■ 書評 小熊英二著 『1968』(上・下)新曜社刊 定価6800円

                         木下 真志
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 タイトルは「1968」だが、本書が主に対象にしているのは、1965年の慶大闘
争から、1972年の連合赤軍による浅間山荘事件までである。著者(小熊)は1962
年生まれ、評者(木下)は1963年生まれで、ともに「あの時代」を同時代で体験
した者とはいえない。ただ、評者の心には、幼少期における明確な記憶として、
安田講堂の「落城」や、浅間山荘事件は残っている。本書も、本書評も、ご年配
の方にとっては、「何も知らない小僧が…」という印象を持たれるのかもしれな
いが、「知らないからこそ…」という思いもある。(そもそも歴史研究はそうい
うものであろう。そうでなければ、誰もフランス革命や明治維新の研究は、誰も
できなくなってしまう。)
 
本書の大きな特徴は、著者のこれまでの仕事と同様、膨大な数の引用である。著
者の丹念な資料収集と的確な引用には敬服せざるをえない。著者は出版に当たり、
約6割に圧縮したというが、それにしても、これだけの数にのぼると、おそら
く評価は分かれることだろう。方法論的問題に加え、従前の学問の類型にあては
めることに仮にもし意味があるとすれば、社会運動論、乃至、社会思想史になる
のだろうか。おそらく著者はそんなことにこだわることそれ自体が些末だとの考
えなのであろう。(しかし、著者の言説の数倍の引用群からは、「学生運動証言
集」とされてしまう危険性は否定できない。)
 
個人的な印象を述べれば、著者が好んで引用し追跡している東大全共闘の大原美
紀子(理系)のときどきの思いが、評者には、「あの時代」を生きた学生の生の
声として、心に響いた(以下、著者以外のものはすべて重引)。一例として以下
を挙げておこう。
  
「大原は、東大に合格して「立派な科学者」になることを娘に期待していた
父親に、こう述べたという。「科学者の世界ってそんなものじゃないのよ。それ
に大学の助手になんか簡単になれるもんじゃないのよ。……活動すれば教授にに
らまれてしまうのよ。
  かりになれたとしたって、あんなところで息を殺して出世の順番を待つなんて
耐えられないわ。いやだ、そんなふうにして、あの無感動な顔をした科学者にな
っていくのは」。」 (上、718頁)
  また、東京大学の別の学生(「工学部の大学院生」)は、次のように回想して
いる。
   「東京大学というこの帝国主義大学みたいなものは、やはり国家枢要の人材
をつくるということのためにあるんじゃないか。人材を送り出すことによって、
われわれが「悪い」と思っている社会そのものを東京大学はつくりあげてきたの
ではないか。」    (上、757頁)

等々、学生運動を担った秋田明大、最首悟、山本義隆らの証言を(リアルに)再
現したことも、意味のある作業に違いない。

 我妻栄、吉野源三郎、日高六郎、加藤一郎、坂本義和、今井澄、内藤国夫、高
畠通敏、見田宗介、船曳健夫、福田歓一ら、著名人の動向や認識に触れることが
できることも、貴重な「追体験」となろう。
  丸山眞男が「法学部の助手だった時期」の「回想」として、「東大法学部の研
究室は、今から考えてみても、別世界のようにリベラル」で、「まぎれもなく私
にとって「国内亡命」の場であり、日本国内に当時、これにまさる亡命の場はな
かった」(上、700頁)等も紹介されている。
 
丸山研究室破壊についての伝説的な「台詞」についても言及がある。
  下巻においては、新宿高校等の闘争、永田洋子らの連合赤軍、田中美津を中心
にリブの動向(上野千鶴子の言説も含め)等も、「あの時代」の流れの中に位置
づけられている。

 二人だけ引用する。ひとりは前掲の大原である。
   「わたしはものごころついて以来、立派な人になるんだ、人のためになる人
になるんだ、と思い続けて来た。……幼い頃、貧しさがずいぶんと心に傷をつけ
て行ったものだ。そして父と母は、この社会が間違っているんだよ、とことある
たびに教えてくれた。
  ……ともかく、科学者でも弁護士でも作家でもなんでもいい、まず立派な仕事
をする人になれば、なんとか社会を変える力になれるんじゃないかと考えた。…
   ……たくさんある職業のうちから科学者という仕事を選んだのは、ひとつに
は反抗だった。女の子は文科、と思われていることへの反抗。先生や友だちに文
科だろうと言われれば言われるほど、負けん気で理科に固執した。」     
    (下、677頁)
 
  もうひとりも、筆者が焦点をあてた人物・田中美津である。
   「私が敬愛する上野千鶴子さん。彼女は「ウーマン・リブはしっかりと私た
ちフェミニズムに継承されている」と言う。そうかなあ。継承されたのは上っつ
らの理屈の部分じゃないかしら。不埒がいのちの私のリブは、かのボディコン、
スケスケルック、ガングロのヤングギャルたち、彼女らのあの過激さにそこはか
となく引き継がれているような……そんな気がする。男からの承認なんか、ハナ
から求めていないあのパワーに、世の顰蹙をモノともしないあの不敵さに、かつ
ての私たちがダブって見えて、少しだけ懐かしい。(下、861頁)

その他、多数の「あの時代」への評価や、「叛乱」の「成果」への言及が紹介さ
れる。                  
  「若者たち」の当初の対教授会、対大学という「叛乱」が、対警察、対国家、
対権力の闘争になり、期せずして、対セクトに向かう経緯についての分析は、確
かに証言から「実証」されている。
 
結論部分においては、「「あの時代」の若者たちの叛乱」が、「高度経済成長
にたいする集団摩擦反応であった」(下、777頁)し、見方を変えれば、「大規
模な<自分探し>運動」であった(下、794頁)とされる。その「叛乱の要因」と
して、「大学生の大衆化」、「高度成長による社会変動」、「戦後の民主教育の
下地」が挙げられている(下、784頁)。
 
「不登校」問題と、「あの時代」の若者との行動とを、あたかも同質のものであ
るかのような言説がみられる(下、840頁等)。読ませる箇所ではあるが、「あ
の時代」の若者からすると、同じにしてほしくない、という思いではなかろうか。
同意を得るには社会状況の落差があまりに大きい。
 
日本社会党が歴史的大惨敗をしたのは、本書のタイトルである1968年の翌年1969
年12月27日のことであった。社会党が政権を獲得することへの期待は、多くの有
権者から薄れていった。「説得力を失いつつある」(下、840頁)とはされてい
るが、「1970年パラダイム」を説く著者には、(捨象したのだろうが)東大闘争、
浅間山荘事件などと、「万年野党」の固定化等(評者はこれを「1970年体制」だ
として、別の機会に論じたことがある。)、政治史との関連性についてもう少し
言及してほしかった。若者の政治への不満を「社共」が吸収できなくなった状況
が、その後の政治の世界を大きく変容させたと思うからである。
 
  *産経新聞2009年9月13日付に浅羽通明氏(著述業)によるもの、朝日新聞 同
年10月4日付に 天児慧早稲田大学教授による書評がある他、多くの評論がある。

     (評者は法政大学研究所研究員)

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