<日中・日韓連帯拡大のために>

戦後70周年の日中関係の展望

「歴史問題」に代わって安保問題が新しい対立の焦点になる可能性

朱 建栄


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自己流の「国際関係の心理学」
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 私は大学生の時から心理学が好きだった。大学院は国際関係が専門だった。来日以後、「国際関係の心理学」に興味を持ち、客員教授を務める上海の華東師範大学ではこれをテーマとする講座も行ったことがある。

 「いい加減な学説」と言われるのを承知の上で自説を少し紹介するが、国と国の関係における地政学的な一般的法則以外、たとえば大国は周辺の小国から依存される半面、大体嫌われることや、とりわけ、数世代(およそ100年以内)の歴史的記憶がその国民の心理に持続的な影響を与え、それは今日の国際関係、二国間関係にまで表立った現象では説明できない作用を及ぼすなどの普遍的な現象が見られる。

 中国の場合、近代以来ロシアにさんざん苛められた記憶(侵略、領土の割譲など)と、旧ソ連から共産主義を学んだ歴史により、今日に至って、国力が大幅に低下したプーチンのロシアに対して、外交や国民心理には「敬意」と「恐れ」のカラーが深層的に残っているように感じられる。十数年前に江沢民が国家主席として訪ロした時、その振る舞いに自分はどこか大先輩かヤクザの兄貴に会いに行くような恐縮さを見た。今でも中国の世論はどこか、ロシアを米国への対抗勢力だと無意識的に見なす論調を展開するものが多い。もっとも、中国指導部やエリート層のロシアを見る目には余裕が出てきたようだ。

 対照的に、中国は米国に対して「恐れ」、恐縮さをあまり感じない。朝鮮戦争で米中両軍が直接対決したが、引き分け以上の結果に持ち込んだとの自負がある。ベトナム戦争においても中国はのべ50万人以上の軍人を半ば公に送り込み、米軍と直接的、間接的に戦ったが、最後に米国はインドシナ半島から追い出された。この2回の戦争体験により、圧倒的な軍事力を有する今日の米国を見る目は、指導者層はもちろん世論や民衆を含めて、かなりの冷静さがある。

 それは別に米国軽視ではない。反対に米国の強みに対して素直に「凄い」とも言える。要するにあまり感情に左右されずに米国を見ることができる。強いて感情の成分を言えば、どこか「米国に騙されることはない」との変わった「信頼感」がある。19世紀末以来、米国は「門戸開放政策」から第二次世界大戦に至るまで中国を助け、大量の中国人留学生を受け入れたことから、中国では米国はいまだに「憎めない」存在である。現実的に米国は唯一の超大国として「アジア復帰」を叫び、陰に陽に中国包囲網を作ろうとしているが、高級幹部たちですら、公の場で米国の「覇権主義」を批判しつつ、子弟たちを優先的に米国留学に送り出している。

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日本に対する中国人の深層心理
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 では日本に対してどうなのか。2000年以上の歴史において日本はただ中国文明の東の海に佇む小国に過ぎなかったという慢心があった反動で、日清戦争の敗北でより一層心理的なショックが大きかった。さらに日中戦争で半分の国土を占領され、戦後の日本はまた世界2位の経済大国に復活した。これにより、つい最近まで、一般民衆に日本へ強烈な拒否的感情があるだけでなく、中国のエリート層すら、日本について「(また侵略拡張しかねない)要警戒の国」と「(その技術と資金の協力がほしい)経済大国」という二つのアンビバレントなイメージがこびりついていた。

 日本人のほとんどは、今の日本は再度第2次大戦当時のように対外侵略をする意思も気力も実力もないと思っているから、中国が歴史問題や日本警戒論を時々口にする深層心理を理解できないため、それを江沢民が「反日教育」を進めたからとかで解釈してしまう。しかしこの解釈が説明できないのは、「反日デモ」は20世紀前半から繰り返されてきたことだ。共産党政権以前の袁世凱、蒋介石ら歴代政権の下でも、国民レベルでそのような「反日」が継続されてきた。そして現在の中国の学校教育はイデオロギー信仰、愛国、モラル向上などほとんどの面で成功していないのに、なぜ「反日教育」だけが成功しているかも説明できない。

 「国際関係の心理学」の角度から中国の対日外交、民衆の対日反応における深層心理を見ると、少なくとも次のようないくつかのイメージが常に残っていた。

1、日本は19世紀以来の約100年間、悔しいが、中国を圧倒していると認めざるを得ない。
2、戦後の日本は武装解除されたが、その潜在力は残っている。したがって日本は敗戦による「束縛」(平和憲法、交戦権、軍事力の制限など)を解かれると、また「暴発」し、中国の脅威になりかねない。
3、日本の総合国力(技術の研究開発、国民の「素質」、国際司法裁判所など国際機関におけるプレゼンスなど)はいまだに中国の上にある。
4、中国はこの日本に対して牽制するカードが少ない。

 これらのイメージはおそらく21世紀の冒頭まで、中国の一般国民から指導者に至るまで、無意識的に共有されていたと筆者は見ている。そのような根底にある意識の存在によって、中国の外交と国民の行動は日本に対して時々両極端な反応を見せる。一つは対日重視(とその裏返しの警戒感)。もう一つは激昂して時には日本の製品を焼打ちするなどの「反日デモ」に走ることだ。

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最近の5年に大きな変化
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 これら二つの反応はこれまで100年間の日本に対する中国の基本的なパターンだったと思うが、21世紀に入って以来、特に習近平時代では変化が次第に現れた。大まかにこの20年の中国社会の各階層の対日観の変化を整理すると、次のような表にまとめることができる。

 この20年における中国各階層の対日観の変遷(反日:× 日本相対化:○)
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    指導部 エリート層 大学生・中産階級 内陸部・出稼ぎ者  備 注
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1995年  ×    ×      ×        ×     村山談話
2005年  ○    ○      ×        ×     反日デモ
2015年  ○    ○      ○        ×
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 ここでいう「反日」とは言うまでもなく、感情的な対日反発を指す。「日本相対化」とは、過去のトラウマから解放され、日本を冷静に見るようになったことだが、その中に日本重視論も「日本は大したことはない」軽視論も派生される。

 中国社会の大半は「反日」ではなくなったと言うと、多くの日本人はにわかに信じられないかもしれない。しかしそれを予兆する一連の変化は数年前から起きている。

 2002年から03年にかけて、馬立誠、馮昭奎、時殷弘ら中国言論人が「中国側も歴史問題を乗り越えるよう努力せよ」と呼びかける「対日新思考」を提起した時、中国の民間はもちろん、学界、世論でも「袋叩き」に遭った。2005年の「反日デモ」では大学生を中心に、中国社会のエリート層が先頭に立った。変化はそれ以後の数年間、特に2008年の北京五輪、「リーマン・ショック」を転機に加速した。

 係争の島をめぐって2012年にふたたび大規模な「反日デモ」が発生したが、参加者の中身は大きく変わった。一部のネット・ナショナリスト(「憤青」)の呼びかけの下で、出稼ぎ労働者や下層市民らがデモ参加者の8割以上を占め、ホワイトカラーや大学生はほとんど参加しなくなった。焼き討ちなどの破壊活動が多数発生したのは誠に残念だが、その大半は日本に向けられたというより、これに乗じ、普段の暮らしで蓄積されたストレスを発散させるのが目的だった。

 2012年に野田内閣が島の「国有化」を閣議決定したことに対し、中国のマスコミ、オピニオンリーダー層も猛烈に怒ったが、「怒り方」はかつてのと異なり、米国に対するそれに似てきた。すなわち、一部の問題で怒るが、別の分野で好きなことは依然好きと言うようになった(前は日本に対して、「日本のこれこれが好き」とは公の場で言えなかった)。また、一時的に怒るが、長続きしなくなった。

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GDPの逆転に伴う中国の変化
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 実際に政治関係はその後も厳しさが続いたが、日本への観光客は13年から伸び始め、14年は前年比、8割も増えた。年末に高倉健が亡くなると、日本国内よりももっと惜しがられ、記念活動が多かった。そして13年末のアンケート調査に続き、最新の調査でも日本は「最も観光に訪れたい」対象と答える人が一位を占めた。ネットでは日本の良さを評価する記事や書き込みが目立って増えた。その背景として、「歴史問題」が最重要な判断基準ではなくなったこと、かつての感情的な反応から現実的な判断、評価にシフトしたと挙げて間違っていないだろう。

 逆に、日本のマスコミの報道を見れば、日本社会の中国や韓国を見る目は従来より余裕を失って感情的になり、苛立ちが目立つようになっている。「嫌韓」の報道や書籍が増えるとともに、中国指導者への根も葉もない憶測や非難は日本のマスコミでどう書かれようと容認されるし、逆に中国を少しでも「弁護」したら、在日中国人なら「中国政府の代弁者」と、日本人なら「売国奴」と罵られ、個人的には何度も嫌がらせないし脅しに出会った体験がある。それは日本側の問題だが、一方、中国のオピニオンリーダー層は日本国内のこのような風潮、動向に対してあきれる、反発することがあっても、かつてほど「むき」に怒ることはなくなった。これも日本を見る目の変化の現れと言えよう。

 ではなぜ中国人の日本を見る目にこんなに変化が生じたのか。最大の背景的要因は経済成長による自信の向上であろう。
 2010年末、中国のGDP総額は日本のを超えた。2014年末の時点で、中国のGDPはドルベースで日本の2.1倍強になった。IMFの最新の発表によれば、購買力平価(PPP方式)で計算する場合、2014年の中国のGDPはすでに米国を超過し、日本の3.7倍であり、2019年には日本の5倍の規模になる、という。このようなパワーバランスの激変を背景に、中国外交は2008年の「リーマン・ショック」以後、自信を強め、そして自信家の習近平主席の登場により、米国を守勢に回らせる「全地球外交」(最近はヨーロッパ、ラテンアメリカへも巨額の融資などの援助を行っている)を活発化している。

 このような背景の中で中国の日本を見る目に、かつての畏敬が薄れ、「日本(全体)が大したことはない」という軽視論や、「日本政治はだめだが、経済、社会の多くの側面では中国より進んでいる」という「部分的評価」がとってかわったのである。筆者は全般的に見て、これは中国人の対日観の100年ぶりの大変動だと捉えてもいいと考える。

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今年は「歴史問題」は焦点にならない?
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 「前置き」が長すぎたが、では冒頭で説明した「国際関係の心理学」の視点から見れば、2015年の中国の対日外交はどう展開されるのだろうか。

 やや独断的な見方だが、「抗日戦争70周年」に当たる節目の年だが、「歴史問題」で日本叩きをすることは多分しないと筆者は見ている。

 日本ではこの2015年において、中国はまた(あるいはこれまで以上に)「歴史カード」を使って日本叩きするのではないかと大方予想されている。もちろん、安倍首相が靖国神社参拝をしたり、侵略戦争の責任を否定したりすることがあれば、中国の民衆、ネットの世界では強く反応が出るだろう。当局も対日批判のボルテージを上げざるを得ない。国内の反腐敗闘争が政治・権力闘争の色合いを帯びる中で、特に去年11月の「4項目原則合意」と首脳会談があった後に、安倍首相が再び靖国を参拝すると、権力闘争の相手からは「対日外交の失敗」と攻撃され、国民からは「弱腰外交」と批判されかねないからだ。

 ただ、天皇陛下は今年元日の新年の御言葉で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだ」とわざわざ言及されている。米国も再三、牽制を送っている。そして対中関係の大幅な後退は安倍首相が最も重視する経済の復興にとってもプラスにならない。これで個人的には今年中、安倍首相の靖国参拝はないだろうとやや楽観的に「常識的に」見ている。(時々「常識」が裏切られてきたが)。

 日本側から「挑発的」(と受け止められる)動きがそれほどないことを前提に考えれば、中国は歴史問題で日本叩きをする確率はぐっと下がる。もっとも、安倍首相はどのような終戦記念日談話を発するか、ほかの政府要人による不謹慎な発言が飛び出すかどうか、思わぬアクシデントには依然要注意。

 しかしこの2年ぐらい、日中関係は特に険悪になり、習近平主席は何度も歴史問題で日本批判をしたのではないか、これについてどう説明するかという疑問があるのかもしれない。

 筆者は去年夏まで日中関係に緊張状態が続いたのは、(1)尖閣(釣魚島)問題をめぐって、両国のナショナリズムが高揚したこと、(2)安倍政権の対中対決姿勢に中国が憤慨し、警戒したこと、(3)切羽詰まった「反腐敗闘争」の進行によって習近平指導部は外交全般や対日関係への配慮に余裕をなくしていたこと、といった背景が挙げられると分析している。

 ただ、去年7月は両国関係にとって対立を煽ったり、放任したりする国内要因がそれぞれ変わったようだ。7月初頭、安倍政権は「中国脅威論」を利用して集団的自衛権の閣議決定を実現し、その後はむしろ中国との緊張緩和を図り、北京APECでの首脳会談の実現をもって、12月の総選挙で「アジア外交の失敗」が攻撃されないように(別の意味で利用)した。それに対して、中国では周永康の摘発を7月末に公表したことで内部の政治的決戦にほぼ決着がつき、それ以後、習近平主席は外交の調整と新しい展開に積極的に乗り出した。したがって、習近平政権の対日政策の真意と今後の推移を見るには、去年7月以降の言動をもっと重視する必要がある。

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習近平主席は対日新方針を次々と提示
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 去年3月の全人代(通常国会)で「戦勝記念日」と「南京大虐殺記念日」の設置が決定された。7月の習近平主席の訪韓で朴槿惠大統領との間で「来年の中国の抗日戦争勝利と朝鮮半島光復70周年を迎え、両国が共同記念式典を行う」ことについても合意した。後者は、ヨーロッパ各地に行われる予定の様々な第2次大戦70周年記念イベントに比べアジアは「遅れている」という意識にもよるものであり、前者については中国国内の改革推進に国民の意欲を引き出すためという側面が強い。
 したがって、それは全部、「日本叩き」のためとは解釈すべきではない。
 9月以降、習近平政権がどのように「70周年」を記念するかについて強く意識し始め、関連の問題への発言は明らかに「新味」を出してきた。

 9月3日、習近平主席は抗日戦争勝利記念座談会で「戦後の国際秩序を断固守り、侵略の歴史への否定や歪曲を許さない」と表明する一方、「中国と日本は一衣帯水の隣国であり、2000年にわたる交流の中では、平和と友好が主流である」「中国政府と人民はこれまで同様、中日関係の発展に力を尽くし、4つの政治文書を基礎に、中日関係の長期・安定・健全な発展を推し進めるよう願っている」「日本が発動した侵略戦争が中国人民にもたらした災難は、日本軍国主義が作りだしたものであり、中国政府と人民が、この責任を日本人民のせいにしたことは一度もない」とも発言した(注1)。

(注1)習近平「在記念中国人民抗日戦争曁世界反法西斯戦争勝利69周年座談会上的講話」(2014年9月3日)、「人民日報」2014年9月4日。http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2014-09/04/nw.D110000renmrb_20140904_1-02.htm

 「大半の日本国民もかつての戦争の被害者であり、犠牲者である」「中国が批判するのはかつての軍国主義の首謀者と、今、あの侵略戦争の責任を否定しようとする勢力」という毛沢東、周恩来ら建国世代の指導者が一貫してきた対日認識は「二分論」(「区別論」ともいう)と呼ばれるが、実は筆者は中国社会科学院日本研究所発行の『日本学刊』14年7月号に「対日二分論は時代遅れなのか」と題する長編論文を掲載して、中国国内のそれに対する否定論に反論し、「21世紀の今、どのように『二分論』を日本国民も理解できるような形でリニューアルするか」を具体的に提言し、話題を呼んだ。筆者のこの論文が「日本人民の戦争責任を追及しない」という習近平発言につながったとすれば、学者としての役割をある程度果たしたと自負している。

 そして12月13日に行われた「南京大虐殺記念日」行事で習近平主席が行った談話は以下の要点が含まれた。

一、南京事件の際に多くの中国人を救助してくれた各国の友人(ドイツ、デンマーク、米国などの人名に言及)の恩を忘れていない、
二、中国が巨大な犠牲を払って日中戦争の勝利を獲得し、今日の発展があったもので、今もかつての一心同体、犠牲を恐れずに戦い、国家防衛に命をささげる「初心」を忘れずに発揚すべきだ、
三、南京大虐殺を否定する言動には断固反対。
四、それと同時に、習主席は次の諸点を強調した。

1、我々は、ある民族(国)の中で少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたからといってこの民族を敵視すべきではない。戦争の罪責は少数の軍国主義者にあって、人民にはない。
2、(南京大虐殺)記念行事を行うのは平和に対するすべての善良な人々の追求と信念を呼び起こすためであり、恨みを持続させるためではない。中日両国人民は世世代々友好し、歴史を鏡にして未来を展望し、ともに人類の平和のために貢献を行うべきだ。
3、今日の中国は、世界平和の積極的な唱道者と有力な護衛者であり、中国人民は人類の平和と発展という崇高な事業を揺るがずに守り、各国人民と真摯に団結して、持久的な平和と共同の繁栄を有する世界を作り上げていくために手を携えて努力する用意がある(注2)。

(注2)習近平「在南京大屠殺死難者国家公祭儀式上的講話」、「人民網」、2014年12月13日。http://politics.people.com.cn/n/2014/1213/c1024-26201678.html

 本来は「歴史カード」を使って「日本叩き」をする「最適」な南京事件記念行事だが、習近平主席はむしろ「恨みを持続させるためではない」「(日本人を)敵視すべきではない」と語った。その一か月前に日中首脳会談が2年半ぶりに行われたという雰囲気改善の背景があるが、習近平主席は歴史問題をどう扱うか、戦勝70周年をどう記念すべきかについて考え始め、国内外に新しいメッセージを発し始めたと見ていいだろう。

 更に大晦日に当たる12月21日に、習近平主席はテレビを通じて主に国内向けに「新年祝辞」を語ったが、過去一年間の一連の重要なことを振り返る中で、日中戦争関連の記念日の設立についても以下のように言及した。

 「この1年の間、我々は立法の形で、中国人民抗日戦争勝利記念日、烈士記念日、南京大虐殺犠牲者国家追悼日を設立し、厳かな記念活動を行った。すべての、国、民族、平和のために尊い命を捧げた人々に対して、時代がどう変わろうとも、我々は永遠に彼らの犠牲と貢献を銘記しなければならない」

 これ以外に日本関連の言及がない。NHKは習近平氏のこの発言を「対日牽制」と解釈したが、「これまで習近平は何度も歴史問題で日本批判をしたのだから、今年も同じ手段を使うだろう」とのステレオタイプの発想によるもので、去年9月以降の変化を十分に理解していない。習近平氏の大晦日の講話は明らかに国内改革の推進、反腐敗闘争を最優先するとの姿勢を強調した中で、民衆を奮い立たせる意図が示されるが、日本を牽制することと関係がないと思われる。

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「歴史カード」を使う内在的必要性はもはや存在しない
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 「歴史カード」を使うこと(過去の問題を利用して今の日本に打撃を与えるという意味)と、中国は他の国と一緒に第2次大戦、抗日戦争70周年という節目の年に記念行事を大きくすることとは性格は違う。欧米でも大きく催される予定で、欧州戦場に負けずに激戦を繰り返したアジアで「太平洋戦争」「抗日戦争」「(韓国の)光復」に関して節目的な記念行事をしないことは返って不思議だ。1995年、2005年でも中国はそのような大規模な記念行事をやった。

 その一連の行事自体が歴史問題にかかわっているから「日本叩き」と日本国内で受け止められやすいことは事実だ。それで自分の知っている限り、中国の外交部や学界では「70周年をどう記念すべきか」をめぐって内部では活発な議論が行われており、「ただ過去の悲惨さを強調する後ろ向きの記念にすべきではない」「現実の対日関係に『中国が歴史カードを使っている』と思われるような動きを避けるべきだ」「世界的な大国になったのだから、胸襟を示し、未来志向のための記念にすべきだ」といった意見が多数出ていると聞いている。

 実際に中国の内在的論理で見ても、内政的に外交的に歴史カードを使って「日本叩き」をすることに必要性、必然性は見出せなくなっている。一連の戦勝記念日の記念に火種を抱えているが、先ほど検証した習近平主席の一連の発言のトーンの変化から見て、主に、(1)大国としてかつての大戦に大きく貢献したし、これからも大国として世界平和を維持する責任を果たすとのPR、(2)国内の更なる大改革を進めるにはかつて命をかけて戦った勇気と精神を思い起こせと発破をかける、といったことが記念行事のメインテーマ、習近平談話の中心内容になるのではないかと筆者はみている。安倍首相から靖国参拝、戦争責任の否定といった「挑発」さえしなければ、中国は今年、進んで「歴史カード」を使って「日本牽制」をすることはないと展望した次第である。

 もしかすると、しばらくして、中国の民衆やオピニオンリーダー層が日本についてかつてほど騒がなくなり、「普通の国家」と見なすような状況が続けば、多くの日本人は淋しさ、物足りなさを感じるかもしれない。夫婦関係と同じように、相手から時々嫌味を言われたり、探りを入れられたりするときは本当は相手を大切にしている証明だが、外で愛人がいても相手から「どうでもいい」との態度で示されたら、別の危険信号が点ることになる。自分はこれまで何度も講演の中で、「国際関係の心理学」に基づき、中国人は歴史的体験により日本をいい意味でも悪い意味でも一目を置いていることや、「日本に関して日本人の自己評価以上に中国人は高く評価している」と話したことがある。しかし中国社会はこれまでの対日深層心理に解放されて、「戦後70周年」を迎えたため、対応に変化が現れるのも当然であろう。

 「習近平外交」の全体像を見ても、その一本目の柱は対米重視だ。ただそれは「恐れ」ではなく、「米国主導の現行国際秩序を否定しないが、不合理な部分を修正し、補完していく」として米国との並立を目指していることを意味する。二本目の軸は「大周辺外交」で、近隣諸国のみならず、オセアニア、中東まで中国外交の中心的舞台と見なすことだ。三本目の柱は経済外交の重視で、陸と海のシルクという二つのシルクロード経済圏の建設、および地域の自由貿易圏の構築を積極的に推進することだ。この中で、日本は重要な一環に位置することは間違いないが、日本への特別扱いや、「日中共同でアジアでリーダーシップ」とかは言わなくなるだろう。

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安全保障面の摩擦と対立が上昇する恐れ
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 ではこれで2015年に日中関係に大きな問題が生じないのか、と言うと、必ずしもそうではない。筆者が懸念するのは、安全保障分野だ。2013年末、中国は東シナ海で防空識別圏の設置を発表し、日本が敷いている防空識別圏と重なっている。安倍政権は去年7月の集団的自衛権の閣議決定により、今年はその法制化を進めることになっている。新年度の防衛予算が大幅に増額する方向も決まった。

 尖閣諸島(中国名:釣魚島)の問題をめぐって去年11月7日に両国政府が交わした4項目の原則合意において玉虫色な妥協が交わされたが、火種は再び燻る危険性は残っている。かりに日本右翼の島上陸、中国側(香港、台湾を含む)の民間「保釣船」の到来などが発生すれば緊張が再び高まることは必至だ。一方の中国は、国力の向上に伴って、米国の圧倒的な軍事力に意のままにやられたくない思いで、海軍と空軍を急ピッチで増強しており、石垣水道経由で中国軍の艦船が太平洋に進出するケースを今後さらに増やしていく見通しだ。

 このような安全保障面の摩擦、対立が増える中で、日中間の相互牽制は近年すでに始まっている。中国は米国を主な軍事的脅威と内心考えており、その延長で日本が米国の軍事戦略に一段と加担することを意味する集団自衛権の行使を警戒している。そのため北京APECの際に安倍首相との間で行われた首脳会談で、習主席は「日本は引き続き平和路線を貫き、慎重な軍事安全保障政策を取ってほしい」とわざわざ注文した。中谷防衛大臣が今年年初の自衛隊に対する訓示で「中国の海洋進出」をわざわざ取り上げて言及し、逆に中国を脅威だとほのめかした。

 中国社会は、日本のことで過剰に反応する深層心理から脱却しつつあり、歴史問題をうるさく言わない代わりに、現実問題に関してはかえって「遠慮」せずにもっと率直に意見を述べるようになるとも考えられる。中国は日本が単独で侵略・拡張をするとは思わなくなっているが、対米軍事戦略の一環として軍事面で日本に対する警戒感を高めている。日本が米国に加担して中国包囲網の構築に明確に動けば、中国はかえって日本自身への配慮より、「米国軍事戦略の一環」として日本をとらえ、戦略的に厳しく対処し、何らかの形で圧力を加えてくる可能性がある。

 一方の日本も、中国の軍事的台頭に対して不安感を募らせており、安全保障面で中国の「脅威」を想定した防衛力の整備を続けていくと見られる。さらに外交面でこれまでの数年間、対中けん制を強めており、この1月17日、インド訪問中の岸田文雄外相はニューデリー市内の講演で、インドと中国が領有権を争っている印北東部アルナチャルプラデシュ州(中国は「チベット南部地方」と呼ぶ)について、「インドの領土」と異例に言及した。これで中国をけん制する「仲間作り」の思惑を一層露骨にしたが、それに対して中国からも厳しい「逆のけん制」を受ける可能性がある。たとえば、竹島(韓国名「独島」)問題で韓国支持を明言したり、北方領土(ロシアは「南千島諸島」という)では中国企業の進出を認めたりすることで、日中両国は「感情的な対立」から「戦略的な対立」に変質する恐れがある。

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国の進路や防衛力をめぐる日中の「戦略対話」を
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 安全保障分野のことは国家間関係の根幹にかかわるもので、簡単に「雪解け」できるものではない。万が一東シナ海などで摩擦や衝突が起これば、政府間関係ないし民間交流も巻き添えを受け、再び大幅に後退する現実的可能性がある。さらに日本国内の一部の勢力はこれで「中国脅威論」を再度声高々に叫び、それを憲法改正の世論準備とすることもありうる。その意味で、筆者は「戦後70周年」の年において、「歴史を鑑とする」点を特に懸念するというより、「未来志向」の面でかえって不安感を持っている。

 それをどのように最悪の事態に陥らないように防ぐか。1月12日から東京都内で日中両防衛当局は、「日中海上連絡メカニズム」の運用に関する実務者協議を2年半ぶりに始めた。まずホットラインの運用を開始し、不測事態や状況誤認による緊張の拡大に歯止めをかけることは第一歩としてきわめて重要で、一つの進歩だと評価したい。

 次に、双方の制服組の相互訪問、艦船の相互寄港など、軍同士の交流、相互理解の促進が大事だ。多くの偶発的事件は軍同士の相互不信、疑心暗鬼から生まれるし、小さい問題を現場でコントロールできずに発展してしまうものだ。

 個人的には、中国が日本を軍事的に攻めてくることはあり得ないし、日本も(単独では)中国の脅威にならないと思う。しかし現実的には双方とも暗にそれに備えて対策や軍事力の整備をやっている。その根本的な問題は相手国の進路、軍備の目的を理解し合うことだ。そのために、日中間も米中間同様、「戦略対話」を行う必要がある。日中米の防衛当局同士の3者会談も提案したい。様々な外交、安全保障問題をめぐって3か国で会談を重ねる過程で誤解も解消されるし、行動ルールも形成される。

 更に、経済の相互依存の強化とともに、外交面ではともに地域共同体の形成に努力し、防衛面でも同じ努力の目標を立てて、一緒に汗を流すことができれば、互いの「脅威感」は初めて本格的に解消されることになる。日中米3か国の艦船によるシーレーンの共同警備や、日中の共同軍事演習などに進めることができないだろうか。

 この点について、自分は日本サイドの対応をもっと懸念する。このような対話や交流は、「日米軍事同盟にくさびを入れる」疑念につながり、あるいは「中国脅威論」を前提にした防衛力の拡張、改憲が縛りを受けるとの計算の下で消極的になる可能性があるからだ。

 21世紀に入って、国際情勢の新しい趨勢、中国の急速な台頭、国民心理の新しい変化などの要素の出現に伴い、両国間関係、地域の秩序ないし国際的な枠組みとも新しい調整、変動が求められるのは当然のことだ。大事なのは大きな流れを見極めて、自国民、自国経済、さらに地域の平和と安定、繁栄にとってもっともプラスになる内政と外交政策を選択することだ。何か個人的なイデオロギー的な「悲願」、打算のために時代の潮流、国民の期待を裏切るようなことを無理にしようとすれば、それこそ天に唾を吐くように、最後にマイナスが自分に降り注ぐことになる。「戦後70周年」を迎えて、筆者はこのような新しい懸念を述べて展望とするが、「杞憂」であるよう祈るばかりだ。

 (筆者は東洋学園大学教授)


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