【書評】

差別のない拓かれた共生・共働実践論

『アソシエーションの政治・経済学』―人間学としての障害者問題と社会システム
  堀 利和/著  社会評論社/刊

柏井 宏之


●有機的知識人の東奔西走

 堀さんは、まぎれもない有機的知識人である。それも現代社会を切り裂くサバルタンの当事者として発言を続ける。今年に入ってからも四月からスタートした「障害者差別解消法」には品川区で市民の立場から「障害者基本条例」を提案、また「成年後見制度促進法」には代行決定のもつ差別・独善性を指摘し自己決定支援を進める国会内集会で発言、付帯決議を付けさせるため奔走した。韓国ソウル市が初の精神障害者の大型就労施設開設には共同連代表として招かれた。相模原市の「殺人事件」には、他の障害者団体と共同で記者会見、厚労省がいち早く「措置入院見直し再検討」を打ち出したことを逆走として批判、施設隔離型ではなくインクルーシブな社会への転換を強く求めた。さらにこの事件の「検証」の必要性を訴えて、事件の全体像をつかむため、取材記者や有識者の会合を呼びかけている。

 堀さんはこの本の終りで「中間的知識人」と自己規定、「知識人と大衆の間に位置し、大衆から双方の間を行き来しながら、大衆として行動する。それによって国家社会主義も党官僚も生むことはない」とみずからの覚悟を語る。だが、堀さんは視覚障害者 であることによって、《健常者》中心にすすめられる現代市民社会の見取り図に対する格差の広がりの中で排除にあうサバルタンを基底にすえ直してもう一つ深まった構想と実践への勧めを示したのがこの本だ。

●健常者の平均的社会的労働量以下の存在

 堀さんは宇野理論仕込みの『資本論』大好き人間である。左翼が国家と革命にとらわれてスターリン主義に汚染され信頼を失なった現在、「マルクス再読」から二一世紀は、等価交換に見せかけた不等価交換システムとしての資本主義を改めて脱構築することをこの著書で壮大にかつやわらかに描きだす。

 昨年、堀さんは『障害者が労働力商品を止揚したいわけ』(社会評論社)を出した。マルクスの「平均的労働能力と社会的労働量」とは障害者を除いた健常者のことを指すとして、現代のインクルーシブ社会の形成のためには、そこのところに新たな知見が必要とした。「分けない・切らない」労働論を差し込んで資本主義の「労働力商品化と、健常者の平均的労働能力および社会的労働量とを三位一体として、同時に止揚する」と「共生」視線の「人間的不等価交換論の可能性」に踏み込んだ。その続編として社会学的に視野を広げてこの本は書かれている。

 ここにグラムシの「サバルタン抜きの市民社会も市民社会なしのサバルタン論もない」(松田博・七〇周年記念集会)との地平が継承された思想の着地点がある。なぜなら健常者の平均的労働能力以下の障害者は、雇用されない、労働力を商品として売ることができない、搾取の対象にすらならない存在であったし今もある。だからこそそこに今、日本では『優生思想』確信犯による相模原障害者殺人事件が引き起こされている。ヘイトクライム(憎悪犯罪)は、弱い立場の人々に攻撃を加える現代の右翼テロにほかならない。

 また国家資本主義のソ連や国家社会主義の中国においても「社会的平均労働量」の物差しは厳然と存在する。ここに市場でも国家でもない第三の生産手段の共有論がいるとして互酬性、相互扶助、贈与の連帯経済を主体的にかつ全面的に創造することを進めようとのよびかけがこの本の主題である。私たちをとらえて離さないマルクスの「疎外された労働論」の現代的読み変えがここにある。

●市民社会に代わる「共民社会」を提起

 さらに市民社会のネーミングが「共民社会」に代わる必然性を遠望する。健常者の平均的労働能力および社会的労働量を止揚した共生社会・主義社会は、実践的にはそれを労働と労働の実質的等価交換から形式的および実質的不等価交換、共同体的あるいは人間の類的共生・共働の労働観に立ちむかうことが問われている。それは未来のことではなく現在の実践課題そのものというわけだ。共同連の社会的事業所はそのことを追求する。そして実はそれがすすめられているのは韓国の地域社会への協同組合やマウル共同体にみることができる時代でもある。

 私は、この八月、韓国京畿道協同組合協議会から招待されて南の水原市と北の議府市で交流してきた。「協同組合基本法」が施行されて四年、新たに産みだされた七八〇〇の協同組合の担い手の一端に触れておもうことは「共民社会」が育ちつつあるという実感である。たとえば京畿道では、先の知事選で「社会的経済」を進める候補が当選、タボ共同体支援センターが今、協同組合協議会とタイアップして京畿道三一自治体の中に街づくりを進めている。タボとは何かと聞いたら「温かくて福がある」という意味だという。このネーミングに韓国流の「共生」の「共民社会」への希望が込められている。
 韓国の社会はつねに理念的である。あえていえば日本の左翼が日和見主義として切って捨てた世界である。しかし韓国社会は独自に「ベルリンの壁」崩壊前に、『ハンサムリム宣言』で、資本主義と社会主義の生産力主義と競争主義を批判、「生命体」を基調とする理念を展開した。二〇〇七年の「社会的企業育成法」で「脆弱階層」を規定、その当事者に就労の機会を提供する社会づくりに入り、二〇一二年の「協同組合基本法」によって、既存法制の協同組合四八〇〇をうわまわる協同組合を生みだしマウル共同体、予備社会的企業等の形成と相まって「社会的経済生態系」が現在多様に進行中である。

●魅力ある多彩な互酬性、相互扶助の言辞

 この本はまた堀さんの豊富な読書力がちりばめられている。というより堀さんと一緒に大学や公民館に出かけた講演や研究会で取り上げられた主題が今の時代の魅力ある議論として紹介されている。「共民社会」制度としてのアソシエーション・協同組合の可能性を安藤昌益、ウイリアム・モリス、宮沢賢治、グラムシ、ボランニー、ハーヴェイ、ピケティ、柄谷行人、大内力等から借りて、互酬性、相互扶助、連帯の経済を拓かれた共同体として描く。そのキーワードは、社会が「人」を障害化する現代社会を「障害者」で社会を変革する逆転の思考だ。障害者を広くサバルタンとしてとらえれば現代格差社会はグローバルに鮮明に透視できる。

 堀さんは『季刊福祉労働』(現代書館)の編集長でもあるが、視覚障害者のため、本は対面朗読で、また原稿やゲラの校正は耳からなので大変な困難の中でつくられる。そして今日も呑み助の大衆・堀さんは人を議論に誘っていることだろう。

 (共生型経済推進フォーラム)


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