【コラム】大原雄の流儀

日本で報道の自由を実現するために~デイビッド・ケイ/国連特別報告を読む~

                            大原 雄


◆ プロローグ ~市民集会

 2017年7月21日夜。新宿で開かれたマスメディアの危機を考える市民集会に参加した。集会には、ここ10年ほど、極右化する自民党政治に対応して政治的、あるいは社会的な活動に熱心に取り組む60歳代以上と見られる世代、いわゆるシルバー世代、つまり私と同年齢のような男女が多数参加していた。

 さて、今年は、日本国憲法が施行されて70年である。憲法は、1945年8月15日のポツダム宣言受諾、連合国に降伏した結果、宣言で要求された諸点(1・日本軍の無条件降伏、2・日本の民主主義の復活強化、3・基本的人権の尊重、4・平和政治、5・国民の自由意志による政治形態の決定など)を具体的に実現するために、当時の大日本帝国憲法(以下、帝国憲法という)の改正をする法的な義務を事実上負ったことになる。そして、1946年5月の第90回帝国会議の審議を経て、同年11月3日に日本国憲法(以下、憲法という)として公布され、翌年の1947年5月3日に施行されて、今日に至っている。

 実は、私は憲法と同じ年齢(とし)なのだ。1947年1月生まれ。生誕70年。生まれた時は、帝国憲法下であったが、生まれて4ヶ月もすると、新しい憲法下で育てられている。若き父と母は、戦前に地方から上京し、戦後の当時は東京住まいだった。私の誕生が近づいてくると、父は母を福島県伊達郡保原町の母の実家へ移住させた。未生以前から誕生後の数ヶ月、私は福島の地で過ごした。したがって、私は、この世の空気を初めて吸った、つまり産声を上げたのは、福島県ということになる。

 70歳は、古希という。本来なら数え年の元旦に迎える「古希」。69歳になる年の元旦、つまり満年齢では元旦当日は、まだ68歳。しかし、古希の祝いを満年齢でやることが多くなった昨今の慣行にしたがって私も「今年」祝われた。
 「古希」とは、中国の詩人・杜甫の「曲江」という七言律詩の漢詩の一行として登場して有名になり、以来、人口に膾炙している。「人生七十古来稀」が、その一行なのだが、この一行の前にある一行をご存知だろうか。「酒債尋常行処有」という一行なのだ。
 つまり、「酒債尋常行処有/人生七十古来稀」と続く、というわけだ。これを二行通して読み下してみれば、次のような意味になるだろうか。
「(日々の生活で蓄積した、憂さを晴らすために飲んだ)酒の借金は誰でも当たり前のことで、私もあちこち(行く先々)に残っているよ。だが、人生で70年も生きるのは、当たり前ではない。滅多にない(古来稀な)ことだ」。
 官職についた杜甫は、意見の違いで粛宗(玄宗と楊貴妃の子。唐の第十代皇帝)から遠ざけられた時、朝廷を退出すると、長安城にあった曲江という池の畔りで毎日のように酒を飲んでは、その日の憂さを晴らしていた、という。

 さて、70年、日本国の憲法も、「今年」、古希を迎えた。この憲法も大きな「借金」をいくつも背負わされながら、破産せずに、よくぞ、これまで長寿を保ってきたものだ。古来稀なり、だ。さらに、長寿を目指す。

 憲法が施行された時、私は生後4ヶ月の乳飲み子なので、当時の社会的な雰囲気がどうであったか、知っているわけではない。ただし、その後、成長するにつれ憲法のことを学ぶことになってから、憲法施行は、ポツダム宣言で要求された諸点(1・日本軍の無条件降伏、2・日本の民主主義の復活強化、3・基本的人権の尊重、4・平和政治、5・国民の自由意志による政治形態の決定など)が新しい憲法のどの条項に生かされたのか生かされなかったのか、などというような逐条的なものとしてよりも、戦前戦中の15年間のジメジメした梅雨空や時に集中豪雨のような大雨に見舞われ続けたであろう、分厚い黒雲下の雨天続きの帝国国民にとって、新しい憲法は、「雨あがる!」とでもいうような、からりと晴れた梅雨明け発表のような空、抜けるような青空が広がってきて、さあ、心機一転生きなおそう、というような大雑把な受け止め方をされたのではないか、と推測したくなる。つまり、雨空の、旧来の日本的な「生活習慣」から、青空の、戦後のバタ臭い「ウェイズ・オブ・ライフ」への、衣替えのようなものだったのではないか。

 言論表現の自由も戦後の「ウェイズ・オブ・ライフ」の根幹的な価値観転換の一つだったはずなのに、いつの間にか、この日の市民集会のような危機感に襲われるような時代に逆戻りしていることを、集会に参加した人たちは感じたのではないか。そういう思いを共有しながら、改めて、この市民集会で学んだことを読者の皆さんにもお伝えしたい。

◆ 1)国連人権理事会特別報告

 2016年4月12日、「言論と表現の自由」に関する国連の特別報告者であるデイビッド・ケイ氏(大学教授)が日本を公式に訪問し、日本政府関係者や多くのメディア関係者に会って、日本の「言論と表現の自由権」の現況について調査をした。その結果を踏まえて、2017年6月12日、日本のメディアの現況と課題を独自にまとめた調査報告書を国連の人権理事会に提出した。これが、国連人権理事会特別報告(以下、ケイ報告という)である。この報告は、以下のような章立てになっている。ここでは、日本語訳された報告書の表現のまま引用する。

 1・はじめに、2・国際法基準と調査の主目的、3・日本における表現の自由の樹立における課題、4・言論、表現の自由権の状況:主な調査結果、5・結論と勧告。

 今回、市民集会ではこのケイ報告を基に、「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長の伊藤和子弁護士が報告書の読み方についてガイド役を務めてくれたので、報告を読み解く道案内役の後ろ姿を見失わないように注意しながら、私もケイ報告を読んでみたいと思う。

 その前に、簡単に「ヒューマンライツ・ナウ」とは、どういう団体か、という説明に耳を傾けておきたい。伊藤弁護士の説明では、「日本を本拠とする国連特別協議資格を有する国際人権NGOで2006年に発足した」ということであった。「国連に働きかけて、日本の人権状況を国際人権スタンダードに近づける」活動をしている。
 国連には、国連憲章に基づき、総会、安保理事会、人権理事会などがあり、2005年に創設された人権理事会の「特別手続」にある「特別報告者」というシステムのうち、デイビッド・ケイ氏は、「言論と表現の自由」に関する国連特別報告者である、という。日本の「ヒューマンライツ・ナウ」は、 去年の4月12日に来日し19日まで滞在したデイビッド・ケイ氏の調査に協力したほか、今年、2017年6月にジュネーブで開催された国連人権理事会にも事務局長の伊藤弁護士が参加した、という。

◆ 2)国連特別報告の「読み方」

 ケイ報告の日本語訳報告を基に読んでみる。ケイ氏は、日本政府の招聘で来日し、外務副大臣、総務副大臣などの政府関係者、参院法務委員長などの国会関係者、内閣情報調査室ほか、マスメディア(NHK、民放連、新聞協会、雑誌協会、インターネットプロバイダー協会など)の関係者、ジャーナリスト、学者、人権団体、市民団体などの関係者とも面談した。

 特別報告者は、日本における言論と表現の自由の状況を評価するにあたって、国際法基準(1979年に日本が批准した「自由権規約」=ICCPR)19条を基にしたという。いかなる規制も法律によって定められる、というわけだ。日本の場合、表現の自由の法的根拠は、憲法にある。特に、憲法19条、21条である。

 短期間に多数の関係者と面談し、多数の資料の提供を受けた特別報告者は、日本の言論、表現の自由権の状況の主な調査結果を次のようにまとめた。

・A メディアの独立性 1、放送メディア 2、活字メディア 3、職能団体と記者クラブ制度
・B 歴史継承/表現における干渉
・C 情報のアクセス
・D 差別とヘイトスピーチ
・E 選挙運動規制
・F 抗議デモ

 ここでは、紙数の関係もあるので、主に、「メディアの独立性」を読み込んでみよう。まず、放送メディアについて、ケイ報告は、次のように伝えている。

 「国際基準では、放送規制は独立した第三者機関によって行われるとしているが、(日本の)放送法は公共放送であるNHKも民放も規制し、総務省に管理権限を置く」。こういう現況については、「端的に言って、日本におけるメディア規制は法的観点からすると政府から独立しておらず、特に政府与党から独立していない。この制度を改正し独立した規律体制を整えることは、政府の利益のみならず、各政党、そしてもっとも重要なのは日本の国民の利益となる」と明言している。

 新聞社と民間放送局の系列化が進んでいる日本では、放送メディアへのこうした規制が活字メディアにも波及する傾向にあることを特別報告者は「放送メディアは活字メディアにも確実に影響を及ぼす」と懸念を表明している。「活字メディア」の項では、福島の原発事故報道、朝日新聞の慰安婦問題報道への規制の現況を取り上げている。

 記者クラブ制度については、大手マスメディアの記者の雇用形態が定年ないし、長年同じ会社で勤務する日本方式と、仲間内のメディアと当局との既得権益という「特権関係」を保護する記者クラブという制度を、批判的に取り上げている。その結果、ジャーナリスト同士の強い連帯感がある諸外国のようなジャーナリスト集団が生まれにくいと指摘する。
 私も現役時代、社会部の遊軍記者でなかった時期は、東京都内にある建物を借用(賃貸料は各社で支払う)した幾つかの記者クラブに所属して取材活動をしていたが、記者クラブ制度は、もともとは、情報公開に消極的だった公的機関(当局)と情報開示を交渉するための各社の集まりであり、クラブ費の徴収などを含め、定期的に当番で回ってくる幹事社業務を各社が交代でこなす自主的に設立されたものであった。憲法で保障された国民の知る権利を担保するために、メディア各社バラバラでは当局に対して力が弱いので、各社を束ねて当局と交渉する、そのために、各社の自主的な財源、運営によって維持されてきたはずの記者クラブは、いつの間にか、既得権益保護の組織になってきた。

 しかも、この既得権意識は、マスメディア内部でも、格差があることは一般にはあまり知られていないかもしれない。
 例えば、警視庁の記者クラブが、先行していた大手新聞社などを中心に7社だけで構成する記者会(「7社」を強調するクラブ名になっている。現在は、朝日、毎日、読売、東京、日経、共同の6社。かつては時事新報が加盟。「最も歴史と権威がある」そうだ。6社になっても、追加メンバーを入れずに、旧来の「老舗」を強調する看板を掲げている。これぞまさに、既得権意識そのものではないか)があり、この記者会には、メディア後発のNHKなどは加入できず、第2記者クラブとして、別の記者会(NHK、産経、時事/ニッポン放送、文化放送、MXテレビの6社。後半の3社は非常駐。MXテレビは1995年開局のデジタルテレビ放送局)を新たに構成するなど、先行する大手新聞社などは既得権保護の姿勢が強く、こうした前近代的なマスメディアの体質が記者クラブ制度の根幹には蹲っており、記者クラブ改善の足かせになっていることも否めないと思う。
 ちなみに、警視庁の記者クラブには、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京など民放テレビ5社で構成する記者会という3つ目の記者クラブもある。これら3つの記者クラブは、当番で交代する幹事社制度を軸にそれぞれ独自に自主運営されている。

 さらに、メディアの多極化で増えた外部のフリーランスのジャーナリストと大手マスメディアの組織内部のジャーナリストの「特権格差」の問題、外国人ジャーナリスト除外の実態など、国際法基準から日本のマスメディア状況を検証し、権力に対するジャーナリストの「連帯、連携」の必要を改めて提言することになるケイ報告が、記者クラブ制度を厳しく見つめるのは頷けるだろう。

◆ 3)国連特別報告の「生かし方」

 ケイ教授の国連特別報告を「メディアの独立性」という項に絞って読んできたが、この報告は、2017年6月12日、日本のメディアの現況と課題をまとめた調査報告書として国連の人権理事会に提出された。人権理事会ではどのような議論が交わされたのだろうか?
 2017年6月にジュネーブで開催された国連人権理事会にも日本の「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長の伊藤弁護士が同席参加した、という。彼女の説明によれば、ケイ教授は、人権理事会に対して、報告書提出と合わせて、4つの項目を口頭で報告した。4つの項目とは、インターネットと表現に自由の問題、それに、日本など現地調査をした3カ国の問題である。民主主義の先進国であるはずの日本の「言論と表現の自由」の現況についてというテーマは、各国の関心も高かった、という。国連の人権理事会の理事である日本の政府関係者からはケイ報告に対する反論が熱心に行われた、という。ただし、傍聴した伊藤弁護士によれば、その反論は抽象的で具体性に欠け、ケイ報告と議論がかみ合わない、という印象が強かった、という。

◆ 4)ケイ教授の提言

 実は、ケイ教授は、国連の人権理事会に出席する直前の今年6月初め、来日された。国連特別報告をまとめたことを日本の関係者や市民に伝えに来たのだった。6月2日の午後1時から2時過ぎまで、衆院第2議員会館多目的会議室でケイ教授の報告を聞く院内集会が開かれた。私も出席した。その時、会場からの質問で、この報告は、今後、国連でどういう使われ方をするのか、という質問が出た。
 ケイ教授は、自分のミッションは、報告をまとめることであって、この報告が国連でどのような扱いを受けるか、国連で報告が決議された後、日本政府へ勧告をするのか、日本政府は、それを受けてどういう政策をとるのか、ということには私は関心がない、むしろ、それは、国連に報告された日本など当該国の国民の課題ではないか、という答えだった。
 実際、7月の市民集会でケイ報告を読むガイド役となった伊藤弁護士によれば、国連の決議は各国への拘束力がない。安保理事会の決議や勧告と同じだ。しかし、この問題を日本国内で市民らが提訴した場合、国連の決議などを日本国内の判決に反映することができるかどうか、ケイ報告に基づく国連の勧告を日本政府が実践するよう見届けるなど、市民運動として継続して監視すべき課題はいくつもあると思う、と答えていた。

 そこで、国連特別報告の「生かし方」として、ケイ報告の「5・結論と勧告」から市民デモクラシーの視点で、まとめてみたい。
 ケイ教授は、メディアの独立性を確立するために、以下のように、提言と勧告をする。

○ 民主主義社会における言論と表現の自由の重要性を再確認し、言論と表現の自由の保障が人権促進と権利保障の根幹である。
○ 表現の自由の根幹が厚く保障されているのであれば、日本国憲法は歴史的観点からしても依然として欠かせない要素だ(ここで、このコラム冒頭の憲法70年と私の論調が繋がってくる)。
○(日本)政府が放送法4条を見直し廃止することを勧めたい。これとともに、放送メディアの独立規制機関を設立するための枠組みを作るよう政府に強く求める。
○ 報道の自由やメディアの独立性は、ジャーナリスト間の強い連帯なしにはありえない。ジャーナリストには、多様なメディアに携わる関係者間がより強く広く団結することで、どうしたら独立した報道をもっと広めることができるかを考えて欲しい。

 ジャーナリストの連帯に関わる問題は、ジャーナリズムが、権力から適切な距離を取り、メディアの独立性を具体的、個別的に守り、憲法で保障する国民の知る権利から負託された報道の自由を促進するように努めるべきだろう。そのためにここのジャーナリストは何をなすべきか。
 特に、特定秘密保護法、安保法制化、共謀罪創設など、安倍政権がここ数年、近代民主主義の原理(人類の歴史的叡智の結晶)も原理に基づいた手続きも無視して強引に進めてしまったとされる事案を正常化させる、つまり、元に戻すキャンペーンを張るのも一つのアイディアかもしれない。

 ケイ教授は、例えば、特定秘密保護法への処方箋として次のような提案をしている。ジャーナリストや政府職員以外でも、国家の安全を脅かすことのない公の利益のための情報を開示した者が、処罰を受けずに済むことを保障するよう、政府が法律に例外規定を設けることを提案する。特別報告者は、専門家で構成される独立監視委員会を設立するよう政府に求める。

 市民デモクラシーの担い手を志すものは、既得権益にすがりつく組織ジャーナリストも含めて、あらゆるジャーナリストたちと連携をして、日本のメディアの独立性を取り戻し、報道の自由を確立するような市民運動を継続的に、より幅広く構築するために何をなすべきか、考え初めて欲しい。7月の市民集会で、ケイ報告を私たちはどう活かしていったらいいのか?というテーマがあったが、逆に、私は考えたい。市民運動なら、今、なにができるのか、と。

◆ エピローグ ~安倍政権の宴会政治

 安倍首相は7月5日、欧州6カ国を訪問するため政府専用機で羽田空港を出発し、ドイツ・ハンブルクで7日、8日と開催される主要20ケ国&地域首脳会議(G20)に出席するなどした後、7月12日に帰国する予定だったが、大分や福岡など九州の大雨被害を受けて、予定を1日早めて、11日午後2時32分羽田空港着で帰国、直ちに皇居に直行し、午後3時11分帰国の記帳をした。翌、12日午前8時7分自衛隊のU4多用途支援機で羽田空港を飛び立ち、午前9時22分大分空港着。大分、福岡の被害地現場を回り、午後6時44分羽田空港着で帰京。この12日の行動は、予定になかった行動だろう。では、13日は予め組み込まれていた予定だろうか。「首相動静」は、特に13日の夜に私は注目した。

 安倍首相は、7月13日の夜、大雨被害に次ぐ「最優先課題」の一つとして、なんと「宴会」を開いたのだ。「お友だち」のマスコミ幹部と称する連中7人と会食。出席者は、以下の通り。毎回のように同じ顔ぶれが多い。いずれも、新聞なら、署名記事を書くし、テレビなら画面出てくる連中が多いから、新聞記事ならどんな記事を書いているのか、紙面の裏側が見えるほど凝視して読んでほしいし、テレビなら、どんな発言をしているのか、顔に穴があくほど、これまた画面を凝視したらいかがか。

 午後6時49分、紀尾井町のホテル「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」のレストラン「WASHOKU 蒼天」で、曽我豪(朝日の編集委員)、山田孝男(毎日の特別編集委員)、小田尚(読売の論説主幹)、石川一郎(BSジャパン社長)、島田敏男(NHK解説副委員長)、粕谷賢之(日本テレビ解説委員長)、田崎史郎(時事通信特別解説委員)と会食。午後10時10分、富ヶ谷の自宅。(以上、「首相動静」朝日14日朝刊)

 安倍流の宴会政治は、ほぼ3時間続いた。いつもの顔ぶれの連中を懐柔した課題はなんだったのか。支持率低下の対応策か。国会閉会中の予算委員会首相出席・審議対応策か。マスコミのお知恵拝借に、飲み食い代を税金で支払ったのか。

 「言論と表現の自由」を調査・監視する国連特別報告者のケイ教授の提言ではないが、今こそ、日本国民の民主主義の度合が試されているだろう。国連の人権理事会の特別手続きに則って活動する特別報告者では、ケイ氏のほかに「人権」状況などを調査・監視する国連特別報告者としてマルタ大学教授のカナタチ氏が、日本の共謀罪の「組織犯罪処罰法改正案」の審議状況を見て危惧の念を抱いて、この法案は、プライバシーや表現の自由を規制する恐れがある、という警告の書簡を安倍首相に送っている。この書簡の趣旨を踏まえて、カナタチ教授は、10月の国連人権理事会に日本についての報告を正式に提出する予定だという。

 これについて、菅官房長官は、5月22日の記者会見で、「不適切なものであり、強く抗議をしている」と述べた。さらに、国連の特別報告者というのは、人権理事会の特別手続きに則って、これは調査すべき課題だと判断したら、当該国の政府に連絡をし公式訪問を招致させるシステムになっている、と伊藤弁護士は説明した。それなのに、菅官房長官は、「特別報告者という立場は独立した個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であり、国連の立場を反映するものではない」と主張して、「プライバシーの権利や表現の自由などを不当に制約する恣意的運用がなされているということは全く当たらない」と、いつもの口調で切り捨てたというが、また、10月には、支持率を下げるのに拍車をかけることになりはしないか。8月の内閣改造で支持率下げ止まりというマスメディアの記事を見て、これなら大丈夫と思って、高(たか)を括(くく)っているのだろうか。

贅言 ;
「むかし噺・五右衛門と葛籠(つづら)抜け」
 勅使の呉羽中納言に化けて将軍足利義輝の志賀の別荘に潜り込んだ石川五右衛門は、見破られて追っ手に追われた。逃げ延びようと、葛籠に入り込んで、姿を隠した。五右衛門の使う妖術で葛籠は人目を忍んで宙に浮き上がって、中空を漂い始めた。宙を行く葛籠を見つけた追っ手たちは騒ぎながら地上から後を追ったが、ドンドン引き離されるばかりだ。

 葛籠は、歌舞伎で言えば、花道七三(しちさん)の辺りで、伝家の宝刀(内閣改造)を使った宙乗(ちゅうの)りが「下げ止まり」になり、五右衛門は正体を顕す。その方法がユニーク。

 葛籠の中から、なんと人が抜け出して来た。宙に浮いたままで、その者は葛籠を背負い直す。その者とは、追っ手たちが探していた五右衛門であった。宙乗りの五右衛門は、花道七三のスポットに浮かんだまま(支持率下げ止まりと伝えるマスメディアの情報を横目で睨んだ後)、地上の追っ手たち(こんな人たち=批判者たち)に向かって、「馬鹿めッ」 と、ひときわ大声を張り上げると、脇目も振らずに花道の「向う揚幕」の上に作られた「避難口」(EXITと表示されている)目指して、しかしながら、見た目は悠々と雲の上を歩くように、逃げて行ってしまった。

 五右衛門は、いまも、タイムスリップを繰り返していて、歴史の宙空を漂いながら、時に名を変えて、別の人物として現世(うつしよ)に蘇ってくるのだろうか。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)・日本ペンクラブ理事・オルタ編集委員)

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