【コラム】
あなたの近くの外国人(裏話)(7)

日本のベトナム人事情概略

坪野 和子

 松戸市で、悲しみと強い憤りを感じた事件がありました。ベトナム国籍の女子小学生児童が遺体遺棄され、容疑者が逮捕されました(4/14現在の状況)。いくつかのキーワードで容疑者がどういう「日本人」「松戸市民」であるかわかりました。いくつかのキーワードでこの女子児童の一家が日本でどのような暮らしをしていたのかもわかりました。被害者家族・容疑者ともに知り合いでもないのに、あまりに生々しく、ショックを受けました。実は、すでにウイグル留学生スピーチコンテストの続きを打ち終えていたのですが、今回、臨時に日本のベトナム人について。ともに考えていただきたく綴ることにしました。

◆ 1.難民資格で上陸定住から30年

 1975年から難民キャンプを経て、もしくはボートピープルとしてベトナム人が日本上陸をはじめ、すでに40年以上。実は、難民資格ではなく、片親が日本人だった、もしくは200年以上経過したのに中国籍を抜いていない華僑の子孫たちは、それ以前にベトナム戦争の禍から逃れて日本に来ています。ですから、すでに日本生まれの2世は30歳を越える、または孫たち3世も日本に定住しています。元ボートピープル上陸した方の中で、すでに日本国籍を取得し、帰化しているのでベトナム人だとわからないようなかたもいらっしゃいます。そういった方々は日本での努力によって社長となり、日本の「ものづくり」を支えていらっしゃいます。蒲田・大森など大田区の、細やかな技術を要し日本の町工場で作られた、世界に必要な部品であったり、工具であったり、あるいは日本の伝統工業製品など…バブル期に日本人の若者が働きたがらなくなった仕事をバブル期以前からコツコツ続けていた方々なのです。
 前代の社長に気に入られてそのまま跡継ぎとなった方、自ら会社を興した方、そういった方々もいらっしゃいます。ベトナムからの「留学生」支援もされているようです。ですが、日本語習得が、無口な工場労働という環境でずっとそのまま労働者でいらっしゃる方も少なくありません。職場環境で運命が違ってしまったのか、本人の個性によって生じた差なのかは不明です。
 ですが、すべてのベトナム人が日本人から受けた評価は「ベトナム人は真面目」。これは現在日本に新たにやってきたベトナム人にとって良い評価です。中国人や韓国人への「せっかく教えたのに仕事を覚えたらやめる、裏切りだ」という評価に比べて、はるかに日本に住みやすい環境を作ることになりました。真面目かどうかは実は個人差なのですが、ベトナム人すべて「遅刻・無断欠勤(欠席)をしない」「与えられた課題(ノルマ)をこなしたら報告する」という習慣があるので、遅刻しても課題(ノルマ)が終わればさっさと退勤する他の東南アジアの労働者よりも評価が高くなるのです。

◆ 2.難民以降のニューカマーたち

 まずは、「呼び寄せ」…つまり家族の誰かが「日本においで」と言ったことで、日本のイメージがないまま来日した家族・親戚。その多くは、呼び寄せた本人の親や兄弟に自分の子どもを預け、日本に定着した、もしくは日本で再婚したなどの事情によるものです。そして、自らの意思や家庭の意思で「日本留学」を決めた若者。成績が優秀なのでいい条件で高等教育を受けられるとわくわくして来日した若者、「親に日本に行って頑張りなさいと言われて仕方なく来日しました」と語る若者。前者の場合、今まで中国人を優遇していた学校・大学が方針転換して(政治的な流れと「真面目評価」でしようね)ベトナム人を優遇しはじめたからなのです。
 私の教え子は「自分は呼び寄せられて日本の中高で苦労していたのに、同級生が日本で留学生として優遇されています」(まぁ、あなたはきっと日本に来る運命だったから苦労する機会を得て幸せじゃない、親に感謝したら…と言ったのですが、その子の気持ちは理解できます)。

 また、あまり知られていないようですが2008年より、EPAすなわち、看護師・介護福祉士候補者として、日本で不足している人材確保を、最初はインドネシア、フィリピンから、相手国からの要請で[日本政府]受け入れるようになりました。
 その後、ベトナム人も受け入れました。ところが国家資格を得る事ができず、やむを得ず帰国するベトナム人が少なくありません。フィリピン人の場合、実質、日本人とのハーフであったり、なにかしらの事情で日本語が少しできる環境であったりします。またインドネシアでは日本語教育が盛んなので、第二外国語としてすでに学習しての来日です。それでも国家資格試験に合格できない人がいます。ところが、ベトナムの場合、現地の日本語教育がお粗末です。その上、女子は大抵プライドが高いので(これは私の個人的体験です)自分の日本語能力が不足していることを認めたくないようです。またベトナム人女性は日本人から実年齢より若く見られています。介護の勉強をし、不合格になったのち、(おそらく留学生資格で再来日し)パブで仕事をする就労資格を得て、日本に残っていると思われる…女性にも会いました。

 私の周辺では、ベトナム語が聞こえてこない日は、家に籠っている日だけです。たまに夕方、新松戸駅前、自転車でベトナム料理のお弁当を販売しに来る女性に遭遇します。近くに日本語学校があり、埼玉県の倉庫に勤める人たちのアパートがあります。治安が良い・暮らしやすいと感じている日本で暮らしているのに…あってはいけない事件が辛い!!
 ベトナム人については、またいずれ。次回はウイグル人の話しに戻ります。

 (高校日本語コミュニケーションアドバイザー&専門学校時間講師)


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