【反レイシズム】

日本におけるレイシズムの実態把握に向けて

明戸 隆浩


 5月10日、反レイシズム情報センター(ARIC)設立シンポジウム「ヘイトスピーチ被害の実態把握に向けて——日本のレイシズムをどう「見える」ようにするのか——」が下北沢タウンホールで行われた。当日は100名近い来場者を迎え、関西学院大学の金明秀さんが「在日コリアン青年に関する差別実態調査の歴史と現在——社会学の見地から」というタイトルで講演したほか、筆者も「欧米先進諸国におけるレイシズムの実態把握の現状——法制度との関連から」というタイトルで話をさせてもらった。

 2013年以降ヘイトスピーチやレイシズムに関するイベントは数多く行われているが、このシンポジウムの特徴は「実態把握」というところに焦点をしぼったところにあるのではないかと思う。日本はヨーロッパ諸国と比べた場合はもちろん、アメリカと比べてもレイシズムを抑制するための法制度が不十分だが、それと関連して、レイシズムに関する「実態」が公的な形で把握されていないという問題がある。日本でもこの間法制化を目指す議論が活発化してきているが、それに比べて実態把握に関する議論はまだ十分ではない。ここでは当日のシンポでの議論もふまえて、日本におけるレイシズムの実態把握に海外の事例をどのように活かすかという観点から、関連する情報をまとめておきたい。

 レイシズムに関する公的な実態把握のわかりやすい事例としては、アメリカでヘイトクライムに関する法制度が整備されてきた過程を見るのがよいだろう。ヘイトクライム法というのは、暴行や殺人など刑法に規定のある犯罪について差別的な動機に基づいたものをとくに重く罰する(「加重」という)法律を指す。アメリカがヘイトスピーチ規制に慎重であることはよく知られているが、その反面こうしたヘイトクライムについては早くから法整備を進めており、1980年代からいくつかの州でこうしたヘイトクライム法がつくられていた。ただし連邦レベルで最初につくられたのは、「ヘイトクライム統計法」というヘイトクライムについての実態を全米レベルで把握するための法律だ。そしてこの法律の制定以降、毎年ヘイトクライムの件数や種類、動機、加害者の属性などがFBI(連邦捜査局)によってまとめられており、その内容はウェブサイト経由で誰でもアクセスすることができる(なお統計法が成立したのは1990年だが、その後1994年には実際にヘイトクライムに加重する法律が成立した)。
 http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/hate-crime

 また併せて指摘しておかなければならないのは、アメリカではヘイトスピーチ規制に慎重であることを別の角度から補う試みとして、民間団体によるレイシズムの実態把握が盛んに行われているということだ。こうした団体の中でもとくに重要なのは南部貧困法律センター(SPLC)と名誉毀損防止同盟(ADL)で、前者は黒人に対するレイシズム、後者は反ユダヤ主義をおもな監視対象としている。とりわけ前者はウェブサイトを通した情報提供にも力を入れており、ブログ形式で関連情報を毎日発信する「Hatewatch」、4000件以上のヘイトクライムをデータベース化した「Hate Incidents」、かわった150件近くの訴訟をデータベース化した「Case Docket」、100人以上の「レイシスト」をデータベース化した「Extremist Files」、レイシスト団体の所在地をマッピングした「Hate Map」など、ここだけでアメリカの(とくに対黒人の)レイシズムの実態がほぼわかるようになっている。
 http://www.splcenter.org

 なお同様の試みは、ヘイトスピーチについてより積極的な法制化を行ってきたヨーロッパでもさまざまな形で行われている。たとえばEUの専門機関の一つで、2007年に欧州人種差別・外国人排斥監視センターから改組した欧州基本権機関では、反ユダヤ主義や反セクシュアル・マイノリティに関するものを中心に不定期で報告書を公開している。また民間レベルでは、European Network Against Racism(ENAR)という団体がEU各国の関連NGOをまとめる役割を果たしており、やはり不定期ではあるがテーマごとの報告書を公開している(最近のものとしては、2014年のEU議会選挙期間中のレイシズム関連の出来事についてまとめた報告書などが興味深い)。
 http://fra.europa.eu/en
 http://www.enar-eu.org/

 以上、全体から見ればごく一部にすぎないが、アメリカおよびEUでのレイシズムの実態把握の現状について簡単に紹介してきた。冒頭にも書いたように、日本ではレイシズムに関する実態が公的な形で把握されていない。「人種差別思想の流布等に対し、正当な言論までも不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとることを検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の煽動が行われている状況にあるとは考えていない」——これは昨年8月にも行われた国連人種差別撤廃委員会の定期審査の場で、日本政府が10年以上前から繰り返している「答弁」だが、しかし実際には、そもそも日本のレイシズムがどういう状況にあるのかを把握するということすら行われていないのである。こうした点で、ここで見てきたような海外の現状から日本が学ぶべきことはあまりにも多い。
 とはいえ同時に強調しておかなければならないことは、「政府レベル」の現状が上のようなものである一方で、民間レベルでは着々とレイシズムの実態把握に向けての準備が進められているということである。たとえば「ヘイトスピーチの実態」というページを作成している「のりこえねっと」や、レイシスト側の情報をデータベース化する「行動保守アーカイブプロジェクト」、反レイシズム運動の紹介と並行してレイシスト側の情報もまとめている「凡どどラジオ辞典」などは、こうした試みとして位置づけられるだろう。またオルタ132号でも紹介させていただいた「Anti-Racism Resources(反レイシズム情報サイト)」も、それ自体は実態把握を行うものではないが、関連する情報を集約するポータルサイトを目指している。さらに冒頭で紹介したシンポジウムを主催した「反レイシズム情報センター(ARIC)」も、現時点ではまだ準備段階だが、実態調査を活動の柱の一つにしていくことを宣言している。こうした個々の作業がまとまって一つの動きとなっていけば、日本におけるレイシズムの実態把握が大きな進展を遂げるのも、それほど先のことではないはずだ。

 http://www.norikoenet.org/
 http://www.acap.link/
 http://radiobondoodle.tumblr.com/index
 http://antiracismresources.blogspot.jp/
 http://antiracism-info.com/

 (筆者は関東学院大学ほか非常勤講師/社会学・多文化社会論)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧