【オルタの視点】

大転換の時代
—せめぎあう新・旧の「世界秩序—

久保 孝雄

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1、世界史的大転換の時代始まる

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 いま世界は歴史的大転換の時代に際会している。2014年に中国のGDP(17兆6120億ドル、PPPベース、以下同じ)がアメリカ(17兆4180億ドル)を抜き、新興国G7のGDP(38兆1410億ドル)が先進国G7(34兆7400億ドル)を大きく上回ったこと、さらに、アジアのGDP(23兆ドル)が、EU(18兆ドル)やアメリカ(17兆ドル)をはるかに凌駕したことなどが、世界史的大転換への重要なメルクマールの一つになった(IMF:Economic Outlook Databook 2015)。

 大転換への基本的動因はアメリカの世界覇権(一極支配)の衰退が加速する一方、中国がアメリカと肩を並べる大国として急成長を遂げつつあることだ。この結果、一世紀近く続いてきた「パックスアメリカーナ」は終焉への動きを速め、グローバルパワーとしての中国の登場、「アジアの世紀」の幕開けが現実味を持ち始めてきた。

 しかしこのような大転換は直線的に、また短期間に進むものではない。恐らくなお複数のディケードで考えなければならない変化だ。ジョセフ・ナイ(ハーバード大特別功労教授、元国防次官補)は「アメリカが衰退していくというのは誇張されすぎであり、中国がグローバルパワーとしてアメリカを抜き去ることもない…アメリカの世紀が近い将来、終わると考えるのは間違いである」と主張する一方、「アメリカの世紀は続いていくにしても、アメリカの強さは20世紀のそれとは同じではないだろう…アメリカの世紀は…この先、少なくとも数十年ないしそれ以上、続くだろう」と、数十年以上先には「アメリカの世紀」が終焉することも展望している(『アメリカの世紀は終わらない』日経新聞出版社、2015)。

 パックスアメリカーナの終焉を望まない米欧日には、アメリカが弱体化すればするほど世界は混乱と無秩序に陥り、独裁とテロが支配する悪夢の世界になる、したがってアメリカは衰退してはならないし、「世界の警察官」を辞めるべきではないとの主張が根強く存在する(オバマは13年9月の演説で「われわれは世界の警察官であるべきだはない」と述べて保守派からの強い批判を受けている)。

 アメリカで人気の若手の右派論客、ブレッド・スティーブンズ(WSJ紙、外交コラムニスト)はアメリカは引き続き「十分かつ柔軟な軍事力を持つことが必要であり、敵対的な相手は中途半端に封じ込めるのではなく、徹底的に叩かなければならない」と主張し、アメリカの強硬な外交政策と強大な軍事力による単独行動主義を擁護している(『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』ダイヤモンド社、2015)

 彼の著書に推薦の辞を書いたファーガソン(ハーバード大歴史学教授)も「大統領が『世界の警察官』の役割を公然と放棄し、保守・リベラルを問わず多くのアメリカ人が事実上の孤立主義に傾きつつある時代…世界から撤退して得られるはずの恩恵は、テロと独裁国家の強大化によって早晩失われる」と主張している。

 しかしこれは現実からかけ離れた詭弁に過ぎない。アメリカが圧倒的な軍事力を背景に一極支配を維持、強化するため、「テロとの戦い」や「民主化」を口実に、意に添わぬ政権の転覆をめざすなど軍事介入を重ねてきたことが、今日の世界の混乱と無秩序の根源であることは明らかであり(注1)、それが次第に行き詰まりつつあることが「アメリカの衰退」を招いているのだ。

(注1)米国の元外交官でいくつかの大使を歴任したダン・シムプソンは次のように語っている。「米国が武器取引を続け、戦争を引き起こしている間は、地上に平和は訪れない…イラクやアフガンからリビアまで米国により破壊され、イエメンは米国の援助のもとサウジアラビアが破壊している…外国人の大部分は、米国は世界共同体に脅威をもたらす狂人のように思っている…米国よ、人殺しを止めようではないか!」(Pitsburgh Post-Gazette スプートニク、1.2)

 プーチンは昨年9月28日の国連総会で重要演説を行ったが、そのなかで、ソ連がかつて行っていた「共産主義の輸出」が誤りだったことを率直に認めたうえで、アメリカが「民主主義を輸出する」目的で他国の内政に介入し、破壊と混乱をもたらし、大量の難民を生み出していることを厳しく糾弾し、警告した(スプートニク、15.9.29)。昨年末策定された新しい国家安全保障戦略でも、旧ソ連諸国で続いた「カラー革命」と呼ばれる西側が仕掛けた政権交代がロシアでも繰り返される危険性を警戒している(朝日、1.4)。

 もちろん、ここでいう「アメリカの衰退」とはグローバルリーダーとしての力の衰退であり、政治的、外交的、道義的影響力の低下のことだ。科学・技術、イノベーション、大学のレベル、文化的発信力などではまだ「衰退」は認められていない。

 しかし歴史には時代の潮流というものがある。今起きている新しい世界的潮流はなお多くの蛇行や逆流、それに伴う想像を超えるような激しい摩擦や軋轢を繰り返すだろうが、本流は絶えることなく貫流し続けるだろう。この本流の強さと深さ、その行方をしっかり掴むことが現代世界と日本の将来を考えるうえで最も重要な課題だ。

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2、挫折したアメリカの「グランド・ストラテジー」

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 1991年のソ連崩壊によって冷戦に勝利し、「唯一の超大国」になったアメリカは、冷戦勝利の高揚感に駆られてか、次のような途方もなく傲慢なグランド・ストラテジーを作成していた(「1994〜99年のための国防プラン・ガイダンス」。国防省の機密文書だったものをNYT紙とWP紙がリークして明るみに出た。以下要旨。伊藤貫『自滅するアメリカ帝国』文春新書、2012)。

 「世界を一極構造にして、アメリカだけが世界を支配する。他の諸国が独立してリーダーシップを発揮したり、独自の勢力圏を作ろうとすることを許さない…アメリカだけがグローバルパワーとしての地位を維持し、優越した軍事力を維持する。アメリカだけが新しい国際秩序を形成し、維持する…この新しい国際秩序のもとで他の諸国がそれぞれの“正当な利益”を追求することを許容する。どのような利益が“正当な利益”であるかを定義する権限を持つのはアメリカのみである」。

 このような傲慢きわまる国家戦略に沿ってアメリカが「暴走」を始めたことが、中東をはじめ今日の世界の大混乱—破壊と殺戮、数知れぬ悲惨と悲劇をもたらしている根源であることは明らかだ。しかし、この傲慢不遜なグランド・ストラテジーは今や重大な挑戦を受け、挫折と転換を余儀なくされ始めている。

◆(1)「テロとの戦争」の失敗と挫折

 第1は、「テロとの戦い」の失敗と挫折がアメリカの衰退を加速させている。アメリカはすでにアフガン、イラク、シリアなど中東地域で14年も反テロ戦争を続けているが、最近のパリの同時多発テロにも見られるようにテロは終息せず、むしろ世界中に拡散し、過激化している。その典型がIS(イスラム国)だ。

 アメリカはイラクに対し「大量破壊兵器の保有」「テロ勢力への支援」などの濡れ衣を着せて20数万の有志連合軍を募って侵攻し、フセイン政権を打倒し、彼を処刑したが、この過程で数十万人のイラク市民を殺戮し、捕虜を拷問し、大量の古代遺跡を破壊するなど、暴虐の限りを尽くしたにもかかわらず、イラクの政治と社会は安定せず、今も紛争地域のままだ。復讐心に燃えるフセイン政権の生き残り軍人たちがISの温床になっていった。

 有志連合に真っ先に参加したイギリスのブレア元首相も認めているように「イラク戦争は誤りだった」ことは明らかだが、アメリカはこの大義なき戦争で4兆ドル(480兆円)の国費を蕩尽し、4万人を超える米兵を死傷(死者は4500人)させ、10数万人の帰還兵をPTSD(心的障害)で苦しめている(国防総省資料など)。このため、アメリカは国力を大きく消耗したのみならず、政治的、道義的に世界の指導国としての信頼を低下させてしまった。

 ブレジンスキー(カーター大統領の特別補佐官)は、「(イラク戦争の結果)アメリカのグローバル・リーダーシップは信用を失った。もうアメリカの大義では世界の力を結集できなくなり、アメリカの軍事力では決定的な勝利を収められなくなった…アメリカの政治手腕に対する敬意は先細りとなり、アメリカの指導力は低下の一途をたどっていった」(『ブッシュが壊したアメリカ』徳間書店、2007)と書いている。

 オバマによるアサド反米政権打倒のためのシリア介入でも、反アサドのため密かに支援しつつ利用してきたISが強大化、過激化したため有志連合だけでは手に負えず、親アサド政権のロシアの力を借りざるを得なくなっている。アメリカの不法なシリア空爆と違って、アサド政権の正式要請を受けて始まったロシアの軍事作戦でISは壊滅的打撃(1か月間に1600か所の軍事拠点と数百輛の盗掘原油輸送車を破壊、ただし民間人にも犠牲者(スプートニク、15.10.31))を受けている。

 さらにISをめぐるアメリカ、トルコ、イスラエルの醜い関係(ISが盗掘した原油をトルコ、イスラエルに密輸し資金源にしていたことをアメリカが黙認)が暴露されたりして、90万人を超すシリア、イラク難民に悩むEUも、ISに手を焼くイラクも、ロシアとの連携を容認する姿勢を示しており、中東の覇権は次第にアメリカから離れてロシア、イラン側に大きく傾き始めている。

◆(2)「民主化」を押し付ける「政権転覆戦略」の失敗

 第2は、旧ソ連圏やアラブ世界にアメリカ民主主義を押し付け、親米勢力を増やし、覇権を強化しようとした「カラー革命」—政権転覆戦略が次々に失敗しつつあることだ。

 アメリカは戦後も中南米でしばしば軍事介入を繰り返し、政権の反米化を抑圧してきたが、21世紀に入るとアメリカ主導のグローバリズムと新自由主義の押しつけに反発して反米左派政権が次々に誕生し、14年現在、中南米19か国のうち11か国が反米・非米政権だ(最近、原油価格の下落による経済困難で、反米左派政権のリーダー国であるベネズエラの左派政権が崩壊し、アルゼンチンも中道右派に変わるなど、左派の退潮が伝えられている)。

 アメリカは冷戦後も主要な脅威であるロシアを封じ込めるため、ロシアの警戒と反発を排してEU、NATOの東方拡大政策を進め、各国で「民主化」勢力を「支援」しつつ親米欧政権樹立に「貢献」し、旧ソ連圏の東欧諸国17か国のうち11か国をEUに、12か国をNATOに加盟させ、ロシアに危機感を高めさせてきた。

 この過程でユーゴスラビアは民族紛争が激化し7つの小国に分裂した。グルジアで「バラ革命」を起こして親露政権を倒し、親米欧政権に作り替えたが、南オセチア、アブハジアの独立を招いた。中露に近接する戦略的要衝であり、アフガン戦争で米軍基地を置いたキルギスでも「チューリップ革命」を起こしたが、結局は不首尾に終わり、米軍基地も14年に閉鎖された。

 ロシアが最後の緩衝地帯として重視し、EU、NATOへの接近を極度に警戒していたウクライナでも、親露政権を打倒するためネオ・ナチ勢力と組んでクーデター(オレンジ革命)を起こし、親米欧政権を作ったものの、プーチンの激しい反撃によりクリミア半島を失い、東部ドネツク、ルガンスク州の独立への動きを招くなど、混乱を深めている。独仏露の調停による「ミンスク合意」も守れず、財政も破綻しており、ウクライナのNATO化はほぼ失敗に終わりそうだ。

 チュニジアの「ジャスミン革命」から始まりエジプト、リビアと続いた「アラブの春」の悲惨な結末はエジプトでも見られるが、典型はリビアだ。1967年政権を掌握したカダフィ大佐はNATO軍の介入で惨殺された2011年までに、アフリカで最も貧しい国の一つだったリビアを最も豊かな国に仕上げてきていた。独裁政治と言われてきたが、実際は極めて分権的な社会で、小さな自治州の連合体で構成され、リビア流民主主義が定着していたという(「マスコミに載らない海外記事」15.12.7)。ところが、カダフィ政権崩壊後4年経った現在、リビアは武装集団の抗争が続く無政府状態の破綻国家に転落したままだ。

◆(3)ユーラシアで進む地政学的大変化

 第3は、ユーラシア大陸に地政学的な大変化が起きていることだ。上海協力機構(SCO)にインドが正式加盟し、ユーラシアの3大国、中印露の連携が実現しつつあるが、さらにパキスタン、イランの加盟も検討されている。他方、ユーラシア規模の構想である中国の「一帯一路(陸と海のシルクロード)」計画と、将来の「ユーラシア連合」を目指すロシアの「ユーラシア経済連合(EEU)」の連携も推進されようとしており、その動向如何では、EUの対中露接近が強まり、対米自立が加速されていく可能性もある。こうしてユーラシアは非米色の強い大陸に変わっていくと思われる。

◆(4)世界経済・金融の構造変化も進む

 第4に、世界の経済と金融にも大きな構造変化が起きていることだ。GDPにおける南北逆転はすでに見たが、国際金融の世界でも中国主導のBRICS開発銀行やアジアインフラ投資銀行(AIIB)の発足によってアメリカ主導の世界銀行・IMF体制が衝撃を受けている。IMFはSDR(特別引き出し権)の構成通貨に人民元を加える歴史的決定(昨年10月30日)をする一方、長年の懸案だった中国など新興国の出資比率の引き上げを決めた(12月18日)。人民元はドル、ユーロに次ぎ、ポンド、円をしのぐ国際通貨としての地位を獲得した。今後BRICSはじめ新興国・途上国間の決済を中心に人民元の利用が拡大していけば、ドル体制を揺るがす主要通貨になっていく可能性もある(注2)。

(注2)米日では中国経済崩壊論が盛んだが、IMFのラガルド専務は次のようにコメントしている。「中国経済は極めて重要な移行期を通過中だ。(高度成長期を脱し)より安定的な成長期に差し掛かっている…移行期に(株価変動など)動揺があるのは当然予想されることだ」(スプートニク、1.17)

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3、アイデンティティ・クライシスに直面する米・欧・日

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 以上で見たことからも、世界がいま大きな転換点に立っているのは明らかだ。ロシアの外交・国防問題の専門家セルゲイ・カラガノフは次のように述べている。「世界は乱気流に突入した。我々の慣れ親しんだかつての世界秩序は、勢いを持って台頭してくる新たなそれに押しやられている…我々は新たな世界秩序の形成を目の当たりにしている」(スプートニク、15.12.29)

 イアン・ブレマー(米国のシンクタンク、ユーラシアグループ代表)は、かつて『「Gゼロ」後の世界—主導国なき時代の勝者は誰か』(日経新聞出版社、2012)を書いて注目されたが、最近の著書でも次のように書いている。「中国、ロシア、インド…などの新興勢力は近年、アメリカのリーダーシップが自分たちにとって有益でないと判断すれば、それを拒否してそれぞれの域内における影響力を伸ばせることを証明している。だが…いずれも国内に複雑な課題を抱えており、アメリカのリーダーシップにとって代わるものを提示する意思も能力もない。アメリカが支配的地位を占めていた冷戦後の世界秩序は終わり、今や私たちは一貫したグローバル・リーダーシップを、単独で、あるいは国家連合として提供できる国がない世界にいる」(『スーパーパワー—Gゼロ時代のアメリカの選択』日経新聞出版社、2015)。また本書の執筆動機については「米国は世界における位置づけに悩み、いまやアイデンティティ・クライシスに直面している」からだと書いている。

 そこでブレマーは大統領選挙もにらみ、3つの選択肢—(1)国内回帰、(2)限定関与、(3)積極関与—を提示している。そして(3)は米国の影響力が弱体化しているので、これまでのように超大国としての役割を担うことは難しい、(2)は同盟国などの役割を増やし、米国は間接的な役割に徹する「普通の国」になることだが、新興国の形成する秩序に対応させられることになる、としていずれも退け、結論として(1)「国内回帰」−世界の指導国の責任から独立し、自国の安全を担保することに全力を尽くし、国内インフラ、教育、医療、イノベーションの促進などで米国が世界の模範国として位置づけられることを目指すべきだとしている(ブレマーの所論は日本の在り方とも関連し興味深いが、詳しくは同書参照)。

 アイデンティティ・クライシスに直面しているのはアメリカだけではない。パックスアメリカーナを「国際公共財」として利益を享受してきた先進国グループはいずれもアメリカの衰退という「新しい現実」を前に自らをいかに位置づけるかに腐心している。昨年、米国の制止を振り切ってイギリスを先頭にEU主要国が中国主導のAIIBに雪崩を打って参加し、人民元の国際化も積極支持したこと、ウクライナ問題での対露制裁でも米国との温度差が生まれたこと、中東問題でロシアとの連携に前向きな独仏など、EU主要国に米国離れへの兆候を示す動きが目立っている。

◆深刻な日本のアイデンティティ・クライシス

 ところで、先進国の中で最も深刻なアイデンティティ・クライシスに直面しているのは日本だ。同盟の相手国が世界最強の国から「衰退する国」に変わり、150年間、日本の格下だった中国がいまやアメリカと肩を並べる超大国になりつつあることは、日本の存立基盤を揺るがすほどの環境変化であり、国家戦略の大転換が避けられなくなっている。

 安倍首相は日米同盟を深化(衰退する米国覇権の補強、補完のための自衛隊の提供など)させ、オバマのアジア・リバランス戦略の一環として、中国牽制の先兵の役割を果たすことで新たなアイデンティティを得ようとしている。しかしこれは世界の新たな時代潮流に真っ向から逆らうものであり、日本の未来は拓けない。

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4、日本のアイデンティティ・クライシスと中国問題

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 日本が深刻なアイデンティティ・クライシスから脱却するためのキーワードは「対米自立」と「日中共生」であり、それは安倍政治と対極をなすものだ。そこで、以下で日本及び日本人が、いかに世界の「新しい現実」から目を背けているかを、中国問題を中心にみてみよう。

 日本とアメリカは国民の反中感情の強い国だが、強さという点では日本がアメリカを上回っている。アメリカの調査機関PEWの調査結果(2011年)をみると、「中国がアメリカを抜いて世界一になる」ことを認めない国民が最も多いのは日本(60%)だ。EUは国民の過半数(英65%、仏72%、独61%)が、アメリカでも半数近く(46%)が、「やがて中国が世界一の大国になる」ことを肯定しているのに対し、隣国である日本の国民は、それを否定する人が3分の2近くを占めている。それほど今の日本国民の対中感情は、世界の常識からかけ離れている。

◆なぜこれほど日中関係が悪化したのか

 1972年に日中国交が回復してから15年間くらいは日中関係は極めて良好だった。「中国に親しみを感じる」日本人が80%もいた。それが今はわずかに数%(14年内閣府調査で3.9%、「どちらかといえば・・」が14.1%)に落ちている。どうしてこんなに対中感情が悪化してしまったのか。

 1つは、中国が経済のみならず政治、外交、軍事面でも日本を大きく上回る力を持つまでに台頭してきたため、明治以来アジアで初めて近代化、工業化に成功し、日清、日露戦争に勝ち、アジア・ナンバーワンの地位を確立してきた日本が、格下に見てきた中国に急速に追いつかれ、追い越されてしまったことへの口惜しさ、反発、反感(反中ナショナリズム)が、日本の支配層や右翼勢力、その影響を受けた一部の日本人の間に生まれているためだ。

 80年代まで日中関係が比較的良好だったのは、中国がまだ日本より遅れた国で、日本からの技術や資金援助に頼っている面があったので、明治以来の対中優越感情を持ちつづけることができたからだ。ところが、1980年以降の驚異的な高度成長の結果、2000年にはWTOに加盟し、 2010年には日本を抜いて世界第2位、アジア第1位の経済大国になり、2020年頃には(為替レートでも)アメリカを抜いて世界一の経済大国になろうとしている。

 中国の日本追い越しを強く意識し、対抗心を抱いているのが戦後日本を支配してきた政財官の中枢を占める保守派であり、これに迎合し、その意向に沿って反中感情をことさら煽ってきたのがマスコミだ(注3)。こうした勢力によって意図的に作られた反中感情を背景に、中国侵略を否定する歴史修正主義を掲げる右翼が台頭し、今や政権の中枢を占め、言論統制を強めるまでになっている(注4)。

(注3)『朝日』の山中編集委員が次のように書いている。「今や中国の国内総生産(GDP)は日本の倍だ。軍事予算は3倍を超す。人民元は国際通貨として円を脅かし、五輪の獲得メダルでも、月面探査でも日本のはるか先を行く。何であれ、中国に追い抜かれるとなると、われらが心は千々に乱れる…相手が中国となると肩に力が入ってしまう」(同紙、15.12.13)。反中ナショナリズムをたしなめるべき編集委員の弁に驚く。リベラル派知識人にも反・嫌中派が多くなった。書店に並ぶ反中、侮中本には日中開戦を煽るような見出しが躍っている。
(注4)報道への統制を強めている安倍内閣は、昨年「国境なき記者団」の報道の自由度調査で過去最低の61位にランクされたが、さらに国連の「表現の自由」調査団の受け入れも拒否した(りてら、1.4)。報道規制は海外にも及んでいる。ドイツの高級紙(FAZ)のゲーミス記者によれば、安倍首相の歴史認識を批判する記事を書いところ、外務省から「中国の反日プロパガンダに利用されている」と圧力をかけられたという。彼は「(来日以来5年間で)日本は別の国に変わってしまったかのようだ」と述べている(孫崎享ブログ、1.12)。

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5、米中の狭間に生きる日本のナショナル・アイデンティティ

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 さらに、中国の台頭を容認しつつも、アメリカを上回る大国になることを抑制したいアメリカが、中国牽制に日本を活用すべく意図的に中国脅威論を誇張していることだ。米国は日本の対中自主外交を占領終了後63年経った今も認めていない。このアメリカのクビキを外さない限り、真の日中友好は実現しない。

 中国脅威論を誇張し、中国敵視を公然と唱え、これへの抑止力として安保法制を強行した安倍の対中外交は、アメリカのクビキを外すどころか、その対中政策に連動し、補完するものだ。アメリカは日中の緊張関係を持続させ、アジアでの米中軍事バランスを自衛隊の活用で補強しようとしている。同時に、日中の軍事衝突には巻き込まれたくないので、この範囲内で日中関係が緊張を続け、沖縄の米軍基地の存在意義を保ち続けられるよう日中関係をコントロールするのがアメリカの対日戦略だ。日中関係が米中関係と不可分なのはこのためだ。

 ここから2つの課題が浮かび上がってくる。1つは日本国民の対中認識をどう変えるか、ということ。中国が日本より強くなることに脅威を感じ、反発し、対抗しようとする政財官の保守派はそれほど多くはないが、米国タカ派と連携し、マスコミを懐柔する財力を持っているので影響力は大きい。

 彼らの多くは中国が大国化するにつれて横暴になっていると批判しているが、これについて数年前、イギリスのフレーザー外務次官は次のように言っていた。「我々は中国が横暴になっているとは思わない。中国は200年ぶりに大国の地位を回復しつつあり、大国としての自己主張を始めているだけだ。世界は中国やインドにもっと大きな発言権を与えなければならない(要旨)」(「海外の最新ニュース」、11.1.9)。これが西欧の良識ある政治家の認識だ。日本の中国侵略やアメリカのイラク戦争などは棚上げして、「中国は力ずくで現状を変えようとしている」と食ってかかっている日米タカ派の言い分は滑稽でさえある。

 日中交流2000年の歴史の中で、19世紀始めの江戸時代までは、中国は日本に対して常に先進国であり、大国だった。先進国・中国との長い交流のなかで、多くのものを学び、工夫して取り込んで日本文化を形成してきた。こうした歴史を踏まえ、いわれなき優越感を克服すると同時に劣等意識を持つ必要もなく、先人の知恵に学びつつ日中共生(習近平主席は繰り返し「中国は日本をライバルではなく、パートナーと見なしている」と言っている)を目指す新しい関係を構築していかなければならない。

 もう1つは、現在の従属的な日米関係をもっと対等な関係に変えていくことだ。日米安保によって日本は北朝鮮や中国の侵略から守られていると考えている日本人が多いようだが、これは事実に反する。日本を守ってきたのは憲法9条である(注5)。戦争を放棄した国に戦争を仕掛けてくる国はない(海岸線に54基も原発を作った日本は戦争ができない国を作ってきた)。北朝鮮が日本を攻撃するメリットは何もない。狙うとすれば在日米軍基地だが、米軍の反撃で直ちに壊滅させられるのが分かっているので攻撃はできない(北が挑発を繰り返す「ならず者国家」になったのは国交正常化を拒み続ける米国の責任が大きい。「北の脅威」が極東戦略に必要なのだ)。

(注5)元駐日ドイツ大使シュタンツェルは「憲法9条は最強の安全保障政策だ」として次のように述べている。「憲法9条は戦後日本の偉大な成果の一つだ。日本は憲法で国家の主権としての戦争遂行を不可能にした。偉大な文明上の進歩で、日本は誇っていい。世界でここまで進んだ国はなく、他国へのお手本である」(毎日新聞、15.7.5)

 中国はかつてのソ連と違って「革命の輸出」など考えていないし、人口も国土も現状で手一杯だから、日本を侵略することなど夢にも考えていない。中国にとって沖縄の米軍基地は迷惑千万に違いないが、中国がこれを黙認しているのは、米中国交回復の時、アメリカは中国に対して「日米安保は中国に対するものではなく、日本の軍国主義が復活しないよう「ビンの蓋」の役割を果たすものだ」と説明したことを覚えているからだ。

 しかも中国のミサイルの性能向上で、沖縄米軍基地はすでに中国ミサイルの射程距離内にあり、抑止力にはならないことをアメリカの専門家が認めている(軍事に詳しいランド研究所の分析、孫崎享ブログ、15.9.23)

 またアメリカ国債の保有高も、ドルの外貨準備保有高も世界一は中国だ。中国が米国財政を支えている。ボーイングの旅客機を年間150機(1機約200〜250億円)も買い(昨年9月の習訪米で300機契約、東京新聞、15.9.24)、アメリカ車を300万台も買ってくれるのも中国だ。中国なしにアメリカ経済は回らなくなっている。このアメリカが中国と本気で戦争(外交、情報戦は激しいが)をすることなどあり得ない。アメリカ・タカ派の主張を真に受け中国敵視を続けているとやがてはしごを外される。

 「衰退するアメリカ」「勃興する中国」—この2大国の狭間で生きる日本のナショナル・アイデンティティが「対米自立」「日中共生」の方向にしかないことは明らかだが、さらにこの基礎の上に国内では平和国家日本の再建と日本型福祉社会の再構築を目指し、対外的には日中韓の連携を強め「東アジア共同体」「アジア集団安全保障体制」(6か国協議の枠組やASEANとの協調を土台に)の構築を図り、アメリカ一極支配崩壊後の新しい世界秩序—「多極共存の世界」の実現に尽力することが、日本の新しいナショナル・アイデンティティになる。

 (筆者は元神奈川県副知事・オルタ編集顧問)


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