【コラム】
中国単信(43)

形式主義の怖さ

趙 慶春


 現在、国際的な協力体制を取って、犯罪組織やテロ組織などの活動資金を断ち、汚職や脱税などの不正資金流用を防ぐため、「資金洗浄」(マネー・ロンダリング)に対する取り締まりが強化されている。不法に得た資金を偽名や匿名口座で多くの金融機関をたらい回しさせたり、金融商品取引を敢えておこなって、資金の出所をわからなくさせることが目的である。そのため日本でも2003年から「金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律」(「本人確認法」)が施行され、2008年3月からは「犯罪による収益の移転防止に関する法律(犯罪収益移転防止法)」と法律が改正されている。

 こうした法律の認識が薄く、たいした金額でもないのに金融機関で「本人確認」の証明書提示や「使用目的」の聞き取りなどをされて気分を害した人も少なくないようだ。かく言う筆者も、マネー・ロンダリングの取締が強化され、最近「海外送金の審査が厳しくなっている」という話は耳にしていたが、まさか我が身に降りかかってくるとは思わなかった。

 マネー・ロンダリング阻止を目的とした法律が制定される以前は「渡航証明書」と「金銭受領書」があれば、金銭の「手渡し」が認められていた。ところが今では、海外に住む親族の扶養を証明するためには「送金証明」が必要であり、これがないと年度末調整や確定申告での控除が認められない。

 やむなく筆者も来日20年目にして、初めて海外送金にチャレンジすることになった。
 「厳格化」がしっかり脳裏に刻まれていたので、事前に必要と思われる書類を揃えた。銀行通帳、印鑑、身分証明書は勿論のこと、個人ナンバーカードも用意し、さらに帰化による名義変更を証明する書類と中国にいる両親との親子関係公証書も用意して、いざ銀行へ・・・
 驚いたことにその銀行では対面式窓口ではなく、テレビ画面を通しての対応になっていた。テレビ画面の向こうのスタッフは、先ず海外送金の規定、個人情報に関する規定を説明した後、審査厳格化の主旨を告げて理解を求め、それからようやく手続、言い換えれば審査が始まった。

 本人確認、身分証明書の提示に続き、
 「海外のどの国への送金、送金受取人は?」― 中国に住む親
 「送金理由は?」― 扶養
 「送金金額は?」― 30万円
 「30万という金額の基準は?」― これはなかなか難しい問題だ。回答に詰まっていると、
 「つまり30万円の使途ですが」― 中国の物価水準、家族の構成などを紹介してようやく説明。
 「今回の海外送金は初めてですか?」・・・

 永遠に続くかと思うほど、質問がいくつも続き、親に送金するだけなのに30分近くの時間がかかってしまった。なんとか「審査」を「通過」して、ほっとしたところでふと気づいた。「扶養送金」の合理性を証明するのにもっとも必要と思われる「親子関係公証書」が求められなかったのである。つまり、「審査あり」とはいえ、すべて自己申告で「通過」したわけで、とても「厳格化」されたとは言えず、資金洗浄防止には効果なしと思わざるを得なかった。

 数日後、今度は妻の「扶養送金」のために、口座開設の都合から別の銀行に出向いたが、同じように30分近くの「審査」を受け、ここでも「親子関係公証書」は求められなかった。筆者としては理由がわからず、銀行員に「親子関係公証書」の提出を求めない理由を問い質した。その回答は「この程度の金額でしたら問題ないとの判断です」というものだった。

 資金洗浄防止対象は、現場では「その資金の正当性と使途」には関係なく、金額に関係ありと見なしているらしいのだ。不正資金を小口に分けて繰り返し海外送金することはないと判断していることを知り、愕然となった。これで本当に資金洗浄防止ができるのだろうか。

 似たようなケースは他にもある。
 取引先への外注費や従業員の給与を毎月振り込むのにインターネットバンキングを利用している、ある中小企業の社長によると、新しい振込先になると、かなり高い比率でその振込依頼はシステム的にストップさせられ、「エラーの画面が出て、サービスセンターに問い合わせてください」というメッセージが出るとのこと。実際に電話すると、「資金洗浄防止のためにシステムは自動的に振込を停止したが、この電話によって解除する。ただし翌営業日に再度、振込依頼を行うように」と説明されるというのである。

 この社長によれば、外注費や給与の振込は期日が決まっていて、当該日に処理できなければ信用を失うことになりかねない。それでもこの停止システムが確実に有効ならまだしも、せいぜい振込詐欺防止に多少役立つ程度で、資金洗浄防止にはほとんど効果なしと決めつけていた。
 資金洗浄防止を目的としながら実際にはその目的を果たしていないシステムの固守は、「他人の不便などまったく顧みようとしない銀行の形式主義でしかない」と批判の声を上げているが、現状のシステム変更は実行されていないという。

 中国でも長年にわたって官僚の汚職と、お役所の官僚主義が批判の的となりながら、なかなか改善されないが、日本の「形式主義」も実はかなり深刻なレベルであり、社会生活のなかで相当危険なシロモノになっているように見える。
 形式主義は単に能率が悪いだけではなく、「ルールに従う」という名目を盾にして、何も有効な手段を取ろうとせず、最終的に誰も責任を負わないことになるからである。

 最近、東京都の某区役所が雇用したセキュリティ管理の契約職員がその立場を悪用して、区内に住む女性の住所などを入手し、女性宅に侵入するという事件が起きた。この事件はマスコミでも取り上げられた。そのためか、事件発生後、その区役所では緊急対策会議が開かれた。会議の主な議題はもちろん「解決策」を練ることだった。会議内容の一部を紹介しよう。

 「情報漏洩防止のため、セキュリティ管理者にはUSBメモリなどの使用をすでに禁止し、外部メールの利用も禁止している。ほかに取り得る厳しい方法はあるか?」
 「携帯電話は撮影できるので持込禁止とすべきだ」
 「携帯電話だけでは不十分。筆記用具があれば情報は記録できる」
 「筆記用具の持ち込みも禁止しよう」
 「筆記用具は業務上、必要だ」
 「ボディチェックは実施できないだろう」
 ・・・・・・

 まるで子どもの会議のようではないか。そもそも住所程度の情報なら「記録」するまでもなく、暗記すれば済んでしまう。つまりセキュリティ管理者がそのつもりでセキュリティ違反を行おうとするなら、それを防ぐにはかなり高度な技術を駆使しないと防ぎようもないのだ。徹底した管理と監視体制の強化が求められるはずである。しかしこれには高額の資金を投入しなければならなくなる。いずれにしても上記のような子供だましのような検討、解決案ではどうにもならないのである。

 それでは資金を投入せずに有効な手段はあるのか?
 なんのことはない雇用時の採用審査の厳格化と、雇用後の徹底した職員教育の継続に尽きるだろう。
 ところが某区役所がこうした事件の発生後に腐心したことは何か。それはさらなる社会からの批判をいかに避けるかだったのである。 だからこそ緊急の長時間に渡る会議の招集であり、その会議での討議内容の公表であり、何らかの「形」ある解決策の模索だったのである。こうしたいわばアリバイ作りをすることで、形を整え、マスコミ等からのバッシング逃れを図ったのである。

 このような〝責任を逃れ〟に重点が置かれるために形式主義となりがちになり、そのような会議で出された「解決策」はその場しのぎで、有効性については疑問が残ってしまい、あとは誰も責任を負わないことになるのだ。
 このような形式主義は官公庁や大手銀行のような準役所体質のところだけではないようだ。ある会社では、定められた報酬の他にお礼として1,000円程度の品物を渡す場合、その申請書には各関連部署の各職位の者の承認印がなんと13個も必要だと聞かされて、驚かざるを得なかった。

 確かに不正防止のために13人の目を通過させるというのが筋の通った理由説明になるのだろう。しかしこの13人が1枚の書類に押印し終わるまでにかかる日数(時間数ではない)を考えたら、その時間の無駄遣い、非能率、非効率ははかりしれない。おそらくその会社の管理層の多くは毎日、会議と書類作成に追われ、終日、半端でない書類の捺印に暮れているに違いないのだ。

 形式的には実に管理が厳しいように見える。しかし実態はそうではない。職務が高位の者でさえ最終的な責任を負わなくてよい体制を作り上げているのである。何か起きたときにはお互いがかばい、もたれ合い、誰も責任を負わずに済ませる見事な形式主義こそが、13個の捺印につながっている。だが残念ながらその会社が改めたとは耳にしていない。
 日本の社会にはびこる「形式主義」は、日本企業の能率の低下、競争力の低下を招きつつある。

 (大学教員)


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