■農業は死の床か再生のときか  濱田 幸生  

放射能雲の下に生きる

■原発再稼働は最大限安全基準と更新基準でしろ
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 結局、なし崩し的再稼働が大飯原発3、4号機で始まってしまいました。この
ことは痛恨事です。このような形で再稼働を認めてしまうと、今後も原発の再稼
働問題が浮上するごとに日本は揺れ続けることでしょう。
 電力の必要性と安全性という本来は対立するはずがない2項対立が生れていま
す。

 私は再稼働の条件は、菅前首相が思いつき的に言い出したストレス・テストな
どではないと思っています。
 ストレス・テストとは、原発の非常事態に対する余裕度をコンピュータを使っ
て測るもので、再稼働の前提条件そのものではありません。

 もし、その必要があったのならヨーロッパ諸国がしたように3.11以後、直
ちになすべきであったし、去年7月6日時点で稼働していた19基の原発をいっ
たん停止させるべきでした。
 それをせずに、玄海2、3号機の再稼働になってからストレス・テストを持ち
出すということは、彼が得意とする政治的スタンドプレイだったとしか考えられ
ません。

 それはさておき、再稼働の前提条件はストレス・テストではなく厳格で万人が
納得する安全基準です。
 これはいままでの原発事故に対する基本姿勢であった「原発過酷事故は起きな
い」というファンタジーに立つのではなく、「原発過酷事故は起きる」という前
提に立つものではなくてはなりません。

 そしてこの原発無謬ファンタジーを未だ信奉している者たちは、一切の原発関
連の規制当局はもちろんのこと、審議会などにも加えてはなりません。
 彼らの影響力を徹底的に排除しないことには、新たな安全基準は誕生できるは
ずもありません。そのためにはしっかりとした政府の政治的決断が必要とされる
ことでしょう。

 そして作るべき再稼働の安全基準はこのようにあるべきだと私は考えます。
(1)原発施設に、史上最大級の地震、津波が襲来したとしても、それに耐えう
る最大限の危機を想定した安全基準。
(2)新たな活断層の発見、あるいは地震学の知見が発見された場合には、それ
を優先して取り入れる事が随時できる柔軟な更新基準。

 実はこれは私のオリジナルではなく、日本最大の原発銀座をもつ福井県の発案
です。このような徹底した安全基準を再稼働の条件とした場合、大部分の原発は
再稼働が不可能となります。
 特に南海トラフによる大地震が想定される地域での原発はBWR、PWRを問
わずすべて廃炉とし、直ちに燃料棒の抜き取りと安全な場所への移動を行わねば
なりません。CO2排出問題には目をつぶって一時的に火力発電所のフル稼働で
しのぎながら乗り切るしかないのではないかと思います。
 
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■国は原発を国有化しろ
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 民主党政権は「原発ゼロ」を打ち出しました。まだ党内調整が残っていますが、
選挙前に国会が開店休業なのをいいことに駆け込み閣議決定くらいはするつもり
でしょう。

 こういうのをなんとかの最後っ屁というのでしょうな(笑)。確率100%で
あと数カ月の余命しかない末期政権が、こんな重大事をすんなりと決定すること
自体お笑いです。
 だいたい事故処理に失敗した政権がどの口でゼロを言うのでしょうか。少なく
とも枝野経産相からだけは聞きたくない。

 問題は山のようにあります。「原発ゼロ」にした場合に、3割を占める原子力
の代替エネルギー問題はこれまでこのブログでも幾度となく書いてきましたので
今回はふれません。

 もうひとつの大きな問題は、「今ある原発をどう処分するのか」です。
 「今ある原発を処分する」には、再稼働を認めねばいいという単純な問題では
なく、東電処分や、賠償責任問題、あるいは廃炉にともなって大量に出る使用済
み燃料などのバックエンド問題というような複雑な問題をかたづけねばなりませ
ん。

 たとえば、私なども「被曝地」住民のひとりとして関わっている賠償などで、
東電は頑として原賠法第3条ただし書きにある「異常に巨大な天変地異」を事故
原因として無限責任を拒んできました。

 事故直後の東電社長会見から今年の東電事故調報告書まで、一貫してその主題
は貫かれています。東電からすればこのように主張することで、おそらくは10
兆円以上にのぼると思われる賠償の無限責任から免責されたいと考えており、連
帯責任の当事者として国を引っ張り込むことを狙っているからでしょう。

 福島第1原発事故により壊滅的打撃を食った私としては実に不愉快ですが、私
企業としては当然と言えばいえないこともありません。
 というのは、今の国は原賠法を楯に資金の貸しつけだけで済ましてしまいたい
わけで、どこまでも口は突っ込むが責任は負わないという図々しいスタンスのま
まいたいというのが本音だからです。

 国策民営方式で「原子力ムラ」とまで言われる隠微なもたれあい構造を作って
おき、両者間で責任の所在を明らかにしないまま3.11の悪夢を迎えてしまい
ました。
 「いい時にはなぁなぁでおだて上げ、過酷事故が起きれば縁切り。そりゃあな
いだろう。お国の政策を誠実に実行しただけだぜ」というのが東電さんの言い分
です。

 次期政権がどのような決断をするのかわかりませんが、国は責任を回避すべき
ではありません。国策民営という方式では責任の所在があいまいになり、被災者
は誰に対して要求をしていくのかすらあいまいになってしまいます。

 国は今回の事故が積年の縮図であることを認めて賠償の矢面に立つべきで、こ
こをあいまいにし、資金注入だけで逃げようとするからおかしくなるのです。
 事故処理の一級戦犯である枝野氏までが、電気料金の値上げは許さないなどと
チャラ顔をするからおかしくなるので、東電さんと一緒に、あんたにだけは言わ
れたくよねぇ、と言いたい。

 国策によって作られた原子力政策により起きた事故の賠償は、正しく国が受け
止めるべきで、それだけにとどまらず国策支援が不可欠な原子力発電事業総体を
国営化すべき時期に入ったと思います。
 これは電力会社の雄である東電ですら、いったん過酷事故の被害を起こせば経
営破綻することが明らかになった以上、リスクマネージメントの上からも必要な
ことです。

 9電力会社すべての原発を一括して経営から切り離し、新たに作られる国営原
子力発電会社に移管すべきです。このことによって従来の宿痾であった国と電力
会社のもたれ合いを解消し、国の責任を明確にできると思います。
 特に、加圧水型よりも事故が頻発している沸騰水型原子炉を所有する東電、東
北電、中部電、北陸電、中国電などの電力会社原子炉を、先行して経営切り離し
を実施する必要があるかしれません。

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■原発立地自治体に原子力行政に権限を与えよ
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 私が3.11以後なんどとなく感じたことは、地方分権、道州制などと言われ
ながらなんという地方権力の無力さだろうか、ということでした。無力さとは、
100年に一度の非常時においては県民を保護しない不作為を意味します。砂丘
に頭を突っ込むダチョウの如し。それは端的に放射能対応に現れました。

 怖いから見ない、見ないからないものとする、あると分かれば対策をたてねば
ならないが、国が何も指示してこないから結局なにもしない。もういちいち例示
するのも疲れるほどです。激動の1年間は懐手して農民を放置し、農地や霞ヶ浦
すら計測せず、最後に私たち有機農業者が窮状を訴えに行けばナントカフェスの
パンフを与えただけで恬として恥じない。まったくたいした人たちだと思いまし
た。(漁業に対しては農業よりはるかにまともな放射能対策がなされました。)

 なぜ県行政はこうなるのでしょうか。それは原発行政に関して地元行政がなん
の椅子も与えられていていからです。わが茨城県はもっとも古い原発立地県であ
りながら、東海村第2原発の運営に関しては国と電気事業者に一任されてきたた
めに、地元自治体というもっとも重要なステークホルダー(利害関係者)であり
ながら、事実上なんの発言権もありませんでした。

 立地地域住民、いや、いったん過酷事故が起きれば県全域が地獄の釜に放り込
まれるというのに、その釜の蓋が開かない限り自治体首長はなんの発言権もない
のです。
 その発言権すら、国にとっては法的に聞かねばならないというものではなく、
「世論がうるさいからいちおう聞くポーズだけはしておこう」ていどのものでし
かなかったのは再稼働問題で明らかになりました。

 今のように原子力保安行政になんのタッチもできない現状から、すべてに国頼
み、国の指示待ちという地方自治体のスタイルが生まれてしまったのです。まさ
に馴れ合いです。

 再稼働に対しても、意見をお聞きしましたという国のガス抜き同然のヒアリン
グではなく、安全に瑕疵があればいつでも稼働を停止できる強い権限を立地自治
体に与えるべきです。
 そして原発立地自治体は、財政的には電源開発促進税を手にすべきです。これ
を県が主管することで、これから長く続くことが予想される稼働停止状態の中で
も、一定の税収を確保していける法的権限が生まれます。

 今の電源開発促進税は、税の一部が国の一般会計に消えてなくなるという本来
の税の意味のはき違えが生じてしまっています。
 現状の電源開発促進税の使われ方は、立地自治体の大きな社会施設などに費消
されており、ほんとうに県民を放射能から守るためにはごく一部の金しか使われ
ていないありさまです。

 このような立地自治体に対する宣撫工作まがいに促進税を使うのではなく、立
地県全域の放射能測定体制の充実、除染活動の支援、非常事態における備え、新
エネルギー開発への支援などに使用すべきでしょう。
 この電源開発促進税と原子力保安行政への参画を県が握ることで原発の運営の
首根っこを抑えることが可能です。

 今、県行政は3.11の真の総括をしていきたい。なにができなかったのか、
何ができたのか。できなかったとしたらなにが原因だったのか、胸に手をあてて
考えることです。
 日本における再生可能エネルギーの導入は、制度的に初手で失敗したと私は思
っています。それはEUでつまずいたFIT制(固定・全量買い上げ制度)を導
入してしまったからです。

 しかし、にもかかわらずというべきでしょうか、再生可能エネルギーは21世
紀の重要なエネルギー源候補であることには変わりありません。
 なにか脱原発の御神体を祭るように神格化する扱いが間違っているだけであっ
て、再生可能エネルギー自体は活かし方さえ誤らなかったら、こんな魅力的な電
源はありません。

 岩手県釜石市に再生可能エネルギーの先進事例があります。釜石市は3.11
の大震災で大津波に襲われた地域のひとつです。
 明治以降に実に今回で4回もの大津波に耐えてきました。3.11においても
1061名もの死者・行方不明者という痛ましい被害を受けています。

 私がこの釜石の人々に感嘆するのは、生き残った人々が「引っ越せばいい」と
いう安直な声に耳を貸さなかったことです。
 なんとかふるさとを再生するのだ、生き方を取り戻すのだという願いの強さで
す。これはとりもなおさず地場産業復興であり、それによる雇用の創出です。

 「鉄の町釜石」、「漁業の町釜石」、「農業の町釜石」、この3つが相互につ
ながって「釜石市復興まちづくり基本計画」を作りました。
 この基本計画のひとつひとつは実に興味深いもので、なし崩し的に「復興」し
つつあるわが茨城南部地域にはまぶしいほどです。その中のひとつに「スマート
コミュニティなどによるエネルギー多様化に向けた取り組み」があります。

 これが実に「釜石らしい」のです。
 というのは、豊かな山林資源を後背地に持つ「鉄の町釜石」という地域的特性、
海に面しているために海風が強く吹く地形、そしてLP(液化石油)ガス関連施
設の存在という多様な地場エネルギー源が釜石にはあるのです。

 これは再生可能エネルギーの大胆な取り組みをする上でまたとはない条件でし
た。お分かりになるでしょう。再生可能エネルギーのもっとも大きな欠点はなん
でしたか?
 そう、それは定常性がないことです。風力発電ではその時の風向き、風量に支
配され、太陽光では曇り、晴れの天気に一喜一憂するという難点のために、常に
バックアップ電源として火力発電がなくてはならないことです。

 しかしこれらが一括してひとつの地域にセットされていたとしたら、その地域
内での分散型電源網を作り、地域内配電網をコンピュータでコントロールするこ
とによって自立した発送電網ができるのではないでしょうか。
 これがスマートコミュニティです。私はこの釜石市の取り組みに希望を感じま
す。
 (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)

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