【コラム】
フォーカス:インド・南アジア(26)

急降下のインド経済~玉ねぎ暴騰と、新幹線事業存続の危機~

福永 正明

<一>

 インド料理ファンは、日本にも多い。最近では「インド・ネパール料理」との名でネパール出身者が経営する店が、JR・私鉄・地下鉄を問わず、多くの駅前で見つけることができる。それだけ、日本社会では「カレー」が身近にある。そのカレーの調理主材は「玉ねぎ」である。みじん切り、あるいはスライスで切った玉ねぎを長時間炒めて、ルーの基本とする。インド料理として、庶民の生活に欠かせないのも玉ねぎである。インドは中国に次ぐ、世界第二位の玉ねぎ生産国である。

 その玉ねぎ不作が、2019年のインド経済の暗転を象徴する。12月1日、インド政府蔵相は、連邦議会下院での審議にて、玉ねぎ不作と価格高騰の緊急対策として、トルコ、エジプト、アフガニスタンから緊急輸入すると答弁した。これら高騰は、雨不足のため一部地域で作柄が悪化、不作となったことによる。さらに蔵相は「玉ねぎ高騰には農業部門の構造的問題が影響している」と表明した。

 政府における公共部門での外国取引機関であるMMTC(Metals and Minerals Trading Corporation)は、第一次緊急輸入として、エジプトから6,090トン、トルコから11,000トンの輸入を実行した。さらに第二次緊急輸入として4,000キログラムの、トルコから輸入を決定、来年1月中旬にインドに船便で到着する。
 さらにアフガニスタンからの陸上輸送での玉ねぎ輸入も行われている。毎日1台当たり35トンの玉ねぎ積載した10~15台のトラックが到着している。これらのトラックは、陸路のパキスタンとインドとの国境を、アフガニスタンとパキスタンとの協定により通過している。
 だがインド隣国で3度の戦火を交え、軍事緊張と外交関係悪化が続くパキスタンとは、国境地点での物流停止が続く。

 今夏の生産量は例年より約3割少ないとみられ、特に少雨による不作のため玉ねぎ価格は高騰した。年初には1キログラムあたり10ルピー(約15円)であったが、南部のタミル・ナドゥー州、マハーラシュトラ州、オデッセイ州では、1キロ当たり200ルピー(約310円程度)を記録した。チェンナイでは、既にエジプトから到着した玉ねぎが市場流通しているが、その量は十分ではなく価格の下落安定には至っていない。しかも、エジプト産は品質において劣るとされる。家庭の日常生活に欠かせない玉ねぎ需要と、生産地不作と品不足からの供給とのアンバランス是正はできていない。

 こうした不作による玉ねぎ高騰は全国に波及しており、北東地方のアッサアム州議会は、エジプトとトルコからの玉ねぎ緊急輸入を決定した。通常は1キロ70ルピー程度で販売されるが、現在では100~110ルピー/キロにも高騰している。中央政府は、12月末から1月初旬には、玉ねぎ価格が下落へ向かうと観測するが不確実な要素は多い。玉ねぎの高騰は、インドの経済減速、インフレ上昇の象徴となっている。

 今世紀では2010年、ほぼ全国での玉ねぎ価格の上昇が起こり、「玉ねぎポリティックス」として有名である。国民会議派を主体とするマンモーハン・シン政権のもと、全国的な降水量不足からの品不足となり、玉ねぎ価格が急激上昇した。当時は全国での玉ねぎの40%がマハーラシュトラ州、カルナータカ州で生産されていたが、その両州が干ばつによる被害を受けた。政府は、玉ねぎの輸出禁止、輸入関税の撤廃、パキスタンからの緊急輸入策を実行、大都市では、数ヶ月後に価格は低下した。
 また、2013年にも玉ねぎ不作から高騰、1キロ当たり50ルピーとなり、シン政権への不満が高まって、14年のインド人民党(BJP)による連邦議会下院総選挙での大勝の要因となっている。
 本年の玉ねぎ高騰は、2019年に入ってからのインド経済の、急速な減速、農業部門の衰退が大きく影響しており、玉ねぎだけが問題ではない。

<二>

 インド経済の減速から、景気悪化、失業率上昇の最悪状態への転落。2000年代からインド経済は成長率年平均7%程度の安定した成長を続け、「右肩上がりの成長」と言われた。2014年、連邦議会下院総選挙でBJPが過半を握る圧倒的に強い第一党となり、モディー首相が誕生した。首相はアピール力あり、前任のグジャラート州首相として10年間経済発展に尽くしたことから、その成功例は「グジャラート・モデル」として呼ばれていた。

 第一次政権樹立後、経済改革、労働法規改革、高額紙幣廃止措置、外国からの直接投資(FDI)誘致、物品税導入など、強力なリーダーシップで進めた。そして2018年4-6月(第1四半期)には、GDP成長率8%という数字を記録した。
 ところが驚くべきことに、2019年に入り、絶好調であったインド経済は、失速した。すなわち、2018年度通年のGDP成長率は6.8%、シン政権末期の2013年度に記録した6.4%以来の低水準となった。さらに2019年1-3月(第4四半期)のGDPは前年比5.8%と、4四半期連続で低調となった。

 まず個人消費の落ち込みが大きい。2019年4-6月(第1四半期)の民間最終消費支出は3.1%増でしかなく、前年同期の7.3%を大きく下回った。これにより、インドの消費主導での成長の持続性に疑問が生じている。
 2018年10月から11月の大きなヒンドゥー教祭礼の期間後、自動車の販売不振が著しい。2018年度の販売台数は438万4,563台、前年度比6%増であったが、伸び率は過去4年間で最低であった。車両保険への3年間の加入義務変更、原油高での燃料費上昇で消費者の購入意欲が落ちたとされる。
 ところが、2019年5月の乗用車販売台数は前年同月比20.5%減となり、販売不振のため在庫が増加、自動車各社は減産に踏み切った。ここで人員整理も強行され、日系企業でも労働者による雇用継続、解雇者の復職、組合活動の補償、経営側との団体交渉を求め、ストライキも発生している。

 4-5月に第一次モディー政権の成果を問う下院総選挙が行われ、BJPは大勝して、第二次モディー政権が成立した。エコノミストは、モディー再選政権による斬新な経済改革、中央銀行であるインド準備銀行(RBI)による金融緩和、企業収益などファンダメンタルス要因から、年後半の反転に期待していた。
 そしてモディー政権は、7月に新たな「景気刺激策」発表して、景気テコ入れに動きだした。車登録時の車両登録料引き上げを来年6月まで延期、住宅建設支援の新基金を設立、法人減税、高給ホテルなどの宿泊に課税される間接税引き下げを実行した。また海外投資を促進するため、海外投資家のキャピタルゲインへの増税策を撤回した。

 ところが、第二次政権発足後も、経済失速は歯止めがかからない。4-6月は年率5.0%と6年振りの低水準となり、自動車産業の新車販売は8月まで前年同月比で10ヵ月続けて前年割れ、9月以降もマイナスが続いている。さらに18年まで毎月10%以上の増加を続けていた国内航空旅客数も19年に入り1ケタ増に過ぎない。
 政府の景気てこ入れ策とともにRBIは、政策金利(レポ・レート)を10月に5会合連続利下げし、年5.15%とした。これは、金融緩和を拡大して個人消費や企業の投資を促すことをめざした。
 しかしインド政府が発表した7月から8月(第2四半期)のGDPは、前年同期に比してプラス4.5%であり、前期より0.5%も下落、これは2013年以来の低水準である。四半期ごとでの成長率は、6期連続での前期下回りとなる。

 ついに、7%前後の高成長率を維持してきたインド経済の減速は、非常に明確となった。国内消費の連続下落、製造業や農林水産業など幅広い産業での落ち込みが影響している。また、また、好調であった財貨・サ ービスの輸出も連続で減速した。

 さてこのような経済鈍化において、最も不振に陥るのは農村部である。少雨や高温などの影響から、総人口13億人の55%を占める農村人口の所得が大きく減じた。農業従事者たちの製造業への移動は進まず、経済構造でも農村部門は2割程度でしかない。例えば、農家は一般に貯蓄額が少なく、大型の商品を購入する場合にはローンに頼ってきた。しかし現在、ノンバンクの経営問題から大きな銀行の経営にも疑念が生まれ、農家も融資を受けにくい状況になった。これが農家の消費低下に拍車をかけ、オートバイなどの消費が激減した。例えば、ホンダのインド現地会社は、11月には2週間の工場操業停止を実行した。
 農民たちの不満は、モディー政権に向かい、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉からインドが「離脱」した一因とされる。

 インド現地の専門家は、「政府の景気対策作は、空前の消費停滞に対応できていない」とし、インド経済の成長鈍化は長引くと警告している。
 しかし、日本のエコノミスト、コンサル会社も見通しを誤り続けている。例えば、みずほ総合研究所は2019年9月24日付けの『みずほインサイト・インド』レポートで、「今後を展望すると、総選挙での与党大勝、干ばつの終了、自動車需要の底打ち、利下げなどを背景に、景気は持ち直す見込み」としていた。

<三>

 日本メディアの弱いところであるが、インドから伝わるのは、日本企業店舗の開店(ユニクロ、カレー屋など)が主流を占める。つまり実態としてのインド経済、人びとの生活や苦悩を伝えてはいない。より報じられるべきは、ユニクロで楽しそうに買い物する人びとよりも、「貧困と生活苦から自死が続く農村地帯」の現状ではないだろうか。また日本企業の現地工場でのストライキや労働組合の戦いは、一切報道されない。例えば先のホンダでは、労働組合が会社決定による操業停止に対して、十分な補償を求め30日以上もストライキを実行した。市民が必要な情報は、インドのごく普通の人びとの苦悩と、日本企業がどのような経営を行っているか検証できる情報のはずである。

 さて本稿が発表されるころには、安倍首相の訪印が終了しているであろう。安倍首相は、国内での政治批判におびえ、訪印予定も隠し、しかも、モディー首相との仲を宣伝するだけの旅となる。
 何よりも、安倍・モディー両首脳が、地元利益、産業界への利益回しのため、税金を活用して強引に進めるODAでの「インド高速鉄道(新幹線方式)事業」は、危機的な状態にある。
 この事業は、モディー首相の出身州で州首相を10年間務めたグジャラート州の州都アーメダバードから、マハーラシュトラ州の州都ムンバイを結ぶ。総工費1兆6,500億円のうち81%に、年率0.1%、償還期間50年(うち据え置き15年)という破格の条件での円借款が供与される。安倍政権が世界各地で進めようとする「インフラシステム輸出戦略」の軸となる新幹線輸出の契約成功例となる。
 円借款協力、すなわち日本のODAの柱となる国民の税金による国際協力は、いまでは相手国への製品輸出だけでなく、保守・維持管理などの一貫したシステムで相手国の「開発」に協力し、その事業請負は日本企業となる。つまり、政府が低金利で相手国に巨額を貸付、相手国は日本企業に事業を発注、受注した企業がもうけをむさぼる。かつてのODA援助は、完全に経済界と政権首脳のための開発援助となり、「儲け道具」となり下がった。

 そのインド新幹線については、現地マハーラシュトラ州議会選挙で、反BJPの立場から州政権を獲得した地方政党が、12月に入り「見直し」と「再検証」を表明した。
 費用膨張、農民たちの土地収用、自然破壊など、これまでも多くの問題が指摘されていた。特に、飛行機を利用しているビジネス客や中流層以上には新幹線に乗る選択はなく、中流以下の市民たちが、時間はかかるが安い現行鉄道から離れて新幹線に向かうとは思われない。
 まさに、完成しても「誰が乗るのか」と疑問視されていたインド新幹線は、事業として継続できるのかの瀬戸際となった。

 インド経済の悪化、新幹線事業の頓挫など、インドは力だけの政権運営、首脳同士の仲の良さなどが、何ら両国間の健全な関係発展には役立たないことを示している。
 私たちは日本のODA援助のありかた、さらに国民のカネあるである税金の使い道への関心と監視を続ける必要があるだろう。

 (大学教員)

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