きな貢献ではないか。それがいまはどうか。
国家エゴだけが基で人口減がもっぱら憂慮の的となっている。

 政治家は国家エゴでよい。それが役目だ。しかし思想家よ、哲学者よ、芸術家
よ、政治家よりはもう少し高邁なところで、なんとか言ったらどうか。地球上の、
この富の格差の表を見て胸痛まないか。           (2013/01/10)

         (筆者は大阪女子大学名誉教授・堺市在住)