【オルタの視点】
<技術者の視点~エンジニーア・エッセイ・シリーズ(23)>

日本の技術革新力(4) 技術史の分析

荒川 文生


 加藤宣幸様のご遺志を継ぐべく続けている「日本の技術革新力」のシリーズ第4回は、エンジニーア・エッセイ・シリーズ#23として、「技術史の分析」のお話を申し上げます。英語の「歴史」は、「History」つまり高級なお話と為り、面白かったり、権威を誇ったりもします。
 これを学問研究の対象として分析し、さらに未来に向けた有効な指針とする事も有意義な事です。技術史の分析の方法として、「技術の系統化」と「『繰り返し』説明モデル」を取り上げましたが、此れにより歴史から何を学ぶかを問いながら、次回・最終回の#24「日本の技術力」へと続け、日本の技術革新力が、今や混迷と退廃の途に向かいつつある民族とその文化を建て直す事が出来るかどうかを問う予定です。

◆◇ 1.技術史の分析手法

 歴史はその「讀み方」によって面白くもあり、有意義にもなります。歴史小説は、虚飾と誇張により人々の関心を誘い、権力者は自らの正当性を示すべく欺瞞に満ちた歴史を描いて人々を意図的に誘導しようとします。学問としての歴史の読み方は分析結果として提示され、評価の対象と為ります。その手法は「事実を基に合理的な判断をする」ことです。その結果を真理であると主張する事に、品位或る歴史家は禁欲的であり、結果の評価はその時代の価値観や倫理観によって、高くもなり低くもなるでしょう。

 歴史研究の対象が「技術」となると、その範疇が比較的見定めやすいことから、歴史的判断の合理性もまた見定めやすいと言えます。従って、技術史研究の成果を技術革新の要因分析に活用する事も、実利的効果を得やすいとも言えます。
 例えば、慶応大学で電気工学を学び、後に同学法学部教授と為った薬師寺太臓が、日本の自動車工業の発展を描いたモデル(『テクノヘゲモニー――国は技術で興り、滅びる』、中公新書、1989年)は、技術の導入と国産化の二つの段階で夫々大きな「技術の変革期」が繰り返し現れる事を示していました。

 このモデルでは、二つ目の変革期の末期に技術が「澪れ落ち」る事と為っていましたが、筆者が東京工業大学に提出して学位を授与された論文(『日本における電力系統技術の発展に関する研究』、2008年)では、この「澪れ落ち」の過程に生じている矛盾を止揚するなかから、新たな技術の変革が生じる事を事実として示し、それを「『繰り返し』説明モデル」として提示しました。
 このモデルが歴史の分析手法として持っている優位性は、①分析の対象と為る技術の発展を一つの時代で収束させることなく、未来へ向けて展望を開く事が出来る事と、②歴史の「繰り返し」(反復性)の中で過去の反省を未来に活かす発想を取り込むことが出来る事です。(上記論文 P.151)

◆◇ 2.技術の系統化分析

 日本の国立科学博物館(科博)は、2001年3月から2015年3月まで「技術の系統化」と言う作業に取り組みました。この分析手法は、「技術の変遷を分野ごとに俯瞰し、その流れを整理する事が眼目」とされました。この作業を始めた動機は、科博が2008年に定めた「重要科学史資料登録制度(未来技術遺産)」に登録されるべき資料の同定にありましたが、この作業をコーディネーターとして進めた元NECの技術者・永田宇征は、特に社会に与えた影響の観点から、系統化を進める中で、①歴史を未来に活かす、②日本の技術成果を海外に発信する、③文化を残す、ことを「新たに得た視座」として挙げています。更に、永田らはこの作業の結果得られる日本の技術開発の特徴が、①極めて厳しい狭い条件下でしか許されない、②技術開発上の隘路を克服する事に長けている、③既存路線上で中央突破を図る、④基本技術・原理を他分野で展開する事が得意、⑤美的感覚を要する課題の解決に優れている、ことに在るとしています。(日本経済大学『大学院紀要』第4巻、2016、P.138・P.144)

◆◇ 3.技術史の分析と将来計画

 「技術の系統化」にしろ「『繰り返し』説明モデル」にしろ、このような歴史分析の結果から、成功体験に励まされ失敗の反省から道を過たぬように、技術開発の将来計画を立てる事が肝要と為ります。
 成功体験に基づく計画づくりは、関係者のモラールも高く維持され易く、目的も見定め易いと思われますが、その落とし穴は時代と言う状況の変化が在る事です。当然、競争相手の戦略も変化してきます。逆に、失敗に学ぶ計画づくりは、失敗の中に潜む矛盾を的確に分析しその矛盾を止揚する事から、却って、より正当な方針を見定める事が出来るとも言えます。ここで求められるのが、革新を取り込む計画の柔軟性です。

 新たな発明や発見を成し遂げた人の体験談には、多くの場合「ひらめき」と称される現象が含まれます。これを「神様が微笑むとき」と言い表すものもあります。インドの数学者で天才の名を欲しいままにしたシュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887-1920)は、「その関数をどうやって見付けたのか?」と問われ、「夢の中でナマギーリ女神に教えて貰った」と応えたと言われています。日本で指向性アンテナ(八木・宇田アンテナ)の開発に成功した背景には、実験室の移動式黒板に置いてあった金属製の物差しが実験用電波を反射していたことに気が付いたことによるという、一見偶然と思われる状況が在ります。

 ここで重要な事は、「ひらめき」や「偶然」がそれだけで新たな発明や発見、それに基づく技術革新を齎すものではないと言う事です。その背景には、それに関わる研究者や技術者の幅広い知識や経験、柔軟な思考や注意深い観察力と言ったものが、「神様の微笑」を見失わずに受け止めていると言う事実が在るのです。その経験の中で「失敗」は、多くの場合、否定され忘れ去られがちなものです。しかし、失敗に学ぶことの本質には、技術者の倫理に関わるものが在り、決して忘れ去られては為らぬものが在ります。

◆◇ 4.技術史研究の成果とその社会的反映

 産業社会の進展とともに、技術と社会の距離が著しく接近している現在において、技術の失敗が齎す社会的被害の大きさは、従来とは比較に為らぬほど深刻なものと為っています。その典型的な例として、原子力発電所の事故が挙げられることは言うまでも在りません。多くの「誤解」を含むと言われながらも人口に膾炙される「原子力ムラの隠蔽工作」と言う問題が、技術者や研究者の倫理の観点からこれまで必ずしも十分な対応が為されてこなかったことを、多くの技術者や研究者は深く反省し実践的に対処しなければ、その社会的責任を果たすことに為らず、社会的信頼を失う事と為ります。

 逆に、問題を技術者や研究者にのみ委ねる事は、問題を解決するうえで、正当とは言えず的確でもありません。言うまでも無く、技術はもろ刃の剣であり、それを手にする人間の在り様の如何に依存するものだからです。ここで今指摘されている大切なキィワードが 「トランス・サイエンス」です。これは科学と政治(社会的意思決定)の交錯する領域のことで、合衆国の工学者アービン・ワインバーグ(1915-2006)が1972年に「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定式化したものです。2011年3月11日の福島原発事故は、此の典型的な例とされますが、決して間違えては為らぬことは、これが科学者や技術者の責任を免除するものではないと言う事です。逆に、科学者や技術者が、自分の専門領域の齎す結果に就いて、社会的な考慮や判断を怠っては為らないと言う倫理を示すものでもある事です。同時に、社会一般が技術的問題についても専門家任せとせずに「自分の問題」として対処すべき事をも示唆しているのです。

 ここに技術的な問題について、市民一般と技術の専門家とが、共通の場に立ってその在り方や解決策を話し合う意義と重要性が示されています。その様な共通の場が有効に機能するかどうかが、その社会の「技術革新力」の大きさを示すものと想われます。次回(#24)は、シリーズの締めくくりとして、日本の「技術革新力」のお話を致しましょう。

  神鳴りのひらめき光る技の冴え  (青史)

 (地球技術研究所代表)

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