■投 稿;

7 号評 今井正敏

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「オルタ」も7号を数えるようになり、過去の出来事や、関心を集めている論文 や主張を取り上げるばかりでなく、現在、多くの人々が最も注目した現象、- -今回の「アテネオリンピック」やこれと関連する「北京オリンピック」を トップにすえたことは大変時宜を得た企画でよかったと思います。
 加藤さんが 「アテネオリンピックをJリーグ理事三ツ谷さんに聞く」の記事のなかでは三 ツ谷さんがアテネで日本選手が活躍した理由を聞かれて答えられた最後の部分 「--日本の仕組みというか、役所系のところは頑張りますとは言うけれど、 責任を負いたくないから数値を出さなかった。それを変えて数値を示し、それ に予算をつけて、メリハリをつけたのがうまく機能したのではないでしょう か。」という指摘は、ほかの多くのスポーツライターや評論家、記者などから はほとんど聞かれなかったので、さすがは日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞 された三ツ谷さんならではと思われました。

  『アテネから北京へ』の編集部座談会では肥大化したオリンピックの問題点 や北京オリンピックはハード面では問題ないだろうが、ソフトには課題がある など指摘していますが、同時に取り上げていた「国別の金メダル獲得数」のこ とでは良い悪いは別にして北京大会では中国が国の威信をかけて最大限に頑張 り、金メダルはアメリカとならぶ数を取ってスポーツ大国の地歩を固めるだろ うと推測していますが、北京大会以降、このスポーツ超大国中国と日本はどう 向き合ってゆけばよいのかという点に話題が及ばなかったのがやや物足りなさ を感じました。

  『憲法を愛していますか』の金森徳次郎先生のこと。 小生は1955年の頃、出版会社「教育出版」に勤務しておりましたが、会社の外 郭団体に「教育文化研究会」というのがあり、その会長が当時、国会図書館長 であった金森先生でした。その研究会の事務局を担当しておりましたので、国 会図書館があった赤坂の迎賓館の館長室によく先生を訪ね、用事のあと、先生 から憲法談義を聞くのを楽しみにしていました。当時、新憲法で最も関心を集 めていたのは「第9条」ではなく、冒頭の天皇「象徴」制でした。よく知られ ているようにこの「象徴」という言葉は金森先生が作ったと言われていて、国 会での答弁でも先生はこの「象徴」を連発し、別名「象徴大臣」とも言われて いましたから、小生が承わったのもこの「象徴論」が中心だったように記憶し ています。 「オルタ」7号で思いがけず『金森徳次郎』の名前に接し、50年前の若かりし 頃を懐かしく思い起こしました。