大きな存在

南雲 智


 2018年2月20日、『オルタ』発信日。いつものようにパソコンの画面には、いつもの見慣れた第1頁目。いつものように目次を一通り見るためにカーソルを末尾の「編集後記」まで移動させていった。そして、いつものように加藤さんの「編集後記」を読もうとしたとき、何か異物のようなモノが目の端に引っかかった。あらためて見直した「追記」に思わず声を上げていた。「そんな馬鹿な!」

 加藤さんを識ったのは『オルタ』創刊以降のことでしかない。荒木重雄さんのご紹介で編集責任者としての加藤さんに初めてお会いした時、〝想像していたように「70歳」ほどの方〟と思ったものである。いや、ずっとそう思っていた。
 ところがかなり年配の方たちが加藤さんを先輩として接していらっしゃるのをたびたび目にするようになった。そこである時、加藤さんも座の中におられたはずだが、荒木重雄さんに「加藤さんはお幾つなのですか」と訊ねたことがあった。
 80歳後半のはず、と聞かされて、俄かに信じられないほどびっくりしたものである。その身のこなし方、話し方、行動ぶり、とても若々しく、少なくとも私が知っていた同年齢の方々とは、あまりにもかけ離れすぎていたからである。

 加藤さんのお宅と勤務先が近かったこともあって、年に数回はお宅にお邪魔していたが、いつお会いしても年齢的な衰えなど微塵も感じられなかった。そして私は、いつしか加藤さんに〝加齢〟という言葉は無縁であるばかりか、〝不死身〟だとさえ思うようになっていたらしい。それだけに今回の事態の衝撃はあまりにも大きかった。

 加藤さんは決して談論風発の士ではなかった。激高することもなく、常に物静かな語りの中にみずからの思いを凝縮させていた。私の知る加藤さんはそうだった。加藤さんの政治的信条は揺るぎがなかった。毎号の『オルタ』「編集後記」がその証左だろう。しかし残念ながら、日本の現状は加藤さんの進もうとしている道とは大きく異なっている。無力感や焦燥感にたびたび襲われていたに違いない。一方、だからこそ、それをバネにして変革への意識を不断に持ち続けなければならないことを十分すぎるほど自覚していた。加藤さんの『オルタ』編集、発信に込められた熱情や、その他のさまざまな活動での実践力が何よりもそれを証明していた。
 これこそが加藤さんの若々しさの源泉だったと思っている。

 また、加藤さんは人と人との輪を広げることがごく自然にできた人だった。これはまた『オルタ』の〝一人ひとりが声をあげて平和を創る〟という、すそ野拡大のためにうってつけだったとも言える。多様な人びととの対話を成立させ、みずからの考えを理解してもらうためには、精神のしなやかさと粘り強さ、頑健さが求められる。もちろん誠実さと優しさを伴って・・・。

 私は『オルタ』の編集委員としても、他のご案内いただいた活動もほとんど何もしてこなかった。加藤さんの優しさにすっかり甘えてしまっていた。それでも加藤さんは温かかった。いま私は大きな存在を失い、呆然としている。

 (中国文学者、大妻女子大学教授)
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