【コラム】
酔生夢死

忖度社会論

岡田 充


 ショックだった。立て続けに2回も席を譲られると、嫌でも老いを自覚させられる。混雑する台北の地下鉄で席を譲られたのだ。もちろん厚意に甘えて楽をさせてもらった。日本で席を譲られた経験はなかった。「若く見られているせいだろう」という「自惚れ」は、見事に打ち砕かれた。
 台北だけではない。北京でも上海でも電車やバスで年配者が立っている光景を見ることは少ない。乗客が年配者に席を譲るからである。日本を訪れる外国人の半分は、中国大陸、香港、台湾など中華圏の旅行客だ。個人旅行も増え、公共交通機関を利用する中国人が驚くのは、「なぜ日本人は年配者に席を譲らないのか」。

 中国のネットメディア「快資訊」は、日本の公共施設はバリアフリー化が進み、幼児や高齢者、妊婦への配慮が行き届いているのに、公共の車内でなぜ高齢者に座席を譲らないのかと疑問を投げかけた。中国では「尊老愛幼」が社会に定着し、高齢者に席を譲るのは当たり前なのだという。
 確かに台湾でも、シルバーシートの「博愛座」に若者が座っている姿はまずお目にかからない。東京の通勤電車で、お年寄りが前に立っているのに、シルバーシートに座ってゲームに興じる若者や、寝たふりを決め込む青年の姿に見慣れているせいか、新鮮な「感動」を覚えてしまう。

 同じ東アジアで、儒教的伝統を共有するのにどうしてこんな違いが生まれるのか。説得力のあるのが「忖度社会論」。ある民間研究機関が2016年11月に発表した調査で、「優先席ではお年寄りなどに席を譲るべき」との回答は75.9%あったが、13年の調査比で17%も減少。「優先席以外でも席を譲るべき」も19%減って57.1%だった。
 原因の多くは「譲ろうとしたが、断られた」ためだという。61%が席を譲ろうとしたのに断られた。「親切にしても相手か嫌がるなら」と萎縮して、譲るのを控えるようになったというわけだ。では「断る」理由は何か。

 高齢化社会が進む一方、実年齢と外見上の年齢のギャップの拡大や、本人の「自己イメージ年齢」が「以前の基準では測れなくなってきている」という分析もある。「席を譲ろう」という親切心が、「まだ老人じゃない」という反応を生むとすれば、確かにやりきれない。相手がそう感じるのではないかと「忖度」して、声をかけるのをためらうというのだ。

 公文書の改ざんや安倍首相の関与を否定する官僚の発言が相次ぐたびに、取り上げられる「忖度」。中国や台湾にも「忖度」はあるが、日本は格別だ。単一民族・単一言語に基づく「同質・一体」幻想が、社会の隅々まで浸透し、「空気」を読むことが社会生活で必須の「気配り」とみなされる。言葉を必要としない社会は異様である。

画像の説明
  台北の地下鉄車内。「博愛座」の表示がある席に座る若者はいない。

 (共同通信客員論説委員)
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