【オルタの視点】

安倍の「独走政治」を許すもの

菱山 郁郎?


 自民党の総裁選挙が告示され、安倍晋三首相(総裁)の無投票再選が決まった。各派閥がこぞって再選支持を表明、出馬に意欲を見せていた野田聖子前総務会長は、推薦人20人を確保出来ず出馬を断念した。総裁任期は3年だから、安倍が意気軒昂であり続ければ、来年の参院選を初め国政選挙で敗れるか、大きな不祥事などで足を引っ張られない限り、佐藤栄作、吉田茂に次いで戦後三番目の長期政権となる。勿論長期政権と見られていた田中角栄や竹下登が、「政治とカネ」のスキャンダルなどで退陣に追い込まれたように「政界一寸先は闇」だからどうなるかはまだ分からない。

 「政治は momentum(勢い)だ」と公言した安倍晋三の勢いは衰えていない。しかし、不安要素がないかと言えば全くないとは言えない。安全保障関連法案の強行採決や新国立競技場と五輪エンブレムの撤回と迷走、自民党議員の相次ぐ暴(妄)言や不祥事、川内原発の再稼働などが影響して世論調査の内閣支持率は下がり、不支持率の方が上回る「逆転現象」が起きた。しかし、中・韓初め世界から注目された「戦後70年談話」は、村山富市以降の歴代内閣の基本路線を踏襲し、外交的波乱要因がひとまず取り除かれたこともあって、支持率の回復傾向が見られる。

◆◆ <安倍政治と三人の政治家>

 「安倍政治とは何か?」安倍に纏わる三人の政治家、父晋太郎、祖父岸信介、同安倍寛はどのように関わったのか。還暦を過ぎたばかりの安倍晋三は、政治家として今一番脂が乗っていて働き盛りである。彼とは秘書官になる前の若い頃に初めて会ったが、如才のないボンボンタイプでどことなくひ弱な印象を受けた。「美しい国日本」を掲げた第一次政権は、教育基本法改正、防衛庁の省昇格などを実現して自論の憲法改正にも意欲を見せたが、お友達内閣人事、年金問題、強行採決の連発、松岡利勝、赤城徳彦両農相らの不祥事などで参院選挙に惨敗し、衆参ねじれ国会を招いた。施政方針演説をし、代表質問の日に突然健康問題を理由に退陣した。参院選直後に辞任しなかったのは、母洋子が引き止めてネジを巻いたからだとも言われている。

 私は父の晋太郎と「福田派のプリンス」と言われた頃に知り合い、福田内閣の官房長官の時、短い期間であったが番記者として富ヶ谷の私邸に出入りした。共同通信、産経、NHKなど有力マスコミの五人位の番記者と「裏懇」をやっていたので頭に来て対抗しようと考えたが、同調者がいなかった。晋太郎は国対委員長時代に重要法案を全部流して「詰めが甘い」と批判され、頑固な一面もあって取材を拒否されたこともあった。こちらにも非があったので詫びを入れたら分かってくれて親しくなった。

 学徒出陣した晋太郎は、海軍滋賀航空隊に予備学生として入隊し、二等兵であった楢崎弥ノ助と一緒になった。楢崎によれば二人は気が合い、「こんなバカな戦争は二度と起こしてはならない」と誓い合ったと言う。竹下政権で幹事長となり、将来総裁の座に就くことが約束されていたが、消費税導入とリクルート事件に揺れた1988年〜89年の激動政局の最中に病に襲われた。すい臓がんの末期で痩せこけ、番記者コンペで一緒にゴルフをしたが、「斃れて後已む」と自らを奮い立たせながら現職議員のまま67歳で帰らぬ人となった。

 1982年の晋太郎の外務大臣就任以来、秘書を務めて来た晋三は、父の外遊に同行し、父が主催する個人的な勉強会にも同席、政権中枢での激しい権力闘争や駆け引きを目の当たりにした。派閥の領袖でもあった晋太郎が、病に侵されるや子分たちが、次々に離れて行く政界の冷酷・非情な現実も体験した。全く同じ経験を持つ渡辺喜美との親交は、そこに共通の原点がある。父の「悲運の死」を受けて晋三は、政界に打って出るが、ある意味では志半ばで斃れた晋太郎の無念を晴らすために総理総裁の座を目指して政治家になったのかも知れない。

 晋太郎の父安倍寛は、戦前東条英機に歯向かった反骨の保守政治家で、晋三は父から時々話を聞かされ、誇りとしていた。大政翼賛会非推薦ながら当選を果たした衆院選挙への立候補声明の新聞広告が、議員会館事務所に掲げられている。寛は清廉潔白で気骨のある政治家として知られているが、妻静子が陸軍大将の娘であったことから両親というより両家の折り合いが悪くなり、晋太郎を産んだ直後に離婚、戦後間もなく衆院選出馬を目指しながらも病死した。身近にいた祖父岸には家族として幼い頃からとても可愛がられ、晋三は父と岸そして叔父にあたる佐藤栄作の背中を見ながら育った。

 「昭和の妖怪」と言われた岸は、日米安保条約改定の強行採決で国民の反感を買い、総辞職に追い込まれたが、元々エリート官僚から商工大臣となり、A級戦犯として巣鴨プリズンに収容されながら不死鳥の如く甦った政治家だ。政治家三世の晋三には、この強運の人信介の逞しい血も流れている。

 東大法学部をトップで卒業した岸は、憲法改正を悲願とし、反対の動きを規制するため警職法の改正にも手をつけようとしたが、野党やメディアから猛反対の声が上がり断念した。安保反対デモでは、自衛隊の治安出動も検討したが、赤城宗徳防衛庁長官が反対して頓挫した。こうした岸の強硬姿勢は独裁や暴走を孕むもので、その危険な一面を孫の晋三は、後述する安全保障政策の転換で見られるように、「しっかり受け継いでいる」と言えるだろう。

◆◆ <安倍の独走と安保政策転換>

 タイトルで「暴走」や「独裁」という冠を付けずに安倍の「独走」としたのは、2012年12月に第二次安倍政権が発足して以来、評価は分かれるだろうが、アベノミクスの経済・財政政策で景気浮揚の一定の成果を上げたこと、衆院・参院選で連勝し、「一強政局」を生み出し、自論の「政治は結果がすべてだ」を地で行く政治を、彼なりにエネルギッシュに実践している一方、彼の政権運営に正面から異を唱えてこれを凌駕する政治家や政治勢力が存在せず、安倍の独走を許しているという今の政治状況があるということに尽きる。

 安倍を一刀両断でぶった切ることは、さほど難しいことではない。だが、ただ批判するだけではただの「犬の遠吠え」に過ぎない。政権発足から1年9カ月を経ても安倍内閣の支持率がそれほど落ちていないのは何故か。三回の国政選挙で自民党を勝利に導いた原動力とは何か。それは準備と戦略の整わないまま人心一新を求める国民の過剰な期待と熱狂によって生まれた民主党政権の迷走と内紛・分裂、自滅及び、ここ何年かの「回転ドア政治」と揶揄された、短命政権=リーダー不在の「決められない政治」への反省或いは反動が作用していると言えるだろう。

 外交・安全保障政策で安倍は、従来の政府の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の限定容認という将来に大きな禍根を残しかねない危険な道に踏み出した。安全保障関連法案は、自衛隊の海外での活動範囲を大幅に拡大し、同盟国アメリカが攻撃を受けた際、場合によっては、要請があれば自衛隊を出動させるようになる他、これまで出来なかった武器・弾薬の輸送や発進準備中の航空機への給油も可能となる。参院での審議は公聴会日程も決まり、最終局面を迎えた。国際政治や安全保障環境が大きく変わり、とりわけ北朝鮮が長距離弾道ミサイルを持ち、中国が尖閣諸島の領海侵入、東シナ海のガス田開発、南シナ海の岩礁埋め立て・基地建設といった、歯止めのない膨張主義を進めている現実に「何もしないでいいのか?」という主張には、一定の説得力がある。但し「解釈変更は立憲主義に反し、武力行使を禁じた憲法にも違反している」という意見が、憲法学者や元内閣法制局長官らの多数意見で「集団的自衛権を容認することは、日本が将来戦争に巻き込まれる恐れがある」としてネットを通じて結集した若者や母親らの反対デモは、盛り上がりを見せた。しかし、未だに国民の理解は得られていないにもかかわらず法案は、衆院に続いて参院においても激しいヤジと怒号の中で強行採決された。慎重審議を求める国民の多数意見は踏みにじられた。
 自衛隊の最高指揮官は総理大臣である。「ホルムズ海峡の機雷掃海に自衛隊を!」と言う安倍の主張に断固として反対であるならば、ただ反対を唱えるだけではなく、野党が結束して再び政権を奪還し、自衛隊の海外活動を抑制するリーダーシップを執ることの重要性が、もっと真剣に議論・検討されてもよい。

◆◆ <安倍の独走を許す野党の責任>

 安倍の独走を許しているものは何か。先ずは力不足でバラバラの野党の責任が大きい。とりわけ政権交代のバラ色の夢を見せたかと思えば三年余であっさり瓦壊した民主党の責任は極めて重い。資質を欠いたリーダー、官僚を使いこなせず敵に回す未熟な手法、寄り合い所帯で意見集約に時間がかかり、果ては小沢VS反小沢の内ゲバばかりの党内政局。若さと発信力が多少ある程度で、右も左も分からない政治家をじっくり育て上げて行くシステムは不在、政権運営を下支えする情報戦略や政権担当能力及び維持戦略もないまま右往左往を重ねた末の政権崩壊であった。

 民主党政権の崩壊は、実は政権を獲得する前の2009年3月3日、小沢一郎代表の公設秘書逮捕から始まっていた。鳩山内閣の初代法務大臣は、旧社会党出身の人権派弁護士千葉景子である。司法事情に明るく、法曹界に人脈はあるだろうが、検察に睨みを利かせることは出来なかった。政治資金規正法違反をめぐる「小沢事件」で、検察とメディアは小沢を袋叩きにし、座敷牢に閉じ込めてしまった。「剛腕な壊し屋」と言われた小沢は、その政治手法がしばしば批判されることもあるが、腕力、行動力、突破力には定評がある。政権の中枢にあって権力闘争の修羅場をくぐり抜けて来ただけに、小沢がその腕力を発揮し得ない民主党は、反民主党勢力、なかんずく東京地検特捜部=検察権力にとっては、ちっとも恐れるに足らない政党であったと思われる。

 「官僚主導政治の打破」、「検事総長の国会同意人事化」、「取り調べの可視化」を声高に主張する民主党に、「闇の官権力」が牙を剥いたと見るのは、果たして間違いであろうか。検察が民主党代表小沢の側近逮捕に踏み切った、その時点で民主党は、追い落としの罠に嵌ったのである。検察の「政治的な意図」を、何故民主党執行部は見抜くことが出来ず、人気取りのために小沢排除に奔走する人物を代表=首相に選んでしまったのか。彼が消費税を口にし、参院選で惨敗しても責任を執らなかったために民主党は自滅への道に突き進んで行った。

 民主党の失敗のもう一つは、有力な支持団体「連合」という組織に依存し過ぎたことだ。公務員制度改革、原発政策、教育政策などで労働組合の顔色を伺うような姿勢が目立った。大手有力労組は、確かにいざという時に頼りになるかも知れない。しかし、「連合」は例えば昨年の東京都知事選で反原発の細川護煕を支援せず、反原発ではない自公推薦の舛添要一支持に回った。これは連合東京のトップが、東京電力労組出身であったためだ。1993年、連合の山岸章初代会長と小沢一郎が手を結び、ガラス細工と言われた細川非自民連立政権を樹立させた過去の実績を完全に無視したのである。「連合」の執行部は、何よりも組織内事情を優先し、その組織の維持に拘り、基本的に既得権益にどっぷり浸かった保守的な体質を持つ。党首討論で解散を表明した野田佳彦首相が、翌日古賀伸明連合会長と会い、支援を要請したが、かつての社会党と総評の密接な関係を想起させる。労組に依存し、改革勢力になりきれなかった民主党に国民は、愛想をつかしたと言えるだろう。

 安保法案への対応で野党は、強行採決に反対し、成立阻止に内閣不信任案の提出も視野に入れる点で足並みを揃えつつある。しかし、野党の内情は、保守から中道、リベラル、社民主義、左翼と複雑多岐に亘っている。それはむしろ当然のことで民主主義の健全な姿なのだが、外交安全保障、憲法改正など基本政策であまりにも大きな隔たりがあり、野党の結束は極めて難しい。安倍自民党がかつての保守・中道・リベラルを包含した、柔軟で寛容な政党の特性からはみ出て、ライトウィングにシフトしている今だからからこそ野党は、中道・リベラルのウィングを軸に結束し、安倍政治と対峙するべきである。

◆◆ <何故モノ言わぬか、自民党>

 安倍の独走を許している、或いはそれを支え、加速させている自民党の現状はどうか。ブレーキをかける者はいないのか。かつて自民党は、「三角大福中」の派閥領袖が激しい権力闘争をくり返しながら、長期にわたり戦後政治を担ってきた。しかし、「驕る平家は久しからず」の訓言通り、冷戦終結直後に再び竹下派の跡目をめぐる権力闘争をきっかけとした内紛・分裂によって瓦壊。野党第一党の社会党もじり貧状態に追い込まれ、いわゆる「55年体制」は崩壊、政治改革を標榜した細川非自民政権誕生で自民党は、38年ぶりに野に下った。派閥政治の温床とされた中選挙区制度は廃止され、現行の小選挙区比例代表並立制が導入された。それによって確かに派閥が跳梁跋扈する政治は、遠い過去のものとなり、ロッキード・リクルート・金丸巨額献金事件のような政界を揺るがす金権不祥事は、姿を消した。政治家が相変わらずちまちました「政治とカネ」のトラブルを引き起こすが、政界全体ではかなりの程度クリーンになったと言えるだろう。

 しかし、世代交代や実力者と言われた領袖クラスの引退などもあり、自民党は個性ある熟達のリーダーがいなくなった。大平正芳が指摘した大らかな「楕円形で柔軟な党構造」は変貌し、談論風発・切磋琢磨のかつての党風の面影はない。小選挙区制度の導入で公認権と政治資金が執行部に集中、2001年の小泉政権の「郵政選挙」では、郵政民営化に反対した候補には、公認を与えないばかりか、例えば実力者亀井静香の選挙区にも堀江貴文という時代の寵児を刺客に立てる一方、チルドレン83人の新人を当選させるなど「風」で政治の風景が一変する時代に突入した。「異を唱えれば公認を外す」というこのやり方は、その後大きなトラウマとなり、激増する自己保身型の政治家は、はっきりモノを言わなくなった。安倍政権が進めた安全保障法制でも、昔なら当然起こりえたような激しい党内論議は、ほとんど見られなかった。議論百出で党内がまとまらず、やがて分裂に至った民主党を「他山の石」としているからだ、との指摘もある。それにしても自民党のこの姿は、政権政党らしい大人の対応だと評価すべき次元の問題ではなく、危機的な状況だとする見方の方が、はるかに健全で的を射ていると思う。

◆◆ <取り込まれたメディアの罪>

 安倍の独走を許す三番目の要素で、実は重要なポイントとして指摘しなければならないのが、世論に影響力持っている新聞・放送・出版・ネットなどマスメディア、ジャーナリズムの姿勢である。これは三回の国政選挙で自民党を完全に復活させた民意という一定の裏付けがあり、既述の通り、「失政民主党への懲らしめ」、「回転ドア政治からの脱却」=長期政権待望論というものが厳然として存在していることが大きい。また安倍官邸のメディア戦略が功を奏し、マスコミ各社が今の政権に完全に取り込まれていることも事実だ。安倍は有力メディアの首脳や論説委員クラスとよく懇談するが、これは公邸に引き籠りがちであった民主党政権の時とは決定的な違いである。権力がメディアの取り込みに力を入れることは、当然のことで非難されることではない。しかし、メディア=ジャーナリズムは、権力を監視し、正義と真実の追究を生業とする。両者には緊張関係と越えてはならない一線があり、批判精神を失うことは、ジャーナリズムの死を意味する。テレビで総理の記者会見を見ていると時間が厳しく制限され、事前に用意されたシナリオ通りの問答に終始している。誠に情けなく歯がゆい限りである。

 私は1991〜2年、宮沢喜一政権の官邸キャップをしていたが、その頃は各社のキャップが鋭い直球質問を浴びせ、ノーコメントをくり返す加藤紘一官房長官に「そんなことで政府のスポークスマンが務まるのか!」と詰め寄ったこともある。質問は記者に与えられた最高の特権であり、「国民の知る権利」に応えるという重い責任と自覚を背負っていた。いまの時代、政治ジャーナリズムにその責任、自覚と気概が果たしてあるのか。政治記者たちが大人しくお利口さんになりすぎているように思えてならない。権力の暴走をチェック出来なければどういうことになるのか。70年前の歴史の教訓を忘れてはならない。

◆◆ <安倍政治に厳重チェックを!>

 安倍の独走政治を許すものは、(1)「不甲斐ない野党」(2)「モノ言わぬ自民党」(3)取り込まれたメディア」の三大要因によるものだが、国民の中にアベノミクスを歓迎し、政治の安定と本格的長期政権を待望する声があることも影響している。また安倍政治を支えている参謀・スタッフに菅義偉官房長官という情報力・危機管理能力やメディア操縦などに優れ、止血剤を打つのが巧みな政治家が寄り添っていることも大きい。さらには小泉政権を長期政権に導いた元秘書官飯島勲、リクルート事件の主任検事で元特捜部長宗像紀夫らかなり強かな曲者を内閣参与に任命するなど技はきめ細かい。だが、60年安保の岸信介を彷彿とさせる安倍の安全保障法案の強引な進め方に、国民の不安感が増幅していることも事実だ。「早く質問しろよ!」の委員会でのヤジに象徴される、安倍の傲慢で軽はずみな態度に誰も文句を言えないような政治の現状に国民は、到底納得はしていないだろう。安倍には父晋太郎にあった温もりというか人情味のようなものがあまり感じられない。

 第一次政権で失敗・挫折した安倍は、「戦後レジゥムからの脱却」の旗を掲げて再び権力を取り戻した。かつてのひ弱な一面は影を潜め、かなり強かな政治家へと変貌を遂げたようにも見える。知略に長けた毛利→長州人の血が流れてもいる。だが、今の安倍は政権復帰した頃の初心や反省と学習効果をかなり忘却しかけているようだ。健康問題という爆弾を抱えた安倍は、自民一強の多数を背景に、誰も諫言してこないからか自信過剰になっている。焦り、驕りと油断で独裁・暴走の道に今にも踏み出すかも知れない。野党、メディア、自民党内は勿論のこと、何よりも国民全体が、安倍政治に対して厳しいチェック行動をいよいよ本格的に開始すべき時期に来ている。

 (筆者は元日本テレビ政治部長)


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