【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

孤立感と焦りをみせる産油大国サウジアラビア

荒木 重雄


 中東の産油大国にしてイスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジアラビアが岐路に立たされている。一つは、宿敵シーア派イランの復興の兆しであり、もう一つは最大の同盟国・米国との間に吹き始めたすきま風である。
 サウジ側の苛立ちは、前者については、今年1月の対イラン国交断絶に端的に示され、後者についても、4月、在米資産の売却をほのめかすまでに至っている。
 なにがそこまでサウジを追い詰めているのか。

◆◆ サウジアラビアの成立ちと宗派対立

 18世紀中頃、ムハンマド・イブン・サウードはイスラムの純化を唱える宗教家ワッハーブと同盟を結び、周辺部族を次々に征服して勢力を拡大し、メッカ、メディナを含むアラビア半島一帯の支配者となった。その後、オスマン帝国との戦いに敗れるなど複雑な変転を辿るが、20世紀初頭、アブド・アルアジーズが旧都リヤドを奪回してサウード王国を再興し、現在にいたるサウード家が王として君臨するサウジアラビア王国が誕生したのである。

 このような国の成立ち、すなわちワッハーブとの盟約により王権の正統性を獲得したこと、イスラム教の二大聖地メッカとメディナを領域内に収めていることによって、サウジアラビア(サウード家)は、スンニ派の中でもとりわけ厳格主義を誇るワッハーブ派の守護者であるのみならず、スンニ派、さらにはイスラム世界全体の盟主をもって任じるのである。

 そこに目障りなのが、イスラム世界では1割程度の少数派とはいえ侮りがたい力をもつシーア派であり、シーア派が多数を占めるイランである。

 サウジ・イラン関係に入る前に、スンニ派とシーア派の関係に一言、触れておこう。
 不安定な中東情勢をこの両宗派の対立に帰す議論は多いが、じつは両派の違いは、預言者ムハンマドの後継者をめぐって、イスラムの指導者(カリフ)はムハンマドの血縁であるべきとするのがシーア派であり、血統に関係なく合議で選ばれた者でよいとするのがスンニ派であって、それ以外の本筋の教義や慣習ではほとんど差異はない。したがって両派の対立とは宗教的な要因からではなく、少数派ゆえにシーア派が権力や富から退けられてきたというような、政治的・経済的な利害に起因するものであることは想起しておきたい。

◆◆ 覇権を争うサウジとイラン

 サウジ国内にも東部を中心に15%ほどのシーア派教徒がいる。その指導者ニムル師らをテロ活動に関わったとして死刑執行。イランで反発した群衆がサウジ大使館を襲撃。これが先に述べた、今年1月、サウジがイランに突然の断交を通告した経緯である。

 サウジとイランの関係悪化は、1979年、イランの民衆が米国の傀儡となったパフラヴィ王政を倒し、シーア派聖職者を中心とする共和制に移行したことにはじまる。スンニ派王族が支配する周囲の国々はこれを脅威と感じ、「革命の輸出」を恐れて米欧諸国とともにイラン包囲網を築く。イラン・イラク戦争でのサウジによるイラク支援、サウジが主導した湾岸協力会議(GCC)の設立などもその一例である。イランはこれに対抗して、各国で少数派の位置におかれているシーア派に武器や資金を援助して蜂起を促した。

 この関係が現在に尾を引くのが、シリア、イエメンの内戦である。シリアでは、シーア派の一派とされるアラウィー派のアサド政権をイランが、スンニ派の反体制諸勢力をサウジが支援し、イエメンでは、スンニ派のハディ暫定大統領政権をサウジが、シーア派反政府組織フーシをイランが支援して、代理戦争の様相が続いている。

 そのイランに2006年以来、国際社会が課してきた厳しい経済制裁が、この1月、イラン側の核開発抑制の見返りに解除され、海外からの投資の再開と世界4位の埋蔵量をもつといわれる原油の本格的な輸出が始まった。
 イランが国際的孤立を脱して手強いライバルとして出現してきたことへの危機感が、このたびのサウジによるイラン断交への直接の引き金である。

◆◆ 対米関係は依存から競争へ

 米国との関係の軸も終始、石油である。
 「米国は石油で利潤を上げる代わりに軍を派遣して王家を守る」との《男の約束》がサウード家再興の祖アブド・アルアジーズとルーズベルト米大統領との間で交わされて以来、米国は、条理があろうがなかろうがサウジの立場を擁護する一方、サウジを通じて中東世界全体と国際石油ビジネスを支配してきた。

 その米国が、スンニ派の牙城であったフセイン政権を潰してイラクをシーア派に譲り渡したのみならず、こともあろうにイランの制裁解除を主導した。これは《男の約束》を裏切る行為ではないか!とサウジは憤慨する。

 米国の姿勢の変化は、いうまでもなく、自国でシェールオイルの開発が進んで、もはや石油をサウジに頼る必要がなくなったからにほかならない。米国はいまやサウジを抜いて世界最大の産油国であり、両国は石油市場ではライバル関係である。
 フリーマン元駐サウジ米大使はいう。「米・サウジ関係は100%『利益の一致』に基づく関係だった。『価値』の共有は初めからあり得なかった」。民主主義の伝道師を自任する米国が、いまだ王族が独裁的に統治し、鞭打ち刑や斬首刑や名誉殺人が横行する国の最大の擁護者であったのは、ひとえに石油と中東支配の野望からだったと告白しているのである。

 米・サウジ関係の冷え込みは、たとえば4月、GCC首脳会議の主賓としてリヤドの空港に降り立ったオバマ大統領を王族の誰一人として出迎えなかったことからも噂されているが、それのみならず、いまや、どちらも実現はしないだろうと観測されながらも、米議会では9.11同時多発テロへのサウジ当局の関与を訴追できる法案が審議され、サウジからは、数千億ドルに及ぶ在米資産の売却をほのめかす恫喝が行なわれるまでに悪化している。
 中東に新たな地殻変動が起ころうとしているようだ。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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