■【オルタのこだま】

尖閣問題と日中関係               船橋 成幸

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  ことしの臨時国会における焦点の一つは、9月7日に発生した中国漁船による
海保巡視船への衝突事件をめぐる論争であった。この国会で野党が菅内閣を追及
した問題は他にも多岐にわたるが、小論では、この衝突事件と、そこから波及す
る諸問題に限って私見を述べることにしたい。

 尖閣諸島沖で発生したこの事件は、政府の意に背いて流出したビデオ映像を通
じてアッという間に世界中に周知され、とりわけ日本の外交力や危機管理能力が
問われる重大事件として賑やかに報道された。
 
  明らかにされた映像を見る限り、意図的に衝突してきた中国漁船の側に非があ
ることは明白と思われ、その事態と情報の扱いに対する日本の当局・政府の不適
切な対応をめぐって、野党だけでなく多くの国民から厳しい非難が浴びせられて
きた。

 だが、この問題が複雑になるのは、背景に日中両国の領有権の問題が絡んでい
るからである。日本政府は、尖閣諸島は日本の固有の領土であり、東シナ海に領
土問題は存在しないとし、現状は無人島ながら周辺海域を含めて実効支配を続け
ている。これに対して中国側は、釣魚島(尖閣諸島)は古くから中国の領土であっ
て、その領海内で日本が公権力を行使したのは不当・不法だとの立場をとってい
る。

 日本側主張の主な根拠は、公式には1895年1月、明治政府の閣議決定により他
国に先んじて国標を建てたこと、またそれ以前に、とりわけ19世紀後半から実効
支配の実績を重ねてきたことなどである。他方、中国側は、もっと昔、明王朝の
時代から台湾の住民がこの島を利用して漁業に従事してきた実績があり、明治政
府の決定は、日本帝国主義が日清戦争の勝利に乗じて清国政府との交渉も条約も
なく「盗取」したものだという。

 この中国の主張は、1968年に日中韓3国の専門家による共同調査の結果、尖閣
諸島周辺の海域で石油資源の埋蔵が指摘され、71年以降からとりわけ際立つも
のとなってきている。尖閣諸島をめぐるさまざまな歴史史料についての認識・解
釈も両国間で大きく異なり、互いにいささかの譲歩もせずという態度で論争が続
いてきた。

 このため1978年の平和友好条約締結に際して、当時の〓小平副首相が「解
決は次の代まで棚上げしよう」という妥協案を示したことで争いは沈静化してい
たが、今回の事件でいっきょに再燃したのである。

 さて、それでこの先どうなるのか。前原外相は、「棚上げというのは中国側の
一方的な言い分に過ぎない」として固有の領土論を繰り返し、いまや日本共産党
までがそれに同調する始末〈10年9月20日、赤旗〉である。その先に、一体
どんな見通しが立つのだろうか。

 領土主権と国益を守るための外交努力はもちろん重要であり、それを怠るべき
ではない。だが、そのためには国内外の状況と条件をいかに洞察し、どこに決着
させるかという目標を定めることが不可欠である。領土問題は決して甘い問題で
はない。

 例え話だが、仮に日本国内で外国人が違法行為を犯せば、日本の官憲がその行
為者を検挙し、法に照らして処罰の手続きを取るのは当然である。不法行為の対
象が公権力(例えば警察官)であって、その正当な職務執行を外国人が妨害した場
合でも、国籍の如何を問わず司法上の扱いがなされるのであり、いかなる国もそ
れに異を唱えることはありえない。(外交官の場合や条約・協定などで例外もあ
り得るが省略する)

 だが、その事犯が国外で生じた場合は話が違ってくる。日本の公権力を国外で
行使することは出来ない。それがいかに不当・不法と思われる行為であっても、
処理の前提は、条約の定めに従って扱うか、あるいは外交上の交渉・抗議などに
ゆだねることである。

 尖閣諸島に関する領有権の争いは現在も続いている。中国側が、問題の諸島を
自国の領土と認識し主張しているかぎり、日本がその域内で公権力を行使するこ
とは、発生した事態の態様がどうであれ、中国政府が容認するはずはない。尖閣
沖漁船衝突事件の本質は、まさに領土問題である。そして、再言するがこれは決
して甘い問題ではない。

 1969年3月、当時は社会主義国同士であった中ソのあいだで、ウスリー河
上流のダマンスキー島(珍宝島)の領有権をめぐり、両軍合わせて150万人近く
の兵員(ソ連65・8万人、中国81・4万人といわれる) が動員された大規模
な軍事衝突が惹起したことを私たちは忘れていない。 (同年8月には新疆ウイ
グル地区にも飛び火) 

 91年以降は中ソ、中ロ間で国境交渉が幾度も繰り返されたが、最終的に両国
間のすべての国境が画定されたのは2008年7月の外相会談においてであり、
この間、最初の軍事衝突から40年、交渉開始から18年もの歳月を要している
のである。
 
  中ロ間だけではない。1959年から3年間にわたった中印国境紛争、そして
79年の中越戦争にも国境問題が大きく絡んでいた。

 そうした歴史を振り返ってみると、中国あいての国境問題というのは、たんに
「国家の威信」とか「主権擁護」といった抽象的なタテマエの問題というより、
展開如何では軍事的衝突の危険さえ招きかねない深刻な問題だと言わなければな
らない。果たして、いまの菅政権や国民の間に、その危険を冒しても、というだ
けの覚悟があるだろうか。

 まさかそんなことは、と言っても、現状のように、尖閣諸島の問題から発して
反日、反中の風潮がひろがり、危険なナショナリズムが高揚して政治に影響する
ような事態がとめどなく続くとすれば、その展開への怖れをあながち杞憂とはい
えまい。臨時国会での議論を聞いていても、与野党を問わず、政治家たちにそう
した危険への配慮はほとんど感じられなかったのである。

 これまでのところ、菅政権の対応はいちおう抑制的とも見えるが、いかにも場
当たりで、その場しのぎの稚拙な法律論によって事態の深刻な問題性を覆い隠し
てきた。そればかりではない。米国のクリントン長官が「尖閣諸島は日米安保条
約第5条の対象」と発言したのを頼みとして、「武力での対抗」も想定するかの
ように受け取られる態度さえ示してきた。

 それを裏書するかのように、民主党は、南西海域防衛の重視を掲げ、近く改定
を予定する防衛計画大綱に、潜水艦戦力の増強や九州・沖縄への陸自配備強化を
盛り込むよう提言し、菅内閣がそれを受けて「基盤的防衛」から「動的防衛」へ
の転換を進めるという。いったい、どんな展望を立てて米国を巻き込んだ軍事衝
突を想定内におくのか。あの小さな無人島のために、米軍が本気で出動してくれ
るとでも思うのだろうか。

 まともに考えれば、日本政府は、この事件に対して公務執行妨害罪の適用より
も、第一義的には、万国共通の条約に基づく〈操船ルールも含む〉「国際海上衝
突予防規則」違反事件として領土問題とは切り離して扱い、証拠のビデオ映像を
いち早く国内でも、中国政府や関係国際機関にも提示すべきであった。その際、
漁船船長の身柄の扱いは個人による事犯として領土問題とは別次元だと主張すれ
ば、中国側の対応も異なったのではないか。

 菅内閣が抑制的に振舞ったように見えるのは、レアアースなどの輸出停止や首
相と閣僚を含む人的交流の中断、内陸部各地での反日デモの続発といった中国側
の反応を見て、日中関係の先行きに危機感を覚えたからであろう。だが、その手
法は拙劣を極め、日本国民の目には外圧に押されての卑屈な態度と映り、激しい
非難の渦が巻き起こったのである。

 「中長期の視点で見れば、やがて菅内閣の対応の正しさが理解してもらえる」
というが、それは違う。対応が正しければ、自らこの事件を領土問題に絡め、出
口の見えない袋小路に落とし込むことはなかっただろう。中国にも、国内外の世
論にも真相を隠そうとせず、公正で現実的な解決策を選ぶことが出来たであろう。

 「国益を守るため」ともいうが、国民の希求する国益の最たるものは恒久平和
の保障ではないか。しかもそれは武力によらず、友好的交流と親善関係の増進に
求めることが国民の願いであり、外交の至上課題ではないのか。いつまでも「経
熱政冷」と言われる状態が持続することは、決して真の国益に叶うことではない。

 11月13日に到って、横浜APECの際にようやく正式な日中首脳会談が実
現した。菅首相は「これで政権発足時の日中関係に戻った」という。そうかも知
れないが、しかし尖閣領有権の問題はすれ違いのままであり、これによって傷つ
いた日中両国間、両国民間の信頼関係はほとんど修復されていない。

 その首脳会談では、2006年の安倍首相訪中時以来の「戦略的互恵」関係が
再確認されたともいわれる。だが、この関係の主眼は、どちらかといえば経済交
流の原則に傾いており、日中両国の政治的・外交的関係の原則としては必ずしも
十分ではない。

 菅内閣は、日中交流2000年の歴史と一衣帯水の関係を踏まえ、より積極的
に、自ら進んで「善隣友好」の原則的関係を提起すべきではないか。それこそ
が、大戦後の日中関係、とりわけ1978年の平和友好条約の本旨に適うことで
あり、民主党政権が掲げてきた「東アジア共同体構想」への扉を開く鍵ではない
だろうか。

 尖閣問題に立ち戻るが、日本政府は1895年の標杭(国標〉建設によって尖
閣諸島を正式に領有したという。だが、その10年前の85年に沖縄県令が清国
との関係に懸念を抱いて明治政府の意向を尋ね、結局、政府の「内命」によって
国標建設を留保し、日清戦争に到るまでは現地調査にとどめていたという史実が
ある。当時の外務卿・井上馨には、両国関係にそれだけ慎重な配慮があったので
ある。

 他方、中国側も、75年間ほとんど異議を唱えず、1971年12月にいきな
り領有権を主張してきたのは、いささか「証文の出し遅れ」の感があることを否
めない。中国側にも、問題を複雑化させた原因と責任があるというべきである。

 日中両国が公正な解決に向かうためには、①双方が主張の根拠資料を両国民の
前に全面的に公開し、学術専門家の討議をつくす、②外交上は、尖閣諸島に関す
る領土・領海問題を「国連海洋法条約」の紛争処理の規定に基づきあらためて交
渉する、③それでも決着しなければ、尖閣諸島を中立・共同管理の島として扱う
④漁業資源・埋蔵資源等については、東シナ海のガス田開発と同様の扱いとす
る、などが考えられよう。その前提条件が、「善隣友好」原則の相互確認である
べきことは言うまでもない。

 11月23日には、北朝鮮による韓国のテヨンピョン島に対する砲撃事件が発
生した。民間人にまで深刻な被害を与えたこの砲撃は、東北アジア地帯の平和と
安定を脅かす極めて危険な挑発行為というべきである。だが、挑発は必ずしも一
方的ではなく、毎年のように繰り返された米韓合同軍事演習が、北朝鮮にとって
の脅威となり、この地帯の緊張を高める要因となってきたことも見なければなる
まい。

 とりわけ今年は、米軍の原子力空母まで動員した最大規模の軍事演習となり、
連続して沖縄周辺や日本海で日本の自衛隊も米軍と共同する始末となった。あた
かも1961年のキューバ危機を想起させるかのような危うい情勢がいっきょに
現われ、北朝鮮だけでなく中国にも、ただならぬ緊張と脅威を与えている。

 その口実としての「武力による抑止」の戦略には限界があり、対象とされる国
との軍事力の競合、相互肥大化を招くという矛盾を必然化する。そのような成り
行きは、アジアと世界の万人が希求する安定と平和への道では断じてない。

 いかに複雑で困難な状況が生じても、対話と外交による解決への不断の努力を
怠るべきではない。まして平和憲法を掲げるわが日本が、「暴をもって暴に酬い
る」ことに組みし得ないことは当然である。力を競い、勝った、負けたで奮い立
つナショナリズムは、スポーツの世界だけにとどめたいものである。

             (筆者は元横浜市参与・評論家)

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