情熱と志をとうけとめて
加藤さんの訃報に接したのは、2月21日夕刻、待ち合わせ場所となっていた、神保町三省堂書店入口でのことでした。
加藤さんが、ご親交の深い方々と神保町の鴨鍋の店で懇談されるということで、世話役の方からお声掛けがあり出向いたのでした。
三省堂書店に着いてすぐ、加藤さんは来られないとうかがい、「なぜ?」と。
「急逝された」とうかがって、何が起きたのか理解できず、言葉を失いました。
疲れを知らないというのはこの方のことかと思う加藤さんのご活動ぶりでしたし、お齢をうかがっても信じられない若々しい精神と身のこなしでしたから。
3年ほど前でしたか、親交をいただいている大先達というべき方からのお声掛けで加藤さんにはじめてお目にかかりました。
これも神保町のロシア料理店でした。
私のこれまでの「来歴」というのか、どんな仕事をして、いまどう過ごしているのかにはじまって、日中関係やアジア、世界のいまについてお話しが縦横に弾みました。
なんとしなやかでかつ勁い精神をお持ちなのかと、そして歩んでこられた経歴のなかで人的にも広い世界をお持ちだなと、敬意を抱いたのでした。
お齢のことは、うかつにしてというべきか、まったく想像もできない若々しさで驚きました。
私の母方の係累の者が、かつて「企画院事件」に連座し、戦後は社会党で一時議席に身を置いたこと、国際局で戦後の日中関係にかかわったことなどお話ししたところ、とても興味深くお聴きになっている様子でした。
そして、私が主宰するささやかな研究会にもお運びいただいて、お姿に接するたび、自身の怠惰を叱咤される思いで身が引き締まったものでした。
世に「大往生」という言葉がありますが、まさにそうであるでしょうし、そんな言葉ではまだ足りない、烈々、赫々とした生涯だったのだろうとの思いが募ります。
疲れを知らぬ、と書きましたが、加藤さんの休むことを知らないご活動ぶりを側聞するとき、己の日々の過ごし方を思い返し、これではいけないと自戒するのでした。
若々しい精神と卓抜した不屈の志を想い、いま、私どもが受け継がなければならないものの重さを噛みしめます。
残念ながら、とてもではありませんが、加藤さんにゆっくりお休みくださいなどと言えない現在の日本と世界です。
それだけに加藤さんご自身も、まだまだ生涯を閉じることのできない心残りもおありになったのではないかと思うのです。
そのことを胸に刻みながら、どうぞ心を休め、ゆったりとお過ごしください、そして天上からこの時代と世界の行方をお見据えくださいと申し上げたく思います。
本当に晩年のわずかの機会しかなかった加藤さんにいただいた親交でしたが、加藤さんの情熱と志をしかとうけとめ、これからの歩みの標としたいと思います。
ありがとうございました。
どうぞゆっくりお休みください。
(元NHKアナウンサー、北東アジア動態研究会代表)
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