【コラム】酔生夢死

日常と非日常の境

岡田 充
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 温泉が好きだ。“ネズミランド”に近い家から10数分の東京湾沿いに温泉がある。とはいっても、地下から汲み上げた冷泉を沸かした「温泉」だけどね。中には宿泊施設のほかレストランも何軒かあって、泊りがけの研修に使う企業もある。

 浴場を移動するとき前を隠すだろうか? 気づいたのは、若い男性は圧倒的にフリチン派が多いのだ。中国人や韓国人、欧米人観光客も結構いるが、彼らも隠さない。「前を隠す」のは、いったいどんな意識からくるのだろう。

 まず思いつくのは、人に見られるのが「恥ずかしい」からだ。服を着ている「日常」が突然、素っ裸の「非日常」に移動する空間に、なかなか慣れないのかも。大学の体育会系のある若者はネットに「皆でよく風呂入るけど、隠す奴は一人もいない。かなり小さい奴もいるけど全く隠してないっす」と書く。理由は「同じもんぶら下げてるんだし、こそこそしてる方が女々しい」。

 「お前はどうなんだ」と聞かれれば、「中途半端に隠してます」。堂々と見せるものでもないと思うけど、かといってあからさまに隠すのは、何か悪いことでもしているようで…結局、中途半端な隠し方しかできない自分の卑屈さに嫌気がさす。
 隠すのはたぶん親の背中を見て育ったからだ。4、5歳のころ一家で温泉に行った。素っ裸になった父親を見て、思わず「おとうちゃんのオチンチン大きいね」と、哲学的コメントをした。顔を赤らめた父親は、苦笑いしながら「バカやろう」。コメントしてはならないモノと知った。

 東京・中野の実家には風呂がなかったから、近くの銭湯に通った。幼児期は母親と女湯に入ったが、彼女も隠していた。思春期になり下に毛が生えてくると、隠すのが当たり前になった。その時からの習慣をいまも引きずっている。
 4、5歳の子供が浴場をフリチンで駆け回る姿は愛らしい。一方、太鼓腹オヤジが何も隠さず仰向けに寝そべっている姿を想像してごらん(下のイラスト参照)。ほとんど「犯罪」だよ。「お願いだから隠してはくれまいか」と言いたくなる。

 女性はどうなのか。知り合いに訊ねてみた。「下だけですが、隠す人がほとんど。私の場合フェイスタオルで巻いて横で結ぶ。サロン風に」。なかなかオシャレだ。

 非日常の温泉で突然、知り合いと鉢合わせしたらどうだろう。しかも会社の上司かお得意だったら? 突然、日常の世界に引き戻されるから、隠したくなるのではないか。掌だけではねぇ。恥じることはない。次から堂々と隠して入る。

 (共同通信客員論説委員)

画像の説明
  「ぽかなび.jpマナー向上委員会監修 入浴の心得」のポスターから

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